SSSsongs45(英日) '

・SSSsongs45のアーサーさんサイドです。

・全般的にTwitter話です。

・本人も気づいていないくらいの英→日で、ぶつっと終わります。Happyなendはありません。

・苦手な方はお戻り下さい。

 


日本では運命の女の子は空から降ってくるものらしく、通販会社の公式アカウントが問い合わせに「予定があるならどうぞ」とトランペットを勧めている。
……一から十まで分かんねえ。そういうと、髭は「うーん、確かにお前さんにはスミスさんはレベルが高すぎたね」などとぬかす。
「ちょっと待て、お前が設定したんだろが」
「設定つか、フォローね」
「お前に尻ぬぐいされる覚えはねえぞ」
「俺も坊ちゃんの尻触るのはちょっと……ってやめてむしらないで!」
曰く、会長への直訴ルートができれば副会長の窓口業務は減る。一般生徒の意見をくみ取って善政をしくもよし、厳しい遣り取りで手強さを見せつけるもよし。いずれにしても俺のハッピー高校生ライフの必要経費だからさ。
そういって、携帯電話を取り上げるなり恐ろしいほどの指裁きで呟きツールだかの登録を済ませてしまった。俺がやったのはパスワードを打ち込むことだけだ。
「……アーサー、お前、らくらくホンって知ってる?」
「うっせ」
そのネタでは弟にもからかわれる。「君、あれで十分なんじゃない?」。実際、電話は、かける・とる・メールを読むの三機能があれば十分だと思ってる。電卓など暗算すればいいし、電車の時刻なら事前に調べておけと思う。
そういうわけで、そのツールはフランシスの・フランシスによる・フランシスのためのインストールだ。「適当に繋げとくねー」と弟その他何人かの発言が見られるように設定していた。
それ以外の人が話しかけてきた時はココが赤くなるから、クリックして確認、必要があればこうやって返信すればいい。何かアナウンスしたい時はココね。お前さんの発言を確実に見ようとしている人のリストはココ。あとは使いながら覚えて。
勿論、覚える気などない。応答と告知、それ以上のことを対人関係に求めない。言えばヒかれるから言うなとフランシスに止められているが、率直に言ってしまえば、基本的に自分の世界にいるのは、身内の他は、自分に従う者と自分を従えようとする者だけだと思う。
自分の能力の範囲で、思い通りにならないことなど無い。これは至極当然の理屈だと思うのだが(だって、能力が足りなければ思い通りにならない、といっているだけだ)、それもお前が言うと嫌みだからやめておけと苦笑される。そうやって自分と世界の間にやんわりと立つフランシスを、先の区分で言えば無意識に「身内」にしてしまっている自分がちょっと嫌だ。

相変わらずフランシスが勝手に入れた有名アカウントの言っていることは大抵分からないが、流せばいい。フランシスや弟の、今日はどこへ行った何を食べた何々ができたんだぞ!というツイートは、ほんっとにこいつら自分大好きだなという苦笑とともに読んで電車の暇つぶしにできたし、ついでに生徒会への小さな問い合わせにも気軽に応答できるようになったので、少なくともツールの導入で損は無かったなと思う。フランシスはじめ、みんな泣いたり笑ったり、随分忙しい日常を送っているものだなとも思うが、同じように生きられるものでもないから、寂しくはない。人と向き合う、という言葉の意味が分からない。イマジナリーフレンドという言葉を、心理学で学んで知っているが、だからといって、寄り添ってくれる妖精の存在を否定できるものでもない。身内ではなく、友達というなら、彼女らだけだ。
フランシスが言うには、某国民的アニメで、女の子が空から降ってくるのだというが、現実にそんな出会いはない。
そう思っていた。

