I scream. |
そう汗をかく体質でもないが、それでもスカートという当て布がなくなった膝の裏辺りは数十分座っているだけでじわっとにじんでくるものがある。一般閲覧席と切り分けられた(と思うのは高校生の僻みではあるまい)学習室は、椅子の座面に布を張ってくれるでもなく、体感温度も高い。一度、目の前の幼なじみが司書に抗議に行ったが、司書はそのすぐ裏にあったコントロールパネルを見せて慣れた口調でのたまわく、設定温度は学習室の方が低いんです。皆さんの勉学への熱気が籠もっているんですね! この市立図書館には小さな食堂兼売店が併設されていて、安い(そして値段相応の)うどんだのいなり寿司だのを食べることができる。隣の市のようにおしゃれなカフェに改装すればいいのにと思うが、もしそうなったら、ギルベルトはそこに菊を誘わないかもしれない。このチープさを愛しているらしいのだ、このゲルマン人は。 「当然ガリガリ君だよなー。ラムネ味以外は認めねーぜ!」 その台詞のどこが気に入ったのだか。この三年間でもう百回は聞いた。今通っているお嬢様学校を受けると言った時、合格したとき(これはタイミングとしてやはり変だと思う)、初めて制服姿を見せたとき。修学旅行が国外だと言っては「ブルジョアめ!」、東京の大学を受験する場合に使える宿泊施設があると言っては「ブルジョアめ!」。 北東向きの外階段は日陰になっている上に風も吹き抜ける。ギルベルトは既に、踊り場の手すりにもたれて、半ば背を宙に出しながらアイスを食べ始めている。ハーゲンダッツなんて置いてある売店ではない。菊は自販機で買ってきた缶入り冷茶を額にあてて、暖ならぬ涼をとる。 多分意訳すれば「気にいらねえ」となるのだろう、「ブルジョアめ!」と言った後、ギルベルトはごねた。違う高校を受けると言った時だ。文句は言うけど言えば後腐れがない、それだけがいいところのはずの幼なじみは、「一緒に公立行こうぜ−、近いしよー」と、夏服の袖を引っ張って振り回した。そういえば今のとは桁違いに安かった中学の夏服は袖の空きが大きくて、多分それに気づいたのだろうギルベルトもすぐに手を離し、向こうを向いた。 「先輩から聞いたんですけど、うちの学校、卒業式の前に、化粧講習があるんですって」 招かれて、文化祭に行った。ドラキュラなんだか狼男なんだかよく分からない仮装でウェイターをやっていたギルベルトに「俺様かっこいいだろ?」と言われて絶句したものだ。それはともかく、出してくれたクッキーとコーヒーは美味しかった。そして、それらを作ったのだろうクラスの女子は、――小さな声で何かを囁きながら親しげにギルベルトの肩を叩いていた――ギルベルトも何か慌てた様子で顔を寄せて囁きかえして――ものすごく、かわいくて、おしゃれだった。 「知らね。学校以外じゃ会わねーし。ていうか、お前だ。なに、お前、高校出たら化粧すんの」 神様、はたいてもいいですか。 「でもよー、講習って要るか?単に塗りゃいいんだろ」
日陰とはいえ、気温が高い。唇の上に乗せられたアイスは体温で溶けて液体になる。それを、溶けない塊で伸ばすように、ギルベルトの手はゆっくり横に動いた。口角から中央へ、そしてまた口角へ。菊は小さく口をあける。上唇。人中のラインにあわせてゆっくりと上下に動いたそれは、口角に戻って、止まった。 しばらくそのまま動きも周りの空気もとめていたギルベルトだったが、やがて、「ほーら、俺様にできないことなんてないんだぜー!!」と言ってくるりと向きを変え、そのアイスを勢いよく囓った。
|