Fructidor:後日譚/国
■フランス
「多分さ」
折衝のため走り回るイギリスを遠目に見ながらアメリカは言った。言ったきり、口をコーラ専用にしてしまうものだから、仕方なく促す。休憩時間はあと少しだ。会話は終えておかないとドイツに怒られる。
「多分、何よ」
ストローから口を外し、それでもしばらく黙っていたアメリカは、目をこちらに向けないまま言葉を継いだ。
「――多分、誰にでも、絶対言われたくない言葉ってのがあるんだと思うな」
「んー?」
会議場付きのウェイトレスが淹れてくれたコーヒーは、少し苦く、かなり熱い。寝るなってことだろうなと苦笑いつつそれを飲む。
「ロシアのこと?」
「うん」
それはそうだろう。緊急で開かれた会議は、彼のチェコスロバキア侵攻を巡ってのものだ。米英仏加共同提案で国連安保理も開かれているが、結果は目に見えている。彼は拒否権を持っているのだから。こちらの会議でもロシアはあの笑みを貼り付けたまま、全ての説得を拒否している。ヨーロッパは東西に分断されていて、「東側」のことについては手出しがしにくい。すれば全面戦争を引き起こしかねないと怯むからだ。五十年代のハンガリーやポーランドと比べればその危機は少ないとは言え、アメリカは対ソ関係の小康状態を壊したくない。だから、強くは出ない。そのことを分かっているロシアは、まるでこの茶番劇が早く終わればいいとでもいうような顔で座っている。
結果が分かっていても言わなければいけないことはある。だから、無駄とは思わないようにして即時撤退を求めた。こんなあからさまな内政干渉を許しておくなんてことは、それこそ自分に許すことができない。
「たとえばさー、君が『男らしくない』って言われたとしても、そんなに怒らないんじゃないかと思うけど」
「んんん?……どうかな、うーん、そうかな?」
「ほら、その程度だろ」
それなりに眉をしかめたのだけど、「その程度」だったらしい。
「でも、『だっせー』とか言われたら」
「そりゃ怒るよ」
「だろ?」
いや、だろ、じゃない。このフランス兄さんにそんな暴言はける国がいるなら出てこいってもんだ。
「お前さんは?」
ちらりとこちらを見て、すぐに顔を前に戻したアメリカは、ややあって呟くように言った。――『卑劣漢』。
「……」
そう思うアメリカは、なるほどその言葉を嫌うだろうアメリカの、上司は、しかし「プラハの春」を見殺しにしようとしている。正規の手段によって選ばれた共産党第一書記長ドゥプチェクによる、血と暴力を伴わない民主化改革が、他国の軍隊によって潰される。そんな構図を黙って見逃さなければならないのは、自由と正義を標榜するアメリカにとって忸怩たる状態に違いない。しかも、なぜ見逃すかと言えば、チェコスロバキア政権が同じ社会主義国である北ヴェトナムに武器援助をしていたからだ。世界中から、自分の中からさえ不正と罵られる戦争を続けていることも、アメリカにとってはストレスに違いない。そんなことを言われるのも、推測されるのもごめんだろうが。
考えていたことがばれたのか、アメリカは、そういえばさー、と噂話のように言った。
「相変わらず君んとこが潜伏先になってるみたいだね」
「あ?」
「俺んとこからの脱走兵」
「ああ……うん」
パリ大学サンシエ分校にはその拠点があったはずだ。五月が求めたのは、一つには大学改革、もう一つはヴェトナム反戦を中心とする国際連帯だった。故に、戦争を逃れていく先にフランスを志したアメリカ人は多かった。パリ全体では百人くらいの脱走兵・徴兵忌避者が暮らしているだろうか。
「日本もなー。まさか彼がこの手のことに手を貸すとは思わなかったんだぞ」
「いや、日本自身がやってるわけじゃないだろ」
NATOから脱退して幾分身軽な俺でもそこまではできない。まして日米安全保障条約が命綱でもあり捕縄でもある日本が、政権として脱走援助などできるわけがない。しかし、聞こえもしなかった風情でアメリカは続けた。
「日本でそんな運動は成立しないと思ってたんだよ。兵役が『国家への忠誠義務』で、それを守らなきゃ行けないから、じゃない。みんながやらなきゃいけない辛いことから一人だけ逃げ出す奴は許さない、って社会だからね」
「……きっつい言い方すんなあ」
「え?別に批判してるつもりはないよ。思ったことをそのまま言っているだけで」
