Sous une pluie d’etoiles

フラ菊

フランシス×本田菊 ( 「Je suis ici. 」前提 )

「羨ましいなあ…」
卓袱台の向こう、寝そべっているからかろうじて背中とその先の金髪と、ぴこんと跳ね上がった前髪が見えるだけのアメリカがため息をつきながら呟いた。フランスにそれが見えたのは、体にフィットするソファ、通称人間を駄目にするソファがまだフランスの上体を斜めに保っていたからだ。日本の方は多段階に折れ曲がるマンボウのような座椅子にすっぽりつつまれて漫画をもったままうつらうつらしていたが、その声に薄目を開けて首をアメリカの側に傾けた。中のマイクロビーズをしゃりしゃりと動かしながらフランスはもう少し体を起こした。
「何が?」
「日本の高校生、ちょー楽しそう」
「え?」
「ああ、分かる!」
「ええ?」
フランス言葉に日本は上体を起こし、右を見、左を見してまた「えー」と言った。
「日本の高校生の、生活満足度の低さは各国ぶっちぎりですよ」
「アンケートだとそうかもしれないけどさ」
アメリカは、よいしょ、と体を捻って起き上がった。言ってはなんだが、動きの身軽さとかキレとかの鈍さが――具体的に言えば腹の辺りが多少たゆたゆしていないかと他人事ながら気になる。もっとも、それを口に出すと日本式ダイエットだ!と今以上にここに居座られてしまう。どこまで許されるかを正確に見切った上で最大限までつけいる、もとい、甘えるアメリカは、だからなんだかんだ言っても、今ここにフランスがいる以上夜にはさっさと帰るのだろうが、それが分かっていても、恋人の家に他の男が入り浸りというのは嬉しくない。今はいいのだ。今は、日本の方も恋人と過ごす休日のモードではなく、完全にオタク仲間とのくつろぎ空間に入っている。外には風物詩の五月雨、青い匂いも爽やかな畳の上にクッションやら座椅子やらで思い思いに寝そべって、テーブルの上には麦茶、そして山と積まれた漫画の蔵書。

先月先々月とこんな感じで過ごしたときはスポーツもの特集と称して少年漫画の山を作った。バレーにバスケ、野球と、流行作から往年の名作まで取りそろえて、自堕落なんだか熱いんだか分からない昼下がりを過ごした。
では、と日本が言い出した。今度は文化部で行きましょう!
アメリカにもフランスにも、日本で言う「部活動」はない。地域でのサークル活動やプロスポーツのジュニアチームに参加する高校生は多いが、学校は勉強しにいくところであってそれ以上のものはない。だから甲子園やインターハイのような学校単位での熱戦というのも別世界のできごとだ。それが文化活動となれば一層「学校」からは遠い気がする。微妙な顔でやってきた二人だったが、すぐに夢中になった。書道部、かるた部、吹奏楽部。茶道部将棋部天文学部。日本の漫画の裾野が広いということなのだろうが、多種多様な物語が少女漫画・少年漫画を問わず繰り広げられている。中には運動部もののように大会がありライバルがいるものもあり、読んでいるこちらまで勝った負けたと熱くなる。そして大抵主役、またはそれに次ぐ立場のキャラが初心者に設定されていて、その子が分野について詳しくなっていくという体で少しずつ読者に情報が開示されていくから、全くの素人でも楽しく読める。人気があるのもよく分かる。
そして何より、学校生活が楽しそうなのだ。そう言うと日本は大きく顔をしかめた。
「二次元と三次元を混同するなと、あれほど……」
「いや、いつも言うそれとはちょっと違うよね?魔法少女や艦娘が現実にいるって言ってるんじゃないんだから」
「そうだぞ、だって、実際にこういう部を持ってる高校はたくさんあるんだろう?」
「ええ、まあ、全国高等学校総合文化祭もかるたの高校選手権も実際にありますけどね。でも、みんながみんなドラマティックな決勝戦を楽しめるなら逆にこんな物語に憧れもしない、だったら読まれも書かれもしないじゃないですか」
「そりゃあ、大会で優勝できるのはいつだって、何だって一つのチームだけだろうけどさ」
ぱらぱらとアメリカは手にしていた漫画をめくった。箏曲部に集った高校生達の漫画だ。しばらく胸の内に言葉を探すような顔をしていたのに、ふと何か思いついたように手を止めた。
「そういえばこの男の子ってさ……」
「話の腰ばっきばきに折りますね!」
呆れ顔の日本をおいておいて、フランスは身を乗り出した。フランスも読んだときに「んー?」と思っていたのだ。
「あ、分かる!似てるよな?」
「だよね!プロイセンに」
意気投合する二人を他所に日本は「ええ?」と首を捻っている。
「プロイセン君は……もう少し、大人ではないですか?」
「いやいやいや!!」
大きく手を振ったのはフランスだけで、アメリカは「そういえば」みたいな顔をしている。どんだけ師匠マジックにかかってるんだこの二人は。
「もちろん、楽器全般お得意なので弾けばこなされるでしょうけれども」
「あー、うーん、そうかな?この前エアギターをマスターしたって自慢してたけど」
突っ込みがないと寂しい言葉をあっさり無視して、アメリカは手を挙げた。
「あ、俺も弾いてみたいんだぞ!日本、持ってるかい?」
「えっ。持ってって、琴を、ですか?」

