貴方○夢を見る (5)

 

※ご注意
フラ菊アサアルでフラ菊のような菊総受のような全6回。【


 

三日目は更にもめた。
金融不安を解消すべく現時点でどのような対策が可能なのか。金を出すしかないことは分かっていても、どう出すか、いつ出すか。詰めていけば、やりきれない気持ちに襲われる。てめえでケツぬぐえ、アルフレッド。と言ってやったらどれだけすっきりするかと思うが、実際一国で解決できる状況ではない。やはり、一国の肥大化は世界全体にとってコストなんだと、独自路線を歩んできた歴史を自画自賛する。

EUは別に平和のための組織ではない。あくまで米、日の経済力に対抗するための経済統合として成立した。しかし、あれだけ仲の悪かったルートヴィッヒともアーサーとも粘り強く交渉して作り上げた枠組みは、その歴史自体が二極構造から一極集中と流れかけた世界を変え、同時に支える筈だ。そう信じる。

休憩時間に外の空気を吸おうと窓を開ければ、イヴァンが隣にたった。上司のイメージもあって皆に畏怖されている彼だが、フランシスとは割合に仲がいい。女性には挨拶代わりに声をかけるフランシスには、そのとき返されたシュールな悪罵の印象が強いナターシャの方がよっぽど恐い。
「…よお。どう思うよ」
「いやあ、僕はまだ資本主義経済においては若輩者だから」
「おっまえ、あと王もだけど、都合のいいように大国と途上国の使い分けすんのやめろよ」
「はは。でもほんと、まだ二十年だからね。戸惑いが多くて」
「超のつく富豪がお前んとこにはいるじゃねえか」
「そういう風に生きられた人はいいんだけどね。――ああ、世界恐慌の頃が懐かしいなあ」
「懐かしかねえよ!大惨事だったんだぜ」
「君たちはね。永遠の繁栄なんてほざいてたアルフレッド君の苦痛に歪んだ顔、忘れられないよ」
うっとりしたように呟くイヴァンに苦笑する。
「趣味悪ぃぜ」
「そうだね。――それなのに、二十年前、彼がやっぱりまぶしく見えたんだよね…。ほんと、趣味悪い」
イヴァンは窓枠に肩肘をついた。
「テレビに映る彼のスーパーでは棚板が見えかったんだよ。その光景を前にして、どれだけ目が眩んだか。僕にはスペースシャトルも核もあった、だけど、パンは少ししか無かった。棚はがらがらだった。……レジに『ありがとう』の言葉もなかった。――今となってみれば、なんでそんな軽薄なものが欲しかったんだろうって思うけどね」
「愛の言葉と感謝の言葉はあって当然だ」
「君らしいや。―――そういえば、ずっと前には君がきらきらして見えた。趣味悪いよね」
女帝エカテリーナが持ち込んだフランス啓蒙思想、レーニンの社会主義思想。ロシアにはいつも、新しい思想が及んでは、ロシアの風土に飲み込まれ形を変える。
「―――僕はいつも、夢の見方を間違えているような気がする」

 

結局は――とフランシスは独りごちる。
イデオロギー対立の時代が去ったとしても、依って立つものが違う者同士、つまりは利害の一致しない者同士が集まっているのだ。話し合えば解決できることなんて、実はそう多くない。それでも、話し合って解決することができると信じて話し合うことが、解決の糸口を作る。世界会議は、そこで結論を出す場というよりは、そこで結論を出そうという意志を確認しあう場なのだ。

フランシスは大いに、大いに納得力を働かせて、相変わらずぐだぐだに終わった世界会議を総括した。

 

ところで、「世界会議の間」という期間設定からは、今日の夜をどう判断すべきだろう?
フランシスは迷いながら、「でも『三日間』って言ったし、そしたら今日の24時までは」と菊に近づいた。
その菊にはアーサーが話しかけていた。
「あの…よかったら、うちのバラを見に来ないか?心和むぞ」
菊は目をぱちぱちして、それから例の曖昧な微笑みを浮かべて言った。
「ありがとうございます。…では、来夏にはお伺いできるように調整しておきます」
「あ。―ああ。そうだな。いや、今でも咲いているけどな、初夏のバラは美しいよな…」

