※ご注意
・SSSsongs13(パラレル、サラリーマン@NY)の続き。先にこちら←をお読みください。仲良し指数70くらいから。
苦手な方はお戻り下さい。
「つまり、あれよね」
隣の席のエリザベータは手に持ったペンを空中に遊ばせながら言った。
「究極のシャイボーイだったってことでしょ」
ボーイ、と言われたらまた顔を強ばらせるだろうと思うから、縦でも横でもない角度に首を振って相づちを返した。
「あと、度外れの記録主義、だね」
「まあ、それは、彼が一人でメモしてくれる分には困らないから、問題なし、かな」
赴任から3ヶ月、キクは、会議などは段階的に音声での遣り取りに移行すると伝えた。今までご迷惑おかけしました、と深々と腰を折って。ただ、ヒアリングはともかくスピーキングはまだおぼつかないので、会議の取り仕切りは主任にお願いすることにします。そう言って、キクは会議中黙々と、しかしマシンガンのようなスピードでメモを打ち込み、最後に本人の考察を書き足して、会議が終わるとほぼ同時に一斉送信するようになった。
会話と同時に記録しているのに要点がすっきりとまとめられ、場合によっては図示されてもいるそのペーパーは事後のブラッシュアップに有効で、キクは本当に優秀な人なのだと誰もが納得した。
実際、言い放題の気があった以前の開発部では、言った言わないの小さなもめ事が時々あった。その点、発言者が明確にされ、しかも直後に参加者の目が通される議事録はただの記録というより証拠で、特に責任関係が生じるではないものの参加者達の気持ちを改めさせた。
就業開始五分前を指す時計をちらりと見て、それまでは俺にしか聞こえないよう声を潜めていたエリザベータが、「キク」と呼びかけた。
「はい、なんでしょう」
「このペーパー、日本でもやってたの?」
「あー…、はい。場合によっては、ですが。稟議書を書かせた方がスムーズに事が運ぶ現場も、トップダウンで指示した方がうまくいく現場もありますので」
「ふうん」
エリザベータは頬を手に預けた。現場の雰囲気やメンバーの資質まで考えてやりようを考えるとはなかなかのマネージメント能力だ。
「あ、もちろん、今回ばかりは皆さんがどうこうではなく、私のせいでやり方が限定されてしまったんですが…」
ごにょごにょ、と続く言い訳は受け流してエリザベータは微笑んだ。
「ともかく、これ、助かります。アリガト」
片言の日本語でそう言って、ウィンクしつつ、投げキス。ふざけ混じりのその仕草に、30過ぎの「シャイボーイ」は真っ赤になった。
キクの無表情とテンションの低さは赴任直後「何を考えてるか分からない」と実に不評だったけど、そんな顔を作っていないと幼稚園児のようなアガリっぷりをするのだと気づかれて以来、キクはうちの課の愛玩動物と化している(就業時間外限定)。キクも軽いおしゃべりには応じるようになってきた。最初の頃はジョークをかますと「………はは」と乾いた笑い声しか返らなかったものだが、最近はそのジョークを捻ってバージョンアップしたものをにやりと笑いながら言ってくる。当意即妙なその返しは、キクの回転の速さをうかがわせる。
そんなこんなで、課の雰囲気と業績は右肩上がりに良くなった。一年という期限付きで来ていた筈のキクから異動や引き継ぎの話は出ず、誰もがなんとなくこのままの課が続くものと思っていた。
そんな周囲と裏腹に、キクは奥の虫歯が痛むような顔をするようになっていた。
キクは日本支社での会議だといって、半月の出張に出かけていった。
三人のランチが二人になって、俺は常にない味気なさを覚えながらハンバーガーを頬張っていた。
隣でマシューがサンドイッチをゆらゆらさせている。
「キクさん、このまま日本に戻っちゃうってことないよね…」
「ないさ」
あるわけない。いや、あっちゃいけない。
「キクはここのこと好きだって言ってたじゃないか」
「でも、日本にもしょっちゅう帰ってるだろ」
「…出張だろ」
二ヶ月に一回は日本支社との会議が入る。それに加えてクリスマス休暇や夏のバカンス。長期休暇前には勝手に旅行の案を考えていたのに、キクは晴れやかな顔で手を振ってさっさと帰って行った。
「でもさあ、キクさんって、日本に奥さんいるんだろ?」
「はあ!?」
なんだって?勢いよく振り返る。その勢いに圧されて、マシューはコーヒーを多めに飲み込んでしまったらしい。あつ、などと顔をしかめている。
「何の冗談だい。キクは指輪だってしてないし、写真立てだって置いてないだろ」