「す、すみません!!」
「……」

何事も、頭から否定するものではないな、と考えを改めつつ、微妙な位置に降ってきた女の子(の絵の本)を拾った。落とし主に差し出すと、あわあわしながら受け取った。エロ本でもあるまいし、そんなに恥ずかしがることは無いだろうにと思うが、人に迷惑をかけることを異常に気にするのは日本人の国民性かもしれない。改めて見ると、ほそっこい体で学生鞄を脇に挟み、ようやく吊革につかまって満員電車をしのいでいる。その中で拾い集めた文庫本の山を片手に抱えるものだから、小さな揺れにすぐバランスを崩して、かくんかくんしている。
「……」
座るか?聞こうとしたが、やめた。既に恐縮しきっている彼に、ものすごい勢いで断られそうな予感がしたからだ。
せめてあの本が鞄に入ればな……と思ったところで、スコーンの空き袋を持っている事に気がついた。いつもよりよく焼けた気がしたので間食用に持っていったものだ。振る舞うつもりなど無いのにフランシスには断固拒否され、大抵アルフレッドが心底うんざり、という顔をしながら一つ二つ摘む。そうまでされると嫌がらせ半分、上達した時にどや顔したい半分で時折持参している。
「おら」
それでも拒否されそうになったので、早口で押しつける。
「別にお前のためじゃない。また落ちたら俺が痛い」
「す、すみませ……」
ぺこ、と頭を下げて、その高校生は袋を受け取り例の本をそれに入れた。まだ焦っているからか、その手もおぼつかない。袋が開かず、かしゅかしゅと何度も摺り合わせている。頬が赤いのは羞恥のせいか。俯いて手元に没頭しているから、横の髪がさらりとおりてきて、うっとうしそうにかき上げる、その耳まで赤い。
「……」
貸せ、と言おうとして、とどまった。むしろ放っておいてほしいだろう。日本人というのはそういう人種だ。
放って、と考えたところで気がついた。今の自分は明らかにその逆だ。気づけばガン見している。いかん。袋に無事入ったところですっと顔を戻し、目を閉じた。
「……」
自分はあまり世話焼きの方では無い。昔はそうでも無かったが、数年前弟に干渉反対ストライキをやられてから、原則的に他人に立ち入ることを避けてきた。弟の性格のせいかもしれないが、踏み込まない方が実際うまくつきあえる。フランシスは最初からパーソナルスペースをはかることに長けていたし、それ以外は、言ってしまえば、他人だ。指示が通りさえすればそれでいい。
それなのに、随分前のめりになってしまったな、と降りながら首の骨を鳴らした。目線で「座れ」と言えば、目の前に立っていた彼は素直に頭を下げた。そうだよな、と思う。理屈が通れば、いいんだ。座席が空いたら、目の前の人に優先権がある。それが満員電車が常態の日本のルールだ。ルールに則ってるんだったら、アクションもリアクションも、余計な考えを挟まずスムーズにすすむ。
帰り道、歩きながら、珍しく呟く気になった。書名を書いておけば後で思い出すかもしれない。あいつが面白いと思って、人に貸しまでした本だ。薄かったし読んでみてもいい。
ああそうか、人に貸したから、それで紙袋がへたってたんだな、それで、どさどさと。その後の展開を記憶再生して、ぼやきが出る。
「あー…」
坊ちゃん、それ、悪い癖だよー? そんな風に窘められる、ものの言い方。分かってはいるんだけど。そして、実際落としそうなくらい危なっかしい状態だったんだけど。
それでも、あんな言われ方、どう思っただろう。考えると頭をかきむしりたくなる。その手をふととめて、「思われ方」を気にするなんて久しぶりだな、と思う。考えてみれば、弟との距離をとりあぐねていた、あの頃以来だ。
「……」
なんだろうな、これ。目で問いかけてみたが、妖精はによによと笑うだけだった。

 

