八日目 (5)

 

※ご注意

・「一週間同棲」米日最終話。

.5 】


 

 † 五百八十八日目 †

「わざわざ、俺が?」
「そうだ、君が」

肩をすくめざるを得ない。スターリングラード攻防戦が決着し東部戦線の押し返しが始まっている。なのに大陸上陸作戦はその契機が掴めない。北アフリカもイタリアも厳しい状態だ。それに対して太平洋は、昨年来着々と反攻作戦が進展している。局地的には日本が優勢な戦線もあるが、これだけの大戦になれば、最後は体力がものを言う。勝ちは見えている。何せ水を飲まずに戦っているようなものだ。

自分が止めた、燃料を。
もうそれが避けられないとなった夏のことをアメリカは苦く思い出す。日本に打ち込まれた楔は、抜けないままだ。

「わざわざ、太平洋戦線関連のイベントで、ユタくんだりまで?」
「そうだと言っているだろう」
上司は言うべきことを言ったとばかりに書類の世界に戻った。仕方がない、上司の命令には逆らえない。言われるがままヘリに乗り、砂漠の中の実験場に降り立った。

案内役は、名前は覚えていないけどこういう時によく護衛兼連絡役に駆り出される職員だ。到着するや否や砂嵐に見舞われたのでハンカチを貸してくれる。
「ありがとう。……君も大変だね、こんなところまでお供させられてさ」
「大したことありません。国内ですし」
国内といってもヘリで移動すれば体が強ばるくらいには長距離だ。うーんと背伸びしてから、聞いた。
「それで、俺は何をしなきゃいけないんだい」
「テープカットのようなものです。やっと試爆場が完成したのですから、最初の実験開始のボタンを押して頂こうと」
「ふうん……」

自分の中のことだから、もちろんある程度は把握していた。ここ、ダグウェイはドイツと日本の一般的な町並みを再現し、そこへの戦略爆撃の効果を図る試爆場だ。ドイツの石造りの街と日本の木造建築では、採るべき方途は異なってくる。より効果的な破壊とは、それに向く兵器とは。それを調べるための施設。

「……俺さ、イギリスとマスケット銃向け合ったことがあるんだけど」
職員は片眉を上げた。
「目を見て撃ち合うのは確かにしんどいけどさ……。でも、戦略爆撃ってヒ」
ヒーローのすることじゃ、という言葉は言う前に封じられた。
「日本が先に重慶でやったことです」
「そうだけど」
「この実験に協力したアントニン・レーモンドも、これこそが戦争を最も早く終わらせる道だと言っています。圧倒的な力を見せつけて戦意をくじく」
「……」

日本はそういう考え方をするだろうか。
変に意固地なところがある。簡単に謝るくせに、追い詰められたら膝を折ることができない。そんな人だと思う。――ああ、それは菊が、だろうか。そんな国なのか、そんな人なのか、――それとこれは違うことなのか。
アメリカは首を振った。日本の――菊の刺した楔は、思いの外、深い。


試爆場の完成イベントだからだろう、小高い施設の屋上に職員達が列を作ってアメリカを出迎えていた。まさにテープカットのような儀式とするためだろう、司会者台みたような小テーブルの上に丸い大きなボタンが設置されている。
「押せば、それを合図に焼夷弾を落とします。……こちらに」
掌で示された実験棟に、アメリカは言葉を失った。

