・元ネタから場面まで全般的にTwitter話です。モバツイを想定しているので他Clientでは変なところがあるかもしれません。
・本人も気づいていないくらいの英←日で、ぶつっと終わります。Happyなendはありません。
・最初から最後までおた本田さん@高校生の妄想で構成されています。
・苦手な方はお戻り下さい。
コミュ障入ってるなんてツイートを見るたびに口を引き結んでしまう。どういう段階だと「入る」なのだろう。所謂リア充の(と想像される)子でもそんなことを呟いたりするけれども、前後の文脈からすれば「友達と上手く絡めないことがよくある」くらいのようだ。明け方肌寒かったのでくしゃみをしたというレベルで「入ってる」なのだとすると、自分はインフルエンザくらいは罹患している。
Twitterのアカウントはいくつか持っている。学校用の、クラスメートに人畜無害をアピールするためのものもあるし、延々と萌えを垂れ流すおたくアカも勿論ある。ささやかながら同人活動もしているから宣伝用に作ったものもある。ペルソナというほど大げさなものではないけれども、それぞれの「本田菊」はイラストで描き分けられるような気がする。どれにしても、その界隈で想定されている「交流」のレベルまでは達しない、蜘蛛の糸のような細く脆い繋がりを電脳世界にだけそっと張り巡らせている。
作っている部分があるとはいえ、一番気兼ねがいらないのは同類フォロワーしかいないおたくアカで、だから個人特定されないくらいの軽い日常ツイートもそれでやっていた。東西線は今日も酷い、とか、テストなのに風邪気味でぼんやりしてるやばい、とか。その日、満員電車の先に待っていたテストは数Uだった。それをなんとか乗り越えた夕方、当然ながらかなりどんよりしていて、かつ、注意散漫だった。
吊革につかまる手に掛けていたのは書店の紙袋、それなりの強度があるはずなのに悪魔の偶然か鎌鼬か、とある駅で人に押された瞬間びっと裂けた。やばい、と思う間もなく中身の重力が紙袋をただの紙に変えていき、中身はどさどさと目の前に座っていた客の膝の上に落ちた。
「!!」
たかが薄い文庫本、しかし15冊もあったもので、その擬音語は「どさどさ」となった。目の前の、制服から想像するに同年代の金髪男子は、驚いた様子を顔に表したまま黙っている。
「す、すみません!!」
青くなりながら膝に散らばったラノベをかき集める。テンプレ的に童顔巨乳の女の子が羽織ったシャツの裾をおさえながら上目遣いに見ている表紙をまじまじと見る彼に、うわずった声で言い訳をする。
「あの、人に貸してて…」
返されたから今日持ち歩いていたのは事実のだけど、この場合何の言い訳にもなっていない。それが自分の所有物だという判断を補強しただけだ。
「ああ…」
彼は、股の間に落ちていた一冊を取り、こちらに差し出しながら(手が出しづらく困っていたので助かった)、言った。
「それよりお前、袋なくて大丈夫なのか」
「えっ」
「こんなにあるなら学生鞄には入らないだろ」
「え、あ、いえ」
慌てて本の塊を「紙袋だったもの」の、かろうじて破れていない箇所に押しつけ、ぐるりと残りの紙で包む。これを手でずっと持ってますから大丈夫、と言おうとしたら、足の裏に置いていたらしい鞄から畳んだラッピング袋を取り出し、おら、と渡してくる。
「いえ、あの、」
彼は、そのちょっと立派すぎる眉毛をちょっとあげた。
「別にお前のためじゃない。また落ちたら俺が痛い」
「す、すみませ……」
詮方なく、それを受け取り、そっと紙包みを袋に入れた。それを確認して、彼は腕を組み直し、目を閉じた。
いたたまれない。
彼は蚊が止まったか止まらないかの風情で出来事を受け流したが、こちらはまだ引きずっている。紙袋は厚手だけれどもああまで言われれば破れそうで心許ない。底から抱きかかえ、もう片方の手も吊革から外して、せめて数センチでも顔を隠そうと携帯を取り出し、恥ずかしかったと呟いた。――あろうことかなかろうことか、表向きに落ちたのが『俺の妹は飯がまずい』の10、11、12巻ですよ破廉恥な…!
