アルフレッド×本田菊(R18)
八つ当たられ体質とでも言うのだろうか、理不尽に思える譴責を受けることが間々あって、体だろうが心だろうが、多少の痛みを受けることには慣れてしまった。だから平気なのですと、そんな言葉を免罪符にして、この関係は始まった。
若さがそうさせるのだろうと、揺すぶられながら意識の果てで思う。したいこと、したかったことが泡のように膨れあがって積み重なり、重ねれば一回り以上大きなその体にさえ収まりきれず、衝動となって現れてしまうのだろう。苛立ちや怒り、哀しみ、不満、倦厭憤怒憂鬱無気力、それらが全身の律動となり、私を穿ち、一瞬の破裂と永遠の残滓になる。
甘い言葉など挟まない。愛だの恋だの、生き急ぐ人間達のための遊戯めいた感情を、所詮比喩である私たちは保てはしない。だからいつもただ押し倒される。体が傾いでいくほんの十秒ほどを数年のようにも感じながら、彼の不快の所在を考える。財政危機、外交の軋轢、相次ぐ戦争、やまないテロ。声高になされる批判に侮蔑。内部からの造反。人以上に国は社会的な動物であり、不快もまた一人だけの物ではない。自分の中にもとぐろを巻くそれらを感じながら口づけを交わし、ひとときそれを忘れようとする。
私たちは嘔吐の中で抱き合っているのだと思う。
不快の内実が変われば当然表現も発散も変わる。向日葵のような笑顔と大声、その裏返しのような無情な暴力――若いとは言え、いつもそれだけではいられない。時には薄ら寒い心をただ温めたい日もあるのだろう、時には少年のように泣きたい日もあるのだろう。大丈夫です、明日には忘れていますと手を伸ばし、事実、忘れる。彼のセルフイメージはありたい自分ではなく現在の国際秩序からしてあらねばならない自分であるから、それに反する姿を同盟国である私が記憶に留める訳にはいかない。私たちの夜が何かを築いていくことはない。それは砂の城より儚く朝日に消える。
まがい物の体は、そのくせ痛みを持つ。手荒く扱われればなかが切れるし、そのまま吐き出されれば腹をこわす。血を出す体は、けれどもそれが国内の何かとして現れ出ることはない。経済が冷え込めば風邪を引く、しかし例えば――例えば、この人と睦言を交わし、熱に浮かされた目で見つめ合ったとしても、世論が互いの国への好感情を高めるわけではない。全ては一方通行で、私たち国という存在は常に結果を生きている。切れた器官も流れた血も、全ては泡沫の幻想で、明日の私はまた結果としての日本を捏ね上げる。
だから、好きに振る舞えばいいのにと、倒されながらいつも思う。苛立つことが多いならそれを突き破るように私を穿ち、汗と一緒にそれらを振り飛ばすためにひたすら腰を動かせばいい。感情も欲情も上げていくのに時間が掛かる私のことなど置き去りにして、一人で快楽の際に駆けていけばいい。
そう思うのに、なぜ、まるで歩幅を着物のそれに合わせるように、反応を確かめながら進むのだろう。大きな掌が脇腹をさすりあげ、半歩遅れて指の腹がトリルのように細かく肌を摩っていく。手はそのまま脇に進み、窪みをなぞり、円を描く。そのまま二の腕の裏側を辿って、肘の骨をさする。掌がすべり、親指が内側を行きつ戻りつしながらゆっくりと手首まで滑っていく。辿り着いた指は、親指の下の窪みにすっぽりとおさまり、半回転した手が長い指を運んでくる。指と指の間に差し込まれた指が、そのまま水かきを擽っては指の輪郭をなぞるようにそれぞれ動く。
熾火に吹き込まれる息はあくまで密やかで、火を消すような愚を犯さない。私は高められるだけ高められ、自分の熱さに乱される。涙を零すことがあるのは、体を冷やそうとする防衛本能なのだろうと思っている。はけ口にされているだけなのだから、ただの発散に過ぎないのだから。――そんな言葉で自分を冷ますことができなくなりそうなものだから。
私たちの時間にとりこまれた人が「ひと」でなくなっていくように、ひとの遊戯に取り込まれれば私たちは国でいられなくなる。だから論理上ありえないことなのに。
――それなのに、まるで作り続ければ砂の城が空間にその位置を占めえるとでも言うように、今日もこのひとは私の手首に口づける。そこに喪ったものがあり、また、そこに未来の可能性があるかのように。
青い花そこより芽吹くと思うまで君の手首に透ける静脈(松野志保)