SSSsongs6(アル菊前提アサ菊)


 

SSSsongs5の続き。R15。


 

愛情など要らない。
情熱など信じない。

そんな風に受け流すことに、いつか慣れてしまった。全てはメタだと学者は言い切り、若者はどんな箴言もコピペと呼ぶ。0と1の明滅する電気信号の中に人の心を刺すものなどない。

「ない」

携帯を操作し、履歴を削除する。跡形もなく削除されながら、その短い言葉は脳に焼きつく。

 

いつもと同じ一人の夕食、いつもと同じ時間の入浴。風呂上がりにテレビをつけて、新大統領の登場に湧くかの国の様子を確認する。一般人に混じりながら、ちらちらと画面に映る、年若い彼。期待をし過ぎまいと自制しつつ、それでも高揚が頬の色に現れている。「Change」、彼はそれを信じられるほどに、若い。彼の若さを好ましく思っている、自分はとうに喪ったそのまっすぐさを。
それは、嘘ではない。

冷たい雨が降っている。今日は冷えるから、夜半には雪に変わるだろう。

雨への態度は文化によってだいぶ違う。文化の根本は地勢なのだと思わされる。
スコールの間は動きを止める南国、「湯水のように」という言葉が通じない砂漠の国。 江戸仕草の一つ、すれ違いざまに傘を傾けるのは、狭い範囲で行き交うという前提も含めて、いかにも自分らしいと菊は思う。

あのひとの傘は大きい。比喩としてのそれのように。並んで歩く菊をほとんど濡らさない。菊ならするだろう、相手の側により多くさしかけるという思いやりを持たずとも、その大きさが二人を守る。そうして守られることにいろんな意味で忸怩たるものも抱えつつ、それでも氷雨から我が身が遠ざけられたことに、とにかくも安堵していた。感謝さえしていた。好きかと問われれば素直に頷けるほどに。

柱時計が11時を知らせる。「23時」。脳に焼きついた文字が点滅する。鍵は開いている。あのひとは、ニューヨークにいる。

「菊」

絶対に、今日は、ここへは来ない。

その「絶対」の日時を指定する文面を寄越した男は、振り向かない菊を後ろから抱いた。
身を包む冷たさに菊は身震いする。

「悪い。小雨だったので傘をささずにきた」

このひとの傘は細い。いつもきっちりと巻かれ、尖っている。

「菊」

わずかに顔を後ろへよじると、唇を奪われる。つながってしまう。なだれ込んでしまう、私の中の、喪っていたはずの、なにかが。このひとへと。

画面ではあのひとが笑っている。

(好きなのに)
(…)
(私も貴方も、あのひとが好きなのに)

音にはならない会話を目だけで交わし、そのまま床へ倒れ込む。机の上のリモコンに手を伸ばし、電源を切りかけて、思い直して消音にした。
彼の声を聞き続けることはできない、けれども、意識の外に出すなどと罪深いこともできない。これは罰なのだ、きちんとあのひとを愛してこなかったことの、または、きちんと憎んでこなかったことの。

「なあ、あいつはどんな風にするんだ」
三文小説めいた言葉に思わず非難の目を向ければ、翠の目にはただ真剣な強さだけがあった。
「同じように、する。そうすれば体もいつもと違う反応を覚えない。お前はいつものお前のままでいればいい」
「そんなこと」
できるわけがない。
顔をそらした菊の頬に手を当て、目を無理に合わせる。
「この一点でしか平衡が保てないというなら、針の上にだって立ってみせる」

思わず窓を見る。締め切った雨戸の向こうは、もう雪だろうか。白い風の膜が二人の罪業を隠してくれるだろうか。

「特に、どうということも」という菊の言葉をどうとったのか、至極平凡な、しかし時間の一粒さえ我がものとするような丁寧な愛撫をして、男は菊の裡に入った。

「――火山列島だったな、そういえば」

そのまましばらく耐えていたことの言い訳のように彼は言い、眉間をゆるめた。

「…わたしは、あつい、ですか」
聞けば、さらに眉尻をさげて笑う。
「ああ。…お前は、本当は、熱いんだ」

そんなものは要らないと思っていたのに。
峻厳な冬を避けて、彼の傘の下で、ただ微温的な平和に漬かっていられればと。

その約束さえも燃やし尽くすような情熱など、もう枯れたと思っていたのに。

雪も、衛星中継も朝まで止むことはなかった。

 


君かへす 朝の舗石さくさくと雪よ林檎の香のごとく降れ(北原白秋)



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