※ご注意 SSSSongs14の前日譚。
			・パラレル、疑似家族ルー菊+同僚。
			苦手な方はお戻り下さい。
 	      
 	      
           
          「ひっなげしっの、はなー」
            靴箱の上に飾られた花に思わず靴を脱ぎながら呟けばきびすを返していた菊がぷっと吹き出した。
            「古いですよ」
            「いや、流石にリアルで聞いちゃいないけどさ。菊ちゃんこそなんで知ってるの」
            「懐かしのなんとかのテレビで。そうか、その歌の頃って、フランシスさん、まだ来日してらっしゃらなかったんですね」
            「じゃなくて。もー、俺のこと幾つだと思ってんの」
            あ。一瞬…の五分の一ほど、菊は痛そうな顔をした。
            俺が幾つかなんて、当然菊は知っている。
            「四捨五入すれば不惑、ですよね」
          「切り捨てしようよ、そこは」
          俺と同い年の養い親の年も、彼との年齢差も、菊の意識から去ることはない。
          
          「今日も遅いんですかねぇ」
            中学三年生にしてはちょっと小柄に過ぎる菊は、そのくせ変に達観したものいいをする。ルートヴィッヒは「血のつながらない父子家庭」が子供らしさを奪ったと自責するが、「たまに子守もする同僚」でしかないフランシスにはそのこまっしゃくれっぷりはいっそ可愛い。
          「誰が」
            分かってて聞いていることは一目瞭然、だって「帰る」人なんてあと一人しかいない。
            菊は小さくこちらを睨む。
            「…」
            お父さん。そう呼ぶのが今の菊には苦痛なのだ。
            彼にとって「息子」でしかないことが。
            「あの堅物ゲルマン人なら、部下の尻拭いしてたな」
            「で、ラテン人は定時帰宅ですか」
            「俺の部署は今エアスポット状態だからね。またすぐ嵐が来るんだから羽休めないと」
            「羽を伸ばさないと、でしょう。いいんですか、こんな女っ気のない家に来てて」
            不惑、には程遠い桃色の私生活を当てこすられている。
            「ここには花があるからねー」
            おっかのうっえーとまた歌い始めると菊は苦笑して冷蔵庫を開けた。
          同僚だった菊の父が急死して、いきなり始まった親子関係は、端から見てもガラス細工のようだった。
            実父によく似た目の黒さに不安な心を押し隠して菊はルートに手を差し出し、ルートはその手をとって抱き上げた。母性にも父性にも遠かった生真面目な若者は、せめて子供ひとりの重さになど揺らぎもしない筋肉が安心感を与えてやれないだろうかと、しばしば菊を抱き上げた。そうしておきながら、自分の顔の厳めしさが分かっていたためか、しょっちゅう菊の顔を俺に向けさせた。慣れない他人の体温に体を固くしていた菊におどけてみせては少しずつ笑顔を引き出した。
            それは固いつぼみがほころぶさまに似て、親友を失ったばかりの大人二人をいたく慰めた。
            敢えてする「家族のふり」は、誰が見ても家族には見えない三人を繭のように包んだ。
          気のいいお兄さんに優しいお父さん、そしてとびきり可愛い息子。
            それが名札に過ぎないことは分かっていた、それでも求め続ければいつか本物になるはずだと律儀に名札を貼り続けたのに。
          いつかつぼみは先を割り、鮮やかな色を放った。
          
          あの三人の日々を愛していた。
            いや、愛している。本田を失った痛みを三人で分け合った。かけがえのない親友と、大切な養い子。
            彼らが求める幸せならなんだって認めるしどれだけだって助力する。
            そう思う気持ちは今でもあるのに。
          
          花が開くように美しくなった菊は、ひたすらに「父」を見る。赤の他人なのに疑いなく息子として見てくれる男への感謝と、息子としてしか見てくれない男への絶望に身をやきながら。
          俺にしとけよ。なんだったら「お父さん」に殴られてやるぜ。冗談に紛らわせて言った時でさえ、菊は「お父さん」の語に口をひき結んだ。
          あかい。
          菊からほとばしる痛みは真っ赤なひなげしの花弁のようにちり積もる。
          傷つけたい訳じゃないのに、わざとその語を口にする自分に気づいている。
          奪いたいわけじゃない。親友を失いたくもない。だけど日々色を増していく菊に、ただ純粋に幸せを祈れなくて。
          あの男の勇気が一生出なければいいと思ってしまう。
          
          「マイハニー、3Pに興味ない?」
            菊は、また下品な冗談がはじまったとばかりにうんざり顔を作って見せた。
            「そんなことばっかり言ってると青少年健全育成条例違反でつかまりますよ」
            こまっしゃくれたことを言う。
            「健全な青少年なら正しい反応は『それ何ですか?』じゃないの」
            「どうせ不健全ですよ」
          
          健全な道、なんて、どこにあるのだろう。
            ルートヴィッヒが菊に与えてあげたいと……そのためなら全てを断念しても構わないと思っている「普通」なんて。
          
          「いっそ誰かと結婚してくれたらいいのに」
            時々疲れたように菊は言う。――そしたら、諦められるのに。
            そしてルートも菊が新しい家族を作る日を恐れながら待っている。
            思いを抱えたまま一つ屋根の下で暮らす痛みから解放されたくて。
          
          三人ともが、諦めたくて、諦められなくて。
            また、赤い花が散る。
          
          「じゃあ今度合コンにでも誘うかな」
            そんな言葉にも、ええ、と頷く。
           
          こんなにも人を思う気持ちは色鮮やかなのならば、
          
          今この部屋は二人分の花びらのあかに染めつくされているだろう。