不自由な僕等 6


 

※ご注意
・(アル→菊)×(パラレル)です。アルの菊以外の人(のような人)との性描写を含みます(第3話)。
・パラレル菊は、ジャンルとしては「性別転換」にあたります。
・オリジナルキャラ(アルの部下?)が出てきます。
・1945.12〜1946.2が舞台なので、史実記述があります。
 話の都合上、憲法制定過程等に触れますが、その論議が目的ではありません。スルー気味にお願いします。

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その後はGHQビルにこもって過ごした。

あの後しばらくして退院手続きをとった菊は、自宅に戻り静養しているという。二度ほど援助物資を送らせたものの、顔は見ていない。それこそ、合わせられない。アキとも会っていない。あんな約束めいたことをしながらと心が痛む。

2月初っ端の憲法案スクープをきっかけに、日本における上司は高圧的態度に切り替えることを決断したらしい。「甘すぎる」と批判するワシントンや他の連合国の干渉を退けるために、つまり彼の政治のためにも、憲法の抜本的改正が、彼一人が絶対権力を持っている今行われることは必須条件だった。
秘密裏に行われ始めた憲法草案作成作業にアルフレッドも巻き込まれた。
取りまとめ役の一人は、民間草案をかなり評価しているようだった。それを元に、たとえば合衆国憲法にもない拷問禁止規定を書き足したりした。
同じく世界にも類を見ないほど理想主義的な人権条項案を提出した女性は、近しい日本人女性から聞いていたという彼女たちの抑圧状況を熱を込めて語った。それはしばしば彼女自身が受けた女性差別への憤りと重なった。

みなそれぞれの思惑で菊に向き合っている。「歯を抜く代わりに命をくれる」と菊は言った。「歯」がメインの者も、「命」がメインの者もいる。まとまりつつある草案には、打算と理想が入り交じっている。それでも、文言の一つ一つに新しい世界についての夢がある。

中でも、「国籍を離脱する自由を侵されない」の文言には目をむいた。考えもしなかった、国を捨てる自由。聞けば、明治時代のウエキとかいう活動家が作った憲法案にあったのだという。

菊を捨てる自由があるということは、裏返せば、「日本国民」とは、その自由があるにも関わらず菊を捨てなかった人ということだ。これからの日本人は、菊とともにあることを主体的に選んで、菊とともに変わっていく。

ビルの正面ベランダでぼんやりしていたアルフレッドは、下の大通りに見知った顔を見つけた。
「―――ジョン!ジョン・スミス!」
三々五々に歩いていた米兵の数人が、何の冗談だと言わんばかりに笑いながらこちらを見上げた。対して、目的の人物は指を耳に突っ込んで歩み去ろうとしている。
あいつめ。
アルフレッドは手すりによじ登って、飛び降りた。ジョンはぎょっとした顔で足をとめる。さすがの高さに足が軽くしびれたが、転ぶこともなく着地して、もう一度アルフレッドは「ジョン!」と手を振った。
「ああもう!」
やっと彼はアルフレッドに向き直り、また腕を掴んで目の前の公園に拉致し去った。人のいない松林の陰までずかずかと歩いて、やっとジョンは手を離した。

「何の嫌がらせですか!」
「仕返し」
「だから何の!」
「青少年を惑わせた」
ジョンはまたため息をつく。
「惑ったんですか。……あんた、簡単すぎやしませんか」
「君の国だ」
「知ってますよ、だから頭痛いんでしょうが」
「失礼だな」
「すいませんね、愛国心がありすぎて黙ってられないんです」
「愛情なら、もっとストレートに示してほしいなあ」
とうとうジョンは頭を抱えて、芝生に腰を下ろした。アルフレッドも隣に腰掛ける。

「こっちの台詞ですよ。やってることが計算高いくせにガキみたいで、見てらんないです。正直に言いますけどね、俺はこの国に対してあんたほどの愛情はないんです。俺の同期はカミカゼに突っ込まれて海で死んだし、ここは食いもんも女も貧乏くさくてショーユくせえし。とっとと帰りたいんですよ帰してください」
「……俺にそういう力はないよ」
頬杖をつく。無力感に苛まれている時にきつい台詞ばかり浴びせやがる。ふてくされながら言葉を反芻していて、はたと思いつく。
「どこらへんが『こっちの台詞』なんだい?」
ジョンは頭をかきむしった。
「アタマはたきてぇ!でもそれでどこが被害受けるか分かんねぇ!故郷に竜巻とか起こせねぇ!」
「…君、ほんとひどくないか」
「それが言える自由の国でしょ。…この国にもそうなってもらうんでしょ」
流石にぎょっとする。GHQによる憲法草案作成はトップシークレットなのだ。
「どこまで知ってるんだ」
「あんたを知ってるくらいなんですから、相当知ってますよ」
「…そうなんだ」
「ぶっちゃけた話、みんな先が見えてないと思いますね。俺の見るところでは、中国は勢力交替ありますよ。そしたら、イデオロギー対立のフロントラインはここだ。シベリアで洗脳受けた復員兵士たちが先頭に立ってここでだって騒擾が起こる。あんたは手のひらを返さざるを得なくなる」
「予言者みたいだな」
「それぐらいあんたが考えろって話なんです」
「無茶言うなよ」
はー。無茶なんだ。はー。深々と、ため息。

「話を戻すけどさ。どういうつもりでアキ…じゃなかった、菊と引き合わせたのさ」
「あのとき言ったでしょう、同じ目に遭えばいいって」
「どういうことだい」
「………本当に好きな人のかたしろを抱く気持ちを味わえってことですよ」
「…」

