19歳・秋

 

※ご注意
お隣さん→同居設定のアル菊パラレル連作です。菊さんオタク全開。

 

 

パソコンのデフラグを仕掛けて、その間にちょっと、と読み始めた本がことのほか面白かったもので、ノートパソコンはそのままに、ソファに転がって読んでいたら、いつのまにリビングに入ってきたのか、菊に見下ろされていた。
「………」
垂れた髪の影になって表情が見えない。
「………」
ジャパニーズホラーを思い出して背中に変な汗をかいたけど、できるだけ平静な声を出す。
「…どうしたの」
と、すす…と腕を持ち上げノートパソコンを指さす。
「………それ、ちょっと貸していただいてもいいですか」
「もちろん、いいけど」
起き上がって、横に詰める。いつもより更に言葉少なな菊はすとんと隣に座ってブラウザを立ち上げた。
「あ」
何か?と目で聞かれ、首を振る。ブックマークを見られたらいやだな、と思ったのだが、まあヤバいのはかなり奥の階層に隠してあるから大丈夫だろう。
予想通り、菊はブックマークなど目もくれず、直うちした検索エンジンからリンク、リンクと飛び、アニメ絵満載のサイトにたどり着いた。
珍しい。菊はオタク趣味を仕事部屋外に持ち出すことを嫌う。教育的配慮だと言うが、アルフレッドには「何をいまさら」でしかない。ベッドの真上の天井にロリ顔巫女のポスターを貼っていたのだって知ってる。…今はどうなのか知らないが。
「はー」
菊が息をついた。少し表情が和らいでいる。そんなに和むものなのかと画面をのぞき込んで、アルフレッドは首を傾げた。
「……この娘たち、なんでみんなあほ毛出てんの?」
「ああ、アル」
ああ、じゃない。どれだけ没入してたんだ。
「ほら、ぴよーんってさ、まるで、ごき」
菊はすごい勢いで口をふさいできた。
「ぶ」
「その単語を、口にしない優しさをもっていますよね?」
「ぐ」
音は変になったが、肯定の意をを伝える。
ようやく手を外してくれたので、アルフレッドは画面に向き直り、上下にスクロールした。
キャプションに「ちゃばねさん」だの「くろちゃさん」だのとついている。まるで、ではなかったらしい。
「擬人化かあ…」
菊は神妙に頷く。
「こうして見れば、あの生物も少しは存在を許せそうだというものではないですか」
「……出たの?」
無言でうつむく。
「えー、呼んでくれれば潰したのに」
「つぶすなんて言わないでください!その後そこにアレの体液が飛び散って拭き取っても拭き取っても残り素足で歩けば足裏につく、とか想像してしまうじゃないですか」
「想像しすぎだよ。普通に叩けば大丈夫だって。台所?」
「いえ、大丈夫です。ミッションは既に完了しています」
立ち上がりかけていたアルフレッドは腰をおろす。
「…そう」
「大丈夫ですとも、私は大人ですからね、こんなことで怯んだりしませんよ。…でもアル、よかったら私の心を更に落ち着かせるためにそのコーヒーを譲ってください」
言うやいなや、ローテーブルの上にあったカップに手を伸ばす。もちろん、否やはないが。
怯みまくりじゃないか。
可愛いんだか可愛くないんだか。
頼ってくれればいいのに一人で何でも済まそうとして、で、こんな絵に慰められようとするなんて。
「どうして日本人は擬人化好きなのさ」
「擬人法自体は、普遍的にある思考ではないですか?機関車に性格を見る、みたいな」
「顔をつけてトーマスと呼ぶ、くらいはするけど、人型に置き換えたりはそんなにしないんじゃないかな」
「そうですかねー。だって、そう考えると可愛く見えてきたり色々許せたりするじゃないですか」
「ごき」ぶりを?と言いかけたアルはまた口をふさがれた。
「ソレだ、と思わないように自己暗示をかけているんですから、不用意な発言は慎んでください」
「うぐうぐ」
手を離した菊はまたリンクをたどって他のサイトを開いた。
「知ってますか、現在若年層における米の消費量は年々減っているのですがその中で秋田県羽後町の農協は二ヶ月で32トンの米を売ったんです。西又葵描くところの美少女あきたこまちパッケージによって!」
いや誰だか知らないし。
「その彼女が作ったキャラがうご野いちごちゃんです。びんちょうタンといい、ここ最近は商品擬人化が盛んです。ブラウザ擬人化もよいですよね…。あ、あの麗しいおぺらたんは外国の方が呼びかけてできたのですよ。でもやっぱり王道は鉄道擬人化です。山手線と京浜東北線…。いつも平行線で、追いつ追われつ、でも決して交わることのないその線…切ない!」
「…」
追いついたり交わったりした日には大惨事だ。
「そしてなんと言っても『ときタン』。中越大地震で200キロ出していた状態で脱線しながら一人のけが人も出さなかった、とき325号!あのフラッシュは泣けます」
握り拳を作る菊になんと返事をしたものか迷い、とりあえず当たり障りのなさそうな音を出した。
「へー」
菊は我に返ったのか、咳払いをし、またコーヒーカップをとりあげた。
「萌えは明日の活力です。私には」
「うん。あのさ、前から言ってるように、俺には『へー』としか思えなくても、そうやって漲ってる菊を見るのは、割と好きだよ」
がた。テーブルに戻るところだったカップはテーブルにぶつかり鈍い音をたてた。
「ミナギッテルって、貴方ね…」
「あれ、言葉の使い方間違えた?…好きなものの話するときの菊は可愛いよね、って言いたかったんだけど」
握られたままだったカップの中のコーヒーがちゃぽんと音をたてる。
手をマウスに戻した菊は、履歴とキャッシュをクリアしてブラウザを閉じた。そのままゆっくり立ち上がる。
「…………恐るべしアメリカ人………」
ドアに向かった菊に「どうしたの?」と聞けば、「少しお仕事してきます」と背中を向けたままの菊から返事が返ってきた。