「30代なんだから結婚してたって不思議はないだろ。指輪は、日本ではしない男性もいるらしいよ。写真は、もっとしないんだって」
「だって、あのキクだよ?女性に声を掛けるなんてもってのほか、エリザがちょっと胸のあいた服着てただけで目そらしぃの声ふるえぇのになるキクが、さあ!」
まあ、キクさんはアメリカ人女性に対してはものすごく及び腰だよね、と受けた後で、マシューは片肘をついた。
「でもキクさんの好みは『ヤマトナデシコ』なんだろ?それに、最近の日本ではキクさんみたいな雰囲気は草食系とか言ってうけがいいらしいよ」
キクがキュートなことくらい知ってる。憮然とする俺に、マシューはしばらく手の中のコーヒーを回したあと、言った。
「…実はね、結構前なんだけど、『このままアメリカにいたらいいじゃないですか』って冗談めかして言った時に、キクさんが、『待ってる人がいるから』みたいなことを言ったんだよ。妻って言ったか恋人って言ったか忘れたけど。言った後で、『あ、今のナシ!』とか言ったんで、秘密なんだなと思ってたけど」
「……っ!!」
なんでそんな大事なことを隠していたんだと言おうとする、その言葉を挟む暇もないままにとろとろと続けられ、結局言わなかった理由まで説明されてしまったから黙るしかない。でも、え、ちょっと待ってよ。何それ。
キクとはランチを一緒にするだけじゃなくて、休日に映画に誘ったり、そのまま軽く飲んだりもする。ただの上司と部下じゃなくて、親友くらいのつもりでいた。もっとも、誘うのがアルフレッドばっかりだとか、「もう一軒」と強請るアルフレッドにはいつも「仕方ないですねえ」と苦笑されるとか、その辺の積極性の差は、単なる民族性では説明できないと、薄々気づいてはいる。構って欲しがってるのはアルフレッドばっかりで、キクは大人だからそれを許している。分かってはいるけど、それでも「俺たち親友だよね?」と目をのぞき込むと微苦笑して「ええ」と返してくれる、それなのに、そんな根本的なことも教えて貰えないなんて、どういうことだ。
手に持っていたペットボトルが「めこ」と言って、初めて力が入っていたことに気づく。あわててテーブルにペットボトルを戻すと、こちらを見つめていたマシューと眼が合った。
「僕は観察眼がある方だと思っていたから、それもあってちょっとびっくりでねー」
「どうせ俺は観察眼ないよ」
「うん、ないよね。あってそれなら、今度は行動力がないよね」
なんのことだ。未だかつて言われたことのない評言にむかっとする。それもどこ吹く風と、マシューは続けた。
「聞き違いなのかなあ、でも、実際、上の方で配置転換の話もあるみたいだしね」
「え!」
マシューはこのとろんとした顔でいろんなところに出没しては空気のように馴染んでいるから、意外な機密を知っていたりする。他の誰も知らない話でも、マシューが言うのならそうなのかもしれない。
「まあ……帰るところがある人が帰っていくなら、喜んで見送ってあげなきゃねえ」
「Damn it!」
やってられるか。ハンバーガーの包み紙をがさっと拾って、立ち上がる。ペットボトルと一緒にくずかごに叩き入れたけど、そんなことで気が収まりはしない。
キクにパートナーがいる。
そんなこと、想像もしなかった。アメリカで一番距離が近いのは自分、多分それは客観的事実だけど、だから、「アメリカで」なんて修飾語忘れてしまっていた。キクは日本の話をほとんどしない(というより俺の方ばっかりがしゃべっていて、キクはにこにこしながら聞いているだけという日が多い。キクの話を聞きたい気持ちは勿論あるけど、しつこく聞き出すとまた子ども扱いされる気がする)。課のみんなにもお披露目されてしまったキクの笑顔だけど、俺しかみたことがない表情がたくさんある、どうだ、そんな風に思っていた。それなのに、キクの感情のもっと深いところに触れた人が他にいる。キクの熱さに包まれた人がいる。
それはなんだか、胸をかきむしりたくなる想像だった。
友情と恋というのは映画でも小説でもよくあるテーマで、そんなの別のカテゴリだよと割り切ってみても、やっぱりどこかすっきりしない。
昔ガールフレンドだった子がはまっていた日本のマンガで、”友人と恋人とが崖から落ちそうになっていたらどちらを助けるか”という話があった。テンプレートとして出されていたその喩えは、「ほら、やっぱり」というあきらめをもって提示されていた。
―――やっぱり、誰だって、パートナーは別格でしょう?
