五月_1969:後日譚/人+国
■フランシス
突然、脳幹が微笑みに抱擁された。
脳裏にふわりと舞い降りたその笑みの持ち主が誰かはいわでもがな、確かにそれはこの一年何度も間近で――ごくごく身近に見たもので、今も部屋で帰りを待ってくれているはずの菊が時々見せてくれるものだったが、その幸せのイメージがなぜ今沸いてきたのか分からなかった。
それを呼び起こしたもの、それまではなくて今ここにはあるもの、それは今しがた摘んだこの鈴蘭だ。もう一度手に持った可憐な白い花房に顔を近づけ、目を閉じる。先ほど一挙に胸に押し寄せた幸福感は今は静かに引き、沖合で凪いでいる。しかし、遠ざかったそれから視線を外さず、鳩が飛んできた方を眺めるノアのようにじっと水平線に目をこらしていると、あやまたずその微笑みの波は花の香りとともに押し寄せてきた。
――フランシスさん。
常に静かな微笑をたたえている菊だが、その時はそれまで見せたことのなかった顔をしていた。全的な幸福。それが形になったような笑顔。
――覚えていてください、今、私が「ありがとう」と言ったことを。
* * *
シャルル・ド・ゴールが「五月革命」の終わりに見せた逆転劇は、呆気にとられるほど鮮やかだった。 昨年五月三十日、彼のラジオ演説を、多くの人間は退陣発表を予期しつつ聞き始めたが、そこに現れたのは、パリ解放の英雄、『全体主義的共産主義』との対決を宣言する将軍の姿だった。放送にあわせてシャンゼリゼで行われたドゴール派のデモは三色旗を掲げ「フランス人のフランス」を大々的にうたいあげた。
六月に行われた選挙でも共和国民主連合は圧勝、五月革命終盤で学生に合流した形の左派は大幅に議席を減らした。その半月前にはソルボンヌの占拠も解かれており、抗議デモは禁止、政治的小グループは解散と、政権は強圧的姿勢に出ていたが、それへの有効な反撃は学生からは出されなかった。彼らは、パリを出ていたのだ。バカンスの季節だったから。
「その辺、流石フランス人だなあと思います」と 菊はぼんやりした目を中空に漂わせた。
「そう?」
「徹底的に個人が優先なんですね。日本でも今ずいぶん動きがあるようですけど、こういう時に『バカンス』なんて許さないような気がします」
「許すって」
許すも許さないも、自分で決めることでしょうに。そう思って笑ったら、菊は「いやー……」と首を傾げた。「なんというか――こういう運動でも真面目にやりすぎて集団で突っ走っちゃうのが日本人って気がするんですよね。真面目な人は、周りにも真剣さを強要するし」
選挙結果を告げるラジオを切った後、ベッドに並んで腰掛けたままそれぞれぼんやり考え事をしていたが、菊はその会話をきっかけに腰を上げた。
「コーヒーでも入れましょうか」
「うん……」
菊のアパートでは台所設備は共有だが、アルコールランプで飲み物が用意できるようにしてある。貧乏学生のこととて、味も香りも抜けきったものでも手軽に飲めるのはありがたい。だが、首を振った。
「ね、カルチェ・ラタンに行かない?」
「あ、いいですね」
そう言って菊はちらりと窓の外を見た。そう、空が見たいと思ったんだ。気持ちを共有したようで嬉しくなる。
アパートを出て、大きく深呼吸をした。バイトと研究にあけくれる菊と、最大限時間を共有したくて、菊のアパルトマンに入り浸っている。中年女性の大家は鍵を開けてくれと頼む度にじろじろとこちらを見る、その視線から解放されるとちょっと大きな息をしたくなる。
部屋にいるからと言って、構ってもらえるわけではない。こちらも院生、研究課題は多い。菊は机で、俺はベッドに数冊を広げて読書、時々菊が文法を尋ねて俺が答える、俺がアルコールランプでコーヒーを入れて菊が礼を言う、そんな静かな時間を過ごしている。……ことの方が多い、と大家に向かっては主張したくなる。
歩きながら菊が言う。
「戻ってからで構わないんですが、ドレフュス事件についてもう少し教えて頂けますか」
こちらの専攻が歴史だからということもあるだろう、こういう質問もよくされる。研究対象のバックボーンを知るのは文学研究の基礎だからだ。
本当に大変な時期に書かれた本ですよねえ、と本棚のプルーストを見ながら言っていた。第一次モロッコ事件にオイレンブルク事件、第一次バルカン戦争……。「サント=ブーヴに反論する」という名の評論として一九〇七年頃綴られ始めた文字は、第一次世界大戦前夜、小説『失われた時を求めて』となって第一篇が出版された。ゴンクール賞を受けもしたこの物語は、加筆修正とそれによる世界拡張を続け、結局未完のまま作者の死去により最終の形を与えられてしまう。
