SSSsongs19(アル+菊)

 

※ご注意
・兄弟パラレル、SSSongs18の続きです。←こちらを先にお読み下さい。
・黒いです。さいてーです。
苦手な方はお戻り下さい。


 

 

 

 

賛美歌が好きだった。日曜が来る度に連れて行かれた教会には年代物のパイプオルガンがあり、その和音の響きに魅了された。礼拝後のサンデーだけを目当てについてくるアルフレッドとは違い、むしろそわそわと母達の用意を待つほどだった菊は、おそらくそれが理由で日曜日の母には優しいまなざしを貰った。

―――神様が見てるわよ。

しばしば母はそう言った。それはどちらかというと大人しく敬虔(に見える)菊を肯定する言葉だったのだが、菊はそれを言われるたびにひやりとした。

音楽として賛美歌が好きなだけで、神を称える気持ちは薄いこと。聖書の言葉は比喩でしかないと割り切っていること。
よりよく生きるために「西洋の人たち」が生み出したのがこのやり方なのだろう、菊はそう思ってしまう。
彼らの「愛すべき隣人」の範囲は狭い。菊はその周縁に位置する。旗幟を鮮明にせよ。お前は正しくアメリカ人であるか。不義はその心にないか。―――そうであって初めて、お前を同胞と認めよう。

アメリカの少年は、「義」を叩き込まれて育つ。不正は憎むべきもの。正直こそ最良の性質。多忙に過ぎた父に代わってそれを懇々と説いたのは近くに住んでいた叔父だった。母には義理の兄に当たる彼はベースボールも得意、キャンプでも頼れる好ましい人物で、アルフレッドは父よりも懐いていたくらいだった。子どもの生まれなかった叔母も、菊たちをかわいがった。こんな風に「正義」と「公正」という言葉を使いながら「アメリカ人」は社会を作ってきたのかと、輪から少し離れたところで本越しにその団欒を見ながら、菊はぼんやり思っていた。そんな風に「分析」をしてしまい、神も価値も頭から信じることのできない自分は、きっとこの人たちと「義」の感覚を分かち合えない。

アルフレッドの体温に平静でいられなくなったのはいつだったか。風呂場での自己処理にその顔を浮かべてしまうようになったのは。
多分そんな菊のことを、アルフレッドも母も汚いと言うだろう。それはどんな意味でも神が指し示す道から遠く、正しいアメリカ人の姿から遠い。

檻のようだ、菊は自分を包む腕にため息をつく。

「なに?」
ため息を聞きとがめたアルフレッドが顔を寄せて囁いてくる。
「いえ。なんでも」
顔を背けた菊に、アルフレッドはくすりと笑った。
常にはない反応に、菊はもう一度顔を振り向けた。
「…なんですか」
「あのね、菊」
楽しそうにアルフレッドは囁いた。
「はい」
「君は、世界で自分だけが分かってる、みたいな顔をしてるけど」
「してません」
「してるよ」

ふっ……と視界が傾いだ。
あれ、と思う間もなく、菊の背はベッドに触れる。天井に顔を向ける形になったのに眩しくない。菊を見下ろすアルフレッドの顔が明かりと菊の間に挟まっている。


「菊はさ、自分の匂いにも気づいてないだろ」
「……くさいですか」
汗なら流してきたはずだがと眉をしかめる。
「ううん。花のような匂い。身体をくっつけてしばらくしていると、ふうっとそれがわいてくる」
「―――え」
「ねえ」
蛇に睨まれた蛙。アルフレッドの顔は逆光で見えないのに、使い古された比喩が頭をよぎる。みじろぎもできない。

「感じてる?」
「―――」
すっと血の気が引いた。
「言い換えようか。勃ってる?」
「―――」

まさか、気づかれていたのか。こくり、と菊の喉がなる。信じているわけでもない神の名を心の中で唱える。


墓場まで持って行く秘密だと思っていた。
無表情を更に隠せば気づかれることもあるまいと漫画を顔の前に置き続け、疼く下半身も隠した。

一人身を焦がし続ける辛さに、この日々が終わることを祈りさえした。
自分の中で、とうにアルフレッドは「弟」ではない。鑑定でそれがはっきりすれば、むしろ菊の罪悪感は減る。
同性愛者が教会で式を挙げられる西海岸とは違い、南部の神は同性愛を嫌悪する。
アルフレッドに疎まれ、軽蔑されるくらいなら、いっそ離れてしまいたい。離婚に帰国。半ば決まった未来ならなぶり殺しのような今日と引き替えにすぐにでも来て欲しい。