それはもちろん蔵にある。それをフランスは知っている。弾いて貰ったことがあるからだ。「春の海」がお正月の定番音楽――既に色んなものが時代の波の中で消え去った後でもまだ微かに残っている「古き良き日本」の象徴になった頃、その位置づけの変化に思いをはせて、日本が弾いてくれたのだ。不思議なもので、あれだけ斬新に感じた曲が、なんともしっとり日本家屋に馴染んで聞こえる。日本はその時、梅鼠の正絹に紅梅の襟をあわせた華やかな服で、前日綺麗に掃除された日本家屋の中でその音が響いてはしみこんでいく様は、確かに禁欲的なのにどこか扇情的だった。

「……そういえば、いつからだっけ、畳にしたんだね」
前は居間の畳の上には絨毯を敷いて、テーブルやソファをのせていた。衛生的にはいまいちなんですよねと言いながら。
「え?はい、そうですけど、どこからその話来ました?お二人ともフリーダム過ぎませんか!?」
笑って誤魔化す。どこからも何も、その音の余韻と着物が畳に擦れた音まで記憶は直結しているのだけど、それを言い出すべき場ではない。代わりにそっと手で隠してひそめた声で聞く。
「持ってる琴は、高いんだよね?」
「はい……。かなり前に琴匠に作って戴いたもので、文化財的な価値もありまして……」
「それは、ちょっとアメリカには貸せないね……あ!」
思い出した。
「アメリカ、お前iPhoneかiPad持ってる?」
「どっちもあるよ」
さっき検索したからiPad手元にあると差し出したそれを受け取って、許可を得てアプリをインストールする。
「ピアノやドラムみたいに琴も演奏アプリあるんだよ。画面を押さえるだけでクリアな音が出るからちょっとやってみたいだけならぴったり」
ええー、アプリかいと頬を膨らませたアメリカだったが、フランスに言われるがまま縦のスワイプを往復させて、目を見張った。いかにも琴らしい流れるようなアルペジオが流れ出たからだ。
「ピチカート演奏もできるし、調弦も一発設定できるんだよ」
これなら壊す心配も無い(壊れてもアメリカのiPadだ)し、琴柱をぐちゃぐちゃに動かしてもぱっと平調子に戻せる。好きに触ってよしと頷くとアメリカはわーいとあちこち触って音を出し始めた。
「へえ……」
日本がまじまじと画面を見つめて、言った。
「こんなアプリがあるんですね」
「そうだね、弾いてみた動画は日本以外からの投稿が多い気がする。設定画面も基本は英語だし。でもスクイも弱押しもできるし結構本格的だよ」
「琴は楽譜も独特で、日本人でもとっつきにくい楽器ですのに」
「そこはアプリだから、練習の時はピアノアプリのようにマーカーが流れてくる。その通り押さえれば曲が演奏できるし、それで何となく弦と音の関係が体得できたら後は感覚で弾けるようになっちゃうんじゃないかな……デジタルネイティブはほんとそういうの得意だよね」
「……」
じっと見上げてくる眼に気づいて、「どうしたの?」と眼で問いかけると、日本はふへっと顔を崩した。
「私、知らなかったです。フランスさんが、このアプリにそんなに詳しいこと」
「え、……あ」
「日本に関するものに色々と興味を持って下さってる――そのことも嬉しいんですが、割とそれをオープンに仰っていたでしょう。だから、いつか、自分が知ってるフランスさんがフランスさんだと思ってしまっていました。でも、貴方……は、いつももっと大きい」

