※ご注意
・(仏日)×(フラ菊パラレル)です。国側は基本国名、パラレル側は人名です。
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【フランス――5/3】
「よ、よかった………!」
「あんまりしゃべんない方がいいよ、その声で」
「あ、はい」
大学生と留学生が握手をした、そのカフェの中を仕切る衝立の向こう、見た目は白雪姫そのままなのにやたらと声の低い女と、丸眼鏡に黒髪ソバージュ――いわゆるヒッピー・スタイル――の男がいた。
「どうなることかと思いました」
「…。ま、いいけどね、この店、人いないし」
ヒッピーの格好をしたフランスは頬杖を突いて店の奥を見た。味のいいコーヒーを出す店主は奥に引っ込み、ウェイトレスがグラスを拭いているだけだ。
「いるんだねえ」
「いるんですねえ」
ドッペルゲンガーが、ではない。世界に三人いるという、自分によく似た人間が、だ。正確に言えば「人間」のカウントから除外されるのは自分たちだろうから、あと二人こんな顔がいるのかもしれない。
「通り名と名前も同じなんてね」
「どういう偶然なんでしょうね」
観光二日目、ホテルに迎えに行ったフランスは腹切りでもしそうな表情の日本に「どうしましょう…!」と両腕をつかまれた。
「私、日仏民間交流の邪魔をしてしまったかもしれません」
「はあ?」
「昨夜、例の『フランスさんのそっくりさん』にお会いして、フランスさんだとばかり思っていらないことを色々と…!」
「昨夜?それって俺じゃなくて?」
酔いのせいとはいえいきなり抱きついたのはうっすらと記憶にある。その非礼をどうやって詫びたものかと道々考えてきたのだ。
「いえ、フランスさんでないことは確かです。アパートに送ると仰って全然知らない辺りに連れて行かれましたから」
どこだか分からないアパートに帰らなきゃいけないのはひやひやものでした、と日本はため息をついた。そんなことはしていない。そんな展開にはならなかった。ということは。
「うっわ。やっべ」
「はい?」
「俺、『日本のそっくりさん』に、日本だと思って会話しちった」
「えーっ!」
たかだか二人の若者の関係がどうなろうが、国が動く話ではない。とはいえ、人のなりをしている時に明らかに自分のせいで誤解を招いたのが気になって仕方がない、そう日本が主張するので、様子をうかがうことにした。しかし、なんと言っても写真のようにそっくりな二人である。できるだけ印象を変えようと、日本は女服を、フランスは古着を手に入れたのである。
「ちなみにさあ」
緊張が解ける前の日本には聞けなかったが、気になっていたことがある。
「何を、言っちゃったの?フランシス君に」
「え」
瞬きを繰り返して、日本はにこっと笑った。
「忘れました」
んなわけあるか。それが気になって、そんな格好までしてるんでしょーが。
「貴方こそ」
「ん?」
「本田さんに何を仰ったんですか?」
「んー。忘れた」
言えるわけがない。したことも、言ったことも。気持ちは変わらない、親密になりたいとは今でも強く思っている。でもそんなことを素面で口にするキャラではないのだ。
まして。
ぴったり同じ身長、同じ体重。同じ厚さ、同じ細さ。
日本を抱いたらあんな感じなのかとつい考えてしまったことなど。
「それにしてもさ」
「はい」
「はまりすぎ」
「え?」
「その服」
「はあ。…自分より小さい人に化けるのは難しいですが、カサを足すのは簡単ですからね」
髪と胸と化粧のことを言っているらしい。
「普通そんなに簡単じゃないと思うけどなあ」
「ふふ。どうです?口説きたくなります?」
「…うーん」
日本はしゅんと俯いた。
「魅力的じゃないですか」
女装がうまくいかなかったからって落ち込む必要はない。そして、うまくいって、は、いる。
「いや、そりゃもう、魅力的、なんだけどね」
実際、フランスが目を離した隙にナンパされまくっていた。自分が言うのはなんだが、本当に、フランス男というのは!である。
