五月余話

フラ菊

■本田菊


 羽田の警戒は厳しかった。先日、佐藤首相の東南アジア訪問を阻止すべく大規模なデモが行われ、警官隊との衝突の中、一人の学生が死亡していた。暴徒と化した三派全学連のデモ隊が奪った装甲車による轢死――との公式発表に対して、警官隊による撲殺だったとの噂も流れ、殺伐とした空気が漂っていた。学生とみると目をすがめる警備員をよそに、菊は淡々と出国手続きをした。服と本と生活用品、それに小さなトランジスタラジオ。見るほども無いトランクを係官はチェックする。
 オルセー空港への航空券が支給されるようになったのは今年かららしい。去年までの国費留学生はインド洋周りマルセイユ港という伝統的ルートを通ったという。巡り合わせの悪さに菊は少し肩をすくめた。
 デモが抗議していたのは、米軍による北爆をいち早く承認した首相の訪問先に、南ヴェトナムが含まれていることだ。四月の反戦デモはニューヨーク・ワシントンで五十万人を超えたという、そんな世界規模の反戦の空気の中、我が国はアメリカに追随しヴェトナム介入を支援している――そう思い、菊は頭を振った。この期に及んで「我が国」とは――未練がましい。
 菊は胸ポケットのボタンを外し、返されたパスポートをしまって、そのかわり、折りたたんでいた紙片を取り出した。渡されてから何度も見返したために少し角が丸くなりかけている。
 フランス政府からの官費給付留学の許可証。もちろん無くすわけにはいかない大切な書類だが、実際の手続きに必要なものではない。ボストンバッグの一番下にでも入れておけばいいものだ。書いてあることも形式的なもので、具体的な手順その他は別紙が用意されている。タイプでうたれた形式的な文書、菊にとっても、これを発行した仏文部省にとってもそれ以上でも以下でもないはずのものなのに――落書きがある。
 どうしてこういう「公式文書」が発行されたのか、菊にはまるで分からない。フランス人が洒脱で機知を大切にするとはいえ、同時に形式や慣例を遵守する側面もある。サインの位置まで定められているだろう定型文書、それも全世界に向けて何十通と発されているだろう文書に、文部大臣のサインを縮こまらせるようにして、引用句が書いてあるのだ。

――いらしてください、サクラソウとともに、マメダオシとともに、キンポウゲとともに。

 留学の申請には、研究業績が求められた。紀要にまとめたものを仏訳した論文はプルーストにおける時制の扱われ方に関するものだ。当然『失われた時を求めて』についても大量に引いている。その論文に対する評価は、ただ留学許可の一言に集約されてしまっている。そもそも査読を行うのはこの文書作成に関わるようなトップ階層ではないはずで、高名な文学者でもある大臣は、単に下部組織からあがってきたリストを眺め、業務的に名前を書いただけだろう。日本の官僚制から類推するにそういう筋道のはずで、よってこの文書は宛名の箇所だけ入れ替え可能の、公平にパブリックな――つまりは誰に宛てられていようと変わらない種類のもののはずなのに。
 そのはずなのに、『失われた時を求めて』の一文が書き付けられた文書は、しかも熱意をもって来訪を請うたルグランダンの言葉は、まるで菊に宛てたかのようで、――フランスそのものにそう呼びかけられたような錯覚を菊に許した。
 検問をくぐり、もう二度と踏み入れることのないだろう「日本」を振り返った。
 捨てるわけではない。捨てられたのだ。

――よしやうらぶれて異土の乞食かたゐ となるとても

 昔習ったこの詩が、こんなにも切々と思い出されるなんて、思いもしなかった。

――帰るところにあるまじや。

 それでも――錯覚でも、この言葉が、私を支えてくれる。根を失った花にも、春を告げることができるのだと言ってくれる。
「……さようなら」
 口の中で呟いて、菊は前に向き直った。搭乗時刻が迫っていた。