故に断定できないけれども、ひとまず今遺された形で判断するなら、クライマックスの一つは空襲下のパリである。「ワルキューレの騎行」のようにドイツ空軍が襲い来る中、第二主人公ともいえるシャルリス男爵は、男妾窟の中で若い男に鞭打たれ歓喜にうめく。戦争という国家一大事より快楽を優先する彼の男妾窟と、その街に降る焼夷弾を、語り手である「私」は、旧約聖書のソドムの街に、降り注いだ神の火にたとえるのだ。
菊は「流石フランス人」という言い方をしたが、集団の熱狂の渦に巻き込まれることは、フランス人にもある。その最たるものが二度の世界大戦だ。国境を越えて帝国主義的戦争を止めようとした第二インターナショナルの希望は挫折したし、対独感情は修復不可能なレベルに至った。ドイツ贔屓のシャルリスは俄愛国者の言動を冷笑する。「もし彼がドイツに住んでいたら、愚かにも情熱をこめて不正な立場を擁護するドイツのばか者たちにすっかりいらいらしたことは、疑いの余地がない。けれどもフランスに住んでいると、愚かにも情熱をこめて正しい立場を擁護するフランスのばか者たちが、やはり彼をいらだたせるのであった」。
この大河小説の、同性愛と並ぶ重要なモチーフがユダヤ人問題だ。中でも一九世紀末に起き、ゾラが「我弾劾す」との声を上げ、一九〇六年に無罪が確定したドレフュス大尉の冤罪事件は、作中でも大きく取り上げられている。
小説の中で同性愛者とユダヤ人は重ね合わされている。その両方の属性を持つ作者は、しかし彼らを擁護しない。彼らの美しさも醜さも、世間からどのように扱われるかも、ただ淡々と描いていく。しかし、プルーストが肯定的に描いていると思われる、このシャルリュスの冷静な、または冷淡なまなざしは、疎外感と無縁では無い。疑いなく「我々」の中にあると思えない、からこそ見えてくる「我々」の姿もある。
「鈍感だと非難されても仕方が無いんですが、どうにも、ユダヤ人問題というのはぴんと来ないんです……」
そう言って、菊はうつむいた。
「非難しても仕方ないんじゃない?日本にはいなかったわけでしょ」
「……日本にも、特定の人々に対する歴史的差別はありまして、今もある――のは知っているんですが、これが地域差が大きい話なので、こちらも私はぴんと来てないんです」
「先住民族?」
「――ああ、そちらも、あります。そちらの方が近いのでしょうね、言葉や文化に独自性があって、ある程度外見的特徴もあるという意味で。今言ったのはそうではなく、民族による違いではない、ですので、『見て分かる』ことはたぶんない人たちなんです」
頷いて、先を促す。菊は考え考え言った。
「同じ頃と言えば同じ頃ですね、日本の自然主義文学の嚆矢と言われる小説がそれを描いた話なんです。先も言いましたように、ぱっと見には分からないのですから、主人公は、父に、『そうであること』を隠せと言われるているんですね。そして、隠すのに失敗した人がどんな目に遭うかも見てしまう。けれども、色々な人々との出会いがあって、『そうである私』を引き受ける、という話になっています。
その引き受け方については当時から異論が出されているのですが、ともかく小説として主人公の心の震えと変化を辿っていく作家の筆は冴えています。そして、先ほども言いましたように、私はこの問題をそれとして実感することはできなかったので、――自分に重ねて読みました」
「……」
カフェの前、言葉には出さず頷きあって、テラス側に行く。空につながるところにいたい。
コーヒーを注文して、菊は軽く手を振った。
「話がそれましたね。いえ――『そうであること』とは何か、という意味では逸れていないのかもしれません。なぜドレフュス事件のことをお聞きしようと思ったかというと――コーン=ベンディット君に対するフランス人一般の感覚について知りたくなったのです」
「ああ……」
五月のあのムーブメントは、誰にも指揮されないというのが共有されたポリシーだった。とはいえ、先導者、またはアジテーターはいた。ナンテール校のダニエル・コーン=ベンディット、通称赤毛のダニーだ。ナチズムから逃れてフランスはモントーバンに来たドイツ人の子、つまり、ドイツ系ユダヤ人である彼は、西ドイツ国籍を取得しており、故に運動中にフランスへの帰国が妨害されるという一幕もあった。
