※ご注意
		  ・(アル→菊)×(パラレル)です。アルの菊以外の人(のような人)との性描写を含みます(第3話)。
		  ・パラレル菊は、ジャンルとしては「性別転換」にあたります。
		  ・オリジナルキャラ(アルの部下?)が出てきます。
		  ・1945.12〜1946.2が舞台なので、史実記述があります。
		   話の都合上、憲法制定過程等に触れますが、その論議が目的ではありません。スルー気味にお願いします。
		  
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          綺麗な服を着て、化粧もして、街を歩こう。それが約束だったはずなのに、アキはすっきりした外套姿で待ち合わせ場所に現れた。黒い細身のそれも、ズボンも靴も、男物だ。菊の洋装は軍服以外記憶にないが、きっとこんな感じだろうと思う。丁寧に頭を下げる姿さえ菊そのものだ。
          
            今にも雪が降りそうな曇天だが、キンと冷えた空気はむしろ心地よい。皇居前広場はこんな日にもそこかしこで米兵が日本人の若い娘と戯れている。
            「お久しぶりです」
            「やあ。元気だった?」
            「ええ、まあ」
            「あの……どうやって暮らしているの」
            聞きにくくて、小声になったアルフレッドに、アキは笑いかけた。
            「通訳の仕事にありつけたんです。私、小町園ではそんなに英語を話す機会なかったんですけど、なぜだか軍の方を通じてお話が来て」
          あいつ…!何の根拠もないが、ジョンの仕業だと確信した。行き先も分からないと言ったくせに。
          アキが促すので、止めていた足をまた動かす。
            「……男として雇っていただいているんです」
            「え」
            「何も言わなかっただけですけど。聞かれもしなかったので、やっぱり外国の方から見ても男に見えるんだなと」
            アキは菊がよく見せる曖昧な微苦笑を見せた。
            「君は……それでいいの?」
            「……」
            アキは微笑を崩さない。
            「体が折れそうなほど、って言ってたじゃないか」
            アキは空を見た。とうとう白いものがちらつき始めた。
          それでいい、のだろう。彼女は、この姿でここに来たのだから。
          菊と切り離したかったから、そして、あの店で「男のような女」として売られていることがたまらなかったから、女姿で逢おうと言った。それが彼女の慰めになるかと思ったのだけど――多分最初から間違っていたのだ。この国の人は皆どこか少しずつ菊に似ている。切り離すことなどできないし、同時に、最初から全く別の立場を生きている。
          そして、前髪を一房つまみ上げたアキの声音も読み間違えたのだ。彼女がほしがっていたのは、…名前も知らない男なんかに、「やっぱり君はかわいい女の子だよ」と認められることではなかったのだ。
          「――女学校の頃、好きだった男のひとがいて」
            「え」
            「明るくて、素敵な人でした。父の若い知り合いで…若いといっても大人でしたから、子どもに対するように優しく接してくれて、――だから年齢差だけでも、恋にはならなかったんです。その上に、成長するにつれて体が男性寄りになっていきました。早く大人になりたいとずっと思っていたのに、大人になればなるほど、私は男の人に愛されない姿になっていく。泣きながら足の毛を剃りました。膨らまない胸を叩きました」
            「その……体のことを打ち明けるわけにはいかなかったのかい」
            「いえ、むしろその方が染色体検査を薦めてくださったんです。生物を研究している方でした。インターセクシャルという言葉を教えてくれたのもその人です。生物の世界では君はそうレアでもない。自分をおかしいと思わなくていいんだと言ってくれました」
            長い広場の半ばに至る。雪は相変わらずちらちらと舞っている。
            「……あるべき自分にじゃなく、なりたい自分になりなさいとも言ってくれた」
            「素敵な人だったんだね」
            「ええ」
          アキは足をとめて微笑した。
            「私、多分、何もなければ心は男寄りなんだと思います。意に反して男姿をするようになりましたが、今、すごく楽です。男として見られるのが自然な気がしてます。―――でも、彼が、好きで」
           現在形、だ。
          「どこか踏ん切りをつけられないでいました。彼と体で繋がれる、そんな日の可能性を未来に残したくて。女、に、なれるならなりたかった」
          
            黒目がちの瞳がひたりとあわせられる。
            「……貴方を体で感じたかった」
          「……え」
          「…………ジョーンズ先生……」
            胸の中に倒れこんでくる体をようやく抱き留める。
            まさか。
          
