※ご注意
			フラ菊アサアルでフラ菊のような菊総受のような全6回。【1.2.3.4.5.6】
 	      
 	       
 	      例のハサミの真似はアーサー達には通用しない。そもそも、昨日の状況設定をご破算にされたのは菊だけで、「菊を元気づけるために恋しているかのように振る舞う」のは自分でもいいはずだ、というアーサーの主張は、論理的に覆されていない。スタートラインにもどれば菊が元気になりさえすればそれでOK。ごくごく一般的に言って、モテるという状況は人をチアアップするものだから、とすると今の、菊に似合うのはどの指輪なのかを三人で言い合う状態は、程度が過ぎなければ菊も楽しいのかもしれない。
 	      納得力を働かせて一つ頷き、横目で菊をうかがうと、アルフレッドに指をとられている。むか。
            「ちょっ。おま、なに触ってんの」
            「何言ってんの、指輪だよ?どうやって触らずに試すのさ。ほら菊、ごつい方が却って似合うって」
            言いながら左手の薬指にはめ込もうとしている。
            「ちょ、待て。待て待て待て。紳士協定。それぞれ選ぶとしても、嵌めるのは菊ちゃん自身てことにしよう」
            実際、指輪を人に嵌めるのは割と難しい。結婚式のクライマックスでありながらつっかえる新郎新婦が如何に多いことか。スムーズにいかなければ、接触時間が増える。無駄に残り二名のボルテージをあげることはない。
            「「…」」
            ちらり、と互いに目をやって兄弟は頷いた。ミリタリーテイストの指輪はぽとんと菊の右手に落ちる。
            はは…といういつもの曖昧な笑みをしてみせながら、菊はそれを中指にはめた。
            なるほど、「却って」というなら、確かにそれは似合わないでもない。ギャップが萌えを生むのだと前に菊が主張していた覚えがある。女性の男性用スーツを例に挙げられてさっぱり理解できなかったものだが、「こういうことか」と思ったりもする。もちろん、口には出さない。いややっぱりもっとエレガントなものがさ、とフランシスが探しているうちに、今度はアーサーがシンプルなものをつまみ上げた。今度も菊は曖昧に笑みながら嵌めてみる。
            「……とても、素敵です」
            細い指に銀色のそれは確かによく似合っていて、ちょっと悔しい。
            「ゼンだろ」
            「はい?」
            「本質で勝負するかっこよさは東洋思想に通じるって話だ。――その指輪は、お前のようだ」
            「ああ、『禅』なんですね」
            それはもともと王さんとこのなんですが、と菊は口ごもりつつ頬を赤らめた。ゼンって言い方ももともとお兄さんとこのものなんだけど、と思いつつ、フランシスが選びに選んで渡したのはラニエールリング。小さなスクエアが光を方々に反射しながら一本に連なる。その様に先ほどのイルミネーションを思い出したのか、菊は左手に落とした目を細めた。
            美しいものが好き、その一点では菊と同じ地平にたてる、としみじみ思う。
 	      フランシスにだけ分かるようにちょきんとハサミの真似をしてみせて、菊は言った。
 	      「三本とも、気に入ったので買ってきます」
            「「「あ?」」」
 	      買ってやるつもりだった三人は同時に間抜けな声をもらした。
            引き留める間もなく菊はキャッシャーに駆け寄り、カードで精算を済ませている。それを見送っていたアーサーが小声とともに顔と踵を寄せる。暴力的に。
            「おいワイン野郎」
            「ってえっつうに!」
            「菊は、ちょっとは元気になったのか?」
            「へえ、アーサー、まともに心配してたんだね」
            「アルは黙ってろ。おい、お前が巧く立ち回れてんなら、とりあえず今回は手を引くが」
            「えー?嫌だよ、フランシスに任せてたら視線で菊が妊娠しちゃうよ」
            「二重三重にするわけねーし。ほんとお前黙ってろ。おいヒゲ、どうなんだ?あいつに今倒れられると世界が困る。何とか持ちこたえてもらわなきゃいけねーんだろ。ちやほやしてそれで立ち直れるなら安いもんだ、お前ができないならとっとと代われ」
 	      何であれ、溜めるのはよくないとフランシスはつくづく思った。菊の疲労にしても、アーサーのツンデレにしても。虚勢張って紳士面なんかするから変な噴出をしてしまうんだばーか。アルフレッドも呆れ声を出した。
          「ほんっとうに君は素直じゃないな!……菊遅いな」
 	      アルフレッドが振り返ったところで菊がとことこ戻ってきた。「うっかり漢字でサインしてしまって怒られました」などと笑っている。フランシスは咳払いをした。
            「あー、じゃ、菊ちゃん、今度こそディナーに行こうか」
            「あ、はいっ」
            「おいフランシス」
            アーサーが腕を引く。しかし、今だけは譲れない。
            「二人分しか予約してねえから」
            視線に気持ちをこめてアーサーに言い切れば、アーサーは見返して「………分かった」と踵を返した。アルフレッドは盛大に文句を言ったが、兄に腕をとられて去っていった。
          