「でも、日本が聞いたらやな思いすんだろ」
「えー、だって、そうじゃなかったんだなって話だろ。まあ、変わってきたのか、実は最初から違っていたのかは分からないけどさ」
返答に困って、手元に目を落とす。会議資料と、エアメール用のレターパッド。手紙を出そうと思っていたら、思いがけなく会えることになってしまった。その日本は、ドイツの隣で進行を助けている。
違う言い方で、けれども似た趣旨のことを日本自身が言っていた。市民武装が市民革命に由来する、つまり国のため・理想のために戦うことが国民の脊髄に入っている俺やアメリカとは、一般人と国防の関係が違うのだと。
――先の大戦で、アメリカさんは、軍隊の四割という数の志願兵を集めることができました。一方私は、末期には徴兵率八割です。それでも先の戦争のあの凄惨な戦場から逃げ出す人が少なかったのは、ナショナリズムとは違う心情なのだと思います……。
下が透けて見える薄いレターペーパーを、正方形に切り取り、半分に折る。
確かに、日本の脱走兵支援運動は世界でも注目されたことだったが、「意外だ」とは思わなかった。アメリカほどさえ観察できてなかったということだろうかと思えば、忸怩たるものがある。
「誰だって、変わってきたし、変わっていくんじゃない? 特に今は、そういう季節だ」
肩をすくめて頷いた後、遠くを見る目でアメリカは顔を上げた。
「彼以外はね」
視線の先にはロシアがいる。ある意味では今世紀で一番変わったはずの彼の笑みは変わらない。頑迷なほどにその笑顔は揺らがない。
「認めやしないと思うから、本人には言わないけど、『人間の顔した社会主義』ってのがそのNGワードだったんだ。後半は、本人どうでもいいと思ってるかもしれないけど、前半がね」
「後半どうでもいいってお前……」
誰もが思っても口にしてないことを言うなよ、と苦笑する。もちろん、彼の上司にとってはどうでも良くなくはないだろう。西側の常識からは踏み外している他国侵入を敢えてするのさえ、社会主義防衛のためだ。「民主化」という言葉で自由を許すことが、絶えず攻撃に晒されている(と彼らが主張する)社会主義の腐食の一歩となると考えているのだろうし、理想社会に一番近いことになっている社会主義国に人間性がないという批判は、あまりに根源的で、彼らの逆鱗に触れただろう。けれども、――こういうときに、政体と俺たち国の乖離を思う――ロシア本人は、洋服を着るように社会主義を採択しているだけだ。プロイセンが、壊滅的状態に陥った経済の立て直しと「ドイツ空中分解」の危機を回避するために「東ドイツ」になることを肯ったように、ロシアはただ、みんなで家族ごっこができる毛布のようなものとして政体を考えているに違いない。
そして前半については、そうかもしれないとも思うし、違うかもしれないとも思う。アメリカはロシアがぼろぼろの服を着て震えていた時代を知らない。あの頃からああいう笑みを浮かべていたようにも思う。アメリカには能面のように見えているらしいそれは、寒さのあまり無表情になりがちな北国にとっては、意識しなければ作り出せない顔のはずだ。
アメリカはふいと遠くを見ながら言った。
「チェコスロバキアが要求している『春』は、結局モスクワモデルじゃない。ストックホルムモデルなんだと思うな」
社会主義の民主化というよりは穏健な社会民主主義ということだろう。しかしそれを口に出せば東側からの離脱願望を疑われる。実際スウェーデンがある程度成し遂げているように、それは資本主義と矛盾するものではなく、つまりロシアの上司たちが断固主張する社会主義の優越性を疑わせるものだ。「家族」の幻想を壊したくないロシアと社会主義防衛を何よりも優先させる彼の上司は、同床異夢のもと、その苛烈な弾圧を強行する。
「……スウェーデンの顔も、ヴィジュアルとしては相当アレだけどね」
「全くだね! 子供の頃すっごく怖かったんだぞ」
失礼なことを、流石に小声で言い合って、肩を竦め合った。そこにドイツが戻ってきて、厳つい声で再開を宣言する。
話し合って先に進む案件は、ここには何も無い。そうであったとしても、まずは話し合いをする、そのルールが確立しただけでも第二次大戦後の世界は進歩したのかもしれない。そして、無条件にポジティブな価値を与えられていた言葉が、『そうであること』の意味について、問い直されるようになったことでも。「白人」とは、「ヨーロッパ」とは、そして、「大国」とは。