個人の能力ではどうにもならないことの一つが通勤通学時の混雑だ。幸い学校が始発駅に近いので、帰りはまず座れる。だが、行きはよっぽどの偶然がなければ人間ミキサーに自分を放り込むしかない。体幹が鍛えられるんじゃないかと前向きに考えてみるが、一日のエネルギーの相当部分をここに吸い取られるのは間違いの無い事実だ。細いやつは大変だよな、あいつみたいな。考えがそのまま流れて、鞄の中の本のことを思い出す。昼休み、購買部を覗いてみたら置いてあった。へえ、と思って買ったらフランシスに目を剥かれた。何、何があったのどういう心境の変化??しつこかったので、飯を食いながら昨日の出来事を話してやった。向こうの紙袋が破れて本が落ちてきたこと。その後呟いていたら、メンションのマークが点灯し、先方のらしい呟きが出てきたこと。携帯を見せたら「あ、そういうことか!すげえ偶然だったんだな」と笑った後、俺と同じようにリンクを辿って、先方のホーム画面に行き着いた。「うっわ、何この子、仲良くなれそう!」爆笑している。何せユーザー名が猫耳忍者RX-78だ。フランシスには元ネタが分かるんだろうが俺にはスミス氏以上の理解不能文言ばかりが並んでいた。「別世界だったろ」と言われ「……ああ」と頷く。いや確かにその画面はそうなんだけど、でも、そいつ俺の前にいたんだ。ちょっとまだあわあわしながら、俺の袋を受け取ったんだ。片手ほどの距離しか空いていなかったのに、いや、靴でいえば数センチの近さだったのに、別世界っていうのは変な気がする。微妙な返事をしたからか、フランシスはん、ん、ん?と妙な目つきをした。
そんなことを考えてぼんやりしていたら、折角の帰宅電車だというのに、扉が開くと同時に後ろから回り込んだ長髪野郎に目指していた席をとられた。一時間の安楽が奪われたことにため息をつきながら、ドア前に陣取る。そのまま携帯を取り出し、昨日の手順で例のホーム画面にいって、彼の時間を遡っていく。ツイート数が多い。こいつもフランシスみたいにものすごい速さで文字打つんだろうな。そんなことを考えていて、ふと、気づく。
こいつ、友達多くね?
いや、人間の友達とは何なのかよく分からないから、とりあえずそう呼ぶしかないのだけれど。少なくとも、砕けた言葉で遣り取りをする相手がここにいて、学校には本の貸し借りをする相手がいる。それが積集合なのか和集合なのかは知らないが、TLには実際にあったこともあるらしい会話も多少はある。「本名晒すな!!!111くぁry)ふじこ!!」というリプライがあり、いけない悪いと思いながら元会話を追跡してしまった。
「――きく?」
実際にはきくにゃんと書かれていたのだが後半は接尾語だろう。相手が藤子某なのかどうかは知らないがやりとりからしてこれはあいつの名前またはその一部に違いない。
名前を、知った。
全てが公開情報であるとはいえ、これは明らかに覗き見だと思う。その背徳感もあいまって、ちょっと危ないような愉悦を感じる。電車の中だぞ、と自分を叱り、気分を振り払うように車内を見渡して――見つけた。
「あ」
うわあ。さっきの今でそれは流石に後ろめたい。そう思っていると、あろうことかこっちを見た。慌てて背を向ける。
やべえ。見つかったか。
いや、盗み見が見つかる筈はない。俺自身なら、見つかったとしても、何もまずいことはない。向こうは気まずいかもしれないが、少なくとも本が落ちたことについてはこちらは気にしていない。むしろ存外面白い本を読めたので有り難く思っているくらいだ。
――そういえば。
基本的にあのツールは今日はどうしたこうしたを書くためのものなんだとおもいだし、感想を打ち込んだ。
こういうのを、直に言ったら、あいつ……キクは、なんて言うんだろう。やっぱりあわあわしながら、でももしかしたら少し嬉しそうに語ってくれたりするのかもしれない。
「うふふ」
妖精さんが笑うのが目に入った。
声には出さず、口だけで言う。
「何だよ」
「落ちてきたわね」
「何が」
「運命が」
――運命?

意味が分からないまま打ったその呟きより、フランシスへのリプライの方が深刻だった。歩きながら電話をかける。
「おい、どういうことだ」
「どういうことも何も。『昨日本ぶちまけてきた間抜けがいてさー』なんて書かない方がいいんじゃね、って」
「書くわけないだろ、そんなこと」
「ないんだ? いや、お前は『そんなこと』のように俺に説明したじゃん? なーんか、自分の中では違う総括してんじゃねーのと思ったりもしてるけど」
「はあ?さっきから意味分かんねー。結局なにか、俺が『呟く』ってところに書いた言葉はあいつに見えるってことか」
「そうそう。別に、袖擦りあってもいないくらいの他人だから、見られたからってなんてこたないんだけどさ?」
「……」
むっとした。何がって、あきらかに挑発し探りを入れているフランシスの言葉に、ストレートにひっかかって言葉につまった自分が、だ。他人。そりゃ、その通りだ。おはようの挨拶を@でキクからもらう誰かよりも、遙かに、俺は他人だ。
俺はやり方を知らないが、フランシスに頼めば、フランシスやアルフレッドがそうであるように、キクの発言が俺の画面に出てくるようにできるはずだ。
けれども、こんなフランシスに言い出せる訳もない。いいのだ、例の手順で、いつだって彼のホームにはいける。
実際、翌日の電車の中で、ふと思いついて見てみたら、誰への@でもない、唐突な言葉が書いてあった。
――「メシマズ」の妹ちゃんが超絶可愛いのは12巻
10も先かよ!と突っ込みながら、どうしようもなくにやける口元を手で覆った。キクは、間違いなくこちらを見ている。だからこれは、俺へのメッセージなのだ。
俺もだから、@などつけず、唐突に、「先が長ぇよ」と書いておく。意味などキク以外の誰にも分からなくていいのだ。

