わたしのうたをいつかのあなたに

 

※ご注意
少し、軽く」の続き。そちらを先にお読み下さい。こちらは3月下旬のお話。
うすーく「アントーニョ→菊」っぽい記述があります。現実の固有名詞が出てきますがスルーのお約束で。


 

日本の春もまた素敵でしょう、と国際会議場から外を見るアントーニョに話しかけ、菊ははたと思いついた。
「…この後、お暇ですか?」
「うん、何かあんの?」
「ファッションショーがあるんですが…」
ですが、と言いつつ、にや、と笑ってしまう。アントーニョは「何かある」と読み取ったらしい。興味を眼に宿して「…ふうん?」と言った。

「東京発 日本ファッション・ウィーク」。東京コレクションを中心としたファッション関連のイベントが凝縮された一週間だ。今年のそれは東京ミッドタウンをメイン会場としていたのだが、菊がアントーニョを連れて行ったのはリッツカールトン東京だった。会議の後で、そこそこフォーマルな格好をしていた二人は、オープニングセレモニーの人並みにうまく紛れ込んだ。さて、と菊は会場を見渡す。パンフレットその他にそれは予告してあるのだが、日本語の読めないアントーニョは「何があるんー?」とにこにこ笑っている。

と、照明が落ち、ぱっと壁にスポットライトがあてられた。白い壁は左右に分かれ、中から銀色の影が姿を現す。どよめきの中、「それ」はゆっくりと――とはいえ、これまでの技術水準から言えば遙かに滑らかに、二足歩行を始めた。
「おおっ!!」
リップサービスではないらしい”くいつき”に菊は気をよくする。
「HRP-4C。産業技術総合研究所知能システム研究部門ヒューマノイド研究グループがこのほど開発したヒューマノイドロボットです」
「顔があるー!まばたきしてるー!」
「ええ、青年女性に近いリアルな外観が特徴なんです」
「よう転ばんなあ…」

二足歩行ロボットは日本のロボット研究における”遙かな夢”だった。アニメによってロボット=ヒューマノイド型という刷り込みを受けた日本人にとって、人のように歩ける・話せる機能が他国とは比べものにならないほど強く希求されたという意味で。そして、技術的に難しいだけでなく産業転用が難しくペイしないという意味でも、それは「現実的」ではなかった。

人は無意識に複雑な筋肉制御をやってのける。滑らかな動きができない二足歩行ロボットは、幼児のように簡単に転ぶ。そして精密機械であるロボットは、幼児と比べてさえ、損傷のダメージが大きい。
HRP-4Cは歩行その他のわずかな動作に限定して、膨大なモーションキャプチャーをもとにひたすら「自然な動き」を追求したのだ。

HRP-4Cは舞台中央にすすむと、手を腹の上で重ね、深々とお辞儀をした。肩上で切りそろえた髪がさらりと揺れる。
彼女は挨拶を述べ始めた。口も動けば瞬きもする。今回はお披露目しないが、インタラクティブなヒューマノイドロボットというコンセプトを持つ彼女は、ある程度の音声認識・応答を含む言語コミュニケーションも可能である。

「かわいーなー」
あきらかに子どもを見る目つきのアントーニョに、んん?と菊は注釈を入れる。
「日本人人体寸法データベースを基に、関節位置なども青年女性の平均値をとって各寸法を決めたんですが」
「え、あれが『青年女性の』平均値なん?」
「………………………………なにか?」
あきらかに胸の辺りを指さしたアントーニョに、菊は低めの声で答えた。
なくは、ない。確かに、欧米の女性とも、菊の愛する嫁たちとも比較にはならないほど慎ましやかだが。

「………大変なんやなあ」
シンクロとかシンクロとかですか。大変なんですとも、手足の長さも全体のメリハリも、体そのもので勝負されると辛いんです、だからそういうのを超越するスポーツシンクロを編み出したんです、言うなれば水上の回転レシーブなんです。憮然とした菊の頭をアントーニョは撫でた。いいこ、いいこ。菊は更に憮然として手に持ったカクテルグラスを干した。

