日・独・英(メキシコオリンピック他)
一九五六年メルボルンオリンピック初戦敗退。
一九五八年アジア大会一次リーグ全敗で敗退。
一九五九年ローマオリンピック予選敗退で出場叶わず。
「は、腹を切ります……!」
「待って!待ってよ日本!!ヴェー!」
「離して下さいイタリア君!こんな生き恥晒しておめおめと……!」
「ヴェー!!」
おめおめと、次回大会に出るわけにはいかない。こんな散々な成績だというのに、次回の東京オリンピックでは開催国権限で出場が決定している。対韓国戦得失点差負けの報を世界会議の休憩時間に聞いた日本の、あまりの形相に、イタリアはもう半泣きである。
「次回のについては、やったーラッキーって思って出ればいいんだよー…」
そうは思えないのが国民性というものだ。恥ずかしいだけではない。その東京大会で戦うための経験を付けることもできなかった。貴重な枠を与えられながらそれに値しないような戦いを見せるわけにはいかないのに。
「日本はサッカーの歴史短いからしょうが無いよー」
日本は涙目でイタリアを見上げた。実のところ、単純な輸入なら日本も明治初期だから他国とそう変わらない。けれども組織化は大きく出遅れた。ん?とほわほわ笑うイタリアは前世紀からプロリーグを持つ歴史も層も厚い国で、当然五輪での優勝経験もある。
「ベルリンオリンピックは、ドイツんちだったから、やりやすかったんだぁ。自分んちみたいなもんだからさ-」
えへーと糸目に戻って笑うイタリアに突っ込むべきかどうか迷っていると、ぱっとイタリアが眼を開いた。
「そうだ!ドイツに教えて貰えばいいんだよー。ドイツは人に教えるの上手いし、好きだしさ!あっ、噂をしたらドイツー!ドイツー!!」
いい思いつき!とイタリアは両手をあげてドイツに駆けていくが、日本はかちんと固まった。戦中の特訓をもう一度……。走り込みに腹筋背筋……。私の腰はもつでしょうか……。
思わず身震いする日本に、ドイツはふむと顎に手を当てた。
「日本、無理は体に悪いと思うが、過度なストレスもよくない。手伝うのはやぶさかでは無いが、まず選べ。勝ちを目指すのか、ほどほどでいくのか。勝ちたいか、負けの恥だけが嫌か」
「勝ちたいです!」
反射で答えた日本に、ドイツはふっと笑った。
「よし」
「それが芋地獄の始まりだとは、日本は知るよしもなかった……」
「変なこと言いながら通り過ぎるのやめてよ兄ちゃん!」
ワールドカップで言えばここ十年ドイツの方が好成績を残しているとはいえ、そもそも言い出したイタリアが教えれば話は早い。けれども、日本は知っていた。イタリアは、絵でも歌でもそうだが、自分が何も考えずにできることについて、人に指導するのが壊滅的に下手なのだ。「ぶわーっとくるからさー、そしたらひょいってやってどーんだよ!」。さっぱり分からない。
それに対して、何に依らずドイツ式には親和性が高い。特にサッカーは広島のドイツ人捕虜収容所から始まったようなもので、西日本ではほぼドイツ式サッカーをやっている。
そうなのか、と柔軟をしていたドイツは少し顔を緩めた。本格的にコーチングしてもらう前に、ヨーロッパ遠征がてらドイツを訪ねて見てもらうことになったのだ。日本も話しながらも膝の屈伸を丹念に繰り返す。『サンデー』だの『マガジン』だのと漫画雑誌の創刊が相次いでインドア派に磨きがかかっているので、関節の不安はリアルだ。
「それでは練習を始める」
「はいっ」
「サイドキックだ。そっちから俺に向けてパスを送れ」
「…はい?」
「さあ、やれ!」
「はい!」
言われるまま、日本はドイツに向かって蹴る。すかさず返され、再度蹴るよう指示される。
「……はい!」
一時間、ただ蹴るだけの練習が続いた。小休憩で、流石に無口になった日本に、ドイツは話しかけた。
「疲れたか?」
「いえ!……はい、いいえ」
「どっちだ」
笑いながらドイツも隣に腰を下ろし、水を飲んだ。
「あの……蹴るだけなら、自国でもできるので……」
「うん?」
言葉を濁して遠回しに要求しようとする日本を面白そうに見ながら、しかしドイツは分かっているはずの続きを口にしない。うぐぐ、と下唇を噛んで俯いた日本は、「恐れながらっ」と拳を握った。
「もっと高度な技や戦術を教えて戴け無いでしょうかっ…!」
「ほう。例えば?」
「た、例えば、空中を華麗に舞って蜂のようにゴールを刺すシュートとか」