例えば、俺とパートナーが同時に崖から落ちそうになっていたら。キクは迷わずパートナーを助けるだろう。それで構わない、だって俺はヒーローだから、自分くらい自分で助ける。キクはそれを信用してくれていいんだ。でも、自分が助かったあと、俺はまだ落ちそうになっているその子を……キクが助けようと手を伸ばす子を、助けるだろうか――?ヒーローらしからぬ答えが出そうで、俺はその想像をシャットアウトした。
翌日、出勤すると、課はざわついていた。
「どうしたんだい」
「んー…」
エリザに聞くと、しばし躊躇って、彼女は口を開いた。
「なんだか…人員整理の予定があるって話が流れてきてね」
「え」
この会社でも、首切りは常時行われている。その分採用も随時あるから人数が保たれてはいるけれども、『予定』というからには、誰かがヘマをしてやめさせられるという話ではないらしい。
「でも今特に、『ああ、彼か』という人もいないでしょう。そう考えると、もしかしてキクなのかなあって」
「なんだって」
「ほら、私達、半年前くらいまでキクのこと、敬遠していたじゃない?聞かれたら文句も言っていたし。それが今になって上に届いちゃったのかな、って」
「冗談じゃない」
「そうなのよね…」
くるくるとペンを回して、エリザベータは口をへの字にまげた。
キクが戻ってくる筈の日、会社は休みだった。休日出勤は無能の証と見なされるからしたことがなかったけど、仕事が終わってないということにして会社につめた。別に今日戻るからって、今日会社に来るとは限らない。今日はこのままゆっくり休んで明日から働きに来ればいいはずだったが、几帳面なキクはボードに「帰社予定時刻」を書き込んでいた。だったら、来るかもしれない。同じように思ったのか、エリザベータ始め数人が出社して不急の文書を片付けていた。それでも予定時刻を大幅に過ぎ、窓の外が暗くなっていった頃、みんな肩をすくめて帰って行った。
「明日になれば逢えるものね」
「うん…」
「でも、残るのね?」
「いや、…うん」
くすりと笑い、手を軽く振る。
「Good Luck」
いや、意味分かんないし。幸運とかそういう話じゃないし。そう思いつつみんなを見送って、そのまま、お腹がなるのを叩いてごまかして、デスクワークを続けた。溜めていたつもりもなかったけど雑文書がすっかり終わって、それでも時間が余り、キクが来て以来デジタルで積もり積もったペーパーを最初から見始めた。
チャットの雰囲気も荒かった最初の頃。揶揄まじり、俗語まじり。辞書に載っていないようなスラングにキクが戸惑っている様が分かる。スペルミスも多い。そして、自分では斬新なアイディアを連発していたつもりだった俺の発言にも、今となっては非実現性に目を覆いたくなる。
そうした雰囲気が、ペーパーのナンバーが増えるごとに変わっていくのが見て取れる。
流れず画面に留まり続ける悪態は発言者の品の無さを発言者本人に見せつける。自然、そうした言葉は少なくなっていく。周囲の理解力の無さを嘆いていたやつは、自分の表現力を見直し、言葉の使い方を改め始めた。俺たちの課は、自分たちの言葉を見直す目を持ち始めたのだ。
いつでも誰にでも意味を持つやり方ではないだろう。だけど、少なくとも俺たちの課にとってはプラスだった。
「…やっぱり君はすごいね」
いつだって、俺は、君を、追いかけて、追いかけて。
そして、こまかなマーカーラインや書き込みにより発言の寄与率も分かるようになっていた。発言が多くないメンバーも企画の方向付けには随分寄与していたりもした。そして、仕事の割り振りが自然、得意分野に特化するようになっていったのも読み取れた。適材適所という言葉を言っていたけれども、そのリソースの見極めはこういう細かな分析の上にあったのだと分かる。
