※ご注意
お隣さん→同居設定のアル菊パラレル連作です。幕間。
適当に書いているので設定が見えにくいと思いますが、アル中3(卒業)、本田さん22歳(投稿時代)です。
「ただいま!」とドアを開けると、「お帰りなさい、アルフレッド君」というにこにこ顔と、「いや違うでしょう」という渋い顔が迎えてくれた。
「あなたの家は隣です。お母さんもあまり甘やかさないように」
料理を手伝っていたのか、初めて見るエプロン姿で手を拭きつつ出てきた菊はアルフレッドに手洗いを命じるとさっさと台所に戻った。
「菊さんほどじゃないですよーだ」
その後ろ姿に菊の母は小さく舌を出して見せ、改めてアルフレッドに「いらっしゃい」と笑った。
脱ぎ捨てられた靴を整えながら「真っ直ぐこっちに来たの?」と聞く。
「うん。父さんは仕事だし。母さんは式に来てくれたんだけど、そのままオカアサマガタに連れてかれちゃったから」
「あら、じゃあ後でいらっしゃるかもしれないわね。ケーキ足りるかな」
「ケーキ!?」
ぱあっと顔を輝かせたアルフレッドに、母は破顔した。
「まあ、そんなに大きくなってもケーキの魅力は絶大なのね」
菊よりも小柄な母は、ほとんど仰ぎ見るようにして笑顔を向けてきた。
「もちろん!」
その彼女をしっかりと見て頷きながらリビングに入った、そのせいでクラッカーを構えた菊の姿を見過ごしてしまい、アルフレッドは大音量の破裂音に思わず「うわあっ!」っと叫んでしまった。
菊は執事のような声で告げた。
「卒業おめでとうございます」
「びびびびっくりしたよ!」
「それは重畳。リアクション芸人として立派です」
「いや、芸じゃなくて」
表情の変化に乏しい菊がうっすらと笑いを浮かべて台所へ去った。機嫌がいい、見てわかる。
入れ違いにリビングに戻ってきた菊の母は、紅茶ポットをティーコゼに入れながら「アルフレッド君はコーラがいいのよね?」と小首をかしげた。
「うん」
まだ三月だから温かいものでもよかったな、そう思いつつ、コーラを受け取る。この家の三人は誰も滅多にコーラを飲まない。それなのにペットボトルがいつも冷えている、その事実がコーラを美味しくさせる。
リビングに戻った菊はチョコレートケーキを抱えてきた。上にはバラを象った砂糖菓子やアラジンがセンス良く振られている。
「うわあ!すごい!」
「小学校の卒業式の時に『色がないね?』と言われたのには懲りましたからね。日本のホームパーティにはショートケーキが伝統なんですけどね!」
そこはかとなく得意そうだ。どうだ、こちらの美的感覚を曲げずに色をつけたぞ、と思っているらしい。別に3年前だって文句を言った訳じゃない。単にそういうものを初めて見て驚いただけだ。アメリカ人にとって「白」とは「塗り残し」だが、日本人にとっては「白」という美しい色なのだというくらい、中学三年間で学んだ。…正確には、菊の部屋の漫画の余白表現で学んだ。
モンブランにするかフルーツタルトにするか迷ったんですが貴方チョコレートも好きですしね、と菊は続けた。
とても、綺麗なケーキ。シートもレース柄の小洒落たもので。だけど。
「……もしかしてこれ、手作り?」
菊の母がぽんと手を合わせた。
「そうなのよー。菊さんね、本格レシピ教えて貰ったって言って、今日まで結構練習してたのよ」
「え」
「………だからね、何度も毒味係を仰せつかってて……うん、それ全部食べていいからね」
「お母さん、貴方正直過ぎます。……まあ、お店のには及ばないでしょうが、どうぞ」
どこが正直なのか分からなかったが、「正直」という言葉は嘘がないと言う意味なのだから、全部食べていいのだろう。そして、菊の手作りというのも本当なのだろう。フォークを大胆にさして口に入れる。
「すごく……美味しい……」
