※ご注意
 
			・2周年記念蒼佳様、10/2 03:01様リクエスト「SSSSongs14、SSSSongs15(、SSSSongs35)の続き」。←を先にお読み下さい。
			  ・パラレル、疑似家族ルー菊+ルートの同僚+菊の同級生+その保護者。
		苦手な方はお戻り下さい。
 	      
 	      
           
          「おいクラウツ」
            朝から不機嫌な声で起こされ、電話に応対する声が通常の二割り増しで剣呑になった。
            「なんだ」
            「菊がうちに来てるんだが」
            「は?」
            一秒思考停止し、慌てて子機を持ったまま菊の部屋に向かう。ノックしてドアを開けると、確かに人の気配がない。
            「え…いつから、」
            「昨日の深夜。アルと二人でべろんべろん」
            「そんなに飲ませたのか!」
            「うちは家庭内なら5歳から飲酒OKだ」
            「変なところだけイギリスルール持ち込むな!……それどころじゃない、すぐ行く」
            「いや」
            きっぱりとアーサーは遮った。
            「来いとは言ってねえ。つか、来んな。朝からムキムキしたもん見たくねえ」
            「アルだって体格いいだろう…ってそういう場合じゃない!」
            「とにかく来んな。心配するだろうから電話しただけだ。カークランド家が紳士的にもてなすから安心してクリスマスディナーの片付けでもしてろ」
            そういえば、珍しく菊は、ディナーの後、残り物を冷蔵庫にしまうだけして、一旦部屋に引き上げた。洗い物を残しておくのは珍しかったし、だったら自分がとも思ったが、それには少しアルコールを過ごしていた。あの後、窓の外を見ながら一人でワインを空けた。
            「まて、」
            「降りてきてもドア開けねーかんな。インターフォンも切っとく」
            「俺は菊の保護者だぞ!」
            「だっから連絡してやってんだろーが!」
            怒鳴り返したあと、アーサーはいたた、と小さな声を漏らした。べろんべろんなのは「二人」ではなかったらしい。
            「とにかく、落ち着いてきたらちゃんと帰るよう言うから、家で熊みたいにうなりながら待ってろ」
            「俺がっ」
            何をしたというんだ。言葉の後半を聞きもせず、アーサーは電話を切った。
          年下のくせにこの男は…としばらく子機をにらみつけていたが返答もなく、それを放り投げてベッドに転がった。こちらも少し酒が残っていて頭が重いのだ。
          と、また電話が鳴った。
            「アロー、お兄さんですよー」
            「……」
            形容の難しい音が漏れた。がる、またはぐう、いずれにしても確かに熊の呻り声のようだった。
            「……また随分ご機嫌斜めだね、お前さん。どしたの」
            菊が小学生の頃は、ブッシュドノエル片手に24日に来ていた。顔を出してプレゼントを渡すだけで、後は女のところへ向かっていたのだが、ここ数年は25日の昼に菊を連れ出すようになっていた。その時間の確認だろう。
            それこそちゃんと約束しているのだから、変更するつもりなら菊から直接フランシスへメールをするはずだ。していないということは、本当に酔いつぶれて寝てしまっているのだろう。あの自制的な菊にどれだけ飲ませたんだアングロサクソン、と腹を立てながら、昨日からの次第を語った。
            相槌も挟まず黙って聞いていたフランシスは、朝の電話の話まで全て語り終えると、大きなため息をついた。
            「一応、聞いとく。オトーサンは、今でもそれを望んでるんだね?」
            「……ああ」
            「聞き方を変えるわ。それ以外は望まないんだね?」
			「………」
         「お前さんの望む人生を生きて、菊ちゃんが幸せになる…のはそうかもしれないけどさ、それ以外ではなれないなんて、なんで決めつけんの」
            「……決めつけては」
            「いるだろ。進路のことだってそうじゃん。教職を希望したときに、ただ教えるのが好きだってことじゃなくて、早めに安定できるだろうって気持ちが無かったなんていえないだろ。なんでそっちはよくて防大はだめなんだよ」
            「だから、自衛隊がだめだと言ったわけじゃ」
            「俺もそう言ったとはいってない。でもお前は菊ちゃんに『遠慮せずに自分で選んだ』『完璧に幸せな人生』以外を許していない。幸せと不幸のどちらかしかないと思ってる。自由意志と強制の二つしかないと思ってる。0か1じゃねーんだよ、その狭間でみんな生きてんだろうが!!」
                      ……はあ、と大きなため息が続いた。
            「悪い。似合わないことした」
            恥ずかしー、とフランシスは茶化した調子で言った。
            言葉もない。深いことを考えていても、軽くしかものを言わない、言いたくないという信条の男なのだ。同じことは、それとなく何度も示唆されていた。自分でも気をつけなければいけないと思っていたのに、本気で怒鳴らせてしまった。
            「いや…、悪かった。似合わないことさせた」
            「ほんとだよ!」
            フランシスは少し笑い、とにかく、と言った。
            「菊ちゃんと連絡とるわ。直接眉毛んちから引き取って、夜には返す。あー、菊ちゃん次第では数日泊めるかもしれないけど、連絡はまめにいれる」
            これで引き下がらないわけにはいかない。
            「……分かった」
            「………これも一応聞くんだけどさ……。お前、やっぱり菊ちゃんが飛び出した理由、分かってないだろ……」
            「え」
            真剣に反省していただけに、虚を突かれた。
            菊の幸せを祈るつもりが、過干渉になっていた。望む人生を押しつけていた。それは間違いがない。しかし、菊はそれに一度頷いたのだ。「お父さんが、それを望むなら」。言葉を裏返せばそのでどころは俺の傲慢さで、恥ずかしさに倒れそうになるが、それでも、そこに「反発」の色はなかった。
            「…ん?…あー……あ?」
            「あー、うん、いい」
            フランシスは打ち切るように言った。
            そして、「俺、オトーサンに殴られたかったなあ」と謎の言葉を残して、じゃあね、と電話を切った。
          