こういう、ビジネスマンとしてのすごさを、もっと間近で見ていたい。一方、何もない廊下で躓くような、そして赤い顔で周りを見渡すようなあどけないところも。好きな映画を眺めるきらきらした目も、酒に緩んで少し潤んだような瞳も。
アルフレッドさんっ。
待ち合わせて出かけるときに、俺の顔を見つけて大きく手を振りながら、そんな風に俺を呼ぶ。少し上ずったように、弾んだように。
あの声で他の人を呼ぶなんて―――嫌だ。
「キク…」
俺は、君の、一番でいたいよ。
なんだか女の子への口説き文句みたいで、苦笑がもれる。
でも、多分、そうなんだ。だって、あのヒーローらしからぬ嫉妬心が胸から去らない。
友達にはしないことでしょう、なんて言って、キクが俺以外の女の子に「もっと近く」を――「密着」を許すなんて、考えたら叫びだしそうになる。
「キク…」
頭を机につけて呟いたら、思いがけず返事があった。
「はい」
「!」
飛び起きると、スーツ姿のキクがたっていた。
「珍しいですね、アルフレッドさん」
「キク…」
「何か居残り仕事ですか?」
そう言って俺のモニタをのぞき込んだキクは、ちょっと顔を強ばらせた。
「…」
キクはそのまま自分の席まで歩き、椅子にかけた。
「ねえ、キク」
「なんですか」
「…人員整理の話があるんだってね…?」
「……」
キクは俯いて胸ポケットを探るような指さばきをして、思い出したように引き出しをあけ、ガムを口に投げ込んだ。
「ええ」
「必要ないように思うんだけど。今、この状態で、すごく上手く行ってるだろ」
「……と、私は思うんですけどね……」
はー、と、キクは大きく息を吐いた。
「荷も重い気も重い仕事と思いながら渡米して、やっぱり試行錯誤して、結局私には無理なんだなと…」
「そんなことない!」
「…」
「君は、いい上司だよ」
「…」
俯いていたキクは、やおら手を伸ばし、机の上のメモパッドに何やらさらさらと書いた。
「アルフレッドさん……甘えてもいいですか」
「何?」
キクはぴっと切り取ったメモ用紙を胸の前にかざした。「Free Hugs」。
そう書いたカードを下げて、迷子の子犬のような顔をしていたキクと会ったのはちょうど一年くらい前。とっつきにくい上司と思っていたら、次々と色んな側面が見えてきて、急速に心が引き寄せられていた頃だ。
恋人なら抱き合えば伝えられるものもある。けれども上司だから部下だから、言葉が通じないから外国人だからと、お互い気持ちにカバーがかかっていた。タイムズスクウェアの雑踏の中でキクを抱きしめて、俺は君への好意を伝えた。
あのときよりももっと、ずっと。
俺は大きく手を広げて、キクを抱きしめた。
もっと、ずっと、ずっと、好きだよ。
しがみつくようなハグに更に煽られて、俺は背中を丸めてキクの頬に頬をあてた。
その時、腹がぐうと鳴り、一瞬驚いた二人の間に空間があいた。手は背中から離さないまま、俺は苦笑して言った。
「あのおむすび、また食べたいよ」
キクは目を見張り、頬をかっと照らした。
「!……アルフレッドさんも、覚えてらっしゃったのですか」
「え?」
「『え?』?」
しばらく目を見合わせて、「あ…」とキクは恥ずかしそうに俯いた。
「いえ、ごめんなさい、なんでもないです」
「ちょっと待ってよ。何?」
「いえ、ほんとに。…あの、ちょっとフリーハグの精神からずれてるので、離してください」
「いやだよ、知ったこっちゃないよ。ねえ、『覚えてる』ってどういうこと?何か俺は忘れちゃってるのかい?」
「いえ……」
本当に恥ずかしそうに手を振るものだから、ここは絶対逃がせないと力を込める。伝えたい気持ちがあるなら伝えてってば!
