SSSsongs7(アル菊前提アサ菊のアル菊

 

SSSsongs5SSSsongs6の続き。R15。


 

事後、うつぶせになって体を冷ますのが彼の流儀だ。
終わった後こそ抱き合って熱を分かち合いたい俺には少々不満だが、体を見られることを極端に恥じる彼が、後ろ姿だけとはいえ、不躾な視線から我が身を隠そうとしない貴重な時間でもある。

菊の曲線はどこまでもなだらかだ。確かに、肉の薄い背中からは肩胛骨も背骨もごつごつと存在を主張するし、やはり女性とは違う尻も脇に窪みを持つが、その全てが柔らかな体毛にけぶり、肌触りを優しくする。
それを確かめるように背筋を人差し指で辿ると、腕の間から目だけが出てきて、やめてくださいと訴えた。
「変なことはしないさ」
君を傷つけたり、縛ったり。そんなことは、しない。

決して口には出さないが、アーサーは寂しい人だと、彼の恋人を見るたび思っていた。彼は言葉でも行為でも安心できない。彼は、自分がはめた首輪を、それが首につけた擦過傷を見て漸く安堵する。所有印を残し、時には縄で、時には手錠で、間違いなく相手が自分に縛られていると、だから離れていかないと確認できなければ不安で仕方がないのだ。

そんな風に思わせたのは、多分、俺なんだろう。

俺は彼が好むそうしたアイテムは使う気になれない。愛する人を縛りたくなどない。ただ、愛してくれるように、愛し続けてくれるように、最大限の政治工作を行うだけだ。
料理上手な女の子が彼氏に手料理を振る舞うようなものだ。あれだって、自分の味を彼の舌に馴染ませたいという必死の工作。構図は同じだ、とパン給食導入のことを思う。
復興援助と軍需物資の調達、軍隊の駐留と安全保障、映画をはじめとする文化攻勢。彼が俺を頼るように、離れられなくなるように、いつも俺を見るように。もう二度と俺の手を振り払おうなどと思わないように。汚いなどとは言わせない、できることはすべてやる、考えられる全ての手を尽くして、菊を引き留める。
菊は、自由意志で――それを促す政治状況の結果としてであれ――俺の隣に居続けている。

 

庭の作り方に文化が出ると言ったのは誰だったか。イギリス庭園は隅々まで人為に支配される(俺はそんな面倒な手入れをしようとは思わない、芝があれば十分だ)。
菊は、無為自然に至上の価値を見いだし―――逆説的だが、極度の人工に走る。

筋肉をなぞっていた指は足の先にたどり着いた。指の股まで全ての線をたどりながら、今度は足の内側を戻る。ふくら脛の凸カーブ、凹カーブ。膝関節。彼の皮膚はどこであっても瑞々しく、だけどその潤いは彼を冷やし、彼を寂しさの膜で包む。

針金さえ用いて形を強いる生け花に、手順が一歩違うだけで乱れてしまう枯山水。
徹底した人為で作り上げる造形は、しかし、人の手の入らない幽谷の自然を象っている。
「何もしていない」光景を、彼は全力を挙げて作り上げる。

「やめてください」

今度は声に出された。

「どうして」

やましいことなどないんだろう?言葉は発されず腹の中にわだかまる。

「別に理由などありませんが。くすぐったいんです」

やましいことなどありません、…やましいなんて言葉、考えつきもしませんでした。そんな口調で菊は淡々と返す。擦過傷の無い菊の首、赤い痕のない菊の手首。
大腿筋の滑らかな皮膚の上を指はすべっていく。
この体はどこまでも美しい。

その美しさが、天然を装った人工が、胸を締め付ける。

痕を残したがる彼が痕を残さないことが、彼の本気を示している。
何の痕跡もないと振る舞うことが、菊の決意を示している。

動揺のかけらも表に出さない菊の心臓は、何重かの地層の下で早鐘を打っているのだろう。
普段の彼はすぐ謝りたがる。責任の切り分けより対立状況そのものの緩和を優先する彼のコミュニケーションストラテジーは卑屈という汚名などでは揺らがない平和志向を示している。その彼が、一切謝らない。謝らなければないことなど、なかったのだと。ないのだと。

どこまでも広がる静かな皮膚、完璧に装われた平穏。守られる秘密。

 

こうまで、彼らは、「それ」を守る。

 

そして、それなのに。

 

――愛に綺麗も汚いもない。計算も工作も思いの発露であって、純愛とそれらは価値の違いをもたない。

そう言い切る以上、了解しなければならない。「造られた無為」は、裏切りであると同時に、二人の祈りだ。

彼らは、俺を喪いたくないのだ。

 

人差し指を入り口に、額を菊の背中につける。
くっと差し込めばまだほころんだ入り口から先ほど注ぎ込んだ液体が零れ出る。彼の川は滝のようで、うねり、迸り、全てを押し流す。俺が、水に流される。

勝手だと、言えば言える。姑息だとも。だけど、公正で純粋な愛なんて、俺こそが知らない。子どもの頃アーサーと交わしていた気持ちはそれに近い気もする、けれども、だからこそ、それではつなぎ止められないことが、二人とも分かっている。心を残したまま背を向け合った、あの日の雨は心の奥で、まだ止まない。


愛の正しさなどいらない。美しさなどどうでもいい。
ただ、好きで。ただ、ずっと俺を見ていてほしくて。

 

奥歯を噛み、額に圧をかける。呻きを漏らすまいと顎と瞼に力を入れる。眉を皺になるほど寄せて、それでも歯の間から感情が漏れ出てしまう。

菊、この空気に放散する俺の心の、どこまでを君は読んでいる?

 

無理に差し込んだ指の力で、彼の中がまた開かれていく。
この小さな体の全てを知っている、そう思っていた。抱き込めばすっぽりと腕の中に入る。わずかの力で持ち上げることさえできる。体中くまなく愛し、愛を返されたと思ったのに。俺たち二人、と思っていたその姿は、最初から一人と一人だったのだ。

肩をあげ無理な姿勢で振り返った菊と目があった、その時指が奥に届き、菊は小さな叫びを漏らした。
指を包む肉が火照る。

拒む言葉を持たない彼の、しかし地下に秘めた激情が指を焼く。

 

「……火山の国だね」

 

菊は目を見張った。感情を完璧に押し隠していた黒曜石のような瞳から、音もなく雫が落ちた。

 

 

幾山河(いくやまかは)こえさりゆかば寂しさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく(若山牧水)



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