イヴァン×菊
「あ、もしもし、本田くん?今いい?いいよね?」
「イヴァンさん、珍しいですねお電話なんて。ええと、そのう、もしこみ入った用件でしたら、」
「ううん、ぜーんぜん!」
切られようとする気配を察して先回りする。実際、別に複雑なことではない。けれども、火急の用でも国事でもないので、少しだけ配慮なんかしてみる。
「仕事忙しいの?」
「いえ、今日はお休みなのですが、あっ、……今ちょっと、近所の子供が来ていて――」
「ふうん?」
ここで機嫌を損ねるほど子供ではない。
「あっ、もう!アルフレッドさんもギルベルト君も、庭に出てください!!」
手で塞いだらしい送話器から、それでも声が入り込んだらしい。ここで機嫌を損ねても文句は言われまい。ふうーん!
「おじいちゃん、『近所の子供』に慕われてるねー」
「いや!違うんです、本当に家の近くに住んでいる子供が遊びに来ていて、そこにふらっといらっしゃったお二人が、遊び相手をしようとして、こう、こう……」
「本気の相手になっちゃったんだ」
「ええ、まあ。今日、うち、季節外れに暑いんです。そのせいだと思うんですが、張り切られてしまって。襖の危機でした……」
耳を澄ませば、確かに少年らしい甲高い声が聞こえる。それにドゥルッフウ!だのケセセセセー!だの、歓声が入り交じる。ガキか。ガキだ。いらっとした気持ちを振り払う。いやいや。彼らが馬鹿丸出しもとい天真爛漫でも僕には関係ないし。本田君に無遠慮に甘えるガキでも関係ないし!
「まとめて庭に追い出したので、しばらく大丈夫です。何の御用でしょう?」
「うん、あのねー、テレビでちらっと見た日本料理作ろうと思っていたんだけど、分からないところがあって」
「なんと!何をお作りに?」
「煮た大根に醤油ソースかけたの」
「ふろふき大根……でしょうか?」
「分かんない。テレビでは大根の煮物って言ってた」
「なるほど。ソースをかけるというなら砂糖味噌の風呂吹きだろうと思いますが、外国の方には醤油ダレの方がまだ違和感が少ないかもしれないですね」
ふんふんと頷く声は僅かに嬉しさをにじませている。自国のものに興味を持たれたのが嬉しいのだ。
「実の所、日本でもアレンジは結構なされているのですが、日本料理と言うからには正統派のものをご案内したいですから、聞いてくださって嬉しいです。さあ、何なりと……ちょ!木刀は禁止です!!」
最後のは庭に向けての怒鳴り声だ。おこさまたちは何をやっているんだか。笑い声も悲鳴も間断なく起きている。
「……本田君も、あの二人にはすぐ怒鳴ったり笑ったり泣いたりするよね」
「泣きはしません」
「ふーーーーん」
泣いてたじゃん、と口にはしない。あのときも、あのときも。そんで、笑ったじゃん。あのときも、そのときも。
「それで、分からないところとは」
「うん。大根、皮を剥いて5センチ幅に切って、かぶるくらい水を入れるって言ってたとおもうんだけど、ぷかぷか浮いて来ちゃうからかぶらないんだ」
ぶふっと噴き出す音がした。
「いや、失礼。それは気にしなくていいです」
「あ、そうなの?それで次ね、ひとつかみ米粒を入れろって言ってたんだけど、小麦粉でもいい?こっちでもいいってテレビが言ってた何かが白く濁った水だったから」
「いえ、米にして下さい。米ぬか成分がえぐみをとるのです。小麦粉入れてもどろっとするだけですよ」
危なかった。小麦粉の瓶の蓋をそっと閉める。
味付け用ではないなら古い米でもいいんだろう。以前寿司ブームが盛り上がったときに貰ったものがあった筈だ。ごそごそと探しだし、あった!と言うと「良かったです」と声が返ってきた。
「大根はもともとそんなにえぐみのない食材なので、無いなら無いでかまいませんが、折角なので。あ、ひとつかみじゃなくてひとつまみだと思いますよ。スプーン一杯くらいです」
危なかったー。米の瓶にがしっと突っ込んでいた掌を引き上げながら「うん、だいじょうぶ」と返事する。
「煮崩れもしにくくなると思います。圧力鍋があれば早いですが、普通の鍋なら弱火でじっくり煮込んで下さい」
「うん。ありがとう」
「いいえ、お役に立てて嬉しいです。またお困りの時は何なりと」
弾んだ気持ちで電話を切った。
本田君はどこの料理も魔改造する(あのフィッシュアンドチップスを美味しく作る国だ)癖に、他国が魔改造するとすぐネットで乾いた苦笑を見せる。僕の作ってみたスシもよくテレビで流されていた。アボガドロールは結局逆輸入?してるくせにチーズは変なんておかしいと思うけど。
ともあれ、王道を聞かれて嬉しかったらしい。機嫌のいい本田君とお話しできる体験はなかなかレアなので僕も嬉しい。
さてと、とソースを作ることにする。
小鍋で醤油とみりんを温めろとある。
いきなり躓いてしまった。みりん……は、ないなあ。検索すると照りを出すための甘いお酒とある。酒の棚をぐるっと見渡すがウォッカはアルコール度数が高すぎて代用できそうにない。白ワインをあけて、少しの砂糖と一緒に入れる。残ったワインはグラスについで飲みながらゆであがりを待つことにした。
フランス君がくれたワインは、もちろんこれくらいで酔いはしないけど、人をいい気分にさせてくれる美味さだった。検索サイトを閉じようとしてふっと思いつき、天気を調べてみる。
……なるほど、暑い。モスクワは、もう最高気温が10度を下回った。気温差20度の世界で、本田君はあったかい煮物を食べるどころではないのかもしれない。庭で犬っころのように駆け回っているアルフレッド君があいすあいすあいす!なんて叫ぶのが目に見えそうだ。
ちょっと眉をしかめて、箸を大根に突き立てる。うん、ちゃんと煮えている。この大根は割れてしまったけどご愛敬というものだ。ゆで汁は米粒もまとめて捨てる。
次の工程を思い出して、今度こそ本格的に眉をしかめた。確か、昆布で煮るんだった。昆布。昆布?
本田君とこの台所で見たこともあるし食べたこともあるけど、とりあえずうちにはない。使う習慣が無い。
コンソメで代用できるかなと考えて、頭を振る。それじゃいつも食べるカブの煮物と大して変わらない。折角作った醤油ソースにもあわない。
どうしたらいい?とまた電話をかけたけど、本田君は出なかった。庭に出てしまっているのかもしれない。
一気に低気圧が降りてくる。
いやいや、と、苛々を振り払う。
大丈夫、同じ分類の日本的なもので代用すればいい。本田君だってテーブルビートの代わりにトマトでボルシチ作ったりするし。
しまってあった乾燥わかめを取りだし、水で戻す。ほら、緑の海藻!
柔らかくなったわかめと大根を水に浸し、弱火で煮込む。多分海っぽい感じが大根に沁みていくのだと思う。
できあがったら綺麗に飾り付けして、ちゃんとフルーツ(ゆずって言ってたっけ?)も乗せて、ブログに載せよう。
本田君は、大根の煮物は大人の味だと言っていた。そうだよね、手間暇かかるし。ミッションをほぼ達成しつつある満足感とともにワインを飲み干す。
後日、本田君は血相を変えて材料持参で台所に乗り込んできた。
寒い冬の大根(本田君の 手 料 理!)はとても美味しかったです、とブログにアップしたときのお子様がたの顔を想像しながら、美味しく日本酒も飲んだ。