顔を両手で挟んで目を近づけると、真っ赤になったキクは「言います!言いますから!」と手を無茶苦茶にふった。
「………日本には人口に膾炙した詩句がありましてね、それのせいで、ちょっと、記念日扱いしていたんです」
「アニバーサリー?なんの」
「……………ゆかり、の、おむすびの」
「………」
その出来事なら勿論、勿論!覚えている。シソの甘酸っぱい爽やかな味も、美味しいと言った時キクの顔を一瞬よぎった喜色も。でも、日付までは覚えていなかった。
「…一年前の、今日、だったっけ」
シソや紫を表す言葉が、縁をも表す。それをきっかけに話すようになったから、語義を教えて貰った時の感動は格別だった。その、ゆかり――の、「記念日」。
「いえ、あの…………ええ、そうなんですよ実は!気持ち悪くてごめんなさい…!」
「何がさ」
「いやオトメ過ぎるでしょう、記念日とか…」
ミソジのオヤジが…!わー!と、キクは髪をかきむしった。その照れた様子は、つまり。
ええと。ええと!
「あの、さ。それは……キクの方も、すごく嬉しかったんだってことで、合ってる?」
キクは返事の代わりに頬を更に赤くした。
たまらず、もう一度抱きしめる。
「ねえ、キク。今日はやっぱり記念日だよ。俺ばっかりが君を好きなんだと思ってた」
「え」
「どうしよう、君のことがすごく好きだ」
「……!」
今度の返事の代わりは、おずおずと背中に回された手だった。
一ヶ月後、キクはまた出張で日本へ行った。
そういえば「嫁に会いに」、とマシューに言ったことがある、と彼は告白した。なんでもオタクの気があるキクは(これを告白するのも大汗かいてのことだった)、その世界でよく使われる俗語をそのまま訳して使ったのだという。ぎょっとした顔をされたので取り消したつもりだったんですが、と、「嫁」が写っているDVDのパッケージを前に置いて正座でキクは語った。正直、俺にはさっぱり分からない趣味ではあるけど、別にそんな風に恥ずかしがることもないんじゃないかと思うよ。そう答えたら安堵で顔をゆるめたキクは、今回は堂々と「嫁に会いに」=大量のDVDと漫画を調達しに行ってくる、と、晴れやかな笑顔で帰っていった。
「節穴だよねえ」
「節穴だわ」
キクのいない今日のランチは、珍しくエリザベータも混じって三人だ。
そして俺は二人に観察眼の無さを責められている。
「キクさん、最初から結構分かりやすかったですよねえ」
「箱入り娘が初めて男性を見初めたみたいな風情だったわよねえ」
あの無表情からそんなことを読み取っていたなんて、むしろその観察眼が鋭すぎると思うんだけど。そう恨めしげに呟いたら、「この手のことには敏感でね!」とエリザベータは胸を張った。威張ることじゃない。
「いい加減けしかけないといけないかなあと思ってたんだけど」
「そうそう、いなくなるかもと思ったら行動に出るかと考えたりね」
だって、「そういう」好きだったなんてずっと気づいてなかったんだから仕方ないじゃないか。憮然としてシェイクをすする。
「……君たち、キクが辞めさせられるわけじゃないって最初から知ってたんだろ?」
「「当たり前」だろ」でしょ」
ユニゾンにさらにむくれる。
「業務改善役として来てるんだから、首なら切る側だって、考えたら分かるだろ」
「悪かったね、分かんなくて」
最初からキクの仕事は首切りだったのだ。課の仕事の内実から必要人員を把握し、不要なのは誰か見定める。日本での彼の業務改善の実績は雇用カットではなかったらしいのだが、本社に呼ばれるにあたり、小手先の業績改善では成果と認めないと脅されていたらしい。
とはいえ、端からは役に立たないように見える人材でも、場所を得ればうまくその能力を発揮できる。キクの、上司から言わせれば「小手先の」業務改善はうまくいきすぎて、首の切りようがなくなっていた。
そこで、キクは起死回生の策に出た。最初からキクのポストは臨時のもので、だから「整理」の対象ではない。もといるメンバーから削らなければ意味がないから、能力が重なる数人を選び出し、それに自分を足して、新規事業部の立ち上げを提案した。
いつの間に用意したのだか、細かな分析のついたそのレポートは、「却下されるなら、この会社を辞めて他社に持っていきます」という脅しが付けられていたこともあって、現実可能性の高いものとして現在検討中だ。
「煙草をやめたの結構前だから、その頃からアメリカ残留を考えてたんでしょうね」
そういえば、吸わなくなったな、と思っていた。健康に気を使い始めたのかな、なんて思っていたけど。
そんなことを思って「ああ…」と呟けば、二人がまたユニゾンで「鈍感!」と呆れた。