 	      歩きながらそっと尋ねる。
 	        「菊ちゃん――聞こえた?」
 	        きょとん、とした顔で振り仰がれる。
 	        「何がですか」
 	        「いや、何でもない」
 	      倒れられると世界が困る。自分が困る。それはアーサーの第一の感情ではないにせよ、本音ではある。フランシスとてゲームの始まりはそれだ。まして「秘密ですね」と寝落ちした菊は、「ゲーム」がアーサー達の前提にあることを知らない。お互いが虚構と知りつつそれさえ楽しむ模擬恋愛の、第三者視点に戻ったタイミングでなければ、―――「ちやほやして」という言葉は余りにも辛い。それが照れ隠しから敢えてする物言いだと、フランシス達から見ればあからさまであるとしても。
 	      サインが漢字で怒られる筈がない、カードの署名が漢字なのだったら。そうであることを偶然知っているフランシスには、菊が時間を見計らったとしか思えなかった。
            こんなタイミングじゃなければ、エスコート役を譲ることだって、あり得ない事ではなかったのに――いや喜んで交代したりはしないけれども、万が一菊が望むならば。
 	      「…ごめん、菊ちゃん、あいつらには『ごっこ遊び』の件ばれちゃったんだ」
            小さく息をのむ気配がしたが、しばらく待てば存外に明るい返事がかえってきた。
            「私がつぶれかけてたこともご存じなのですか」
            「んー、まあ」
            兄弟に恋愛ごっこを納得させるために多少誇張したこともあってフランシスは言葉を濁した。
            「だからお優しかったのですね、お二方とも。昨日から、随分勝手が違うと思っていたのです」
            菊は両手で頬を包んだ。
            「……恥ずかしいですね」
            「え?」
            「こんな年になっても、まだまだ未熟で」
            「いや、幾つだろーが愛らしいよ?」
            「今はタイムですよ」
            「そんなんじゃなくて」
            苛々とフランシスは遮った。ごっこ遊び、と言い始めたのはフランシスの方だ。恋で人を楽しませる自信ならあったけれども、ふたりの現状を思えば恋のスタート地点にさえ遠かった。一方、菊は、年齢不詳とはいえ確実に大人だし、現実に虚構を持ち込まない分別というものを持っている。だから持ちかけた「ごっこ遊び」だ。
 	      しかし、こんなに視点とメタ視点を使い分けられると、勝手が狂う。
 	        ステータスと言い、フラグと言う。キャラ、属性、プロパティ。――そんなもので恋ができるか?
 	      恋愛バラエティが盛んだなんて、日本は恋愛至上主義のように思えて、そうではない。むしろ、恋なんてただの脳内化学物質がもたらす興奮状態に過ぎなくて、それは放送作家が用意した台本で簡単にもたらせられるのだと醒めた目で言っているのだ。
 	      恋愛の経験なら何十倍とあるフランシスだが、毎回が本気で、毎回がその相手との「初めて」の恋だ。恋にすれた目を向けたことなど無い。だからこそ恋がフランシスをチアアップする。
 	      なぜ菊がつぶれかけたか。それは、恋愛にさえ夢を見られなくなったからなんじゃないか。
 	      「ねえ、菊ちゃん、ほんとに」
 	        「タイム中です」
 	        菊は異論を許さない微笑みでもってフランシスを見返した。
 	        「貴方のご提案は現行世界秩序のために有意義で、しかも実によく機能している。私からそれを言うのはおかしな話なので、アーサーさんたちにはそちらからご説明しておいてください」
 	        「菊ちゃん…」
 	        「折角ですから明日まで、ゲームは堪能しますけどね」
 	        そう言って菊は紙袋からごそごそとラニエールを二本取り出した。
 	        「あれ、いつの間に二個」
 	        「目眩ましの術です。はい、こちらサイズ合うと思うんですけど。自分で嵌めてみてください」
 	        そう言いながら左手をとって右手で覆う。そっと置かれたその指輪は確かにフランシスの指にぴったり嵌った。
 	        「おそろいです」
 	        と菊は笑いながら左手をかざす。
 	        きら、と反射した光が菊を照らした。その一瞬の光に胸を貫かれる。
 	        「―――菊」
 	        「はい?」
 	        振り返った菊の手を掴み指を絡めた。
 	        「なんでしょう」
 	        「……ゲーム再開。どきどき、して?」
 	        予約を入れたレストランに誘えば、くす、と菊は笑う。
 	        「してますよ、ずーっと」
 	        「…切り替え早いなあ…」
 	        ドアを開けてやりながら呟けば、コートをクロークに渡した菊から、からかうような笑みが返ってきた。
 	        「Alt+TABみたいなものですからね」
 	      食事の後、人通りも少なくなったシャンゼリゼ通りで凱旋門を見やり、菊は言った。
 	      「『Cities Then&Now』という本を見たことがあります。有名な都市の、現在の写真が載っていて、その上に絵の描かれた透明シートがかかっている。絵は、たとえばパリなら凱旋門が作られる前の、ロンドンならタワーブリッジがかかる前の。今も変わらずそこにあるもの、ロンドン塔なんかは透明に塗り残してあって、ほかがどう変わったか分かるようになっているんです」
            「パリも結構変わってたろ」
            「はい、でも、ルーブルの森とヴァンドーム広場が透明に残っていました。まだ緑が多く残り、道も星のように広がってはいませんでしたが、絵の方でもやはりパリは綺麗な街でした」
            ありがとう、と額にキスをして、「菊ちゃんとこは?」と聞くと「んー…」と星空を見る。
            「東京でした。――その本の中で唯一だったんですよ」
            「何が?」
            「何も、透明に残すところがなかった頁が」
            「…」
            「――パリは、変わらず綺麗です。きらきらしてる」
          菊はまた指輪をかざした。
 	      
 	       
          
 	       
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