          
                                     **********
          
           
          眉毛とは高校時代の知り合いで、お互いある意味全盛だったので、仲がいいとは言い難い。特に連絡をとりあうわけでもないのに、ルーイのマンションに奴が越してきてからは年に十数回は顔を合わせる羽目になり、そのうち数回くらいは飲むことがある、そんな間柄である。昼過ぎに引き取りに行く旨と、間違っても飯を食わせるなという念押しとでメールをしたら、殺伐とした返事が返ってきた。
            マンションに行くと、眉毛もその養い子も菊も、存外さっぱりした顔をしていた。新陳代謝がよいのか、もしかしたら少し大げさにルーイに伝えたのかもしれない。それでもちらりと見えた流しの下には恐ろしい量の空き瓶が並んでいて、少なくとも飲んだのは本当らしいとわかる。
            「大丈夫?」と訪ねると、菊はばつの悪そうな顔で頭を下げた。
            「すみません、寝過ごしてしまって…」
            約束の時刻が過ぎたわけでもないのだから、そんなに恐縮しなくていいのに。
            「食欲は、あ……」
            その言葉に眉毛がぴくりと反応したのが見えた。あるならスコーンが、と言葉を奪いそうになったのを押さえつけて、「それより水かな?」と言うと、「たくさんお水いただきました」と菊は笑った。「お風呂もお借りして、すみません」、これはアーサーにだ。
            「いや……遠慮するな。うちは全然迷惑に思ってないからな。いっそうちの子になったっていい」
            洒落にならないことを言うなあとのけぞると、菊が返事をする前にアルフレッドががばりと身を乗り出した。
            「わお!それすごいグッドアイデアだね!アーサーにしては珍しく冴えてる!」
            「珍しくってなんだ!」
            「アーサーはブラック会社経営してるからお金の心配はしなくていいし」
            「おいっ!」
            「アーサー自身がど変態だから、『正しさ』なんかについて無駄に悩む必要もない」
            「おいって!」
            「君が望みさえするなら、『違うかたち』は作れる。そこからスタートしたっていいんだ」
            「アル……まさか貴方……っ」
            菊は赤くした顔を覆ってへたり込んだ。その菊を、アルフレッドは静かに見つめている。
            二人の反応から唐突に気づいて、思わず口を開けた。アルフレッドは、知っているのだ。こんな反応の菊が自分から言うはずはない、気づいていたのだ。
            思わず呟きが漏れる。
            「まゆ…」
            「………、……まさか俺のことか!?」
            「お前……いい子に育てたね……」
            こんな人前で言っちゃうのはどうかと思うが。
            ふん、と鼻を鳴らして、アーサーは腕を組んだ。
            「俺は何もしてねえよ」
            「ほんとだよね!」
            「お前が言うな!」
            ぎゃあぎゃあと怒鳴り合った後、アーサーはぼそりと言った。
          「菊。親も子もその数だけ形があって、一般的な形なんてない。だから、過敏になるのがいけないとも的外れだとも、俺は、言わない。けど、手を離す気がない親にとっては、離されるかもと思っている子を見るのは、すごく、辛い」
            「……はい」
          項垂れた菊の頭をぽん、と頭を叩いて、アーサーは「水…」と台所に去った。アルフレッドは窓の外を見ていた。
           
