※ご注意
うすーく「アントーニョ→菊」っぽい記述があります。
「きれーやなー」
アントーニョは、ほえあー、と文字に置き換えるのが難しい音で感嘆を表明した。
「ありがとうございます」
同じく運転を人に任せて後部座席にくつろいでいた菊は、にっこりと微笑んだ。紅葉前線はゆっくりと南下しつつあり、眼前の街路樹を美しく彩っている。
「この辺りは日本随一の平野ですので、山に紅葉の錦が被さる光景をお見せできなくて少々残念です」
「…」
フロントガラスの向こうまで続く街路樹の波を見ていたアントーニョは、菊をまじまじと見つめた。
「詩人やねえ、自分」
「え」
「文系得意なんに、理系もなんてずるいわー」
「ずるいってなんですか。…だいたい、教科でいえば不得意分野もありますし」
「何?」
「…体育とか…」
「えー、この前のオリンピックでは、メダルの数とか俺より多かったんとちゃう?」
「…狙えるところは狙いましたから。でも狙えない分野もあるんですよ。そもそもの骨格が違うので」
「あ!そういえば、シンクロなー」
狙ってとれなかった、それも、主観的に言えばスペインに二位の座を奪われた形の競技をあっさり口にしたアントーニョに、菊は肩を落とした。
「伏せておいていただけるかと思いきや…」
「ん?とにかく、コーチありがとなー!おかげでええ演技できてよかったわ」
ぶんぶんと握った手を振られ、菊は薄く微笑んだ。
「天然ですね…」
「ん?」
「いえいえ。ともあれ、身長手足が短いこともあって、基礎体力は相対的に低いんです」
「あ、それでアレ開発したん?」
菊はちょっと二人の足を見比べるように下を見て、顔を上げて微笑んだ。
「本っ当に天然ですね…」
二人の車が向かう先は、その「アレ」のデモンストレーションの場である。
Hybrid Assistive Limb、略してHAL。体に装着することで身体機能を拡張できるロボットスーツ。
研究はかなり前から行われていたし、もう実用段階に入りこの10月には民間リースも開始されたほどだから、菊は何度もデモを見ている。それでも見る度わくわくする。
二人の前で、白く輝くHALを全身に装着した学生が米袋を片手でかついで見せている。
「すっごいなー」
口をあけたアントーニョに、菊はうきうきと説明しだした。
「40kgの重さがだいたい数kgに感じられるそうです。あくまで人間の動きをサポートする機械なので性能を数値で言いにくいのですが」
「あの袋って何kgあるん?」
「あれは30kgですね」
「ふわー」
「でもアントーニョさん、すごいのはパワーユニットよりむしろ生体電位センサなんです。皮膚の上を流れる微弱な生体電位差を関知し、それをコントロールボックスに送ることで、脳から送られてきた行動命令の電気信号を捕まえ、それを先んじてパワーユニットに伝えます。そうすることで、筋肉が動こうとする時にはもうパワーユニットが動き出しているんですよ」
「…へえ。…すごいん?」
「ええ、初動負荷がないわけですから、自然に動けるんです」
「なるほど。それにしても、自分今日、めっちゃしゃべるな」
「え。そうですか。すみません、ちょっと上ずっていたようで」
「いや、かわええなーと思うとっただけやし」
「かわっ…」
菊は落ち着くために咳払いをした。
「お見苦しいところを。…ロボットスーツとか機械とのシンクロとか、こう、琴線に触れる単語が多くて」
「へえ」
「『攻殻機動隊』とか『ガンダム』とか、ご存じない…ですよね…」
「あー、なんかイタちゃんが言うてた…かな…?」
スペインにもいるだろう日本アニメファンのために心の中で合掌を捧げ、菊は話を切り替えた。
「アニメはさておいても、ロボットは好きなんですけど。各自動車メーカーの主要工場は生産ラインの一部を見学できるように設計しているんですが、そこで産業用ロボットがメカニカルに動いていくオートメーションは何時間見ていても飽きません」
うっとりとつぶやいた菊にアントーニョが聞いた。
「菊んとこでは、機械化に工場労働者の反発とかなかったん?」
引き戻され、菊は目をぱちぱちとさせる。
「記憶にないですね…」
そういう発想はなかった、と菊は首を傾げた。
「ちょうど普及期が80年代好景気にあたっていて、しかもいわゆる終身雇用制が機能していましたから、『これでクビになる』と思った人はあまりいなかったのでは。むしろ、日本人にとっては鉄腕アトム以来ずっとロボットは信頼できる友達、辛い労働から人間を助けてくれるプロフェッショナルだったんです」
アントーニョのところもロボット導入が進みヨーロッパでも三本の指に入る自動車大国の筈だが、アナーキズム系労働運動が活発なスペインと日本とでは状況が違うのかもしれない。
「巡り合わせなんやな」
「そうですね。…今農業用ロボットの研究が進んでいて、たとえばトマトやイチゴの自動収穫機もあるんですが」
「トマトを?」
「ええ、四本の指で包むように果実を把持し、摘みます。色の識別センサーもついていますから、きちんと熟れたものを選べるんです。――なんで農林水産業用のものが今盛んに研究されているかというと、それら産業人口の減少と高齢化とが見過ごせないからです。巡り合わせですね」
「これは?」
アントーニョは目の前の実演を指さした。白く輝く金属とそのパワー。
「もちろん、福祉ですよ。腰を痛めやすい介助者の負荷を減らしたり、力が弱まってきた高齢者の生活をサポートしたり」
「あー…」
同じく少子高齢化問題に直面しているアントーニョは腕を組んだ。
「なるほどなー。菊は面白がっていろいろ作ってるのと違うんやね」
いや、面白がってはいるんですが、もちろん、と菊はごにょごにょとつぶやいた。
「私が作ってるのではないです。彼が」
掌で教授を指す。
「もちろん、そうやけど。菊の研究と、言うてもいいんやん?」
「いえ」
菊は顔を改めた。
「あくまで、彼の、研究です」
アントーニョは首をかしげる。
「…こだわるとこ?」
「はい。私の研究ではなく、彼の研究だからこそ、彼の意志によって、断ることができているんです」
「なにを」
「…軍事利用です」
「………アルかぁ」
菊は驚いてアントーニョを見直した。
「私が、とは思われないのですか」
「うん、文法がそうやなかったやろ?そうやな、菊はアルに協力することになってんやもんな」
「…巡り合わせで、そのように取り決めましたから。『私』としてはできないことを一個人に押しつけているようで心苦しいのですが」
「えー、順番がちゃうんやん?」
アントーニョは腕を交差させた。
「この人が軍事利用を断っているから、そういう風に思う人がたくさんおるから、菊も『したないなー』て思うんやないの。俺らってそういうモンやろ」
「…」
「それがオモテの取り決めとちゃんと合うてるのが一番やけどね。そこ辺りは、俺らは手出しできんし」
「…そうですね」
アントーニョは両手を広げた。ぐるりと。
「菊のHALはこの人たちみんなやんなー」
菊は自然に微笑んだ。
デモンストレーションに続いて行われていた説明会が終わり、会場は拍手に包まれる。
廊下を歩きながらアントーニョは菊に顔を向けた。
「どしたん?静かやん」
「いえ…あなたも頭にAのつくKYだったのかと思っただけで」
「なんのことか分からんけど。元気のつくおまじないでもしたろか?」
ほややーとアントーニョは頭から花を飛ばした。菊は笑った。アントーニョと話すと、いつも少しだけ心が軽くなる。
「もっとください、元気」
アントーニョは「じゃあ少し心臓元気にしたるわー」と菊の腕を引いて額に口づけた。