※ご注意
・歴史上の人物が登場し、その視点で話が進みます。
熱した真鍮を叩きながら巻いたゼンマイは、今年、嘉永四年の一年間は軸を回し続ける。ゼンマイと歯車は複雑に動きを伝え、天体儀、和時計、洋時計を動かし、月齢、曜日と日付、その日の干支を示し、鐘を鳴らす。完全自動で一年間動き続ける「万年自鳴鐘」は自身の集大成として作り上げたもので、一目見んと店頭に押し寄せる人はひきもきらなかった。
天体儀は太陽の軌道を完全になぞる。少しずつ高くなっていくその動きを確認するために、日をあけて、または毎日のように見に来る人も多かった。概して日本人はからくりが好きで、こうしたものを見る目は皆好奇心に輝いているし、さらにどういう機構なのかとあれこれ考えているらしい若者もいた。だからその青年が目についた理由をうまく説明できない。万年時計を展示していた一年間、確かに頻々と来ていた。何の仕事をしているのかと不思議に思うくらい、いろんな時間に表れた。時には店の中まで入ってきて、無尽灯や雲水車を上から下から眺めたりもした。しかしまあ、その辺は他の若者も大差ない。
発明家というのは大抵自分の創った物で人が驚いたり感心したりすれば嬉しくなるものなので、それを表情に認めれば誰の顔にであっても嬉しくなる、はずなのだが――その青年が目をきらきらさせて自分の作品を見つめたり、そっと施した仕掛けに気づいて小さな声を漏らすとき、自分でもどうしてだろうと思うほどの高揚感に包まれるのだった。
似ているからだろう、と、何度も思ったことをまた考える。
あれはまだ自分も若く、各地を興行してまわっている時だった。江戸のどこの神社の祭礼だったか、弓曳童子を動かしてみせた。華やかな舞台にふさわしく、金の袴に紫の着物をあわせた童子はゼンマイの動きに従って矢をとり、つがえ、引き絞って放ち、また矢をとる。ゼンマイは矢にして数本分しか持たない。そこで童子が乗り、中に歯車を仕込む台をあえて開き、ゼンマイを回している(かのように見える)縁の下の小坊主人形を見せている。小さい子ががんばりました、でも疲れた、という風情で興行を終えると客は気持ちよく喝采とおひねりをくれるものだった。
いったいどう動かしているのだろうと首を伸ばしてまたは腰をかがめて人形を見る客は多かった。興行の後押しかけてきて「どうして的に当たるのか」と尋ねる者も。だが、聞かれても「それがからくりってもんで」と返事するしかない。飯の種なのだから機巧は教えられない――言葉で教えても真似されないくらいの、モノに対する自負はあるけれども。
しかし、その青年は違った。「どうして外れるんですか」と聞いてきた。ほう、とあごをさする。
「だって弓は」、と、彼はすっと射手の動きをなぞった。また、ほう、と思う。引き分けが大きく、右手が頬に至っている。町人がやる揚弓は矢が短いから、顔の手前までしか引かないことになる。大弓はお武家さんにしか許されていないのだけど――短い総髪といい左肩の下がらない体つきといい、そうは見えない、と思いながら言葉を待った。
「射角と与えられる力が同じなら必ず矢は同じように飛ぶでしょう。人間なら、全く同じように引くことは難しいから、皆中は難しい。けれどもこれはからくり人形です。なら、一回目に当たったなら、同じ動きを繰り返している以上二回目も当たらなければおかしいじゃないですか。なぜ二度目だけ外れる、ってことが起こるんです?」
あごをもう一度さすって、聞いてみた。
「なんでと思う?」
首をかしげて、青年はおそるおそる答えた。
「まさかと思うんですが…わざと外しているのかと」
「あたり」
やっぱり、と、なんと、を一緒に顔に表して、青年は「なぜ!」とつぶやいた。
「同じ仕掛けの4回繰り返し、ではなくて、一度目、二度目…と仕掛けを変えているわけですよね? かえって大変じゃないですか」
そういう裏に隠した努力に気づかれるのは少し残念で、しかし、やっぱり嬉しい。にやりと笑いながら頷いた。
「どうしてそんな風にするんです?」
人形をしまいながらどう答えるか考える。手妻でもなんでも、種を明かすのは御法度だ。自分の飯の種を開陳してしまうからというだけではない。晒された仕掛けは、たいていの場合人を「知った気」にさせる。「なんだ、そういうことか」、そう言われていい気のする仕掛師はいない。