 

「こーいーしちゃったんだー」
フランシスがにやけ顔で歌ってきたので、「はあ?」と返す。と、「とぼけちゃって−」などと頬を突かれたので容赦なく腹に拳を入れた。
「いやほんと、意味分かんねーんだけど」
「誤魔化さなくていいって」
いや、誤魔化すも何も。
「恋ってのは、あれだろ。お前とかロヴィーノとかがしょっちゅうやってるやつだろ。別にそんな相手いねえぞ」
「俺たちみたいなエキスパートで計ると見誤るぜ。好きだな、気になるな、もっと近づきたいなーと思ったら、それは、恋!」
びしっと指をさされる。
「分かってるけど、だから、今そんなこと誰にも思ってねえぞ」
「え。ほんと?おにいさんの勘外れた?」
「なんでそんなこと思ったんだ」
「スコーンが甘くなった」
「単に色々試行錯誤やってるからだろ。つか、食うな。お前に食わせるためにもってきてんじゃねえ」
「時々ぼーっと考え事してる」
「処理しなきゃいけない案件は山ほどあんだ」
「ああもう、うだうだはいいよ、……猫耳忍者氏にあってから、お前、しょっちゅう携帯見てんじゃん」
「それはっ……ちょっと、折角だから色々、見てみようかなって……」
「操作方法の進歩が一切無いのに何を言う。彼の画面ずっと見てんでしょ。ブロックされてないんでしょ」
「ブロックってなんだ」
「あ〜〜、それはいい忘れて。とにかく、色々見たいのは、結局彼のことなんでしょ、ほら気になってんじゃん」
言葉に詰まる。気になる、だけ抜き出すなら、そうだ。あの気づいても気づかなくてもいい手旗信号のようなもどかしい遣り取りを、だったら直接口でできたら、と思う。そしたらもっと色々話せるのに。だいたい、大抵同じ電車に乗り合わせるんだから、事前に約束していれば一緒に帰れるはずだ。だって、出会いは靴先数センチの距離だったのだから。
「でも、それは、『好き』とかじゃねーだろ」
エキスパートだかなんだか知らないが、ラテン男どもが女の子に告げているのが「好き」という言葉なら、それと同じ言葉じゃない。どう説明すればいいか分からないけど、少なくとももっときれいだ。
そう答えると、フランシスは頭を掻いた。
「……ほんっとに免疫無いまま何も知らずに育ってきやがってこいつは……」
どういう意味だ。
「お前さんが人間味ってもんをもう少し覚えてくれると副会長的に有り難いんだけどな−」
失礼すぎる。
文句をつけようとしたのを察したか、フランシスは肩をすくめてさっと立ち上がった。去り際に言葉を残して。
「違うなら違うでいいけどさ。ともかく、折角だから近づいてみれば?何せ猫だから逃げられるかもしれないけど」