他人事ながらじれったい。そんな消極的な態度じゃまた弟に美味しいとこかっさらわれるぞと思っていたら、案の定、アルフレッドが菊の後ろを通りながらぽんと肩を叩いた。
「じゃあ菊、来月例の共同研究の件でワシントンね宜しく」
「ええっ、マイナス220度台って」
「待ってる!」
「流石にまだ実用段階じゃないですよ……」
よ、がフェードアウトしたのは既にアルフレッドがウィンクを置き土産に去っていたからだ。廊下の向こうで鼻をかむ音がする。ここ2日ほどアルフレッドが相対的にまともだったのは、風邪を引いていたからかもしれない。てこた、適度に毒性を弱めたインフルエンザウィルスを定期的に撒けば世界は平和になるんじゃないか、とフランシスは皮肉まじりに考える。
そして、そんな健康状態だったのに菊争奪戦に参加するとは、彼の国にとっても「日本沈没」は恐怖だったらしい。会話のテンポが違いすぎてアルフレッドの真意が見抜けないフランシスには、それがどのようなパッションだったのか分からない。菊はどう思っているのだろう、それも分からない。
分かるのは、「来月って、ええ、来月?!」と顔を顰めながらそれでも手帳に予定を書き込んでいることだ。そして今は、「ええと、6月…5月がよいですか?」などとアーサーににこやかに聞いている。
「その頃ならいつでもどれかの品種は咲いているから、都合のいい時にすればいい。……秋バラというのもあるんだぞ?」
”今夜、これから”自宅に来ないかと素直に言えばいいだろうに、何をぐずぐずしているのだろう。そう思っていたら、菊がすまなさそうな顔になった。
「……あの、フランシスさんから聞いてらっしゃるんですよね。お気を使わせてすみません。もう随分元気になりましたし……期間限定のお遊びですから、どうぞ見逃してください」
「あ?い、いや、べべべ別にお前の心配なんてしてないぞ」
「ええ、承知してますけれども」
あーツンループに入った、と思っていたが、アーサーは思いの外早く紳士の仮面を取り戻した。
「……でもほんとに、からだやこころを壊す前に、休め。お前が靱いことは知っているが、カローシなんてものは他の国には滅多にないんだ。あいつなんか見ろ、5時以降働かせようなんて上司がいたら本気でストライキするからな」
いきなり指さされ一瞬ためらったが、すぐに自分を取り戻してフランシスは肩をすくめた。自分が労働者とは言えないにせよ、労働運動の本場としてここは首肯しなければいけない。
「あったりまえでしょー。『遊びをせんとや生まれけん』よ」
菊は笑った。アーサーはきっと出典が分かってないだろうが、そこは流すらしい。
「うん、菊は真面目すぎるから、極端な遊び人にネジの緩めかたを教えて貰うのもいいかもしれない。……期間限定なら、な」
そう言ってアーサーは菊の肩をぽんと叩いて立ち去った。
「……ありがとうございます」
菊は深々とオジギをした。

 