あの家が、眼下にあった。
開戦の年の夏、無理にもぎとったサマーバケーション。菊と二人きりで過ごしたあの家。
ぐるりを囲む板塀、小さな敷石と硝子の引き戸、玄関に添えられた小さな鉢。どれもこれも、大荷物をおろして、出迎えた菊を担ぎ上げた、その時のままだ。
玄関から部屋に入る鴨居は少し低く、最初の三日は額をぶつけた。
入った六畳間は日が差し込みにくく、大抵ここの畳の上で寝そべっていた。
襖を開ければ縁側があり、風鈴がちりんと鳴る。
小さな庭には草が植えられ、隅には松葉箒がかけてある。
急な階段を上がればもの干し場がある。知っている、全部知っている、そのままがここにある。隣の二階家も、この案内役が待機していた家そのままだ。
「な、なぜ……」
「ボタンを押して下さい」
無表情で職員が言う。
「なぜ、この家がここにあるんだ」
「押して下さい、ミスター・アメリカ。試爆ですからできるだけ正確に再現する必要がありました。燃焼を妨げる要因が何なのかを探り、改良を加えるためです」
よく見れば、木材は新しい。畳の色も違う。同じように建てたのだ。わざわざ――ハワイあたりからだろうか、建材を調達して。
「なんでだい。木造で瓦屋根、条件さえ充たせばどんな建物だっていいはずだ。なぜ『これ』なんだ!」
職員は答えず、アメリカの手をとり、ボタンの上に導いた。
その手の冷たさにアメリカは気づく。
菊は度々隣家からの監視のことを気に病んでいた。よほど冷たい視線だったのだろう。アルフレッドの方は、見られる可能性がある「隣」が事情を知る者だからと何はばかることはないと思っていた、その背徳の一週間を、彼は隣で過ごしたのだ。家の間取りも、庭木の配置も、家財道具も、そこにまつわる全てのことを記憶しながら。

「……君は、俺を、憎んでいるのか……?」

ふっと男は笑う。
「そんなわけがないでしょう、ミスター・アメリカ。心の底から愛しています」
さあ、と掌でボタンを示す。
焦れた研究者たちの気配が背後から伝わってくる。

日本の空に爆撃機を送ること、そこで焼夷弾を撒くこと――それも、風上から始めて火の壁で街を包み、誰も逃がさないようにすること、より多く殺すこと――は、もう決まっている。それは「アメリカがすること」だ。分かっている。覚悟している。そのためのコストパフォーマンスをあげるための研究も、同じように「アメリカがすること」。この燃焼実験も。同じだ。分かっている。ボタンを押すのは、どうあれ自分だ。今、ここで何を思おうとも。

「……ぐっ……」

瓦は焼夷弾を弾くかもしれない。けれども小屋のトタンは突き破るだろう。縁側には飛び込むだろう。爆弾から飛び散る油は縁側に広がり、すぐに炎を抱くだろう。障子に、畳に、柱に、階段に、階段に、火は燃料を与えられ続け喜んで成長し、家全体を焼くだろう。
想像に灼かれた胸が、胃酸のような何かを腹に溜めはじめた。

――だから、『わざわざ』なのだ。

こみ上げる不快感と共に、アメリカは理解した。
国として生きることを引き受けているアメリカが、それでもと強引に押した我が儘。その中に「国として」に収まりきれない感情の襞をみつけたから、上司達はそれを焼くことにした。いや、焼かせることにしたのだ、『アルフレッド』自身の手で。それは憎しみではないと男は言った。そうかもしれない。そうではないかもしれない。彼をしてこの偏執的な再現をなさせたのは、ただの目的合理性かもしれない。同性愛への嫌悪と日本への憎しみなのかもしれない。何もかもが混沌の渦の中だ。人はそもそもが混沌を中に抱く存在なのだ。天と地、昼と夜のように正確に分かたれた世界で、正しさだけを生きることはできない。開闢以来ずっとできないままだ。
「……ぐ」
ボタンの上にかけたまま硬直したように動かない手を見つめたまま、嚥下を繰り返しているうちに、へどろのような嘔吐きがあがってきた。押すことも、押さないこともできない。

自分はアメリカなのだから。アメリカであることが自分の存在理由なのだから。

 

一日目、神は天と地を創った。光を作り、昼と夜を創った。
二日目、空と水を創った。
三日目、海と陸を作り、草と木を創った。
四日目、太陽と月と星を創った。
五日目、様々な生き物を創った。
六日目、家畜と、人を創った。

 

七日目、神は休んで。八日目、神は、――――――国を創らない。

 

国を神が作ったなら、自分たちはもっと正しくあれただろうか。星が空を辿るように、葉脈が明日へ向かうように。

その問いは意味を持たない。

神が創った、それなのに正しき園を出た人間が、人間だけが、国を創る。理想を仮託しながら、それなのに人に擬しながら。アメリカとして生きることを求めながら、それなのに人の感情を持つことを期待しながら。

砂漠の風が、干されたシーツを大きくはためかせた。白く翻るそれは、羽のようでも、聖骸布のようでもあった。

 

 

 


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