極度に絞られた小さな声は、確かに「の、愛」と聞こえた。
「日本……」

手を握ろうと手を伸ばしかけた瞬間、じゃらん!と琴の音が鳴った。
「できた!」
「……」
「……」
「ん?どうしたんだい!」
こういうやつだ、仕方ないとため息をついて、フランスは言った。
「……なんでもないよ。どうしたの、何ができたの」
「一フレーズだけど、弾けるようになったんだぞ!」

流石デジタルネイティブ――いやいや違うぞとフランスは思い直した。若く見えるし実際国史は短いとはいえ誕生時にはマスケット銃を使っていた世代なのだ。それでも、
「すごいな」
「流石ですねえ」
そう、やっぱり流石だ。新しいものへの柔軟性があるということだろう。

ヒーローだからね!とぐっと親指を立てて、アメリカはちんとんと弾き始めた。爪弾くというのではない、押さえるだけでただ音符をなぞるような演奏。その稚拙とも言える音の並びに、アメリカの口笛が重なる。童謡にも似たシンプルで軽快な、けれども耳馴染みのいい、懐かしいメロディ。
「あっ」
「これ」
「YES!」
フレーズを弾き終えてもう一度親指を立て、きらりと白い歯まで見せて、アメリカは言った。

「SUKIYAKIさ!」

がこん、と日本は伸ばしていた首を折った。もちろん、アメリカでこの歌がそう呼ばれていることは知っていて、けれどもやはりがっくり来るのだろう。原題や内容との乖離というだけでなく、焼ける砂糖醤油も香ばしいあの料理が出てくる唐突さに。

「お、俺は!ちゃんと『上を向いて歩こう』っていう意味の題にしたよ!」
「……ええ存じてます……あのユニークなタイトルはイギリスさんがつけたということも……オランダさんなど『忘れ得ぬ芸者ベイビー』という更に斜め上に飛んだタイトルになさったことも……」
「HAHAHA!ひどいセンスだな!」
「お前が言うな!」
「でも仕方ないよね、原題をそのまま訳すと長くて覚えて貰えないしさ!」
「長くねーよ!!」
突っ込み疲れを覚えて麦茶を飲む。つられたのかアメリカもごくりと麦茶を飲んで、それからふうっと眼を中空に漂わせた。

「ねえ、日本。怒らないで聞いてくれるかい」
「はい?」
今更何を、と日本は微笑んだ。これは文字通りの単語であって文字通り受け取ってはいけないフレーズなんだがアメリカはそれを分かっているのかいないのか、うんと頷いた。

「この歌が流行ってね、もちろん日本語歌詞もちゃんと訳されて、それでアメリカ国民の日本人を見る眼は変わったんだ。日本人ってこういう繊細な感情を表現できる民族なんだなって」

「…………」
あまりの言葉に日本は無表情になり、フランスは思わず「殴れ!殴ってよし!」のAAの真似をした。

「いや、俺がじゃないよ!俺は、もっと前から知り合いだしさ、細やかに気を遣ってくれることも知ってるし、同じ顔に見えても『ああ、ここから逆鱗ゾーンだな』とか眼を見て分かるし」
ということは今の発言でも死線は越えてないと判断しているわけだ。もう一度フランスはAAの動きをする。

「だけど、19世紀まではあんまり外国に興味が無かった一般国民にとって、日本人ってのは、まずは職を奪う移民で、次には特攻してくる兵隊だったんだ。どっちにしても、人間として自分を大切にしているように見えなかったから、根本的に訳がわからないエイリアンみたいに感じられていた。だから、この歌がもたらした『共感』は『発見』だった。『発見』は、アメリカ大陸のそれもそうだけど、むかしからそうであったものに今初めて気づくってことだろ?」