          少し目を潤ませていた菊を促して、マンションを出る。菊が去り際に着たコートはそれこそ昨日贈られたもののはずだ。菊を喜ばせるのも哀しませるのも全てあの男だ。チクショウの一つくらい言いたくなる。
            並んで歩くと、北風に裾が軽く翻る。
            「――すごく、似合ってる」
            「え?」
            「そのコート」
            菊は胸の辺りを手で押さえて、少し全身を見た。
            「フランシスさんも選んで下さったんですよね?もしかして、薦めてくださったんですか?」
            こういうコートを着たい、と言っていたのだ。こういう、は、ああいう、だった。ルートヴィッヒが愛用しているシックな黒コート。
            「……いや。なんで?」
            「……『お父さん』、こういうの着せたくないみたいだったから」
            ああ。大人っぽく見えるからね。なんとかして子供だと思いたかったからね、やつは。
            「違うよ。これ、ルーイが選んだ。俺も保証したけど。――菊ちゃん、またすらっと背が伸びたし、顔立ちもすっきりしたしね。ほんと似合ってる」
            だからこそ、せめてと思ったのだろう。
          大人になった菊と、それでも離れないでいるために、せめて『お父さん』と。
          児童公園の前に通りかかった。小さすぎてカップルが使うこともできないらしい。風の子たちはあたたかい室内でゲームに勤しんでいる。人気のない公園に菊を促して入ると、風に揺れてブランコがきいとなった。一つずつ腰掛ける。菊は、鎖のさびがコートにつかないか慎重に目を配っている。
            「俺が言ってあげるべきだったね」
            「はい?」
            「今日のアーサーの台詞。親子という縛りが辛いなら、親子じゃなくなればいい、…そりゃそうだ」
            「辛いなんて、そんなふ」
            「不遜な、という考え方は要らないからね。遠慮とかそんなの無しに、ここ数年菊ちゃんが苦しんでいたのは事実なんだから」
            「……」
          きい、と小さく菊のブランコが揺れた。
          「菊ちゃんにしてみれば、そりゃあ言い出せないよね。恩があって、扶養されてて、期待もされてて、…その全部がひっくり返るかもしれないと思ったら。もしダメでも逃げ込むところはここにあるよ、って言えば、踏み出せて、よかったのかな…?」
            「……」
            また小さくブランコがなる。横目で見れば、難しい顔をしている。考えたこともなかった、という顔だ。
          どちらもが言い出さないから、そしてどちらも相手の気持ちを推し量るスキルを持たないから、「最善」の策が採れないのだと思っていた。だから、次善の策についてはしょっちゅう話した。あの人に誰か紹介して下さい、とは何度も言われたし、他の人を好きになりたいとも何度も愚痴られた。その度に血が噴き出すような痛みを覚えた。
          菊はブランコを降りて、ゆっくりと頭を振る。
            「――そう」
            ゆらり。ブランコを揺らす。
            「『お父さん』も、欲しかったんだね?」
            こくり、と菊が頷く。
            「菊ちゃんは、本当に、あいつが好きだね」
            またこくりと菊が頷く。頷いた後顔を上げないから、だんだん頭が下がっていく。
            ゆらり。ゆらり。
            「ずっと、あいつの望む菊ちゃんでいたかったんだね」
            こくり。
            ゆらり。
            「ねえ、でももう無理だって、耐えられないって、全身が言ってる。だから飛び出しちゃったんでしょ?」
        こく…一番下まで落ちた頭はもうあがらない。
          ゆら、
          
          ブランコの勢いのままに飛び出して、菊を抱きすくめた。
            限界まで頭を下げていた菊は不測の事態に身体をすくませた。それをいいことに、頭を掴んで、額を肩に押しつけさせる。
          