次の駅はJRへの連絡駅で昇降客が多い。彼も降り、目線で促されたので代わりに座った。と、リプライありを示すマークがついた。誰かあの表紙を覚えていたフォロワさんが嗤いを返してくれたのだろうかと思っていたら、ツイート主は、見知らぬ人だった。
「今乗ってた電車、近くの席でイケメンにメシマズぶちまけてた男がいてうひゃーと思ってたらツイ検でひっかかった RT@nkmm_nnj 鎖国したい…!!電車の中で紙袋崩壊de羞恥プレイ、あろうことかなかろうことか、表向きに落ちたのが『俺の妹は飯がまずい』の10、11、12巻ですよ破廉恥な…!」
絶句した。
今乗ってた電車ということは、もう降りたのだろう。だからこの空間にはいない、とはいえ、恥ずかしさだけで自分を分解できそうだった。
荷物を落としたことだけではない、その後の自分の口が、なんと強ばっていたことか。文として成立しているのは感動詞の「すみません」だけではないか。謝罪も謝礼もまともにできず、顔をまともに見ることさえできないままただ小さくなっていた、そんな自分を電子のマルチバイト文字に逃がそうとしたら、三次元が襟首を掴んできた感じだ。
ツイート主のホームに飛んだが、やはり知り合いではない。検索できたということは書名を知っていたのだろうが、画面にうつるやりとりにはリア充の気配が漂っている。そんな第三者に見られて、しかも、恥を拡散されてしまった。全く悪気はなく、そして悪いことでもなく。でも我が身に起きれば、埋まりたい気にはなる。
耳が熱くなるのを感じながら何気なくリロードした。
「更にwwwwwwwwwwwwwwwwひっかかったwwwwwwwwwwwwwwwwww!!!RT @ld_sns 電車で寝てたら上から本が降ってきた 『俺の妹は飯がまずい』って題だった なんかすげーな<タイトル」
ひ、と小さな音が漏れ出た。
当人だ。
両方が公開アカウントだとこういうことも起こるのか。
虫歯になっていると分かっている歯を舌でつつくような気持ちで、そちらのホームに飛ぶ。
先ほど見た文章がやはりあり、改めて憂鬱になる。
そんなにツイート数がある訳ではない。友達や家族とやりとりをし、あとは独り言を呟いているらしい。実に一般人らしいツイートが並んでいた。一日あたりツイート数にさえ彼我の差を感じてしまう、卑下がこうじて己が虫のような存在であるように感じてしまう、そんなホーム画面だ。
が、その一番上には。
「なんでやっちまうんだろうなー 「持つの大変だろうから使えば」って言えばいいじゃん そいつのために決まってんじゃん くっそこういうのコミュ障っていうのか?」
しばらくその言葉を見つめる。
いやいや。
それには全く同意できない。
だいたい、どこかの第三者さんも書いていたではないか、イケメン、と。
今私の手にあるこの袋は、ほんの少し甘いような焦げたような匂いがする。多分、同級生だか下級生だかの女の子に差し入れを貰ったのだろう、中身は食べて、だから袋が余っていて。それを学校でくしゃりと捨てない配慮のできる男子でありながら、その単語は使って欲しくない。
一方で、そうだったのか、と息が抜けるような思いも味わっていた。あの泰然自若とした態度の裏で、ただ「どうぞ」と言うのに照れて、あんな言い方をしていたのか。それをこっそりこんなところで呟いていたのか。
へえ…。
なんとも複雑な気持ちでそのホーム画面を眺め、それからそっと閉じた。
電車の揺れは1/fゆらぎであると言われる。確かに、あのリズムに身を任せていると頭が空になって、眠くなる。立ったまま寝るわけにもいかないので暗い窓の向こうに想念を投げる。