四月にはベルリンでファシストが学生活動家を射殺するという事件が起きていて、パリでも抗議デモが行われた。運動はヴェトナム反戦とファシスト打倒を叫び、世界との連帯をアピールした。その中で、あるシュプレヒコールがわき上がった。――われわれはみなユダヤ人でありドイツ人である。
もちろん、デモに参加した人々の過半は『そうではない』。つまり、叫ばれたのは『そうであること』ではない。『そうであること』が差別と偏見につながり、彼と我を隔てることへの抗議である。
それが逆説的に表れたのが、三色旗の乱舞したドゴール派のデモだった。彼らはこう言った。「フランス人のフランス」。ユダヤ人問題がぴんと来ないという菊にはたぶん想像がつかないような人種的偏見が「ドイツ系ユダヤ人」にははりつけられている。デモ隊の一部はこうも言ったという
――「コーン=ベンディットをダッハウへ送れ」。
フランスにおけるユダヤ人狩りは、あくまでナチスドイツが行ったもの、フランス警察はそれに従っただけとされている。けれども、原史料にあたれば、それは「大人の方便」に過ぎないことが分かる。一九四二年のヴェルディヴ事件、一万人以上のパリのユダヤ人を検挙して、ヴェルディヴ競輪場に押し込め、ポーランドの強制収容所へ送り込んだあの事件。ナチスドイツが要請したのは「十六歳以上の」一定数のユダヤ人の検挙だった。それなのに、「二歳から十二歳までの子供は連れて行かせる」とし、人数も大幅に増やし、あまつさえ「春のそよ風作戦」と命名したのはフランス警察だ。フランス人は、パリに遺されたユダヤ人孤児たちの面倒を見るのが嫌だったのだ。
「うーん」
「すみません、重い話になっちゃいましたね」
「うん?いや、菊ちゃんが謝ることじゃない。難しいなあと思うけど、この国に生きる者が考えなきゃいけないことだよね」
「……私がこのまま研究を続けて、大学教授資格試験に受かって、この国で仕事を得られるなら、私も分からないなりに、そして異邦人なりに、考えていくことだと思ってます。私は『フランス人のフランス』には排除されるでしょう。どれだけ流暢にフランス語を操ってもフランス人にはなれない、けれども、――それでも憧れるフランスの中に、私もいる」
「……」
「少なくとも――」
菊は小さく笑った。
「それを聞いたとき、フランス人はみな本当にフランスが好きなんだなあ、とは思いました」
「や、そりゃそうですよ。でも、好きだからこそ、自国には美しくあって欲しいじゃない」
今度はもう少し大きく笑みを見せて。
「そこで、『正しく』や『理想的で』じゃなくて『美しく』というのが、流石フランスですね!」
美しい表現、というところから話はフランス詩に移り、そしてまたプルーストに帰ってきた。菊はいくつかの文章を暗唱した。美しい比喩の中に人間と存在に対する洞察を込めたそのフレーズは、菊の低く優しい声と相まって心にしみいった。
コーヒーを飲み終え、店を出たところで思いついて聞いた。
「ところで、なんでアレを読もうと思ったの?日本では普通なの?」
「まさか! もちろん文学史では習いますが、読破した人は少ないでしょう。十年ほど前に全訳が出てはいますが……」
顔の前で手を振って、菊は笑った顔のまま言った。
「何でかというと、本屋にあった中で一番読み終わるのが遅くなりそうだったからです」
「え?長いからってこと?」
こくこく、と菊は頷いた。「『大菩薩峠』と二択でしたがあちらは日本語なので」という、それはよく分からない。
「大学三年の夏休みで、帰省から戻ってきて、その足で古本屋に行きまして。積んでひもで縛ってあったそれと、途中で買った素麺の箱を両手に提げてアパートに帰りました。そうしたらもう外に出なくて済むでしょう。引きこもりをするためだったから、長ければ長いほどよかったんです。それで、延々、最後は素麺も尽きて、それでもずっと読み続けて――外に出たらもう秋でした」
「何かあったの?」
聞いた後で、間抜けなことを質問した、と恥じる。尋ねるまでもない、外に出たのは、読み終わったからに決まっている。と、菊は小さく微笑んで答えた。
「呼び鈴を鳴らされたんです」
あ、中断させられたのか。その無念はよく分かる。
「ああ……。あるよね、すごく集中して読んでるのに、人が来ちゃうって」
「……」
返事は一拍遅れた。それから、菊はゆっくりと微笑を顔全体に広げて、頷いた。
「……いえ、集中してた間は気づかなかったんですが、ずっと鳴らしてくれてたみたいで。隣の部屋のアメリカ人留学生だったんですけどね、読み終わってしばらくしたら音が聞こえてきて、『あ、鳴ってる』とドアを開けたら、ゾンビでも見るような顔でぎゃーって叫ばれて」