小さくなっていく影を並んで見送っていたら、菊はぽつりと呟いた。
「皆さんとおつきあいするようになったとき、アルフレッドさんのようにはなれないな、絶対。と思いました。フランシスさんのようにもなれないだろうなあ、と」
「ように、って、知ってたの?俺らのこと」
からかい混じりに聞いてみれば真面目な顔で頷く。
「19世紀初頭にはフランス革命やナポレオン帝政については、知識階層にだけですがうすうす伝わっていました。維新前後には西洋事情について著したものも出され広く読まれましたし、フランス語の私塾もできたんですよ」
口笛を吹くと、アレは教えてなかったですけどね、と投げキッスの真似をして笑い、……目線を空に投げた。
「お二方のように、人と言葉を信じて政体を作り、信念と情熱とで歴史を動かしていくことはできないだろう―――でも、アーサーさんのようにはなれるかもと思ったことがあるんです」
「俺とアルが一括りにされていることはとりあえず、とぉりあえずおいとくが、何もあんっな極悪元ヤン三枚舌野郎を真似しなくてもいいだろうに」
菊はまるで聞こえなかったかのように小さく俯いて言った。
「あの方の『あくまで紳士たろうとする精神』に、重ねられるものが自分の中にあるような気がしました。――私だって、現実は、汚い。綺麗事だけでは済まない時代でもありました。だけど、体を汚泥に浸しながらも、心だけは『紳士』たろうとする――その気高さには素直に憧れることができたんです」

そういうの気高いって言うかな、との思いがこみ上げてくるが声門の前で押しつぶす。

以前付き合わされた恋愛相談というのが、誰あろうそのアーサーの菊に対するものだった。「栄誉ある孤立」などと自称していたくせに実は孤独感を感じていたアーサーにはよっぽど「友達」が嬉しかったらしく、思い込みの強さもあいまって、その熱は急激に上昇した。まるっきりのプライベートだと持ちかけられた相談に、――そうだったのに、国際関係としての思惑で慎重論を吹き込み、ワシントン会議を開いたアルフレッドの尻馬に乗った。ついでにいえば、戦後も何回か「菊が好きなんだ」飲み会は繰り広げられ、「無理じゃね?」と言い続けた。その負い目からしつこく「ごっこ」と繰り返したし、プレイヤー交代を迫るアーサーに、それもありかと思いもした。もし――もし菊がそれを望んでいるのなら。

「菊ちゃん、あのさ」
呼べば、あ、と我に返ったような顔で菊は照れる。
「すみません、つい昔話を。……今夜までは灰かぶりに戻らなくていいんですよね、mon cheri?」

殊勝な気持ちは一瞬で消えた。渡さない――渡したくない。万が一、リアルの菊がアーサーを望んでいたとしても。

――今夜12時のクロノスにだって返したくない。

 

 

「メール交換して、お食事もして、買い物もして。今日は?」
会議場を並んで出ながら、「恋愛未満」に何が残されてましたっけ?と笑む菊に、フランシスは指をたてた。
「『彼氏のお部屋訪問』」
流石に三日間は外食になるだろうと思っていたので食材をストックしていない。市場通りに入れば菊が顔を輝かせた。
「おお。もしかして『手料理』イベントですか」
「ゲーム用語から離れなさいね」
いい野菜が揃ってる。ちょいちょいと揃えながら「何食べたい?」と聞くと、「何でも」と言いかけて「ヘルシーなものを」と言う。よしよし、随分俺らとの付き合いが分かってきた。しかしコイツめ、カロリーの高さを誇るフランス料理に、なかなか挑戦的だ。これは戦略を立て直そうとスーパーに入り指折りながら献立を呟くと、菊が感嘆の声をもらした。
「お料理してらっしゃる間、メモをとってもいいですか」
「だめ」
「え」
戸惑う菊に、スリミ――カニカマ、と本場では言うらしい――を手にとって笑いかける。
「手伝って?」
「え」
一瞬大きく目を見張り、それから菊は「はい!」と顔を輝かせた。

 

食事は大絶賛会になった。
「このカブの透明な美しさと言ったら!流石野菜煮るの巧いね菊ちゃん」
「いえ、この黄金色のソースと青葉の対比、フランシスさんの美的感覚には恐れ入ります」
「パンの焼き加減も完璧」
「選んで頂いたワインもお料理にぴったりで」
こくん、と口に含んで、ふや、と笑う。昨日・一昨日と観察した加減から言えば、この一杯が境界線だ。越えてしまえばいい、そしてこの胸に倒れ込んでくれば、と全く同じようなことを思い、ああでも違う、と振り返って思う。