アルフレッドが本当に好きな人、その身代わりとして、すぐにジョンはアキのことを思った。……そんなに分かりやすかったかな、俺。組んだ腕に頬を埋める。俯くアルフレッドを見もせずにジョンは言った。

「―――その方が、かえって素直になれませんかね」

「え」
「俺はなりましたよ。故郷の恋人には何十通手紙を出したか」
「……」

素直に。ストレートに、愛情を示すこと。「こっちの台詞ですよ」。……俺が菊にできないでいること。

「あのさ」
「なんです」
「俺、男だろ」
「…まあ、そうとしか見えませんが」
最初知ったときちょっとショックでしたよね、じゃあなんで代名詞がsheなんだっつう話で。ジョンの愚痴を遮って呟く。
「―――彼も」

息を詰めて言ったのに、ジョンはぽかんと口を開けた。

「……………え、そこ、気にするとこですか」
「はあ?」
「あ、いや、俺は……気にするっていうか、男とやる趣味はないですけどね。そうしたい奴はすりゃいいじゃないですか。それこそ、自由と平等の国なんでしょ」

ジョンはちょっと言葉を切った。

「…って思うのは、俺が移民系だからなんですかね。あんたに夢見すぎてんのかもしれませんけど。『それより重要なポリシーがある』って言いきって欲しかったですね、あんたには」
「………国民みんなが思うことしか思えないよ」
「あー、南部とかねー。がちがちですもんね。でも、さっき言われたから予言者気取りますとね、百年後にはきっとそう言ってますよ。百年前からやってましたみたいな顔で指示してた女性参政権だって、うちで実現したのはたった25年ぱかし前でしょ。今の『当たり前』と未来の『当たり前』は違いますって」

目を上げて、東京の空を見る。およそ百年前、なにもかもが俺の『当たり前』と違う菊と、出会った。百年後、俺と菊は、何を『当たり前』として共有できているだろう。そして、俺は。どこまでヒーローに近づけているだろう。

「……君は、この国が嫌いなのにね」
それなのに、背中を押してくれる。
「あんたと比べれば、遙かにね。上司にも配置転換の嘆願書、何十通と出してるんですよ。いい加減国に戻しやがれってね」
「…そっちは無理そうだね」
「やっぱりそうですか。できすぎるってのも考え物ですね」
ジョンは冗談ともつかない大言を吐いて苦笑した。

「まあ……菊入嬢にも応用できる話かなと思いますよ」
「…それ、アキのファミリーネームなのかい?なんで君が知ってる?」
「寝物語に聞き出したわけじゃないですからいきり立たないでください。言ったでしょ、いやな予感がしたから調べといたんですよ。菊入亜希子、お茶の水高女卒。父親は満鉄調査部のリベラル派でその後私大に移ってたんですが、満鉄事件の巻き添えをくらって挙げられたあげく両親揃って不審死。叔父に引き取られたようですが、苦労したみたいですね」
「…」
「ま、あんたに幸せにできる人じゃないんですから、忘れたらどうです」
「…なんでそう言い切るのさ」
「だって俺たちはあんたを置いて年取ってしまいますからね。彼女だってちゃんと時の流れの中にいる人と抱き合った方がいい」
思わず眉が寄る。日本人の男は知らないという彼女に『抱き合う』夜はあっただろうか。そして、男姿という倒錯的な意匠におかれた中で。

「あの店で?」
ジョンはぎょっとした顔で振り返った。
「あんた、まさか知らなかったんですか」
「何を」

「―――RAAは廃止になったんですよ。先の大統領夫人が反対してね。小町園も解散です」

「……え」
「まあ、近くに散らばって、完全な私娼や愛人になったってだけですけどね。ああいう潔癖症のお偉方は、結果的に彼女たちを不安定で危険な目に遭わせてるってのを分かってんですかねえ」
「私娼って、アキもか」
彼女には、養家の敷居は高い。誰のオンリーにもならないと言っていたアキは、そしてなりたいような馴染み客もいなかっただろうアキは、今どうしているのか。
「知りません、行ってませんから」

「ジョン」
腕を掴む。
「嫌ですよ」
先周りされるが、構わずに続ける。
「お願いだ、行方を捜してくれ」
「無理です」
「確かに難しいと思う、でも君ならできる」
「――」
ジョンは嫌そうな目をした。
「自分の愛国心が恨めしいですよ。あんたにそれを言われるのが、こんなに嬉しいとはね」
「ありがとう!」
「まだ引き受けるとは言ってない!」
ジョンはアルフレッドの言葉をかみ切るような表情で怒鳴った。

ジョンが内線電話をかけてきたのはその数日後のことだった。番号を教えた覚えもなかったが、これくらい調べるのは彼には簡単だったのだろう。
「あんたね…。彼女となんか約束したんならそう言っといてくださいよ。話し合わせるのに苦労しちゃったじゃないですか」
「アキは、約束って言ったのかい」
「朧な、って前につけましたけどね。いいですか、日時読み上げますよ。その時間に来なかったらもう会わないそうですよ」
「待って!」
急いで言われたことばをメモパッドにかきつける。
「…了解」
「まあ、そういうことで、ケリつけたらあとは本丸ですよ」
「うん…?」
「あと、俺、配置転換通りました」
「へえ!」
「『じゃあソウルに行け』ですってよ」
「…最前線だね」
「サイテー」
ジョンは鼻で笑った。



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