制服を見てどこの高校だと分かるスキルはない。外国人の年はよく分からないからあれは一般のスーツで、実はもう成人なのかもしれない。でも制服独特のちょっと分厚い生地だったし、胸には紋章がついていたし。下校中だったのだろうから、行き帰りは同じ線。あの時間帯ということは毎日遅くまでの部活はやっていない……そこまで考えて、我に返り苦笑する。一日に120万人が乗る電車の、しかも朝夕ラッシュ時、同じ車両に乗っていてさえ互いに気づく可能性は低い。そもそも、会いたいのか?……いや、二度と顔を合わせたくないからその可能性を考えているんです、そうに違いないのです。そう断言して、顔を小さく振ったところで、遠くドアの辺り、すっと体の向きを変える動きが目に入った。
「あ」
電車の音に紛れる程度の、小さな声が漏れた。あのあちこちはねた金髪は。
うわあ。
そうか、出会う確率はともかく、見かける確率は単純な割り算ではないのか。私は群衆に紛れるが、向こうは際立つ。とはいえ、偶然の悪戯が過ぎるというものだ。昨日の今日で、また見かけるとは。
ぎ、ぎ、ぎ、と音がしそうな動きでドアに背を向け、携帯を取り出す。この「一人勝手に羞恥プレイ」をなんと表現したものかと思いながら親指をうろうろさせ、ふと思いついて検索欄にカーソルをあてた。
フォローをしたら流石にばれるかもしれない、こちらのホーム画面にはあの事件の刻印が見て取れるのだから。いやそもそもフォローをしたいわけがないじゃないですか、と自分の思考に突っ込みをいれつつ、記憶にあったユーザーアカウントを打ち込む。
もしかしたらユーザー名は本名か、それに近いものかもしれない。一般人とはそういうものらしいので。アーサー。どうだろう、山田太郎のようなものかもしれない。けれども世界史で習うところではそれは伝説のブリテン王の名で、何となく彼には似あっているように思えた。高校生ながら、自然に人を跪かせるような威圧感がある。……外見には。あんな弱気なツイートをするとは想像しないような。
ホーム画面には、いくつかの呟きが追加されていた。その一番上。
「そういえば、昨日の本の1巻買ってみた 思ったより面白い ていうか日本人は飯に期待するレベル高すぎ」
そういえば。そういえば?何がどういえば?
思わず振り返ると、またタイミング悪く体の向きを向こうへ戻すところだった。顔が見えないので様子もうかがえない。
ホーム画面に戻り、指にまかせてタイプする。
――ゴゴゴ……
JOJO?とのフォロワーの突っ込みに上の空で応え、もう一度先の画面に飛ぶ。ツイートの時刻はほんの数分前。電車の中で「そういえば」の事態が起こったと考えるのであるならば、やはり先延ばしにしていた結論を下すしかない、先方もこちらに気づいたのだ。
――偶然って恐ろしすぎてもはや運命の糸に手繰り寄せられた二人
もう少し中二病っぽさを出したかったのだけれども、動揺したせいかあまりに平凡な文になってしまった。心頭滅却しようと、Twitterを閉じ、素数を数えるアプリを起動させる。
平凡で、というよりは、地味で。目立たないというより……歯牙にもかけられない。そういう人間として生きてきたし、そういう人間であることを目指してきた。なのにどうして、と思うけれども、答えは分かっている。私が印象深いのではなく、出来事のインパクトがありすぎたのだ。思い出すだけで頬に熱がこもる。
ため息をついているうちに、電車は駅に滑り込んだ。彼が降りるはずの駅だ。逡巡の末、ドアが開いてしばらく経ってからそっと振り返ると、一瞬、彼が去り際に流した目とかち合った。慌てて顔を戻す。
うわー…。
確実に、視認されている。
目に嘲笑の色が無かったのがせめてもの救いだ。しかし、どれだけ珍獣なのだろう、彼の人生の中で、私は。……逆ならともかく。私のうすぼんやりとした人生の中にあんな鮮やかな色は無かった。白い肌に、透き通るような翠。光るものに目を奪われるのは世間の通例というものだ。
そっと、短縮キーを押し、先ほどの手順で彼のホーム画面に侵入した。そして私は、複雑に震撼した。
二つのツイートが増えていた。
古い方、
――運命?