「平和という言葉の欺瞞」についても、先の運動ではずいぶん言及された。大学紛争が相次いでいる日本でもそうだと言う。「軍隊」を持たない日本が、しかし東南アジア経済を舞台に行っているのは「侵略」ではないのか、大国による植民地支配や独裁政権による圧政とそれによる治安維持という名の恐怖政治は「平和」の名に値するのか――ピロートークというにはあまりにシビアなそれを、ぽつりぽつりと日本は言う。胃が痛むらしく寝ながら体を丸める彼を、一晩中抱きしめていた夜もあった。
言われたくない言葉。それは、言われてしまったから、俺の中にずっとある。
「人は、自由かつ権利において平等なものとして出生し、かつ生存する」。
これらのことはまさに否定できない真理である。
しかしながら八〇年以上のあいだフランスの植民主義者たちは、自由、平等、博愛の旗を濫用し、われわれの国土を占領し、われわれの同胞を圧迫してきた。かれらのすることは人道と正義の理想とは正反対であった。
一九四五年の、ヴェトナム民主共和国独立宣言だ。曖昧な笑顔を絶やさないアジアの面々の中で、彼女は一際だった鋭い視線でこちらを直視する。自由・平等・博愛。大革命の理想は、フランスの名とともにあった。それが裏切りのラベルをつけて並べられていたと知ったとき、単純に憤慨した。けれども、苛烈なアルジェリア戦争とインドシナ戦争の中で、彼女の言葉はずっと脳裏に響いていた。
誰にとっての平和か、何をもたらす博愛か。今はそれが問われている。多分、時代の変化とは、美しい言葉がただ言葉でいられる時代の終わりなのだろうと思う。
言葉の内実が問われるのは、社会主義も同じだ。ただそれを唱えるだけで賛同者が無条件に従ってくれる今に安住していては、ロシアの「家」が中から腐っていくだけだ。本当に支え合う社会なのか、労働者自身が主体として生きられるのか――それを問い直さなければ多分主義自体存続できないだろう。
また「他人事」と言われるかもしれない。いや、他人事なのじゃない。誰にとっても、それぞれの「自分事」なのだ。
手慰みに折り続けたレターペーパーは、諦めの別名である会議終了とともにいくつかの花になった。わお、と隣のアメリカは目を見張る。
「ペーパークラフト?」
「そんな大仰なものじゃなくて、子供が遊びで作るようなものだって日本は言ってたけどな」
「ああ、日本の文化なんだ――」
そこでアメリカは不自然に言葉を切った。
「どした?」
「うん? いや。今度遊びに行って教えてもらおうと思って」
「俺が教えてやるよ」
「いいよ。ほら、もうすぐ安保のタイムリミットが切れるからね。自動延長するとは思うけど、時期が時期だけに、今回も大変だろうからさ」
「接続の関係がおかしいだろ」
大変なのは、時限付きの条約を大事に守るからだ。六〇年にも大きな国民運動に展開した反対運動は、過激派が各地で機動隊と衝突している今、どれほどの暴動になるか分からない。
「おかしくないさ、延長しなきゃもっと大変なんだから。何言われたってそこは変えられないよ――日本は、俺が守る」
それまで、前を向いたままだったアメリカは、言葉の最後、こちらを振り返って、強い目線を向けた。
一瞬頭が退きそうになるくらいの目力だった。
褒めるときも貶す時も直截、と日本が表現したアメリカは、事実だけを述べた。
挑発されるのは馬鹿だ、ガキだと頭の中で声がした。けれども、気づけば反射的に答えていた。
「形而下ではそうだろうさ。どんな意味でも、日本はお前に一番近い。けど、形而上の世界では別だ。俺が、日本を――支えるよ」
「――」
しばらく口を引き結んでいたアメリカは、唐突に目を落とした。
「ああ、そう。やっと、気づいたんだ――」
その言葉に息をのむ。「実は、ずっとずっと憧れていました」と囁いた日本。その秘密を、まさかこの何でも口にするアメリカが気づいて、しかも、黙っていたと? 声も出せないでいる俺を前に、アメリカは床を見ている。そして、不意に顔をあげてからりと笑った。
「―――だっせ!」
アメリカは、まるで先ほどの緊迫感が嘘のように緩い雰囲気を身にまとって、折り紙の花をつまみ上げた。
「ベルフラワー?」
頷くと、なるほどね、と指でつり下げている。
「――要るか?」
