◆読書案内◆
桐原書店(国語総合)ほか/夏目漱石『夢十夜 他二篇』(岩波文庫)ほか/青空文庫
◇佐和様リクエスト◇
※微妙に時事ネタです(2010年)。ご注意ください。
日本がシュギョウしているという話を聞いて、会議ついでに足を伸ばしてみると、自分より先に数人集まっていて、しきりに手を振りまわしている。高い背が壁を作っている、その奥に日本がいるのだろう、そしてぺこぺこと頭を下げているらしい。カナダやらカメルーンやらは頭を上げさせようと取りなしているに違いない。
肩越しに覗くと、日本は白装束に身を包んでいる。白木綿の鉢巻きに白袴、この格好からそんな噂が出たのだろうけれども、この装いはどこかで見た覚えがある。
「……丑の刻参り?」
「アメリカさん」
日本は鑿を持つ手を前に、ぺこりと頭を下げ、ちょっと眉を下げる。
「この昼間に丑の刻参りもないでしょう」
「木を隠すなら森、人を恨むなら夜って?」
また眉をハの字にして、日本は口をつぐんだ。すいと流された視線を追いかけて、それに気づく。
「大きなもんだなあ」
「……樹齢五百年ですからね」
カメルーンがそっと微笑みながら言葉を返す。横たえられてなお巨大な彼の産たる丸太は、直径百五十センチもあるだろうか。もう今はこんな木は輸出させられないという。鉱産資源に限らず、有機物もまた資源ナショナリズムの範疇にあって保護される。梁にはカナダ産木材を使うらしい。
「八十センチの柱を作ろうとしたらこのくらいの木が必要になります。けれどもそんな樹齢を重ねた木は、国内にはほとんどないのです」
「ふうん」
木を隠すなら森。でも大木を隠し持つほど深い森は、今の日本ではかなり少なくなっている。
八十センチの柱が必要なのなら大理石を切り出せば、いやいっそ鉄筋コンクリートで作ればいいじゃないか……とは、言わずにおいた。日本は現代建築を否定しているわけじゃない。ビッグサイトを木で作ろうなんて思いませんよ、と笑っていた。ただ、ものには自ずから似合う姿というものがあるのだという。
興福寺というこの寺は、縁起といい、所蔵品といい、日本の古代史に密接に関わってきたものなのだそうだ。現存する木造建築のいくつかは国宝、全体としても世界遺産に登録されているのだから、その中心である中金堂の再建は、往事の手法でとなるのは当然だ。木造であると考えれば今の基準でも大きなその建物を支える母屋柱は三十六本。それに直径約六十センチの庇柱が三十本必要なのだと。
最初の鑿と最初の鉋は自分で、と、ショウジンケッサイして日本は今ここにいる。
カーン、と鋭い音が鳴った。
鉢巻きにたすき掛けで身をつましくした日本は、俺や、招いたはずのカナダたちのことも頭から滑り落ちてしまったように、ただ世界に我と巨木とのみといった目で鑿を振るった。もうこちらを振り向きもしない。
「武士みたいな雰囲気だね」
カナダがこそっと言うと、カメルーンも頷いた。
「けれども、同時に舞のようでもあります。虚飾を排し、心のまま自在に動いている」
彼の言う通り、日本はまるで何も考えず腕を動かしているようでもあった。特に見当もつけずすっと当てただけに見える箇所は、まるでそこに断層があるかのようにすっと鑿を受け入れ、表皮をはがしていった。
「あんな無造作で、よく綺麗な柱になるもんだな」
「そうですね……」
カメルーンは少し考えて言った。
「綺麗な柱を作っているというより、柱を覆っている膜を剥いで、取り出しているような印象です」
うん。カナダは腕組みをして言った。
「取り出しているのは、日本古代そのものにみえるね」
「でも木はアフリカ産だろ」
顎を撫でながらカメルーンは言った。
「アフリカの太古の魂がそれに通底するのかもしれませんし」
散会の後、帰れとも言われなかったので棒キャンディーをくわえたまま、見るともなしに作業を見続ける。
日本は肩まで剥き出しにして、鉋をかけている。しゅるしゅると削り節のように木の皮が宙になびく。
「確かに、寺は観光資源でもあるんだし、綺麗にしたいだろうとは思うけどさ」
「……」
「自前で調達できないもので揃えてまで復元したいもんかい」
「……」
取り出そうとしているのがかつての輝きであるなら、俺の知らない煌めきであるなら、余計に、なんでそんなものに執着するのかと思ってしまう。
日本は少しだけ恨みがましい目をよこした。
「木材がたくさん必要になったので、戦後、原生林を伐採してまで杉を植樹したんですよ」
「必要なのは、その時の今を生きる人にとってだったんだろ。この建物は今の誰が生きるために必要なんだい」
「……私が、です」
ぼそりと、けれどもきっぱりと言い切られたので口をつぐんだ。
日本が「生きる」ために古代を蘇らせるのが必要なんだという理屈は、考古学好きとして理解できなくはない。けれども、そうやって木材から取り出される「飛鳥」は俺を知らない日本であることが面白くない。
国産材だという一本に近づき、日本はわずかに顔を曇らせた。
「……」
すっと鉋をすべらせると、領布のように薄く木がそがれていく。中から美しい木目が現れてくる。木地が光るようだ、と考えて、はっと気づいた。光るものが中から出てきて取り出されては、鉋屑のようにひらひらと空気にたなびき、散っていく。
「Oh……」
日本では、崇拝の順序が逆転している。素晴らしいから崇めるのではない。崇めるからそれが聖性を帯びる。そのものに向けられた思いの集積がものの力となる。
無機物であってさえ長く生きればこの国では神になる。まして木なら。
今取り出されているのは神性そのものだ。木の中に宿り、眠っていたそれが、今、空気に還っていく。
削っているのが日本なのに、削られ、取り出され、霧散していくそれこそが日本に見えた。