辻褄が合わないようなという引っかかりも菊の話術で飛んだ。この顔をゾンビとは失礼なアメリカ人だが、飲まず食わずで一心不乱に読んでいたなら形相も変わっていただろう。
「そのまま引っ張り出されて、うどん屋に連れて行かれました。いわゆる『プルースト体験』でぼんやりしてましたから、話も半ばにしかきいていませんでしたが、もっと食えだの、太陽にあたれだの、強引に連れ回されて――ああ、心配してくれてたんだなあって」
ほわん、と笑う。気のせいじゃなければ、そのアメリカ人留学生とはこの前大胆な筆跡のエアメールを寄越していた男だ。妬く話では無いと思うが、そういうポジションにいられた奴がうらやましい気もする。そんな気持ちをつゆ知らぬ風情で、菊は、軽く髪をかきあげ、あの日の風は、本当に気持ちが良かった、と目を細める。
「私は、文学の中にこそ真実はあると思う方ですが、やはり現実の太陽や、風や、花や、美味しいものが教えてくれるものはあります、その時そう思いました」
突然、菊が足をとめた。通り過ぎようとしていた花売りが得たりとばかりに持っていたプチブーケを菊に差し出す。
「鈴蘭…」
「って日本語では言うの?」
「ええ。そんなに日本では咲かない花ですが、うちの家の辺りには野生種が咲いてました」
菊はそのミュゼの花を買った。いい香り、と言うので、胸に抱えた花束に顔を寄せる。近くなった距離に、菊は少し顔を赤くした。そして、囁くように言った。
「ありがとうございます」
「ん?」
「あの風が、『呼び鈴』になりました」
* * *
ミュゲの日に限っては、花屋でなくても鈴蘭を売ることが出来る。森に行けば摘める草花なんだから、花屋を介さず贈ったっていいはずだ。お金が惜しいわけじゃない、全的に自分が関わりたかったのだ。去年はまだ知り合っていなかった。だからこそ、今年は贈りたい。それで、早朝から森に来た。
そして、甘い香りに包まれたとき、まさに無意識的記憶によって、一年前の菊の微笑が思い出されたのだ。
実を言うと、十三巻もある『失われた時を求めて』は同性愛モチーフの印象が強すぎて、ところどころ記憶から抜けていた。菊の部屋で読書に一区切りがついて、それでもまだ時間が余ったりしたときなどに読ませてもらって、この一年でずいぶん補完した。――それで気づいた。
同性愛が大きく扱われるとはいえ、作者に重ねて読まれるだろう主人公の造形からは、同性愛的性向を用心深く排除してある。主人公は女性相手に大きな恋を二度体験する。そのうちの後者、アルベルチーヌとの恋愛は一進一退に見え、読み手をじりじりさせるのだが、出会いの夏の最後、アルベルチーヌはとうとうホテルへの夜の訪問を許す。ベッドに横たわる少女の薔薇の頬に触らんとする主人公は、陶然とした中で、生命が、いや世界が自分の内部にあるとさえ思う。そして、抱擁へ彼が動き出した途端、アルベルチーヌは、それを彼に許したはずのアルベルチーヌは、まるで暴漢に襲われた他人のように、けたたましく呼び鈴を鳴らすのだ。
「――――――」
――何かあったの?
――呼び鈴を鳴らされたんです。
「引きこもりの終わり」について尋ねられたのだと知るよしも無い菊は、「引きこもりの始まり」について答えたのだ。
考えてみれば、それと結びつけられるような言葉が並べられていた。
具体的なことは何も分からない、けれども――たぶん、菊は誘惑され、期待し、その場で、切って捨てられたのだ。呼び鈴は、暴いたに違いない。隠せ、隠せと自分に言い続けた菊の、世間に受け入れられない愛の形を。
思わずしゃがみこんだ。なんて――なんて間抜けな応答をしてしまったのだろう。
屈んだ姿勢のせいで、花の香りがより強くなった。
――フランシスさん。
花は菊の笑顔を連れてくる。それに自分が値しないと思っていてさえ。
――覚えていてください、今、私が「ありがとう」と言ったことを。『あの風』が、『呼び鈴』になりました。……『呼び鈴』は、優しく懐かしいものになりました。
「今日の俺までお見通しだったわけね……」
頭を抱えると、まぶたの裏の菊は小さく声を上げて笑い、かぶりを振った。
――ありがとう、としか言わないのだから、ごめんなさいとは言わないで。
頭の中の菊は囁きながら俺を抱きしめる。
ああもう――信じられないくらい、ださい。才気と野暮 がフランス人度を示すなら菊の方がよっぽどフランス人だ。
それでも、愛に生きる人々の国の、その一人として、幸福の花を腕一杯に抱えて、今、君に会いに行く。