口上を終えたHRP-4Cは、再度のお辞儀のあと後ろ向きになり(方向転換はやはり人間のようにワンステップとはいかない。人間の関節ってすごいと、こういう動きを見るたび菊はしみじみ思う)、するすると壁の向こうへ消えた。

壁に向かって拍手を送る群衆の中で、アントーニョは菊に向かって拍手した。
「これは、『菊の』研究なん?」
「んー…?どうでしょう…やはり研究業績というのは何をおいても研究者のものであろうと思うのですが、HRP開発はずっと国の研究所で行ってきたものなので、口出しの余地は多少あります」
「あ−。顔とか、あきらかに菊の好みやもんなあ」
「そうですか?」
ちょっと正面から見たときの顔がきつめだと思うのですけど。もっとこう、ボーメさんが作るフィギュアみたいな、とディープな思考に入り始めたところで、アントーニョの声に引き戻された。

「それで、あの子に何をさせるん?」

国の研究所とはいえ「独立行政法人」。平成16年前後の組織変更にともない、国立の大学・研究機関も企業会計の原則による決算開示が求められるようになった。国民の税金を使った以上、それに見合う成果を出さなければならない。欲を言えば、国庫は厳しい状態なのだから、自立採算――公開講座などでお金を集めてほしい……
本来学問とは経済性とは物差しの違う世界なのだが、不況の大波は先進国の中でも格段に低い文教予算にさらに覆い被さった。金にならない研究に金など出せない。
産業配置の難しい二足歩行ロボットを開発するために研究者たちが計画書に記した目標によれば、

「エンターテイメントですね。『人間に近い動き』を至上命題にして開発されていますから、まずはこうした形で話題を集めてもらって。それから、シミュレータとして機器評価にも使えるでしょう。あとは、接客や介護などの対人労働。HALは人間が装着するわけですから結局人件費がかかります。しかし『機械』に補助されることを嫌がるかたは多い。その辺りにいかせないかということらしいです」
「うーん、この子に介助してもらう、か…。俺んとこは、日本の猫型ロボットアニメ週二回放映してるし、割とこういうのもおもろいなーと思うけど…」
「ええ、アルフレッドさんには『気持ち悪いよ』と言われてしまいました」
ニュースリリースを出した直後、苦笑まじりに電話がかかってきた。相変わらずこちら方面への目配りは欠かさないものだと舌を巻いた。彼は研究水準で抜かれることを心配しているわけではなく、とにかく、想定を越える能力の機械兵士が生まれることを危惧しているのだ。いかにも無力そうな外見をHRP-4Cに施した理由がそこにないとは言えない。

「実は、研究所からプロトタイプを一台もらったのですよ」
「へえ」
「歩行で躓いて、胸部が一部損壊してしまいましてね。頭部やインタラクティブ機能は生きているので、いっそ男児型に作り替えて、―――歌でも歌わせようかと」
「は?うた?」
お代わりのグラスを受け取ろうとしていたアントーニョは目を丸くした。無理もない。今まさに、費用対効果の目線から会話していたところだったのだ。歌など、なんの役にも立たない。

菊は苦笑混じりに説明した。
「長く生きてきましたが、やはりここ50年の変化は著しくて、昔のうたを忘れそうなんです」
アントーニョはかくんと首を傾けた。
「…アルフレッドが、菊は懐古趣味だって言うてたけど?『懐かしの…』みたいな番組めちゃめちゃ多いって」
「そんなの、たかだか10年前20年前じゃないですか。50年前には普通に受け継がれていた、少なくとも、今ならまだ覚えている人が生きている、でもあと10年後はどうだか分からない―――そんな忘却の危機に瀕している歌が、今、たくさんあるんです。民謡とか、門付け歌とか、祭りのお囃子とか。第一、過疎化によって祭りそのものが無くなりつつありますから」
「そうなんかー」
うーん、と腕を組む。

