ヘタリアde秋ご飯・栗

ギル菊

ギルベルト×菊(東西統一で普消失)

北陸の何県とだったか、一緒に冬の道を歩いていて、突然立ち止まられたことがある。
――かさかさって、本当に言うんですね
――?
一歩遅れて足を止め、小首を傾げると、彼女は軽く足踏みをした。足の下で枯れ葉が擦れて音を立てる。
――私にとっての落ち葉は、冷たく湿っているものだったので。
――……ああ。
列島は細く長く、山脈は風土を分ける。彼女もまた私とはいい条、マジョリティの概念に引きずられ、太平洋側のように気温が下がれば湿度も下がるのが当たり前と感じていた。
夏は水蒸気が立ちこめて異界を隔てる河の輪郭を朧にし、冬はさやけき月が、星が、異界から濁世を峻別する。だから死者が蘇るのは夏であり、冬は彼岸へ渡るのみ――そういうものだと。

海を越えていく異国にも、同じ季節がもたらす共通項があり、逆にそう思い込んでいたために驚かされる違いもある。
「焼き栗……ですか」
目を瞬いたためにかえって驚かれた。
――まさか、無ぇのか?
「いえ!……いえいえ」
栗自体はあるし、食習慣もある。今、彼が歩きがてらふと目をとめて、私の袖を引っ張っるように連れてきたこの屋台のように、道ばたで量り売りする露天商もいる。
ガードレールに軽く腰掛けて、ほい、とクレープのように折った三角の新聞紙を渡される。中には十数個の栗が切れ目から黄色い果肉を見せている。熱せられた栗は紙を通して熱さを伝え、思わず左手に持ち替えて右手の指を耳朶にあてた。
――ん?
何の合図だと同じ格好をしてみて、電話か?などと聞いてくる。
「いえ、熱かったのでつい」
まだ要領を得ない顔をしているので、「触れたものが熱かったときに耳朶を掴む習俗がある、比較的冷たいので」と説明すると、へえぇと言いながら手袋を外した。自分の耳朶に触れて小首を傾げ、そのまま指を伸ばしてくる。
「……っ」
体を引こうとしたがその前に指に捕まる。指は耳朶を挟んで無遠慮にさすり、ハテナを表現したまま止まった。
――人種で温度が違うのかと思ったけど。
「まさかそんな……ことが無いかどうかは知りませんけど」

体温なら違う、そのことを知っている。東という名で北を向き、冷たい対立を温度の低い笑みでいなしているこのひとは、それなのに、熱かった。それは人種の差と言うより筋肉量の差なのかも知れないが、一枚の布にも隔てられずぴったりと重ねた体はどこもかしこもが一度以上熱かった。
――あんまし、変わんねぇ気がするけどな。
耳朶と温度を比べたあと、指は頬を包んだ。
――冷えてんだから、さっさと食え。
栗の話だ。改めて礼を言って一つ摘む。小さい。アサリとシジミくらいの違いはありそうだ。そして皮の色が違う。これは優しい木の色に近い。
――品種?
「いえ」
さっきから否定してばっかりだと苦笑する。
「日本では、売っているのは大抵甘栗なんです。石焼きして、水飴をかけて照りを出したものですね。品種でいうと中国栗です。国産のは、渋皮が剥がれにくいので煮ることが多くて、こういう形で売られることはないです」
――へー…。やっぱこういうおっちゃんが売ってんのか。
「ん……」
もう一つ摘み上げ、切れ目を両端から押すようにしてぱかりと殻をあける。小さな茶色い粒が転がり出て、放り込まれた口の中で柔らかく崩れる。
「社会主義国からの輸入ということになるので、やっぱりルートが限定されていて……、だから、相当数が毛沢東派の男性ですね」
紅い眼がちらりとこちらを見て、すっと下にそれた。ルートの限定は、他所の話だけではない。この会合が、距離が、疎まれるというほどではないが、望まれもしない。ましてあの接触は……思わず、今は寒気にさらされている頬を手で覆う。

時代が動いている、その揺らぎを足下に感じる。かつてのような、戦争の滝壺に押し流されていくような焦燥はない。けれども、とりあえずこちらとあちらを切り分けていた線が二重、三重とぼやけはじめ、世界が混沌に包まれていくような気がする。冷戦という、しかしそれが一つの秩序であった時代を乗り越えた時、自分たちがどうなるのか、未だ見えない。
―― ……。
不確実な未来を語ることの無い唇はやはり引き結ばれている。既にかつての名を喪って、寓居のようにオストにいる/オストである彼は、どのような形で次なる世紀を生きるのだろう。分からない、分からないから、眼の前の栗を食べる。その小さな粒が与える甘さにすがるように。

 

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この地では死者は冬のとば口に蘇る。

高温多湿の朦朧とした空気が幻覚を見せるのでは無い。乾いた冷たい風が、冬の薄皮一枚後ろは異界なのだと告げる。
三角形の包み紙では、最後の数個がとりにくい。かじかんだ手をそっと耳に当てる。当たり前だと思わなければ、そこは大して冷たくもない。寒気に晒された頬の方がむしろ冷たい。
ぴとっと冷たい指があたり、思わず目をつむる。
――やっぱお前、体温低い。食え。
そう言われても、たかが数個の栗に期待できるカロリーなどたかがしれている。
カロリーとは、熱量。そして、エネルギー。失えば、存在を喪う。
最後の栗は口の中でほろりととけた。


「栗食めば、ましてしぬはゆ……」


立ち上がり、殻だけになった包み紙の口をきゅっと絞った。ゴミ箱はないかと見渡していると、こちらを見る焼き栗やの店主と目が合った。「おっちゃん」というにはまだ少し若い男は、見ているのに気づかれた、と恐縮していた様子だったが、やがて口を開いた。
「毎年、来ますよね」
「え」
「親父がこの台使ってた頃から。もう、四半世紀とかなります?」
「……」
枯葉色に染められていた世界は突然キッチュな色を取り戻した。さっきまで更地だった道の両脇にくいくいと高層ビルが生えて出て、人の服も、店も様相を変える。過去は地下に埋めもどされ、死者は寒風の中に姿を消す。
「……つい先刻と思っていましたが」
実感を込めて言う。今、ほんの今まで、ここにいたと思ったのに。私の耳に触れる熱い指は一瞬前まであったのに。あれはもう、世紀という単位を使うほど昔のことなのか。
「あ、やっぱり、そっちの人なんですね。いや、人?よく分かんないけど。違う時間でいきる存在があるんだって親父が言ってて」
「……」
屈託の無い店主に、棘を見せたくなったのかもしれない。気づくと聞いていた。
「貴方にとってはそんなにも長い間――思い出を手放せない私を、嘲笑いますか」
「は?」
瞬きをして、男は首を捻った。
「そっちにとって一瞬だったなら一瞬なんじゃ?難しいことは分かんねえけど――栗の味が変わらないから思い出をつなげられるんだったら、俺としては嬉しいような」
「……」
目を瞬いていると、店主は計量カップをざっと栗の中に突っ込み、新しい一袋を寄越した。
「今日だけ、おまけ。『俺にとっては』数十分そこにいたから、冷えてんじゃないかと思って」
戸惑いながら伸ばされる手につられて手を差し出すと、栗はまだ熱く、思わず耳朶に手を当てた。その動作が不思議だったのか店主は笑いながら袋を押しつけ、「また来年ご贔屓に」と手を振った。

手の中の熱い栗を撫でるように風が吹き、駆け抜けながら食えよと笑った。