「ねえ、菊は俺のこと好きだろ」
「―――」
アルフレッドは天国的な笑みを浮かべた。
「俺も菊のこと好きだよ」
「―――っ」
乾いた口を開こうとして、しかし菊は何の言葉も選べず黙った。


「知ってるんだぞ、『違う』とか思ってるんだろ。あのね、前にも言っただろ。―――どこで区切るか、だよ。線をそこに引かなきゃいいんだ」
何を言おうとしているんだろう、彼は。明確に違うその二者を一緒にして、誰が納得するのか。……誰が幸せになるのか。


「菊」
アルフレッドの手が菊の頬を包む。
頭の中でパイプオルガンの和音が響く。それは決して敬虔な響きではなく、喜びの音楽でもなく、ただ頭の中から分析を追い出すための「音」だった。和音は調を変えながら何重にも菊を包む。
何も、考えられない。
「ねえ、菊」
アルフレッドの手は頬を滑り落ち、首をなぞって肩に降りた。
こく、と唾を飲んだ音が響き、菊は今更ながら状況に思い至った。止めなければ。なんとか、この状況から抜け出さなければ。そう思うのに、浅ましい期待が菊の思考を攪乱する。もしかして、……もしかして、アルフレッドは、ただ隠していただけで、菊の思いを受け止めて、……菊と欲望を共有して、いたのでは。
アルフレッドの指はさらにさがり、パジャマ代わりのTシャツの裾を持ち上げた。
「あ、ほら、今」
花の匂い。
アルフレッドは笑った。
表情にも何にも出したことの無かった筈の肉欲は、そんな形で筒抜けだったのか。絶望にうちひしがれ、それでも。それでも菊は、嫌悪を見せないアルフレッドの指の動きにあり得ないと思っていた熱を期待してしまう。

「ほら、菊は俺のことが好きなんだよ。俺もだよ」
「…あ、る……」
乾いた唇をようやくひらいて呟けば、そこに小さなキスを落とされる。
最大音量で賛美歌は鳴り続ける。それはもはや騒音に近い。わんわんと。わんわんと、賛美歌は鳴る。もう、アルフレッドの声以外何も聞こえない。

手はTシャツをたくし上げ、菊の胸を外気に晒した。はしたなくも既に尖りを見せている胸をなぞり、アルフレッドは笑って囁いた。

 

「だからね、抱いて欲しいっていうなら、抱いてあげる」

 

賛美歌がとまった。

音の消えた空間に、突然悲鳴が割り込んだ。母の声だ。気づきはしたが、顔を向けることもできなかった。今、私は、何を言われた?

「何してるの?!」
答えられない菊のTシャツを戻し、アルフレッドは起き上がった。
「………ごめんねママ、俺たちは、愛し合ってるんだ」
告解のようなアルフレッドの言葉に、母は恐慌を来したようで意味のつながらない言葉を散弾銃のように放った。
うん、うんごめんママ。菊をかばうようにアルフレッドはその前に立ち、しおらしく答えを返しながら、だけど断固として言った。ごめんね。

「ごめんね、ママ。俺は、ママの望むようにはなれなかった」

―――だから。

菊には、アルフレッドの次の台詞が正確に分かった。

―――俺を捨てて、一人で帰って。

今晩、父は出張で帰ってこない。部屋に駆け戻った母には泣く以外何もできない。

 

ドアをしばらく見ていたアルフレッドはやがて振り返った。達成感に満ちていた眼が意外そうにしばたいた。

「どうしたの、菊。なんで泣くの」
「―――」
声のないまま頬をつたった涙を、アルフレッドはぬぐい取る。

「本当だよ、嘘じゃない。君を気持ち悪いなんて思わない。君を抱くくらい、なんでもないさ」
「―――」

ちゅ、と唇に口づけを落とす。

多分、本当なのだろう。彼の中ではそこに線はないのだろう。菊をつなぎとめる最良の方法がそれだというなら、無理に勃たせてでも抱くつもりなのだろう。

母に対しても嘘をついてはいない。

アメリカの少年は「義」を叩き込まれて育つ。同時に「合理的思考」を高く価値づけられる。
それは正義なのかと問い詰めても、アルフレッドは平然としたままだろう。最大多数の最大幸福。そうだろ?

「ねえ菊。あの匂いをかがせて。……俺を全身で欲しがって」

その微笑みに塗りつぶされて、賛美歌はもう、聞こえない。


疾風は歌声を攫ふきれぎれに さんた、ま、りぁ、りぁ、りぁ(葛原妙子)

 

 


 

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