「……そう言われると、怒れませんね」
「うん、気づかなかった方がバカだったって話だからね」
フランスが頷くとアメリカはBOO!と頬を鳴らした。
「そういうのは口にするのは野暮ってやつなんだぞ。空気読まないなあ」
「お・ま・い・う!!」
ま、まとフランスを取り押さえ、日本も一口麦茶を飲んだ。

「だからさ、漫画を輸出することをもう少し真面目に取り組むべきだと思うな。こういうのを若い世代が読んで、うわあ違うな、とかいやでもやっぱり自分と同じだとか思うのってすごく大切だと思うんだ」
「うん、お兄さんもずっと自力でやってきたけど、もう少し日本が力入れていいと思うな。政府がやるというより、民間がやる手伝いをもっと積極的にやって欲しいっていうか」
また右に左にと困り顔を見せて、日本は小さくため息をついた。
「狭い共同体で通用する『粋』に慣れていたせいで、私は、自分が何を考えているか、どう感じているかを伝えるのがとても苦手です。あの歌も、どういう状況なのかを全く説明せず、ただ感情だけを短歌のように取り出したから、違う状況を生きる海外の方に通じたのかな、と思います」
「耳目を集めるタイトルも、全米ビルボード1位には役立ってると思うんだぞ」
「ううん……」
不同意を苦笑で誤魔化して、日本は、でもと目を伏せた。

「形はどうあれ、歌は届いたんですものね。あの独特な歌い方も含めて」
「あ、俺もそれちょっと思ってた。当時の日本の歌謡曲と比べても、声の出し方とかユニークだよね?」
日本はフランスに顔を向け、にこりと笑った。
「子供の頃、お母さんから小唄を習ったことがあったそうで、多分そういう邦楽の影響ですね」
「へえー……」
微笑みを返す。その言葉に込めた意味は伝わったよ、との気持ちを込めた微笑みだ。通じ合えたことは目の緩みで分かる。

日本はもう一度麦茶を飲んでコップを両手で握った。
「……この歌手の友達でもあった女優さんがユニセフの親善大使をやっているんですけど」
ああ、あの人かと髪型を手で示すと日本は少し笑って頷いた。
「紛争地域も含めて、数多くの発展途上国を訪問しているんですね。その彼女を、現地の人が歓迎するために、だったら日本の歌をって歌うのが、この歌なんだそうです。本当に、どんな遠い国でも、貧しい国でも、そこの子供たちがこれを歌えるんだって言っていました」
「ああ!……うん、そうだろうね」
「アメリカでも、今でも時々ラジオで流れてるんだぞ」
「歌いやすいメロディだしね」
これ、五音音階でしょ?とフランスが言うと、ええと日本は頷いた。
かつては未開の象徴だった非七音音階が、けれども今、全世界に歌を届けている。南米にも、アフリカにも。

「……歌は国境を越えるね」

フランスが言った言葉に、二人は頷いた。うん、多分、とフランスは思う。二人は、フランスが込めた思いの濃さを分からない。理解はしても、体感はできないだろう。けれども、意図は通じている。それでいい。
日本語からフランス語に正確に訳しても、その逆でも、全てのニュアンスを移し替えられる訳ではない。拍数に制限のある歌詞なら尚更だ。それでも、違っていても通じ合える部分を楽しめばいいし、通じ合えない部分も知るために相手のことを更に深く学ぶのもいい。
二十世紀初頭、録音技術は刹那のものである筈の「音」を世界に届けた。そして二十世紀後半、「音」は携帯可能になり再生の場を大きく外に広げた。そして今、遠い国の楽器の音でも遊べるようになってきた。

しみじみとした空気を、アメリカの腹の虫が盛大にぶちこわした。
思わず噴き出して、フランスはうんっと背中を伸ばした。
「じゃあ、同じく国境を越える食文化に親しみますか!」
「仏日セッションですね!」
「やったー!」
拳を握る日本に、両手をあげるアメリカ。アメリカお前食べる気だけ満々だろうと苦笑しつつ、フランスは髪を束ねた。