新しい方、
――げ。
もともと食は細い方だが、その日のご飯はいくらか残してしまい、家族に心配された。ちょっと風邪を引いたかも、などと誤魔化して自室に引き上げる。行儀が悪い、と思いながら、ばふんと掛け布団の上に寝転んだ。
もはやストーカーだと自嘲しつつ、慣れた手順で彼のホーム画面に飛ぶ。画面は変わっていない。
打刻からいって、前者は明らかにこちらのツイートを踏まえてのものだ。あの、中二病にさえなり損ねたテンプレ文句。
そして新しい方は、それへの感想、であれば、彼の、一連の出来事を総括しての感想は「げ」なのだ。それは……へこむ。
いや、彼は悪くない。
発端は間違いなく「げ」な出来事だし、その相手に再会したら、向こうがその偶然を「運命の糸に手繰り寄せられた」なんて詠っていた日には、そりゃあ、ひく。リア充の彼は、文字通りに読んだだろうから。
だから悪くはないわけだけど、でも。
自分のホームに戻って「つら」とでも呟こうかと思いかけ、気がついた。新しい方は、誰かへのリプライになっている。
「……」
毒を食らわば、と、「会話の追跡」を押してリプライ元を見てみる。
――@ld_sns 今日の話、今思いついたんだけど、その彼の方も同じようにお前のホームに行けるんじゃね?
「……あ」
瞬きしてしまう。
考えてみれば当たり前の話、古い方のツイートが、こちらのそれを念頭に置いてのものだというなら、彼「の方も同じように」私のホーム画面に来ていたのだ。私達双方を検索でつり上げた第三者は、全く同じように両者のツイートを並べたのだから。
「う、うわぁ」
それは、確かに「げ」だ。私の方はおたく全開っぷりが「げ」だが、彼だって……あの、ため息のような吐露をしていたのだから。それを当人に見られれば「げ」だろう。
風邪というのは方便だった筈なのに、熱が上がったような気がして、寝返りを打って顔を布団に埋めた。
自意識過剰だと思いながら、今日は一つ車両をずらして乗った。見渡してもあの金髪はいない。
吊革に身をゆだねて目を閉じ、状況を確認する。
アーサーさん(仮称)は、私を認知している。私のホーム画面も知っている。おそらく、当日の段階で。どこまで読んだかは分からないけど、自重しないあれこれを目に入れてはいるはずだ。
そして、(そのおたくの)私があちらのホーム画面を見ている可能性を理解している。理解した上で、ブロックはしていない。
するほどのことはない、という判断、ともいえる。特に実害はないのだから放置。つまり、「歯牙にも掛けない」路線。
そうであったとしても、気分は悪くない。向こうはちらっと覗いてみる程度にはこちらのことを気に掛けた上で、こちらの覗き見の穴を塞がずにいる。それは、大胆に曲解すれば、許可だ。
そっと、その覗き穴に目を当ててみると、こちらを見たような、見ないような、呟きが追加されていた。
――2巻も読んだ
「……」
思わず吊革の手を外し、口を覆う。説明のできない気恥ずかしさに襲われながら、入力を開始する。あくまで、独り言として。
――「メシマズ」の妹ちゃんが超絶可愛いのは12巻
数十分後。
――日暮れて道遠し
イギリス人らしい王子様は漢文もできるらしい。
相変わらずお互いにフォローはしないまま、けれども多分彼もこちらのホーム画面をブックマークをしているのだろう、相手を意識したツイートも交えつつ、数日が過ぎた。
なんとなくルール違反のような気がして、「当日」以前のツイートには遡っていない。そして先方の絶対数は少ない。こちらがアニメ実況した日など十倍ほどの差がある。