吃驚するほど、だった。味だの料理だのに詳しくないアルフレッドには何がどうなって美味しいのだか見当も付かなかったが、表面のさっくり感といい、中身のしっとり感といい、添えられたホイップといい、お店の、それもスーパーじゃなくて専門店で売られているもののレベルに感じられた。
それこそ菊の部屋の漫画で、「手作りのお弁当」とか「手料理」とかの話題はしょっちゅう出てくる。恋が調味料となって当人には通常の三倍美味しく感じられる、というのがお約束だ。何であれ、ひとが自分に向けて「してくれる」のは嬉しい、食という人間根幹の喜びを与えてくれるならなお嬉しい。だけど、まだその実感が追いついていないアルフレッドには――正確には、菊が料理をするなんて思いもしなかったので呆然としているアルフレッドには、そんなプラスポイントをつけるゆとりはなく、それでも驚くほど美味しかった。
菊は独り言のような賞賛に目を細めて、普通のピースの3分の1ほどに2片切り取って自分たちの皿に取り分けた。
「折角ですから、お母さんも。お祝いの表現ですからね」
「あ、りがと……」
ほほえみのようなそうでないようなものを親子で交わして、菊は向き直った。
「あ、デコレーションは全部この人ですから。若干少女趣味なのは許してやってください」
「なによう。私が『アルフレッド君卒業おめでとう!』ってチョコプレート作ろうとしたら菊さんが止めたんじゃないの」
「小学生ならともかく、…そしていっそ大人ならシャレでいけますけど、少なくとも私は嫌ですよ。その年でチョコプレートは。というよりこんな甘いものに更に甘いもの合わせなくっても」
「…チョコ+チョコは平気だけど」
「ほらあ!」
鬼の首をとったように母が胸を張る。論点がずれている。
論点は……なんだっけ、菊がこのベースを作ったことだ。
小学校の卒業式の時は、お店のものだった。
菊はまだひきこもりで、やっと部屋の外には出るようになった頃で、そうだ、まだほとんど家族とも口をきいていなかった。
―――あの子のために、ケーキを買ってきてくれませんか。
それが数年ぶりに聞いた菊さんの言葉だったの。
「ただいま」と言ってもおかしくないくらい入り浸ってるせいで、この母とだけ過ごした時間もある。菊の言うとおり、少女らしさを多分に残した彼女はいつもにこやかでぎすぎすしたところがなく、ジョーンズ家の密かなアイドルでもある。菊の帰りを二人で待ちながらコーヒーを飲んでいた時だったか、庭いじりを手伝った時だったか、ぽつりと言われた。
あの子が生まれたときに、こう思ったの。――いつか、この子も大きくなって、私たちを捨てるだろう、それまで自分を育てた温室から飛び出して、誰かと手を取り合って新しい家をつくるだろうって。
誕生の瞬間にそんな先のことを思うものなのかと目をぱちぱちさせたアルフレッドに、菊の母はかすかに微笑んだ。
菊さんにそう言われたときに、なぜかそれを思い出したの。まあ、捨てる捨てないは変だけど……私たちを置き去りに、ほかの人を思ってこの子は大人になろうとしてるのだわ、と、ね。
子供が大人になるのを見守るのは、なかなか大変なのよね。
「ねえ、卒業証書を見せてくれる?どう書いてあるの?」
思い出に浸っていたらいきなり話しかけられてはっと顔をあげる。
「名前のこと?カタカナだよ」
目の前の菊に差し出すと、親子は丸い筒をすぽんとあけて、中から水茎の跡も麗しい書状を眺めた。
「…縦書きなのね」
「うちは帰国子女や留学生の受入が多いだけで、メインは日本人だから」
「全然違うのかと思ったら、私のものとあまり変わりませんね」
「あら、私のとは随分違うわ」
「そりゃそうかもしれませんが」
「でも毛筆でカタカナだから書くの大変そう。字数多いものね」
「アルファベットで書くよりはましなのでは」
机の上に拡げられた証書を見ながら二人で勝手なことを話している。
小学校はインターナショナルスクールに行った。肌が合わなくて卒業を機に路線を変えたが、そこで貰ったペン書きの卒業証書は、菊の部屋で開いて見せた。