「……オーバーヘッドキックのことか?」
「消える魔球とか」
「バナナシュート?」
「……ぶわーっとくるのに対してひょいってやってどーん」
「プレスディフェンスかけられたのをシャポーで躱してそのままシュートか」
なぜ分かる。日本は思わず上体を反らした。
「超能力……?」
「お前らとどれだけ付き合ってると思ってるんだ」
ふっと笑い、それからドイツは真面目な顔になった。
「言いたいことは分かる。最先端の技術を学ぶために遠征費を掛けて来ているのだし、基礎的なことは済ませてきているというのだろう」
「はい」
「だが、その基礎が甘い」
「うっ」
「さっきのロングパス、俺の足下に綺麗に届いたのはほんの一割だったな。対して、俺が蹴り返したのは全部足下に来ていた筈だ。……そういうことだ」
言い返す言葉もなくて、日本は項垂れた。
「『ゲナウ、シュピーレン』。それが、これから俺がきっちり教え込むことだ」
「『正確なプレー』……」
なんとドイツさんらしい言葉だろう。日本は改めて『隊長』を見つつその言葉を繰り返した。
そして芋地獄ならぬ「正確なパス」特訓地獄はその後一時間続いたのだった。
ヨーロッパ遠征は十戦一勝一分八敗という凄惨な成績で終わった。完全に格が違う。けれども、試合ごとの敗因と不足している部分について、ドイツが分析してくれた。来日しての、本格的コーチの開始である。
「なるほど、論理的です……」
メジャースポーツではあるものの野球に比べれば人口も注目度も少ないこともあって、きちんとした制度や理論が育っていない。コーチングも、各人が自分の経験をもとに思いのまま指導しているだけだ。表層じゃない、土壌の問題だと日本はしみじみ頷いた。
シューズやボールの手入れから怪我のケアまで、ドイツの講義は多岐にわたった。
「日本のいいところは、敏捷で、小回りが利くところだ。あと、勤勉で気分によるむらが少ない。それを活かして、好機を逃さず得点するためには正確にボールを繋げるのが一番なんだ」
「はい」
キック、ヘディング、ドリブル。中学生の練習のような……いや、中学生なら飽きてしまうだろうほどに単純な基礎練習が丹念に繰り返された。力負けや高さ負けなら、体格上仕方ないと言い訳できる。けれども、同じように調整されたボールを毎回正確に飛ばすことにおいて、ドイツの模範演技に届かない。これは悔しいし、できなければいけない、できるまでやろうと思える。
「ブドーにザンシンてのがあるだろう」
シュート練習の後突然言われて、日本は眼を瞬かせた。しばし考え、ぽんと手を打つ。
「ああ!残心ですか!」
弓道においては、矢を放った後も数秒的を見据え腕を払った姿勢を保つことになっている。剣道では一本とったあとでも意識をつなぎ反撃にも対抗できる心構えを継続しなければならない。
「その意識が有効だと思う。ボールを蹴って終わりではなくて、ずっと意識を保ち続けるんだ」
「はいっ!」
大きく頷いたところで、日本は「ん?」と首を傾げた。
「なぜご存じなんですか?オイゲン・ヘリゲルさんですか?」
ヘリゲルは東北帝大の御雇講師で、哲学者として日本文化をヨーロッパに紹介したドイツ人だ。『日本の弓術』などで知られる。
「もちろんヘリゲルも読んだ。禅や武士道は、どんな形で戦おうとするかのヒントとしてかなり読み込んだ。体づくりについても考えたいから、こっちに来てからは和食を食べているしな」
とりあえず漬け物は減塩しろとドイツはいかめしい顔で付け加えた。
「ドイツさん……!」
日本は感動に打ち震えた。精神性や食文化の違いを指摘してだから世界に勝てないのだと解説する人は今までもいたが、このように内に入って、どう互していくかを考えてくれる人はなかなかいない。イタリアが、ドイツは教えるのが上手いといっていたが、改めてそれを思う。三国枢軸の頃にも特訓を受けたが、今と方法論が違うのは、多分、日本の基礎体力や目的、イタリアもいることなどの要因を考え合わせてのことだったのだろう。
「ドイツさんの師匠も、こういうきめ細やかな配慮をされていたのでしょうね……」
「ん?」
独り言だったのだがドイツは振り返り、内容を確認すると、いきなり吹き出した。
「ど、ドイツさん?」
ひとしきり笑って、ドイツはこう言った。
「俺のサッカーの師匠は……俺の顔にボールを蹴り込みやがった」