※ご注意
・(アル→菊)×(パラレル)です。アルの菊以外の人(のような人)との性描写を含みます(第3話)。
・パラレル菊は、ジャンルとしては「性別転換」にあたります。
・オリジナルキャラ(アルの部下?)が出てきます。
・1945.12〜1946.2が舞台なので、史実記述があります。
話の都合上、憲法制定過程等に触れますが、その論議が目的ではありません。スルー気味にお願いします。
【1. 2. 3. 4. 5. 6. 7. 8】
中旬。日本政府案についての回答を求めに来た国務相と外相に対して、GHQ民政局長はマッカーサー草案を手渡した。そもそも憲法改正に消極的だった国務相は、案が突きつけられたこと自体に顔色を失い、次いで前文を読んで「文学書じゃないんですから…」と声を震わせた。
その会談に二人も列席した。
スーツ姿の菊は、幾分か回復したようで、背筋をきれいにのばして「We,the Japanese people」と書かれた「英文」を熟読していたが、やはり表情は固いままだった。仕方ない、やり方が恫喝に近いと自認するアルフレッドはその表情を受け止めようと顔を見つめた。
だけど、君に、あげたいよ。
俺がジョンにそうされるように、好き放題に言われる自由を。
君の安寧と引き替えに誰かが苦しむ仕組みからの自由を。
アキに、『誰かのための犠牲』からの自由を。男と女の二分法からの自由を。
そしてジョンに、恋人と抱き合う自由を。
……あげられないそのいくつかを、いつか叶えられる可能性を。
――やってることが計算高いくせにガキくさいんですよ。
全くだね、ジョン。
正直、頭のどこかは太平洋治安維持のための抱き込みを考えている。そして、パールハーバーが、いつも心の一角にある。
だけどその一方で、君の笑顔が見たい、それだけで動いているところもある。
ねえ、いつかみたいに笑ってよ、菊。
会談は終わった。日本政府に否やはないのだ。この路線で政府案がつくられ、このあとの新制選挙で選ばれた人々によって受け入れられていくだろう。
砂糖抜きのコーヒーを含んだような気持ちで部屋を出たら、廊下に菊が佇んでいた。
「…菊」
「お久しぶりです」
「うん」
「少し、歩きませんか」
数日前にアキと歩いた皇居前広場を、今度は逆向きに歩く。
菊、君は知っているかい?戦後最初にここで行われた集会が何だったか。口には出さない問いを空に投げる。
まだ菊が昏睡状態にあった8月26日、ここでRAAの結成式が開かれた。
「『昭和のお吉』幾千人かの人柱の上に、狂爛を阻む防波堤を築き、民族の純潔を百年の彼方に護持培養すると共に、戦後社会秩序の根本に、見えざる地下の柱たらんとす」
そんな言葉を言ったのは、人柱にはならなかった誰かだ。
隣に見えるつむじに、やはり菊の方が若干背が高いだろうかと思い、いや、と思う。アキは、大柄な女性の常として、背を丸める習慣がついてしまっていた。逆に菊は、肩肘を張り、背筋を伸ばす習慣がついている。体の大きな列強に混じって、いつも、ひとり、凛と。
「…なんですか」
不躾な目線を咎めるように菊が見上げる。
「うん。―――不自由を美しいと思うのは俺の主義に反するんだけどな、と思ってた」
「……そうですか。ものすごく拡大解釈すれば、貴方の主義と私の主義とは一致しますよ」
「そうなのかい?」
「ええ。見る側に『不自由』を感じさせたのなら、まだ型は形になってないということですから。………それは、私が、ですか」
「うん」
菊は顔を前に戻して歩き出した。
「私にも、貴方が不自由に見えることがありますよ。貴方が自分に課した枠のせいで」
「目指すものになれてないってことかい。……まあ、そうなのかもな」
ヒーローを目指す気持ちは変わらない。ヒーローでいたいから感じる苦痛も、制約も引き受けて、それでも、そう、強く優しく公平な大人、それが「なりたい自分」なんだ。「いつかなれますよ」とあやされるレベルの子供が、「大人なら」という縛りをいつも感じているんじゃあ、そりゃあ、不自由だ。
だけどそうやってしか、「なりたい自分」にはなれない。
菊は目を丸くした。
「どうしたんですか、貴方がそんなふうにいうなんて。熱でもあります?」
「なんだよ。君が言ったんじゃないか」
「ちょっとくらい意地悪したくなったんです。今回のあれ、内容はさておき、手続きは禍根を残したと思いますよ」
「………内容はさておき、なんだ?」
「まあ、蓋を開けてみないと――世論調査してみなければ分かりませんが」
なんとなくの感触ですね、私も今度のことなんかで色々考えましたからと菊は肩をすくめた。
「………釘を刺しておこうと思ったんですけど、自覚してらしたんですね」
「少しは大人になったんだよ」
菊は振り返って薄く微笑んだ。
「恋は人を変える、ですか」
その腕を、掴む。
「うん」
わずかに大きくなった菊の目をのぞき込む。
「この前のあれは誤解だ。でも、訂正する。恋を、してる」
「…そう、ですか」
「だけど、まだ始めない。不自由かもしれないけど、嫌なんだ。フェアじゃないのは」
「恋に公平なんてないでしょう」
「だけど、君に俺を嫌う自由がない間は、君に好きだなんて言えない」
「いっ」
菊はかっと頬を照らした。
「何言っちゃってるんですかっ」
「言わないって」
「あーっ、もう!」
捕まれた腕を払おうと、腕を上下に振る。そんなことでアルフレッドの手が外れるわけもなく。菊は空いた手で顔を覆った。
「なんなんですか。人の気持ちをかき乱して楽しいですか」
「楽しくないよ。楽になりたい。楽にいてもらいたい。でも、何より素直になろうと思った」
俺の根底を支えるのは神様じゃない。ジョンや、ジョーンズたち。そして彼らと共有するポリシーだ。
「菊」
掴んでいた腕を放し、そっと手を取る。菊が指の隙間から覗いているのを確認して、その甲に口づける。
「いつか、言うね」
手の下の頬が更に照ったのが見て取れた。
「………貴方とは、自由意志と強制と言霊の関係について議論を交わす必要がありそうです」
最後のは分からない。首を傾げて見つめると、菊はついと顔をそらした。
そのとき、幻聴に違いない、けれども、出航を知らせる汽笛が遠くで鳴った。
もう彼女の船は出ただろうか。
彼女の行く手にも、俺の未来にも、約束なんてない。ただの願望、いや幻想と言われるかもしれない、それでも。
百年の海を越えて、いつか、あの何にも縛られない顔で笑う菊に逢う。
了
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