「どう思う」
青年は少し考えて、それから答えた。その様子から、すでに正解に至っていたのだとわかった。
「……その方が人間的だから……?」
頷くと、青年は感嘆したように「うーん」とうなった。
「本当はこがん思うたとやろ?――全部当たったら『からくりって単調でつまらん』って思うとやなかろうか……って」
おっと、と口を手で押さえた。巡業で江戸ことばも京ことばも使いこなせるようになったと思ったのに、故郷の言葉が出てしまった。
青年は困ったような顔をした。
「ええと……どじっこ萌えの神髄だ、と思っただけなんですが……」
やはり江戸語が完全ではなかったらしい、そんな言葉は知らない。少し肩をすくめて調子を取り戻す。
「機巧てえのは、同じ動きが完璧に再現できて初めて使えるんで、そうするためにゼンマイの材料だの歯車のかみ合わせだのに神経使ってるんだが、――何千回と同じ動きをできることに『すげえ』と思えるには、人間の頭ってのはちょっと複雑すぎんだな」
なるほど、と青年は頷いた。
「自分と同じ土俵にたっていると思えないと拍手はしにくいんでしょうね――失敗しない人間はいないでしょうから」
また、ほう、と思う。でしょうから、と来た。
「他人事かよ。お前さんだって、失敗はするだろ」
言うと、虚を突かれたように黙り、しばらく考えて、独り言のように言った。
「失敗、してもいいんでしょうか」
「あ?」
「選択を誤ってはいけない時、というものもあるでしょう。そして、決められたことを、きちんと、決められた通りにできなければいけない存在もあるでしょう。その人形のように」
「お前さんは人形じゃねえだろが。なら、失敗することもあるさ。むしろ、俺は、失敗こそ成功のもとだと思ってる」
こくん、こくんと小さく頷き、それから青年は深々と頭を下げて去って行った。最後に、「でもきっと、失敗しない機巧こそが賞賛される時も来ますよ」と言って。
――その青年と似てる。
彼ではあり得ない。あちらが江戸で今が京でということは、自分が実際移ってきているのだから思案の外に置くとしても、あまりにも変わっていなさすぎる。青年の子供だとすればなんとか年齢はあうが、それでもやや若い。
実のところ、さすがに三十年も前のことで、記憶もはっきりとはしていない。似ていると言い条、顔かたちを述べてみろと言われるとその特徴をこうこうこうだったと言えるわけではない。たぶん一番似ているのは、そのきらきらした目を見たときにこちら側が感じる曰く言いがたい晴れがましい気分だろう。
結局彼は、夏至に冬至、春分秋分と折に触れて万年時計を眺めに来て、毎度ぺこりと頭を下げて帰って行った。
その翌々年、また彼が来た。慌ただしく店じまいの作業をしていたところで、様子を見て帰ろうとしていたところを引き留めた。京都もあと数日でお別れだ。もうこの顔を見なくなるかと思うと、常にないことをしてみたくなった。作業を店の者にいいつけて、奥の部屋に招く。
作業部屋はもう片付けていたが、梱包するために万年時計を置いてあった。青年の目当てはやはりこれであったようで、許しを得て、顔を近づけて一つ一つ確認していった。一昨年もそうしていたように、和時計を見、首を回して洋時計を見している。やはり目をきらきらさせて。
「これ…」
振り返って、洋時計を指す。
「仕掛としては、こっちが簡単ですよね」
「そらそうや」
ゼンマイの巻き戻りに合わせて、正確に時を刻んでいけばいい。日本の時刻も悪所のように線香で数えれば同じ時間だろうが、刻は違う。日の出が朝六つ、日の入りが暮れ六つ、それが固定だから、昼の長さと夜の長さが季節によって変わる。歯車の速度を変えるわけにはいかないから、盤面の中で文字駒を動かす。一年で一往復、これを実現するためにカブトムシのような不定形の歯車を作った。片側にだけ歯がある歯車二つとかみ合うことで軸の右回り運動・左回り運動をそれぞれ実現し夏の昼時間を長くし、また、冬の夜時間を長くする。かみ合わせがずれれば時刻はずれる。一番大きな歯車では700ある歯を全部自らやすりで刻み込んだのは正確性を追求するためだ。
「実に正確でした」
思っていたことが見えたかのように青年が感嘆の声をもらした。
