殻を叩く音が聞こえる

APHその他(非CP)

「色々、驚きました……」
 しみじみと日本は呟いた。
「ん?そうか?」
「ドイツさんの師匠というと何の分野でもプロイセン君なのだろうと思っていましたし、イギリスさんと聞いても、今のドイツさんのような丁寧な指導をなされたのだろうと思いましたし……」
「あー、前から思っていたが、日本のイギリス像はちょっとフィルターが掛かっている気がするぞ」
「いえ、イギリスさんは紳士ですよ。でしたよ?」
 言い切る日本に、ドイツは苦笑した。違うと言い張っても仕方がない。これだけ長く付き合ってもそう見えるなら、本当にそうなのだろう、日本にとっては。それはともかく、とドイツは笑った。
「……この前、ゼンの本を読んでいて、ソッタクドウキという言葉が出てきた」
「え。えー、えー…。あ、卒啄同機ですか!」
 卒は、雛がかえろうとするとき内側から殻をつつくこと。啄はそれを聞き取った親鳥が外側からつつくことだ。両者が噛み合ったとき卵が割れ、雛がかえる。理想の師弟関係を喩えた言葉だ。
「多分、あの頃の俺に必要だったのはああいう何でも好きにやれ式の導きだったと思うし、背伸びしがちな今のお前に必要なのは、自分の長所をしっかり固める俺のやり方だと思う」
 ふむふむ、と頷いて、日本ははっと顔を上げた。
「私の、長所……」
「うむ。我慢のプレーを続けて、諦めず挑戦するところ、そしてチームプレーに強いことだ。そのためには」
「ゲナウ、シュピーレン、ですね」
「そうだ」

 こうして迎えた東京オリンピックで、日本チームはアルゼンチンを破り準々決勝に進出した。それ以降の試合ではアマチュアの仕組みをとる東欧勢にこてんぱんにやられたが、それでも開催国としての面目は立った。ちなみに東西統一ドイツは東ドイツチームが出場していて、三位決勝戦で勝ちドヤ顔をするプロイセンに、日本は思わず思い出しによによしてしまった。


 そして、一九六八年。
 出場権を獲得し、グループBに入った日本チームは、強豪ブラジルにもスペインにも我慢で引き分け、ナイジェリアに快勝してトーナメントに出場。更に準々決勝でフランスを破ったが、準決勝ではハンガリーに大差で負かされた。三位決定戦の相手は開催国メキシコ。ホームの利に加えて、半年前の試合では四対〇で圧勝しているから、メキシコ側には余裕があった。
 試合の前、ドイツは緊張で死んだ眼になっている日本にの肩を揺すり、励ました。
「我慢するんだ。前半を無失点で切り抜ければ勝機はある」
「……」
 黙るとスタジアムの歓声が響いてくる。四面墨歌だ。しかし、ドイツは「大丈夫だ」と言い切った。
「奴はラテン人だ。点が取れれば調子にのるが、取れないとやる気を無くす。観客も、自国かどうかよりいい試合をしている方を応援する。もうメキシコの戦法は研究してあるだろう?」
「はい」
 言葉とともに口を閉じると、今度はきちんと歯の根があった。
 直前に負けたからこそ、しっかり研究した。ペナルティエリアに入ったところでディフェンスの後ろにボールを放って、そこに走り込んだ選手たちがワンツーでシュートを狙う。だからディフェンスは大きく蹴って、カウンターを狙う。大きく蹴って前線に出し、パスで左サイドと中央をつないで、蹴り込む。ドイツが念入りに指導してきた必勝の型だった。
 説明を受けて、ドイツは大きく頷いた。
「お前は、大きくなった。だから、背伸びしなくていい。できることを、正確に、だけど思いっきりやれ」
 大きく息を吸って、はい!と答えた後、日本は「あの、でも、私ドイツさんよりずっとおじいさんですよ!」と頬を膨らませた。

 いい感じにこわばりがとけたからだろうか、狙った通りの形が作れた。勢い込むメキシコの攻撃に耐え、うまくカウンターからシュートに持ち込めたのが前半十七分。更に三十九分にもミドルシュート。点の取れない選手達に観客は苛立ちを示し、逆に「ハポン、ハポン!」と応援し出す。ドイツの予測は当たった。そのまま日本は耐えきり、銅メダルを勝ち取った。アジア勢で初めて、ヨーロッパ以外ではウルグアイ、アルゼンチンに次いで三番目のメダル獲得だった。
 祝いを述べようと選手村に急ぐドイツは、前を行く姿に気がついた。イギリスだった。
「……なんだよ」
「いや。日本には紳士だな、と思っただけだ」
「なんだそりゃ」
 別に俺はあいつのためじゃなくて……となにやら言葉が続いたが、構わず先を急いだ。ぽこぽこ怒りながらイギリスが追いかけてくる。ドアを開けたところで急に立ち止まったので、イギリスはドイツの背中に突っ込んでしまい、盛大に蒸気をあげ、ようとした。
「……」
 唇に指を当てて、ドイツが振り返る。どうしたのかとイギリスが覗き込むと、日本は長椅子に倒れ込んだまま気を失うようにして寝ていた。
 メキシコシティは高地で、空気が薄い。そして暑い。スケジュールも厳しかったから、体力の限界がきたのだろう。
「(おいクラウツ、足持て。ベッドに運んでやろうぜ)」
「……」
 本当に、この二枚舌というか、二枚面野郎は。ドイツは苦笑して、言われるまま足を抱えた。二人で持てば、改めて体の軽さを感じる。こんな細い体で、色んなものを抱えて、よくがんばったものだ。額に散らばった髪を手櫛で整えてやると、日本は小さく息をついたようだった。
 しばらく黙っていたイギリスだったが、やがて、起こさないような小さな小さな声で日本に語りかけた。
「(フェアプレー賞だってよ。お前がその最初の受賞者だ)」
 優しい眼で日本を見たまま、イギリスは続けた。
「(ずっと前に、それが大事なんだって教えたことがある。……繋がってんだな)」
 この野郎、とまたドイツは思った。コーチの俺を労う必要はない、俺をぐっとこさせる必要はないだろうに。
 落ち着いたらしい日本の寝息が、二人を優しく包んでいた。