五月 8


 

※ご注意
・(仏日)×(フラ菊パラレル)です。国側は基本国名、パラレル側は人名です。
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【フランス――5/10】

5月10日の午前、ナンテール校では講義が再開されたが、運動家達はストライキ続行のためそれを中断させた。またパリの多くの高校でストライキが発生、千名ほどのデモが決行された。高校生達は呼びかけに応じてデンフェール・ロシュロオ広場に集まり、学生や労働者、ソルボンヌの教員や研究者などと合流し、約二万の集団となった。しばし街頭集会があちこちで行われた。午後七時半、デモ隊は先の逮捕で仲間の学生が抑留されているサンテ刑務所へ向かい、その前を通り過ぎて国営ラジオ局へすすもうとした。
しかし警察の各路封鎖によりデモ隊はカルチェ・ラタンに誘導された。600m四方ほどの通りに二万人が追い込まれ、彼らは目の前の警官隊から身を守るべくその場にあった材料でバリケードを作った。
国営放送は文部省と情報省の意向で特別放送を取りやめていたが、民間放送のラジオ局はこの地域に展開し、バリケードの中へも(トランジスタ・ラジオを通じて)政府筋の情報を伝え、またカルチェ・ラタンの様子をパリ市民へ伝えていた。
自主管理がこの運動の原理であるとするなら討論と会話がこの運動の方法論であった。大学当局や政府との会話の機会が何度も用意されかけては消えた。

 

 



オデオン座はソルボンヌのすぐ傍にある国立劇場である。ここが「フランス座」としてこけら落としを行った日、その場には稀代の傾城・マリーもいた。愛くるしく華やかだった彼女。彼女を最終的には葬る勢力により、「国民劇場」と名を変えたり、ナポレオンにより「皇后劇場」と呼ばれたりもした。歴史と共にあった新古典主義の壮麗な建物、今、そのすぐ近くに陣取った警官隊司令所は慌ただしく命令を飛ばしている。
彼らは、既に準備をしている。――暴力の。

真っ暗な劇場に潜り込んで、フランスは眼下の庭園を眺めた。
日本はそっと隣に控えている。

あの日以来特に仮装もしていないが、日本はフランスの表情を見ては静かに手を伸ばしてくるようになり、フランスも自然に受け取るようになった。ひんやりとしたそれを感じると、打ち水をしたように少しだけ落ち着くのが分かる。
−大丈夫ですか。
−気持ち悪くないですか。
日本の気持ちが手から流れ込んでくる。

6日の山は、流石に辛かった。けれども、今日はその比ではない。朝からむかつきがとまらない。休んでいて下さいと懇願する上司たちをだまくらかして、街に出てきた。

彼らは、フランスに見せたくないのだ。今からすることを。

そんなわけにはいかない。反抗するのも批判されるのも自分だ。傷つけるのも傷つけられるのも自分だ。

 

菊は黙ってついて来た。

差し出された手を取り、眼で許しを請えば静かに頷く。頬に当てたその手は氷嚢のようにフランスの気を平らかにした。

 

二階の飾り窓の木枠にもたれて、フランスはぽつりと言った。

「絶対悪があれば、話は簡単なんだよな」
日本は静かにフランスを見つめた。
「と、言いますと?」
「そいつに全てをひっかぶせちゃえばいいんだから」
「…それは、理屈でそうであるのは分かりますけど。……そして、実体験でもありますけど」
「実体験?」
「戦争が終わった後ですね。紆余曲折を経て、結局『軍隊が悪かった』ことになりました。うちは戦後軍隊を持ってませんから…」
フランスはちら、と横目で伺ったが、日本は受け流した。
「今はもうない何かが悪かった、ことにしたら、今を生きるのが楽なのだというのは、分かります」
「でしょ」
「そして、現体制が諸悪の根源であるかのように見なすとき、変革のエネルギーが膨大になることも経験上分かってます」
「ああ、安保のね」
「ええ。でも、昨今の動きは、少し違うんです。これまでの保守と革新という二項対立では収まらない異議申し立てが出てきている。革新を唱えている男達が運動の中でさえいかに女性を抑圧しているか。『人民』の平等を言う人たちが、いかにその枠組みから障害者を排除しているか。今まで気づかなかった欺瞞を、苦しみながら生きる当事者達が暴き出している。…そういうことを、フランスさんは一早く気づいていたでしょう」
「…それは、そういう自己矛盾をやり始めたのが古いってだけだろ。何せ、フランス革命は男女同権って観点から言えばむしろ後退なんだから」
特権階級を無くし男性のみの普通選挙へ。その流れの中で選挙権を奪われた女性もいたのだ。

「ともかく、だから、フランスさんがそういう風に仰るのは意外です。変化の為の変化を求めると言われるフランスさんが、今回、変化に倦んでいらっしゃるようなのも」
「んー」
しばらく何と言ってごまかしたものかとフランスは考えたが、結局思うままを言うことにした。