            「………………似てるのか?俺が?」
            返事はなく、ただ背中に回された手がいっそう締まった。
          視界は白さを増し、空気は温度を下げている。アルフレッドはアキに雪を近づかせまいと体を包んだ。
           
          ジョンの言葉が思い出される。「菊入嬢にとっても」。あいつ、本当にどこまで知ってたんだ。
          
            ――しかし、彼はこう言ったのだ。「却って素直になれませんか」。
          
            「……でも、『やっぱり違う』と思ったんだね」
            君も。
          
            アキは顔を上げ、困ったような顔で頷いた。
            「………ごめんなさい、もっと、大人でした」
            「悪かったね」
            ふてくされるふりをするけど、無理だ、苦笑してしまう。
            どっちの菊にも子供扱いされる。
            「でも、やっぱり、そっくりでした。顔も名前もですけど、醸し出す空気が」
            「………アメリカ人だからね」
            うーん?そんな大ざっぱな、と首をひねった顔に書いてある。
            「とても頭のいい人でしたよ?」
            「どういう意味だい」
          「いえ」
          指の関節でぐりぐりと突けば笑いながら頭を押さえる。顔が、そういうところが子どもなんです、と言っている。悪かったねとふくれてみせて、…それから聞いた。
          「君の『なりたい自分』っていうのは、『彼と抱き合える女の自分』だったのかい」
            腕の中で、アキは首を傾けた。
            「…」
            そうと断言もできないでいるアキの頭を撫でる。
            「俺に言わせればね、君は君だよ。とにかく、君の心が、自由であってほしいと思うよ」
          アキは、生物学的には女性性をもっていて。菊は、生物?学的には男性で。だけど、少なくとも俺には、それは問題じゃなかった。菊が、菊だから、好きだ。
          アキは少し身をはがした。
            「先生と同じこと言いますね」
            「アメリカ人だから」 
            本気で言っているのだけど、アキには冗談のくり返しだと受け取られたらしい。くすりと笑う。
          「……アリマキという小さな虫がいるんですけど、基本的にメスしかいないそうなんですよ。生まれてくる時点で既に胎内に娘を孕んでいるのだそうです。それを育てて生む。無性生殖なんです。でも、秋になるとどうやってなのか、オスを作り出し、有性生殖に変わる。オスはひたすら精子をふりまいて死に、また春にはメスばかりの集団になるのだそうです」
          「う、うん?そうなんだ?」
          何の話が始まったんだ?
          「――聖書には全ての生物が一対で箱船に乗ったと書いてあるけど、そんなはずはないんだと教えてくれました。真実はきっと、人間の常識よりも豊かだと。知識は君を自由にする、と」
          …認めよう。片手の手のひらを胸まであげる。
            「そちらのミスタ・ジョーンズは、大人だ」
			「だから貴方もいつか、いい男になれますよ、ミスタ・ジョーンズ」
            苦笑。
            「………いつだろ……」
            肩をすくめたらするりと腕の輪からはずれたアキが先に立って歩き始めた。
          
            「女ものを選ぶセンスは、あまり期待しないでくださいね」
            「なんのこと?」
            今度はアキが、振り返って、苦笑する。
            「人を妬かせといてなんですか。『菊』さんへのプレゼントを買いに行くんでしょう?」
          「あー…。ちょっと事情が変わってね」
            「そうなんですか?」
            足を止めたアキにやっと追いつく。
          「俺としてはプレゼントのつもりのものを今度渡すんだけど、そうは受け取ってもらえないだろうな…」
            「はあ」
            「だから、今モノをあげるのは、懐柔みたいで嫌なんだ」
            「はあ…。何を渡すつもりなんです?」
            「………自由、とか」
            「は?」
            
            困惑した様子のアキに構わず聞く。
          「ところで、ミスタ・ジョーンズのことはもういいのかい?」
            アキは微笑むように目を細めて空を見た。
            「……そうですね……。たとえば先生・生徒とか、そんな関係でもいいから近くにいきたいと思いはしますけど」
            「今彼がどうしているか知ってるのかい?」
            予想に反して、アキはうなずいた。
            「仕事場にあった雑誌に寄稿記事がありました。ニューヨークの大学に戻られたようです」
            「……」
            「どうかしました?」
            あいつ。
            「……君に連絡をとってくれた男がね、ほぼ唯一、俺が、君に、あげられるものがあるはずだって言ったんだ」
            「はい?」
            「確かに、あげられるんだけど、要る?アメリカへの渡航許可証と、滞在許可証」
          アキは目を見張って、それから、決意をこめた瞳で頷いた。
          
          
 	      
          
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