背中を押されたわけではないが、少し真面目に、「携帯電話を通さない遣り取り」を画策してみることにした。フランシスは鋭い。ユーザー名に引っかけて言われた懸念は、これまでのやりとりでもなんとなく感じていた。
多分、キクは、電子の霧で覆われた状態が心地よいのだ。そして、そういう形で成立している遣り取りに満足している。だったら、このままがいいんじゃないか、そんな弱気な考えがすぐに頭をもたげる。好き、というのは違うだろうけど、嫌われたくない。避けられたくない。
スコーンの味について言われたことには心当たりがある。イジリで言っているだけとは思えないあいつらの反応が、もう少しましになったら、それをキクに渡してみるのはどうだろう、と思ったのだ。理由ならつけられないでもない。例えば、本に出会えて嬉しかったとか。次に薦められた(ようなもの)のも面白かったから、とか。それで、違うレシピを試したり、オーブンの温度を調節してみたりしている。「試行錯誤っていうけど、見事なまでに錯して誤してだね!」とアルフレッドには笑われている。フランシスも「試行」の意味に気づいたみたいで、「また渡せなかった」というツイートに「せめて、ざりざりしなくなってからにしなよ。今の段階でこれをあげるって単なる嫌がらせだからね」なんて返信してくる。
今日は、渡せるレベルのものが作れなかった(と認定された)だけじゃない。「こういう、簡単で美味しいのにしたら?」とフランシスが手作りのアイスボックスクッキーを持って来やがったのだ。マカロンを作れるやつだから、「簡単」は嫌みじゃなく、純粋な提案だと分かる。けれども、腹はたつ。むかつくというんじゃない、やるせない。袋から漂う香りは美味しそうだと脳の半分は認めているけど、残りの半分は苛々している。これを渡せば、キクでも誰でも普通に喜ぶだろう。これは、「お礼」になるだろう。でも、俺がしたいのはそういうことじゃないのだ。
「でしょ?」
「……」
返事はせず、妖精さんを睨む。
「認めたらいいじゃない。そういう風に好きなんでしょ」
「そういう風って」
「何かをしてあげたい、それを喜ばれたいってことよ。それはつまり恋よ」
「……」
「もっと、近づきたいんでしょ」
「……でもあいつは、近づきたくない。多分」
「うーん……」
妖精さんは言葉につまり、そのままふわふわと飛んでいってしまった。言いつくろいできないくらいなんだな、と苦笑がもれる。そのまま降車駅についてしまったのでちらっとそちらを見やったが、妖精さんは戻ってこなかった。まあいいか、と、携帯を取り出したところでぱたぱたと後ろから追いかけてきた。
「大丈夫よ!」
「あ?」
「キクも、アーサーのこと特別に思ってる。この恋はうまくいくわ!」
目をきらきらさせながら励ます様子に、思わず草もはえる。
忘れていた。妖精っていうのは、とりわけ恋愛が好きなのだった。
「いや、あのな……」
これ、が、恋だと誰が決めた。恋っていうのは、もっとこう、ふわふわしたもんじゃねえのか。……よく知らないけど。
考えて、しみじみと思い返した。そうだ、俺は、よく知らない。恋じゃないとして何なのか、さっぱり分からない。こんな気持ちを他人に抱いたことなどないのだ。

突然、気がついた。
相変わらずキクの言葉はネタや隠喩にあふれていて分かりにくいが、もしかして、この恋の応援めいた言葉は俺に向けられているんじゃないだろうか。
いつ何をきっかけにそう思ったのか、ここ数日の会話(らしきもの)を思い返しても全く分からないが、少なくともその気づきは、二つの情報をもたらした。
一つは、キクが、その相手を自分だと思っていないこと。もう一つは、俺が誰かを特別な人とすることに、キクの神経は全く波立たないということ。
おいこら、どこが大丈夫だ。
妖精さんに八つ当たりしたくなる。それくらい、つまり自分でも意外なほどに、傷ついた。
いや、多分、「特別に思っている」のは本当だろう。でも、それは「通常のつきあいでない」という意味で特別なのであって、虚実の間にあるような存在が向こうの現実世界でどうであろうと構わないのだろう。多分、贔屓の俳優がリアルで誰とつきあっていても気にならない、そんな気持ち。それくらい、他人事。
キクにとってそうだとしても、俺にとっては靴先が触れあうほどのリアルから話が始まっている。
いっそ、全部ぶちまけたらどうなんだろう。
敢えて距離をとっているだけだから、その気になれば腕を掴むことはできる。そのまま停まった駅で引きずり下ろして、全部言ってしまえば。お前と、こうやって話したいのだと。もっと。もっと近くで。
そしたら――多分、逃げられて、終わりだ。
恋というラベルがつくのかつかないのか分からないけれども、いずれにしてもフルネームも知らない男からそんな気持ちをぶつけられた男が、気持ち悪く思わないとは思えない。猫のように身を翻し、跡形もなく消え去っていくだろう。

――つらい

これが恋なのかどうなのかは分からないけど、今胸に刺さるのは間違いなく失恋の痛みだ。
恋が何かを知らないのに、失恋の対処法など知るわけがない。
人波に押され連結器まではみ出して、ドアに背をもたれさせる。

――苦しい

はき出せば楽になるのか、それとも目から入ったその言葉が更に自分をつきさすのか。
試すような気持ちで打ち込んでみる。
心臓を掴んで押しとどめる手も、こころとやらを撫でさする手も自分には無く、ただ妙に掌にぴったりの携帯電話を握りしめ、胸に当てた。

 

 

なぐさめの形を知らず携帯の横幅ばかり覚えていた手(円)

 


 

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