          「俺が間違ってた。次善の策なんて、考えちゃいけなかったんだ。ちゃんと最善を目指すよう取りはからわなきゃいけなかったんだ」
            「……フランシスさん……?」
          「次善でいい、なんて、思っちゃいけなかった」
                      あの人との恋は叶わないから、貴方でいいと、そんな風に菊が思ってくれないかと、ずっと期待していた。だからずっと、誰にも本気になれないままに、つかず離れずの関係を続けてきた。
            一番の人になれるようきちんと努力するか、そうしないなら、一番の人との恋を応援するか、俺はもっと前に選ばなきゃいけなかったんだ。
            北風が吹いてブランコを軋ませた。
          頭に置いた手で、そっと髪を梳く。風に散らばった黒髪は、指を受け入れてまた真っ直ぐに戻った。
          
            「菊ちゃん」
          「……はい」
          
            好きだよ。
          もう、ずっと。多分、これからも。
          
            もしそう告げることが君の勇気になるなら、俺は似合わない本気の告白をするだろう。
          冷たい空気を大きく吸い込む。――そうではないのを、俺は知っている。
          
            「俺を信じて。俺の親友は、君が何を求めても、君からルートヴィッヒを奪わない」
            「………」
          北風がまたブランコをきいと鳴かせた。
          