一昨日そう思った時は、「倒れ込んでくる菊と受け止める自分」を平面上に配置して思い描いた。今は垂直に「倒れ込んでくる菊」しか思えない。一昨日は居た「鑑賞者としての自分」はどこかへ行ってしまって、想像の菊はまっすぐ「自分」に向かってくる。象牙色の肌が近寄り、胸に触れ、そこに絹糸のような髪がかかる。抱き留める。甘い香りを嗅ぐ。

うわやべえ、ゲームだって自分で言ったのに。ごっこ遊びだって。

こくん、首をかしげて菊が尋ねる。
「どうかなさいました…?」
「い、いや、なんでもないよ。暗く、ない?」

ちょっと気合いを入れて、物置から卓上シャンデリアなんてものを引っ張り出してきたのだ。すす掃除を覚悟して、電球ではなく本物の蝋燭だ。イルミネーションに目を細めていたから、こういうものも好きかもしれないと下心満載で火を灯した。本数があるからそう暗くはないが、白色蛍光灯には負ける。

「いえ、とても綺麗です。もったいないくらい」
「――極楽浄土みたい?」
菊はくすりと笑った。

「明かるさって、贅沢の象徴ですよね。少なくとも、私の所では、ほんの50年くらい前までそうでした。電球じゃなくて蛍光灯。電飾看板。私、ずっと「侘び寂び」を愛してきたかのように言われますけど、きらきらするものも好きなんです」
「そうなんだ?」
一度古刹巡りをしたことのあるフランシスは首をかしげる。
磨かれて黒光りする木と、真っ白な砂。水墨画の世界をそのまま三次元にしたようなあの空間。

「金箔や着色が剥げて古色が出たものを、それはそれでいいと思ったので、もとに戻さなかったんです。だけど、どんな寺院も作られた当初は、それは絢爛豪華でした。天国を夢想する装置でしたから」
「うちの教会もそうだけど、…それはやっぱり、修復したいと思っちゃうなあ」
金箔に壁画、ステンドグラス。それが剥げたり色がなくなったりしたら、教会に荘厳さを感じられまい。

「映画がもたらされてからは、スクリーンの中が憧れの世界になりました。私たちではあり得ない目鼻立ちのはっきりした人が、暖かそうな服を着て、美味しそうなものを食べて――夜でもきらきらと輝いて。夜中に電気を灯すこと自体が贅沢でしたから、ましてイルミネーションなんてなかなか楽しめるものじゃなかったんです。LEDの発明で安価な電飾が可能になって、クリスマスに自宅の壁を飾る家庭も増えましたけど、―――やっぱり、きらきらするためには裏付けとなるエネルギーが………力が、いるんですよね」
「日本では停電とかないんでしょ?十分供給能力あるじゃん」

「そうなんですけど―――やっぱり、アレルギーが、あって」
「……」

現在フランスと日本は、反原発の国際的潮流に背を向けて原子力開発での協調路線を歩んでいる。資源が少ない国で電力需要をまかなうためにはそうするしかないという菊の上司の判断をフランシスは妥当だと思うが――貿易上の計算がないとは言わない――、採算度外視で新エネルギー開発を目指す菊に、古傷がそうさせるのだと言われれば一言もない。

アルフレッドは絶対にその傷のことを謝らない。東京の景色を全て塗り替えてしまった火の海のことも。謝れば崩れてしまう論理があるからだ。彼自身の思いとは別の次元でその言動は縛られている。
だけど、ときどき彼がぶち上げる空想の花火は―――壮大な平和と繁栄の夢は、菊の傷に胸がうずく「アルフレッド」のむき出しの心が発射台かもしれない。

―――そしたらエネルギー問題はほぼ解決だ!

振り回されて、援助も協力もさせられて、それでもアルフレッドを肯い続ける菊は。

菊ちゃん。

ほんとにあいつが好きだったりする?

 

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