「実は、伝統文化のアーカイブというのは彼らも念頭においているんです。先行機のHRP-2は、会津磐梯山踊りという盆踊りがかなり本格的に踊れます」
「踊れるん?」
「ええ、ワンフレーズですが、手首の返しも踏みだしもスムーズにできます。まあ、会津磐梯山踊りほどのメジャーなものは人の手でも受け継がれていくのでしょうが、有名でない小さな村の、だけど固有の踊りは、そこに生まれた人でさえ踊れなくなりつつあります。……伝統を遺したい、という気持ちが私にある以上、国民の皆様にもあるんだと思うのですが、じゃあ私が受け継ぎます、という方があまりいらっしゃらないみたいで…」
「菊んとこの人はあんなに上手にフラメンコ踊るのになー」
日本はスペインに次いでフラメンコファンが多く、アーティストも他国出身者より多い。とはいえ。菊は苦笑した。
「みんながみんな踊れるわけじゃないですよ」
HPR機には到底ついていけない情熱的な踊りなのだ。だからこそ好まれたのかもしれない。「輪(和)」に眼目を置く盆踊りは、それこそが疎まれたのかもしれない―――

村落共同体は近現代の経済原理に合わず崩壊した。全ての価値は貨幣に換算される、それはもはや価値観にまで浸透している。需要のないものが淘汰されるのは仕方がない―――そんな言葉で、経済的価値を生まないものがたくさん消えようとしている。

「歌を、とっておきたいというだけなら録音でいいんです。実際、各種芸能を動画保存してもいます。けれども、こうした、ひとの形をしたものに受け継がせることで、『伝えたい』という気持ちも残せないかなあ、と思いまして」

「そしたら、遺したいなあ、と思う歌はほかにも覚えさせるつもりなんや?」
「そうですねえ、一度仕組みさえできあがれば、初期組み込みの歌以外にもユーザーサイドで『覚えさせる』『歌わせる』のも可能になると思いますけど」

アントーニョは顎に手を当てた。

「菊、それ売れるんちゃう?」
「誰にですか、いくらでですか」
ただ歌うだけの、それなのに2億円もの国家予算をかけた――ということは、本体価格2千万を下回れない人形など。
「とりあえずアル?あ、あの顔は好かんて言うたんやったっけ。じゃあ菊の顔型うつすとええわ。ついでに声質も同じに調整して。そうや、メタリックボディかくすために昔風の布たくさん使うた服着せるとええんやん?ぼったくれるでえ」
「なんでですか」
彼に財布を開かせる要因はどこにもないではないか。
「みんなが見るようなサイトに広告を紛れ込ませて、さぐり入れて…」
アントーニョは勝手にプランをたてていく。もう、と苦笑する菊をしばらく見つめて、アントーニョは静かに言った。

「『菊』が、自分の大切に思う歌を、自分だけに歌うてくれるんやったら、俺もほしいわ」
「……」

「時代が変わっても、『金くらいなんぼ出しても惜しゅうない』ちゅうものはあるねんで」

一瞬、眼をのぞき込まれて菊は言葉につまった。伝えたい、という気持ちと、受け取りたい、という気持ち。その小さなハレーション。

「あでも俺、金ないし、アイデア料と相殺ちゅうことで、ただでくれへん?」
菊は吹き出した。
「むちゃくちゃいいますね」
「カンテ歌わせちゃろ」
魂の奥底から、と表現されるほど難しいフラメンコの歌を持ち出したアントーニョに、菊は笑顔で答えた。


「じゃあ、苦手な歌を指定されたら死ぬほど困った顔をする機能を実装しておきますね」

 

 


身長は成人女性の平均値(158cm)ですが、体重は平均値(53kg)をかなり割ってます(43kg)。豆しば。

<<BACK

<<LIST