「多分、居心地良くなっちゃったんだろうね」
「何がでしょう」
「アルジェリアを諦めて、ベトナムを諦めて、もういいや俺は経済を『伸ばしていけば』って思って…『変わらなくていいや』って…その路線が。この100年ちょっと、走りっぱなし殴り殴られっぱなしだったじゃない?」
お互いね、と眼に意志を込めると、日本は困ったような顔で頷いた。
「新聞君に、『フランスは退屈している』って言われるくらい、もういいや、って思ってたんだよね。変化とか、いいや。脱皮のような痛みは、もういいやって」
「お互い、年ですからね」
「いやいやいや。俺なんかまだまだ若輩者で」
フランスは優雅にお辞儀をしてみせた。腹を折ったせいで呻きがもれ、日本の眉が寄る。フランスは大丈夫、と笑いながら脇腹を押さえた。

「ともかく、都合の悪いことは自分以外の何かのせいにして自分を変えずに生きるやり方を見つけ出しちゃったんだよね。――何せ、ヨーロッパには、『文句なしの絶対悪』があったから」
日本は小さく眉間を寄せた。慌てて言葉を継ぐ。
「ドイツ、じゃないぜ?第三帝国、だ。その二つは違うんだって論法を、ドイツだってとってるだろ」
「ええ、そうですね」
頷くが、その「第三帝国」と同盟を組んだ形だった日本は虫歯をこらえるような顔をしたままだ。

「俺は、『占領されても地下で抵抗した』側、だ……そういう論法をとれば、自分を責めずに済む」
「実際、多くの犠牲を払ってらっしゃるではないですか」
「まあ、そうなんだけどさ…でも、たとえば、今、世界中で学生が運動してる、それが最初にうちで起こったのは、単純に、学生が多くなったのが一番早いからだ。ベビーブームがお前さんとこより5年早い。1940年には兵士が家庭に帰ったわけだから。俺は、……占領下の平和を享受してもいたんだよね」
「あー」
日本は指を折って二三度頷いた。

「俺じゃない、あいつらがやったんだって言えばそれで罪の意識は拭えたから、知らないふりをしてた。自分の国で、ユダヤ人が狩られたことも――」

 

フランスはそっと言葉を継いだ。

「同性愛者が狩られたことも」

 

日本は眼を見張った。
「……ダビデの黄色の星に対して薔薇色の星、って……フランスでもあったんですか」
「Le triangle rose(赤い三角形)、な。強制収容所に連れて行って、前頭葉切開――いわゆるロボトミー手術をやったらしい」
「…そ、うなん、ですか」
当時、同性愛は精神疾患だと見なされていた。そして、1940年代の精神外科では、手術による死亡率6%という数字よりも抗鬱効果の方が注目されたし、手術の副作用として失われる「人格」よりも病により失われている「人格」の方が問題とされていた。彼らの愛は、社会にとって、病だった。

「知る人ぞ知る、歴史だ。誰も蒸し返したりしない。ただ当事者の間に恐怖感が受け継がれているだけだ。俺は民主主義の国で、大弾圧は『やつら』がやったことだって、言ってるけど、……本当は、わかってんだ。やつらがやるのを黙って見てた俺は、やったのと同じだし、今でもこころのどこかで是認してるんだ。レイシズムも、セクシズムも」
「……そんな風に、仰らないでも……」
「いや。それが、この変化に対するうんざり感の原因なんだと思う。彼ら若者は、俺を、見逃してくれない」
「…私のとこも、ですよ」

フランスは目を開き、見合わせて微笑み、また閉じた。息が苦しくなってきた。

「『自己否定』なあ…。たかだか20年そこらしか生きてないお前らがやるのと俺がやるのとじゃ苦痛の度合いが違うっつうの……まあ、愚痴だけど」
「私だって」
ご苦労様、いえお互い様、と頭を下げ合う。

 

若者達は、まっすぐに見つめてくる。与えられた知識を拒否し、歴史を拒否し、生き方を拒否する。レジスタンスの闘士を、ただそうであるだけで英雄視する時代は過ぎた。誰かの生に価値があるとするなら、それは何を積み上げてきたかではない。今どう生きようとするかなのだ―――大統領への批判は、そのままフランスに突き刺さる。フランス革命という文化資本を振りかざすのではなく、今眼前にある民主化の課題をすくい上げろ。フランスはそう突きつけられている。

 

パリの警察は今でも秘密裏に同性愛者の名簿を作っている。刑法には同性間性行為の特別規定が残っている。

 

個人にとっては「政権」は「やつら」に見えるのかもしれない。しかし、フランスにとってはヴィシー政権も、レジスタンスも自分だ。同性愛を理由に人を殺したのも、殺されたのも、殺すのを黙認したのも自分だ。

認めてしまえば、変われるのかもしれない。100人に7人同性愛者はいるという。人間は常に分子として一回性の個人を生きるが、国は常に分母の側にある。俺は常に100の側で、7を中に含んでいる。残りの93が宗教的観念から否定しようとも、自分の中に彼らはいて、観念などで存在を捨象されることはないのだ。

 

俺の中の7がわめく。認めろ、俺たちを。そしてお前のその感情を。

 

さしのべてくれるこの白い手を、その先を、―――――――

 

 

 

明けて5月11日午前2時15分、パリ警視庁長官は内相から「カルチェ・ラタン掃討」の命を受けた。

窓の外が、赤く染まった。


 

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※上記特別規定(刑法332条)は1982年に廃止されました。その頃までパリ警察に同性愛者を取り締まる特別班があったようです。

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