■フランス
窓枠を強く握れば堪えられる、そう思っていたのは最初の数発だった。次第に指の先の力が抜け、足の力が抜け、ずるずると床にへたり込む。
「フランスさん!」
悲鳴のような声が隣からあがる。
窓の下の腰板に背を預ければ、闇の中に埋没する。ただ砲弾が放つ光が時々頭上に映るだけだ。見えない隣から、あの優しい手が伸ばされる。
「日本」
「はい」
その手を引いて。
「日本」
「……はい」
体を腕の中に閉じ込める。抱きしめているというよりは、しがみついていた。
また頭上がかっと明るくなる。そして轟音。
痛い。痺れる。熱い。臭い。怖い。……なあ、キツいよ、日本。
しかしそれは声に出さず、ただ指の力を強めた。
本来は一人で引き受けなければいけない痛みなのだ。
何の同盟関係があるわけでもない日本に、フランスを助ける義務はない。ただ彼の優しさに甘えている。
格好をつける余裕もない、それでも、意地でも弱音は漏らさない。
だけど、なあ、日本。
この痛みは何なんだろう。
俺を苦しめているのは、俺なんだろうか。
「フランスさん」
「……ん」
声がおかしい。そう思って肩に回していた手を頬に滑らせれば日本は声も立てず涙を流していた。
「すみません、知ったような口をきいて」
「なにが……?」
「変化とは、そんなに、そんなに苦しいのですね」
「ん……」
「私は、西洋で仰るような革命の経験がないのです。似たようなものは戊辰戦争初めいくつかありますけれども」
「あー、あれはあれで大変だったよね……」
あれも安保も、革命と言ってもいいんじゃないか、そうフランスは思ったが、言葉は出せず、代わりに、こほっと空咳が出た。
「私だって、私を憎む『内部』に大弾圧を強行したこともあります。なぜ『私』になってくれないんだと心の中で叫びながらこめかみを圧した日もある。でも、今の動きはそれとは違う。私は、私の中にありながら、私を愛しながら、それなのに今の私を否定する彼らに、どう向き合っていいのかわからないのです」
「……ん……」
「フランスさんなら、飄々と越えて行かれるんじゃないかと、……だって今までだって、辛い顔なんかお見せにならなかったからと、だから勇気を分けてもらいたいと思って来たんです」
「……ごめんなー、情けなくて」
音がしそうなほど強く日本はかぶりをふった。
「私は、何も分かっていなかった。貴方の苦しみも、それを見せない強さも――ただ貴方の美しさに軽薄に憧れて」
フランスは苦しい息の中で笑顔を作った。
「つまり日本はさ、俺が見て欲しいと思った俺を見てくれてたってことでしょ?」
過ぎた後で振り返るならともかく最中の苦しみを人に見せるのは趣味じゃない。プライドが高いのはフランス人の性分で、同情なんて願い下げだ。そんなところまで見通していた日本は、まずは「フランスの美しいところ」を褒めちぎることでチアアップをはかり、辛さが一定レベルを越えたところで手を差し出してきた。お兄さん役を自認してきたフランスが、そのスタンスを崩さずに日本に甘えられるようにさりげなく場を整えてくれた。
「でも……!」
はたはたっと涙が落ちた。
「――なあ、日本」
「はい?」
「それ、舐めてもいい?」
「……は?」
日本が目を見張ったせいでまた涙が落ちてきた。もったいない、けれど自分から顔を寄せていく余力はない。頬に当てた手を頭にまわし少しだけ力を込めれば、戸惑った目のまま、菊の顔が近づいてきた。頬に、そして目尻に唇をあてる。この透明な雫が、ばらばらになりそうな心を引き留めてくれる。
ここにも、苦しみ、それでも生きようとする存在がある。―――隣にいてくれる。
「ふらっ……んっ……」
ほとんど息のような声が闇にとける。そのまま顔をずらさせて、唇を重ねた。子どものような、ただあてるだけのキスを二、三度繰り返した。
「……無理なんじゃ、なかったんですか」
「かと思ってたんだけど。『本田さん』じゃ無理だったんだけど」
種が違う、とはそういうことなのだろう。個人と心中する国はいないし、国家と愛し合う人間もいない―――そのような幻想が人と国家を結びつけているとはいえ。個人が死んでも国は生き続けるし、逆に、国家が滅びようとも人は生き続ける。人の悲しみ、国の苦しみはどこまでもパラレルで、理解することはできても、重なり合うことはない。
同じ存在である日本とはそれを分かち合える。人の生き死にを永遠の視点から俯瞰し、それなのにひとの姿を与えられて一回性を生きる個人とも関わりながら、十年、百年と積み重なる痛みや苦しみに耐えてきた、そのことが肌から伝わってくる。
もっとふれたい。とけあいたい。
「まあ、今ちょっと、無理じゃないっていう証明はできないんだけど」
にや、と笑ってみせると、最初瞬きをしていた日本はやがて怒ったように顔を赤くした。
「何の話ですか……」
「いや、もちろんそういう話。気分的には、ナカで慰めて欲しいんだけど」
「こ、こんな時に何を仰るんですか」
「え、こういう時だからでしょー。革命ほど愛に似てるものはないって」
ごほ、口の中にまで化学薬品の臭気があがってきて、慌ててフランスは下を向いた。こんなやばそうなものを日本に吸わせるわけにも日本の中に出すわけにもいかない。
脂汗を浮かべながら、フランスは最後の意地でにやりと笑った。