8号サイズのケーキを二人で食べたあと、菊がじっとその紙を見つめるのがつまらなくて、取り上げて丸めた。そして、それを片目にあてて菊を見たら。
「あ」
「なに?」
「……そういう詩があるのですよ。
ひろげたままじゃ持ちにくいから
きみはそれをまるめてしまう
まるめたままじゃつまらないから
きみはそれをのぞいてみる
」
「まんまだ」
笑って頷いて、菊は続けた。
「
小さな丸い穴のむこう
きみは見る
星雲のようにこんとんとして
しかもまぶしいもの
」
「……まぶしいものって、なに?」
今度の質問には菊は笑うだけで答えなかった。
「卒業証書って言えば、なんか、丸めて覗いた天皇がいるってほんと?」
菊は首を斜め45度にした。
「証書じゃなくて詔書ですよ。詔書…勅書かな、ともあれ、帝国議会での開院の詔勅を書いた紙です。望遠鏡のようにして議員席を見渡したという有名な話なんですが、歴史的に確認されていないんです」
ふうん。すぐにケーキに興味を戻したアルフレッドに、菊の独り言が聞こえた。
「本当だとしたら―――大正天皇は、未来を見たくなったんでしょうね」
今はあのときの詩の続きも知っている。結びのフレーズも。
卒業証書の望遠鏡でのぞく
君の未来
未来を見るアルフレッドの姿に、菊は何を見たのだろう。
アルフレッドの中学入学式の数日前、菊は一年近く仕舞われていた学生服に袖を通し、いつもに輪をかけた無表情で高校に行き始めた。スポーツクラブで帰りが遅くなったアルフレッドが夜や休日に部屋に行くと、いつものだらしないジャージ姿で漫画から目をあげていたが、その前だの後だのに勉強をしていたらしい。刑場に引かれるような面持ちで毎朝家を出ていたし、友達の一人もいない様子が言葉の端々にうかがえたが、それでも着々と点数を上げ、次の春には相当に優秀な成績で一年遅れの卒業証書を獲得した。
わがままで行った高校をわがままで遅れわがままで終わらせただけですから祝わないで下さいと菊は主張し、じゃあお祝いじゃなくてデートでケーキを食べに行こうとアルフレッドが言い張って、二人でチョコレート専門店の喫茶店に行った。中一の終わり、まだアルフレッドは成長期前で、どこから見てもお兄さんが年の離れた弟の面倒をみている構図、お金だって「傍目に変ですから」と菊が払った。「おめでとうって言っちゃだめなの?」と聞いたアルフレッドに、菊は小さく俯いて、言った。
「明日が来る怖さと過去に襲われる怖さの間をとっただけですから」
「難しく言われるとわからないよ」
菊はテーブル越しに手を伸ばして唇の端のクリームを拭き取った。また子供扱いして、とむくれながら紙フキンで口をぬぐう。
「じゃあさ、これだけは言わせて。――すごくがんばったよね、そういう菊もすごく好きだ」
子供が大人にするのはおかしいかもしれないけど、こういう時、ご褒美のキスをするものだ、そう思いながら、乗り出して頬に口づける。
菊は目を見開いて、それからゆっくり瞬きをした。
今を楽しく走り抜けたら通過できた「卒業」と、苦痛であっても周りとずれてもつかみ取った「卒業」。どうして菊は前者を楽しそうに祝ってくれるのに後者に対して後ろめたそうにするんだろう。価値の差は歴然としているのに。
学ランに袖を通して、高校課程を終えて、投稿を始めて、料理を作って。
菊はどんな未来を見て、何を卒業しようとしているのだろう?
「お茶のおかわり〜」と菊の母が台所にたった隙に、アルフレッドは卒業証書を細く丸めて右目に当てた。ミサイルを構える真似をすると、「そこでチャンバラじゃないってのがアメリカ人ですねえ」と菊がとぼけたことを言う。
分かってないね、菊。
俺の未来はずっと、君に照準をあてている。
【18歳・秋 - 18歳・春 - 19歳・夏 - 14歳・初夏 - 15歳・春 - 19歳・秋 - 19歳・冬 - 19歳・初夏 -】