          
                                       **********
          
           
          夕食後に返すという言葉の通り、フランシスは菊を連れて戻り、菊も「ご心配おかけしました」と深々と頭を下げて、それで初めての家出は終了した。洗い物を済ませてそのままの、つまり昼も夜も食べないままの台所を見て菊はもの言いたげにこちらを見たが、大丈夫だと言えば素直に引き下がった。
          冬休み中でも菊は朝のタイムスケジュールを破らない。こちらは休みでないのだから、実に助かる。必要がない弁当も普段通り二つ作って、昼飯時に食べるという。受験生ですからね、と菊は笑う。はい、こちらがお父さんの。いってらっしゃい。そう言って手を振る菊の顔に屈託はない。
            このまま、最初に思っていたように、何事もなく受験して、きっと合格して、次第次第に菊は巣立って行くだろう。大学を出たら、いやもしかしたらその途中で、一人暮らしを始めるかもしれない。それでも「お父さん」と呼ぶ菊は、心の中でここを港にするだろう。
            それでいい。それをこそ願っているはずなのに、お父さんと呼ぶ菊の顔、その目に何かが切り捨てられたような気になる。
            菊は毎日家にいて勉強しているけれども、買い物その他で軽く外出することもあるらしい。そのために髪を軽く整えたり、コートに合わせたらしい服を着たりするとあまりに美しくて息が止まりそうになる。
                      30日、気分転換になりますから大丈夫と菊も参加してと軽めの大掃除、31日は、こたつに入って晩酌などしながら手帳の引継ぎをする。使い込んで端がよれよれになった手帳を撫でているとこたつの向こうで菊がお疲れ様でしたと頭を下げた。手帳に向かって言ったようだったので、手帳を両手で持ってお辞儀させてやる。菊は笑い、まま、と酒の酌をした。
            他の種類と違って、日本酒は回りやすい体質なのだと、知っていたのに油断した。
            紅白の途中で沈没した俺を、菊が揺さぶるのが感じられたが、この心地よさを邪魔されたくなくてこたつに潜り込んだ。標準タイプのこたつは俺の身長をカバーしない。必然的に斜めになった俺に菊は「もう!」と言い、寝室から布団を運んできた。電気を切り、こたつ布団の中に毛布を入れて足にかけ、羽毛布団の方は肩にかけ、頭を持ち上げて枕をその下に差し込んだ。身体が動かせはしなかったが意識はあったもので、菊の甲斐甲斐しさがくすぐったく、しまりのない顔になった。それを熟睡と思ったのだろう菊は、もう一度「もう」と言って立ち上がり、テレビと照明を消した。
            ああ、一人にされてしまうのは寂しいな、と思っていると、しばらくして、すいと風が入り込んできた。もぞ、と気配がし、顔に呼気がかかった。菊が隣に寝転んだらしい。子供の時のように一緒に寝るつもりなのかと回らない頭で考えていると、そっとほおに手がかかった。起こさないようにしているのだろう、接触は最小限、けれども頬を包み込むようなその仕草に思わず息を控える。指はすっと髪に差し込まれ、流れていった。
          また長い沈黙があり、それから、呼気が唇に届いた。
          「ルートヴィッヒさん……」
          渾身の力で酒気を追い払い、手を掴んだ。
            「ひっ」
            起きていると思わなかったのだろう、菊は喉の奥が引きつれたような声を出し、身体を引こうとした。させない。手の力を強くし、足に足をのせて封じた。男二人の足の幅を高さに持たないこたつは持ち上げられ、その上の何かを倒したが、構わない。今は目の前に現れたかけたものをこの世に留める方が先だ。
            「菊」
            「ご、」
            謝ろうとする菊の手を強くひく。
            「菊」
            その強い調子に、呼ばれてることを悟ったか、菊は細い声で返事をした。
            「はい…」
            「お前は起きているか」
            「はい?……はい」
            「そうか。――現実なんだな」
            「いえっ!……いえ、そうではなく……」
            無かったことにしたい、けれどもどの方向に誤魔化せばいいのかが分からない様子で、菊は声を揺らした。
            「菊」
            「……はい」
            「もう一度呼んでくれ」
            「はい?」
            「名前を」
            闇の中、菊は息を呑んだ。
            「頼む。――名前で呼びたいと、もし思っているのなら、そう知らせてくれ」
            呼気がすう、はあ、と数セット続いた。
            「る」
            「うん」
            「ルートヴィッヒ、さん……」
            「きく」
            闇の中、声を頼りに顔を近づける。
            額と額があたり、鼻先と鼻先があたった。
            「菊」
            菊の手をとらえたまま、頬を包む。少し顔の向きをずらすと、睫がしぱしぱと頬骨を掃いた。呼気ごと吸い込むようにして口づけると、怯んだように一度閉じた唇は、やがて緩く開き、大きく俺を迎え入れた。起き上がり、顎を捕らえて、角度を変えてその口中をくらい尽くす。やがて口を離した時、自分でも分かるアルコール臭が辺りに漂っていた。
            「あの……」
            「どうした」
            「もしかして、私が寝てますか……?」
            「は?」
            何をぼけたことを言っているのだと、思わず吹き出す。
            「……今日、フランシスに怒られた」
            言いながら、ゆっくりと菊の髪を梳く。足は絡めたままだ。菊が自分の下に収まっていることに堪えがたいほどの喜びを感じる。
            「フランシスさんに?」
            「お前に、幸せの形を押しつけるんじゃない、と。――俺は、お前の、いいお父さんでありたかった」
            「……はい」
            「でも、こういうキスもしたかった。もう、ずっと」
            「……っ…」
            「もっと、口に出せないようなことも考えた」
            く、と菊の頭の角度が変わる。俯いたらしい。
            そのまま、くぐもった声が聞こえる。
            「わ、わたしも、です……」
            その言葉に思わず手の力が入り、菊が小さくないた。おっと、と手を緩める。
            「俺はお前から、何の可能性も奪いたくなかった。お前が持っている才能、志向、意志、全てを大切に守りたかった」
            こくん、と菊が頷く。分かっている、ということだろう。
            「お前に、本田がいないせいで、または俺とともにいるせいで、何の変更もさせたくなかった。全てお前の自由意志で決めて欲しかった」
            また頷く。そして口を開いた。
            「でも、自由意志という考えは、純粋論理の産物なんです。何物にも拠らず、何物にも縛られない意志など、ないんです」
            「ああ…そうなんだな」
            額と額をあわせる。高校生が分かるようなことを、俺は分かっていなかった。
            「俺を父として慕え、というのも強制だな」
            ふふ、と菊は笑った。
            「強制というより……むしろ、最初から奪われていたんです。私自身が、貴方に」
            「菊」
            「その種類は変質したのかもしれませんが、ずっと、好きでした。初めてあった時から」
            「きく……」
            唇を奪い、歯列を割って、とめどない思いは、菊の中に飛び込んでいった。十代の若者のようながつがつしたキスに、菊は懸命に答えた。眉間に皺を寄せた苦しそうな表情が、カーテンの隙間から忍び込んだ月光によって露わになり、身体の中心がかっと熱くなった。
            その時、遠くでどんと花火の打ち上げられる音がした。いつのまにか、新年がそこにきていた。隣町の名物であるニューイヤーの花火は次々と祝砲をあげ、微かに光を伝えてきた。
            「菊」
            「…ルートヴィッヒさん…」
            「もっと欲しい、お前が」
            足をすりあわせると、菊は小さな声をあげた。
            「奪ってばかりだ」
            すると菊は、いいえ、と答えた。
            「奪うと与えるは、0と1じゃないんです」
            どん、と夜に華が打ち上げられる音が響いた。