それでも、ほの見えるものはある。
例の「げ」の相手は、親友なのだろう。よく悪罵を飛ばし合っている――先方は知らないが、アーサーさんは言い返している。その他にもちらちらと出てくるアカウントがあり、それらの会話からアーサーさんは生徒会長らしいと知れた。その活動なのだろう、週に数日はこちらの帰宅時間にもまだ学校内でいるらしいツイートがある。
予想外だったことに、どうもあの日もらった紙袋は、人からもらったものではないらしい。時々生徒会室にお菓子を作って持って行ってるようだ。勝手に想像したように、女子からのプレゼントというわけではなかった。そういう女の子も、所謂彼女も、いないらしい。そのことを知って、人差し指で頬を掻いた。
もてそうなのに。
人望もあるようだし、何よりあの顔だし。
私とはモノが違う。同じ土俵に登らせるのが憚られるほどだ。
――いやいや。
思い上がってはいけない。同じ土俵になど登っていない。同じ時間に同じ平面に足を乗せている瞬間があるとしても、私と彼との間は電子の波が小さなホールを通って行き来しているだけなのだ。
対人恐怖症の気があって、他人と向き合って話せば軽い吃音に陥る。ただそれだけのこと、と言えば言える。それでも、やっぱり、全てにおいて消極的になってしまう。アーサーさんにだって、正面から話しかけられれば何も言わず踵を返して逃げるだろう。空に向かって風船を放すような、その風船に言葉を乗せるような曖昧な行為だから、やれる。受け取られる確信のないままに流された小瓶だから、中の手紙が読める。
――あー 今日もだ
そういえば、昨日、小さな悪態が吐かれていたなと思い出す。
その日、立った場所が良かったらしく、幸運にも座れていた。車両の端で、連結器のドア越しにアーサーさんの金髪がちらりと見える。流石にこの角度からは表情はうかがえない。目線を画面に戻す。
――また渡せなかった
た。過去形、ということは、学校での話だろう。そして、ここで書くということは、フォロワー、と私、ではない誰かに、だろう。プリントか何かだろうかと思いつつ、リロードする。と、いつものお友達らしき人へのリプライがあった。
――うっせ黙れ 前から言ってるだろがお前に食わせる気なんてさらさらねえ
「……ほう」
小さな呟きが意志に反して漏れる。
つまり、渡そうとして渡せなかった物体Xは、食べられるもの、おそらくは時々話に出てくる焼き菓子だろう。それを学校の誰かに渡したくて、彼は昨日も今日も作ったのだ。あの、甘い、少しほろ苦い匂いのお菓子を。
親友のなんとかさんではない誰か友達宛てに、作ったとして。「渡す」という表現になるだろうか。自分には経験がないが、そういう場合、市販の菓子を持ってきたのと同じように、「一緒に食べる」んじゃないだろうか。
再びの「つまり」――これは、コイバナ、なのだ。
「ほうほう」
今度は心の中で呟くにとどめ、顎に手を当てる。
アーサーさんは、少なくとも私が、この時間帯に彼のホーム画面を見る可能性を分かっている。同じように、親友さんのホーム画面に自分のツイートが流れる可能性も想像している、はずだ。妄想をたくましくするなら「じゃあ俺が食べてやるよ」というようなリプライがあったのだろう。そうやって慰められる可能性を想像した上での愚痴であるなら、私も同じように対応すべきなのではないか。
しかし、私は、余りにも文脈を知らなすぎる。彼が渡したいお菓子さえ、匂いと外装しかしらないのだ。
「……」
しばらく悩んで、彼の駅に近づいた頃、私は当たり障りのないことを書いた。
――絶対大丈夫だよ!