フラップを閉じて、ソファにもたれる。

――そう考えると可愛く見えてきたり色々許せたりするじゃないですか

そんなものかなあ。

可愛い、はともかく、何を許したいのか分からない。この世にゴキブリがいることを?OSの性能を?

宗教は阿片である、とかつて詩人は言った。逆境に悩める者のため息であると経済学者は言った。現実の痛みに耐え、苦痛をやりすごすための鎮痛剤。

 

やりすごして、菊は生きていくんだろうか。

 

ブックマークの奥の奥、性の知識への入り口。具体的に菊と「する」ことを妄想し、しかしさっぱりその方法が分からなかったせいでアルフレッドはゲイサイトを検索した。最初に訪ねたところが初心者向けだったのが幸いしてさほど嫌悪感を抱かずに「やりかた」を学ぶことができたけれども。
できるものだ、と思えば余計に辛くなった。

妄想は日本人の専売特許じゃない。友達の家でこっそりAV鑑賞会をしてさえ、菊の顔、菊の体で想像してしまう。菊の髪、菊の肌、菊の匂い。細い菊の手の滑らかさ――菊がどう動くか分かっていてわざとあの生き物の名前を言う、そんないじましい努力でなまじっか至近距離を得ているだけに、想像は具体的で、罪深い。

「したいなぁ…」

思わずつぶやくくらいには煮詰まっている。

 

――三次元は要りません、二次元で結構。

そう言い切る菊が立体的に交わってくれるとは思えない。

 

一つ屋根の下で暮らせる、一つカップのコーヒーを飲む、そんな近さ、言い換えれば信頼を、このまま握りしめていたい。だけど、信頼を失いそうな接近への衝動もやはりあるのだ。これをやり過ごせる鎮痛剤などどこにある?

 

「がーっ!」
叫んだら菊が「また出ましたか!」と仕事部屋からかけだしてきた。



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