客観的に言って魅力的なのは確かなんだけど、そして間違いなく女性に見える姿なのに、今ひとつわくわくしない。なんで女じゃないんだもったいない、そう思ったのに。
「違和感、だろうな。俺の知ってる日本じゃない、みたいな」
「…言うほどご存じないくせに」
ぽつり、と漏らされた声に思わず顔をのぞき込む。
「いや、だからさ、もっと知りたいなって今は思うよ?」
妙に寂しそうな顔に思わず本音を漏らすと、しばらく目を落としていた日本はいきなり商売人の顔になった。
「そのためには、文化交流・経済交流ですよね?最近うちでもアニメーション作り出してるんですけど、買いません?」
「え、いや、それはあんまりいらない、かな…」
「じゃあ、アラン・ドロンさんにまた来ていただくとか」
「本人に交渉してよ。…ああいう顔、好きなんだ?」
「そりゃあもう、ぶっちぎりの人気ですよ。日本で世界的美男子は誰かと聞けば10中8,9彼の名があがりますね」
「いや、日本が、さ」
「え、え?…日本でそう答える、と日本がそう答える、は、論理的に同じかどうか、ですか…?」
「もういいよ、悪かった」
困惑を絵に描いたような顔の日本に、手を振って見せる。他の男の顔を褒めるなんて、と拗ねたのだが、それこそ論理的に言って「他の男」かどうか分からないし、何より、その拗ね方はおかしい。まるで、本当に日本が女性であるかのようじゃないか。
調子狂っちゃうなあ、とフランスは眼鏡の蔓を押しながらため息をついた。
「さあて、そんじゃ、学生諸氏とは絶対ニアミスしないようなゴージャスな観光しましょうか、お嬢さん」
日本は吹き出した。
「貧乏学生がするような格好をなさってるのに」
「似合わない?」
「いえ。―――フランスさんは、どんな格好をされていてもフランスさんだと思います。素敵です」
日本はふわ、っと笑った。
「フランスさんが女装されても、やっぱり素敵だろうと思うんですよ」
ぶっ。盛大に吹き出したのは仕方がないと思って欲しい。
あれは、第二次世界大戦の頃だったか?女でならイタリアが釣れるんじゃないかとイギリスが言い出し、しかしまさかセーシェルを囮に使うわけにもいかなくて女装したことがあった。事実、イタリアも釣れたしイギリスでさえ絶句したのだから綺麗だったのだろう。仮装が嫌いでもないので特段嫌な思い出でもないのだが、日本に見せたいとは思わない。髭を剃らなきゃ行けないし。実際の年齢差はさておき、大人ぶりたいのだ。
テーブルチェックで会計をすませて観葉植物の裏を回るようにして外に出たら、外はがやがやとざわついていた。
始まるのかなあ。
まあ、そうなんだろうな、辛いものを食べた後みたいに、胃が痙攣しているのが分かる。
「フランスさん」
隣の日本が不安そうな眼で見上げ、そっと手を伸ばしてきた。女装中の日本とフランスに奇異の目を向ける通行人はいない。フランスはその手を掴み、目で感謝を伝えた。体温の低い日本の肌はフランスを落ち着かせる。
「大丈夫ですか?」
「ああ。―――大丈夫に、するさ」
日本はこくりと頷いた。
この日の正午、ソルボンヌの中庭で開かれた四百名ほどの集会は平穏のうちに終わった。しかし、極右グループの襲撃に備えヘルメットを被った学生もソルボンヌには出現していた。そのためか、警戒したパリ大学区長は、午後二時頃、ソルボンヌにおける午後の授業の停止と図書館の閉鎖を命じた。警察はカルチェ・ラタン一帯を封鎖、夕方には警官隊が大学内へ入り、600人ほどの学生達を囚人護送車で連行した。
自然発生的に学生のデモ隊が形作られた。千名以上に膨れあがったデモ隊は催涙弾を用いた警官隊に解散させられたが近くの公園に数を倍して集まり、サン・ミシェル大通りにバリケードを築き始めた。
ソルボンヌ校の閉鎖声明は夜八時に出された。
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