書いたものの、何がどう大丈夫なんだと自分突っ込みを入れながらしばらくその文字を見つめた。……まあ、多分こう理解されるでしょう、大丈夫、いつか渡せますよ、と。
電車は駅に着き、彼の金髪が動いていくのが見えた。何となしに、止めていた息を吐くように空気が漏れた。
まあ、そういうこともあるでしょう。なぜかすぽんとその辺りの想像が抜けていましたが。男子高校生ですもんねえ。微笑ましい、と笑おうとして、少しひきつった。
強ばる頬の筋肉をそっと指でなでる。自分自身、その男子高校生でありながらその辺りが抜けていること、は、最初から分かっていること。そして向こうが三次元で構成された24時間を生きていることも分かっていたこと。彼や、彼の親友は、本名を掲げて生身を生きている。Twitterはリアルを構成する一つのツールでしかない。
流れで、ブクマ画面に飛ぶと、ツイートが一つ増えていた。
――妖精さんに励まされたwwwwwwww
ほう、ほう。
膝の上に肘を載せ、手に顎を乗せる。
なるほど。
タイミングから言って、「励ま」したのは私で間違いないだろう。私が妖精さんなのだ。何がそんなにおかしかったかは分からないが、「何も知らないくせに」とかなんとか、理由はいくらでもつけられる。
「真夏の夜の夢」をひくまでもなく、妖精とは、人と人との間を飛び回るものだ。思わぬ恋に陥れたり、結ばれるべき相手へ背中を押したり。いずれにしても――アーサーさんと、誰か、は恋の当事者であり、私は、数ならぬ身、電子の波に三色スミレの汁をまぶすような存在でしかない。
「……」
顎を乗せた手で口を覆い、しばらく考える。
わざわざ言葉にしなくても分かっている現実を敢えて説明してみる心境はいったい何なのか、自分でよく分からないでいた。1/fゆらぎのはずの電車の揺れは、顎を不愉快に押し上げ、歯をかちんと鳴らせた。
その後も、私達は、いや、私もアーサーさんも、相変わらずだった。
同じ車両に乗り合わせる日もあり、車窓からホームを歩く後ろ姿を見つけるだけの日もあり。ツイートも、テストや行事のこと、私の場合はプラス二次元のこと。たまに、勇気を出せないアーサーさんの落ち込みが漏らされる。全く相手にされていないらしい。
三次元に生きようとするからそういうことになるんですよ、なんて本音は、勿論言わない。自分がアレだからと、他人を引きずり込んでどうする。だけど、確かに、自分の中にある。このまま上手くいかなければ良い、なんていう、黒い気持ちが。
私は妖精のように気まぐれに、全世界の若者を応援するような言葉を呟いてみたり、無視したりした。
三寒四温の裏返し、何度目かの上下動の末かくんと温度が下がった日だった。駅の時計を見て、同じ時間、あの日はまだ明るかったのにと思いながら電車の端に押し入った。ドアに背をもたれさせ、流れるように携帯を取り出しブクマ画面に飛ぶ。
――つらい
時間を見ると、十数分前。
何か、学校であったのだろうか。そういえば、昨日は「絶えなばたえねってやつか」と呟いていた。ながらへば忍ぶることの弱りもぞする?だから、切ったのか。まさか手首をではないだろうから、心の堰を。打ち明けて、そして、辛い。または、やはり打ち明けられずに、辛い?
分からないけれども……今までのとは深刻度が違う。
そっと背伸びをして、車両を見渡すけれども、あの金髪は見当たらない。困ったようなほっとしたような気持ちで体を戻したところで、どん、と後ろから圧力がかかった。ドアの向こうで、同じように人が背を預けたのだ。いや、連結器の上に乗るのは宜しくないですよ……と振り返りかけ、ぎょっとする。
アーサーさんだった。
見えるのは後頭部と背中だけだけれども、間違いない。ぎゅっと顔を戻し、手元の携帯に目を落とす。
――苦しい
……どうしよう。
心臓の音が聞こえてくる気がする。
今まで、間に夕霧を挟んだような関係を保ってきたアーサーさんが、ガラスの向こうにいて、苦しんでいる。霧をかきわけてここまで来たのは、多分、ヘルプコールなのだ。
何があったかを知らずとも慰めてくれる妖精さんへの――いや、違う、今まで綿菓子のように朧な言葉を交わしてきた、「私」への。
「……」
ぎゅ、と携帯電話を握る手に力を込めた。
例の親友さんならどうするだろう。どうしたのよと肩に手を回し、気晴らしに誘うのか、それとも真面目な声で慰めるのか。諦めるなよと、励ますのか。
ガラス越しにアーサーさんの存在を感じながら、それでも私は動けなかった。
私は、この人へ発する声を持たない。この人に触れる手を持たない。そうした三次元の「私」は、いなくていいはずだったから。私が電子の妖精ではなく、生身の一個人であるなら、私にも心があることになる。もしそうなら、その私の心は、彼の恋を応援しない、しない、できない。他意無く慰めるなど、とうていできない。
――私こそ。
そう打とうとして、しかしそれさえできず、親指を宙に浮かせたまま携帯電話を握りしめていた。
なぐさめの形を知らず携帯の横幅ばかり覚えていた手(円)