「ええ? 要らないよ……もとはといえばただの紙じゃないか」
確かに、と苦笑し、ふと思い出す。
「……そういえば、『これは、紙か、花か』って、昔、聞かれたなあ…」
「ふうん?」
くい、と眼鏡を押し上げて、アメリカは言った。
「もしこれを、今君が、ロシアにあげたなら、これは『ゴミ』だろうね。でも日本がもらったなら『プレゼント』になるんじゃない。そういう話?」
「そう……かな?」
そうだったんだろうか。まさか、あの全身軍隊男も、気づいていて謎かけしたんだろうか。それを問うことはできない。彼は「東側」だ。考え込んだ俺をよそに、アメリカは指に摘まれた鈴蘭をしばらく見て、言った。
「君からもらうなら、食べ物がいいなあ。ほら、あの貝の形の」
「マドレーヌ?」
「それ、それ。昔よく、こういうぎすぎす系の会議の時に作ってくれたじゃないか。あれ、ありがたかったなあ――ねえ?」
突然仰け反って背後に語りかけたので、驚いて目を上げる。と、眉間にしわを寄せたドイツがたっていた。
「ああ」
思わず目をぱちくりさせる。美味しそう、という表現からはほど遠いしかめ面で食べていた記憶しかないけれども。
「あの頃は、あの状況にもかかわらず兄貴がちょくちょくお前とつるむのを苦々しく思っていたんだが、毎回土産の菓子にごまかされててな。食べると条件反射で眉が寄ってた」
わざと寄せた眉を開いて、ドイツは笑った。
「文句なく、美味かったからな」
「そりゃ――どうも」
「あのさ! 俺ががんばってケーキ作っても、日本にとってそれは食べ物じゃないらしいし、イギリスが張り切ってスコーン作っても、まあ、あれだ。けど、君のは誰にとっても幸せのお菓子だからね、作って持ってくるといいんだぞ!」
勝手な理屈をぺろりと述べるアメリカに苦笑しつつ、つい材料があったかなと考えてしまう。と、アメリカは手に摘んでいた鈴蘭を高く持ち上げた。げ、と顔がこわばる。
「これ、フランスが作ったんだけどさ」
――空気読め、というか、考えてものをいえ。
みるみるうちにドイツの顔がしかめられる。
「ほほう、先の会議中にか」
顔はアメリカに向いたまま、裸絞めをかけてくる。
「ギブ!ギブ!ごめんなさい!」
「君、いる? こういう可愛いの好きだろ」
え、と振り返るが、アメリカは何でも無いような顔をしている。そしてドイツは、あー、と間延びした声を出した。
「もらっていいのか?」
「え、あ――うん」
アメリカからその小さな花を受け取り、ドイツは「ダンケ」と言った。
「綺麗だし――これなら、兄さんに送れる」
「――」
もう一度「ダンケ」と言ったドイツに首を振る。
「こちらこそ――もらってくれて、ありがとう」
歴史的な因縁、という言葉ではすまされないほどにもつれていた関係だった。決定的とも言える第二次世界大戦を経験して、しかし、エリゼ条約が成った。そこから、とにかく顔を合わせて話し合える関係を一歩ずつ作ってきた。プロイセンという紐帯もないままに、それでも、一歩ずつ。
ドイツも俺も、高すぎるプライドのせいで折り合えない時もある。傷つけたし、傷つけられた。それでも、今、花を贈る関係になれた。
東側との壁は厚く、高く、生鮮物は送れない。手紙も何重にも検閲が入る。
けれども、そんな関係が永久不変のものであるとは限らない。
変わってきたのだから。
変わっていける。
強い眼差しの彼女、ヴェトナムを思う。
いつか彼女が、言葉を、花を、もらってくれるとしたら。それは、花が花であるように、言葉が『そうである』日だろう。
小説の一句を思い出す。
「空間のなかで人間にわりあてられた場所はごく狭いものだが、人間はまた歳月の中にはまりこんだ巨人族のようなもので、同時にさまざまな時期にふれており、彼らの生きてきたそれらの時期は互いにかけ離れていて、そのあいだに多くの日々が入り込んでいるのだから、人間の占める場所は逆にどこまでも際限なく伸びているのだ――〈時〉のなかに。」
そうして人がたえず生まれて、時にふれ、時を駆ける、その集積として俺たち国の歴史がある。
「お待たせして――」
約束のポーチで待っていたら、とたとたと日本がやってきた。アジア連中に捕まっていたらしい。関係改善に向けて大事な時期だから遠慮せず、と言っておいたのに、恐縮で頭を下げている。前でそろえた両手をとって、その中に、紙を、いや花を、いや――幸福への祈りを、入れた。