「これが実現するんですから、うちの時法が劣っているってことはないですよね…」
これ、とは、「自動時計」だろう。腕を組む。
夏と冬で「一刻」が違うという問題は、和時計職人の悩みの種だった。盤面を取り替えるというのが一般的な方法で、二週間に一度その作業をしなければいけないから「自動」とは言いがたい。当たり前だが、洋時計にその作業は必要ない。ゼンマイを巻かなければいけないのは同じだが、あとは放っておいても正確に時を刻む。
青年の言いぶりで逆説的に気づかされたが、異人から見れば、日本の時法は時計で計れもしない野蛮なやりかたと見えるのかもしれない。
「劣ってるの勝ってるのって話やないやろ。お日さんが出たら一日の始まり、沈んだら夜の始まり。その間を六等分、それはそれで一つの理屈や。体の感覚には合うとるから働きやすい。けど、そら自動時計は作りにくい。言うたらあれやけど、これが天下唯一やろ」
「そうですか…。やっぱり、洋時計の方が合理的なんですね」
伝わったかな、と、心配になる。
「何の理に合わせるかやろ。西洋では時計の理に人が合わせとって、この万年自鳴鐘は人の理に時計が合わせとる。合わせて見せたんや」
ええ、本当に、本当にお見事です。青年はしみじみと言った。いや、そういうことを言いたい訳ではないのだが…と薄くなってきた頭をかいた。
と、青年が畳から何かを拾い上げた。掃除したつもりが掃ききれなかったのだろう、からくりのゼンマイの端切れが落ちていたらしい。鯨の髭や、と言うと、青年は少し目を見張り、それから何か思い出したようで、憮然としたように言った。
「鯨と友達になる前に私と友達になりに来いっていう話ですよね…」
何のことだか分からないが、青年は何か弱っているらしい。考えが後ろ向きだ。
「佐賀に行かれるんですよね」
突然顔を上げてそんなことを言う。
「よう知ってんなあ」
「鍋島直正候は英邁君主の誉れ高い方、きっとご活躍の場があることでしょう。適材適所とはこのことです」
「…」
不思議な言い方だ、と思った。鳥瞰的で違和感はあったが、傲慢だとは思わなかった。なぜそう思わないのか不思議だった。
「昔は、中国さんが、時を司っていたんです」
また唐突に、そんなことを言う。
「すべての暦はあちらから押し頂くものでした。あの人が時を見定めて、私たちに知らせる。それに天体運行がすべて従っている。だから、あの人の暦がつまり、あの人の世界で、あの人の時間を使うことがあの人に従うことの象徴でした」
頒暦のことだろうが、何か語法がおかしい。あの人、というのが誰を指すのかも分からない。黙っていると、かまわず青年は言葉を続けた。
「貞享暦ができて、私は私の時を持った。幕府天文方や土御門家の思惑は知りませんが、とにかく私は日食月食がずれないものができて嬉しかったし、究理の道はおもしろくもあった。このまま、【私】で充足したまま生きていければそれでもういいのに――今度は西洋の時で動けという」
さすがに、青年が心配になってきた。狐か何かにとりつかれているのかもしれない。そのとき、家内が茶を持ってきた。入り口で盆を受け取り、思いついて茶汲み娘人形に乗せて動かしてやる。
じじじ、とゼンマイの巻き戻る音をたてつつ、娘は茶碗を青年に届けた。憑き物が落ちたような顔でその動きを見つめていた青年は、青年の膝元で止まった娘の盆から茶碗をとり、押し頂くようにそれを飲み干して、空の茶碗を盆に戻した。絡繰りをしっていたらしく、きちんと盆を押し下げる。きっかけを与えられた自動人形はくるりと向きをかえ、こちらに戻ってきて停止した。
ふ、と青年が笑みをもらした。
「……この娘さんは、こけたり、お茶をお客さんにかけたりしないのですね」
その方が可愛いのに、とでも言いたげな口調に吹き出す。
「そんなんして、どうやって客の機嫌取り戻すんや」
「そりゃあそうですね……こけたあと自分で起き上がること自体難しいですよね」
むっとした。外れているからではない、正鵠を突かれたからだ。人間なら誰でも失敗する、けれども、そこから立ち直る力を持っている――実際に立ち直るかは別として。機械は自己修復ができない。少なくとも現時点では、失敗を糧にする可能性こそが「からくり」と「人間」の差だ。
人間が使うのだから、人間が直せばいい、保守修復してやればいい。それはその通りなのだけど、それは盤面をつけかえる和時計のようなものだ。絡繰り師の負けじ魂が頭をもたげる。
「……今できてへんことを確定事項みたいに言うたらあかん。百年後には何千回と同じように動いて、自動修復の機巧を持った機械もできてるかもしれん。今は確かに西洋のあれこれがないかもしれんけど、今どんどん職人は増えとるし、やる気と資金さえあれば作れる。少なくとも十年後には日本でも蒸気船はできとるはずや」
「佐賀で、ですね」
言わずにおいた密かな自負を言い当てて、青年はにっと笑った。
「期待してます――いいえ」
自分の気持ちにあった言葉を探すかのように青年は少し黙り、それからにこりと笑った。
「楽しみです」
くるり、くるりと政局は変わり、元号も変わり、暦も変わった。
大火の後煉瓦造りの街になった銀座に製作所を構えて数年、「万般の機械考案の依頼に応ず」の看板に偽りなく、様々な機巧を作ってきた。不可能は一つずつ可能になっていく。
政府の依頼で全国に時を知らせる機器を作っていた時だった。作業の息抜きにふらりと店に出たところ、軍服の青年が立ち寄った。
また、似ていると思った。
もちろん、年が合わない。何せ青年は全くあの日のままなのだ。嘉永6年、ペルリが来て世界が変わり始めたあの年と。
いや――少し違う。
なんだろう、青年の顔を見て、その目に発明品への驚きを見て、何とも言えない晴れがましさをやはり感じはするものの――その気持ちはむしろ前より強いかもしれない――、それだけでない、何とも言えない複雑なものも感じる。
青年の若さに対する嫉妬のようなものかもしれない、と考えてみる。まだまだ作りたいものはあるのに手には老いとその先が見える。けれども積み重ねてきた工夫と技術に負う部分も大きい、やはり年齢は自分にとって負の要素ではない。ならなんだろう、この説明しにくい絡んだ感情は。考えていると、青年がそっと聞いた。
「――和時計はありませんか」
むっとした。
「今時、誰が使うって言うんでえ?」
時法は変わった。だからこそ報時器に意味がある。日本全国全て同じ時になるのだ。この時刻で生きることが日本にいる証であり、そしてグリニッジ標準時に準拠している日本を通して世界と歩調をそろえている証なのだ。
そういう風にこの国は変わった。それなのに、軍服を着た――この国の維新を象徴しているような青年は、その言葉に泣きそうな表情をよぎらせた。
「古いものは無くなるしかないのでしょうか」
「新しい人だって役に立たなければ捨てる時代じゃねえか」
江藤卿に大西郷。あれだけの先見の明を持った人を、この国は捨てた。
「――古くても、役に立たなくても、自分だけのものでも、なんでもいいから――『確かなもの』がほしいんです」
「……」
「正しさを手にしている実感がほしいんです……」
がりがりと頭を掻いた。そんな顔をさせたかったわけではない。そして、無い物ねだりを、しかもそれが無いのだと知りながらしてくる相手に、何を言えばいいかも分からない。
子供のような表情をしているからというのでもないが、子供だましに自鳴琴を渡した。青年は箱を開いて、はっと目を見開いた。
「これは…オランダさんの…」
「オランダ産かどうかは知らねえが、まあ、ざっと三十年は前のものみてえだから、長崎経由で入ってたやつだろうな。壊れて捨てられてたんで直して売ってる」
オルヘルとかいうやつだ。ぴんぴんと櫛歯が金属板を叩き、旋律を奏でていく。異国の調べだが、悪くない。なによりからくりが気に入った。
「これ…」
いくらですかと言われる前に手を振った。
「やるよ」
「いえ」
「でも、それはまた壊れる。モノだからな。モノは自分で直りはしねえ」
「……」
く、と青年は眉を寄せた。
「壊れたら、ここにもってこい。俺が生きてるなら俺が直してやる。死んでても、二代目が直す。俺はあんたに確かなモノなんて売ってやれねえが、これを直せる人間がいることだけは保証してやる。百万が一、田中家が絶えてたとしても、からくりが好きなやつぁ日本中にきっといる、ずっといる」
青年は本格的に顔をしかめた。こぼすまいと力を入れたらしい頬が当人を裏切って、小さなしずくをこぼした。しかし軍人らしく彼はそれをぬぐい、深々と礼をし、銀座の雑踏に消えていった。