フランシス×菊(高校生パラレル、連作その3)
痛みは、熱さとして感じられた。足が燃え尽きてしまうかと思うほどの熱が引いた後、今度は猛烈な寒さに襲われた。血とともに体温が流れ出していく。
これは夢だ。何度もそう自分に言い聞かせた。現代の日本に戦場はない。銃撃も、普通、ない。
気がつけば死体の海の中にいた。血は空気の成分と化したかのようで、辺り一帯は鉄さびの臭いとそれが肌に粘りつく感覚に満ちていた。これまでも「戦時中」の「異世界」に紛れ込んだことはあった。しかし、どこかに「日常」を残していたこれまでの夢とは違い、これは正真正銘の戦場だった。
案山子のように立ち尽くしていた菊を、異次元から来たはずの菊を、「戦場」は見逃してはくれなかった。
長い長い時間が過ぎた。
痛みは、体を丸く小さくしていれば、いつか過ぎる。まだ十になるやならずやの頃、近所の猫から学んだ知恵だ。家の中にいれば打ち身が増えるから、近所で、誰にも見咎められない、一番心地よい場所を探して忍び込んでは蹲った。
もうあの頃とは違って、縮めても体は完全な球形にはならない。それでもできるだけ小さくして、目をつむり、呻り声さえも飲み込んで、菊はひたすら耐えた。夢なのに、そう思うのに、脂汗が額や背筋を伝わっていく感覚は余りにもリアルだった。
その中で、ふいとそれが拭われるのを感じた。まだまだ痛みは強烈だったから目は開けない、けれども硝子の文鎮を手で包んだときのような安心が菊の心に宿った。その涼やかなものを無意識のままに菊は掴んだ。握り込んだそれを体の軸として、菊はまた痛みを押さえつけるための闇に戻った。
「ん…」
暖かな匂いを感じて菊は意識の闇から浮上した。
「あ、起きた?」
ベッドの脇に人の存在を知覚し、菊は驚いて起き上がろうとした。途端、右足から激痛が走る。ぐ、と思わず声を漏らしてまた伏した菊に、男の穏やかな声が届く。
「無理しちゃだめだよ。弾は貫通してるから、傷が治りさえすれば大丈夫だけど、まだふさがってないんだから」
「……そうなんですか」
夢から覚めたと思ったのに、まだ、「こちら」でしたか。菊はそろそろと半身を起こした。
見慣れない、明らかに外国の、昔の、家。テレビもPCもない。ジャージの代わりに着せられたらしいパジャマ様の服も、明らかに化繊ではない。
男は毛布を取り出してきて、丸め、菊の背に差し入れた。随分年上に見えるが、それはひげのせいだろうか。やや陰のある端正な顔立ちに、こんな時だというのに菊は思わず見とれてしまう。
「スープ、飲むでしょ」
床に、アルコールランプのようなものが置いてあり、その上でことこととスープが煮えている。それを男は皿についで菊に渡し、スプーンを握らせた。その自然な流れに釣り込まれるように、スープを口に運ぶ。
「美味しい…」
味付き匂い付きの夢でよかった。この味は自分では出せない。
男はにこりと笑った。
「それはよかった」
そして、自分を指さし、「フランシス」と言う。名前だろう。
「本田菊といいます。あの……助けてくださったんですね、ありがとうございます」
「いやいや。俺、たいしたことしてない。できないし」
「とんでもない」
さすがに、これはやばいかもしれないと思った。このベッドと介抱が無かったらと思うとぞっとする。夢の中で死んでしまったら、現実はどうなるのだろう。できるだけ雑念を遠ざけ、痛みを凝縮するのに集中しながら、それでもちらちらとその不安に苛まれた。
家に居着いていた男が母のもとを去った後、菊の体に打ち身は無くなったが、それを許容していた母との懸隔は無くならなかった。今では食事は完全に別。おかげで高校生らしからぬ食材知識がついた。
そんな家族に未練はない。人生にだってない、そんな、高校生らしいニヒリズムを感じてもいた。多分――自殺を考えたことのない高校生などいない。
「そういえばさ」
「はい」
「死線をさまよっているときに『お母さん』と言う奴は多いけど、『眉毛』ってうなり声は初めて聞いた」
思わず吹き出した。そんなこと言ってたのか。
まあ、多少の恨み節は引き受けて貰わなければ。十中八九、「ほあた」誤爆がもたらした痛みなのだから。
子供の菊が一番好んでいた隠れ場所が、町外れの洋館の薔薇の生け垣の下だった。人のいないときを見計らって忍び込んでいたので住人と顔を合わせることはなかったが、やがて菊の身辺も落ち着き、小学校で知り合ったアーサーに自宅に案内された時、この生け垣に再会した。菊は知らず涙を落とした。理由も言わずありがとうございますと繰り返す菊にアーサーは戸惑っていた様子だったが、やがて何も言わず数本を切って持たせてくれた。今でもそれはブリザードフラワーとなって菊の部屋に鮮やかさを保っている。
家族には未練はないが――親友には、ある。
あはは、と手を振るフランシスの手首に赤い鬱血を見つけた。視線に気づいたらしく、フランシスは苦笑した。
「え、もしかして、私が?」
何かを握りしめていた覚えはある。
「すみません!」
「ううん、むしろ、嬉しかった」
フォローではなさそうな言葉に、菊は瞬きする。と、フランシスはその神妙な顔を崩し、にやりと笑った。
「菊ちゃん、柔らかいんだもん。ちょっと、どきどきしちゃった」
ごまかすにしても余りの台詞に、思わずじと目になる。
「男ですよ、私」
「それが何?」
にやーんと笑み崩れて、しかし、フランシスは続けた。
「この世界で」
スープを飲み干した後、フランシスが包帯を換えてくれた。太腿に開いた弾痕は生々しく、包帯に付いた血の量にも気を失いそうになる。
「たいしたことはできない」と言ったフランシスの台詞は、謙遜ばかりでもなかったようで、器用ではあるが専門知識はないらしく、薬も家庭薬でしかない。それでもやはりありがたい。落ち着くと、やはりまだ熱を持っている足から脳髄へと痛みが押し寄せる。習慣にならい、菊は体を小さくして寝ることにした。うん、おやすみ。そう言って、フランシスは椅子をベッドの横に置いて、座った。目を閉じた菊の額を、乾いた布が撫でていく。そして、掌がひんやりと頬に触れた。心地よい。菊は目を閉じたまま、その手を握った。手を取られたら何をすることもできまいに、フランシスはそれを許し、だから菊は生涯初めて、甘えを自分に許した。
苦しい時、すがれる手があること―――握った手の中が空ではないことの嬉しさを、初めて知った。
熱の中を漂うようにして数日が過ぎた。
フランシスは時々出かけるが、後はほとんど菊の横で座っていた。手を求めれば差し出してくれる。握り返してもくれる。顔に似合わず、大きな、そして、まめのできた固い手だった。
――それにしても。
彼は、何者なのだろう。働いている様子もない。菊の隣で、彼はただ本を読んでいる。菊の回復とともに外に出ている時間は長くなったが、ちょくちょく様子を見に帰ってくるところを見ると、どこかに勤めているのでも無さそうだ。そして、外から戻ったときの彼は、必ず体を水拭きしてから部屋に来ているようだけれども、それでもそこはかとなく異臭を漂わせている。
「フランシスさんは、何をしている人ですか」
そう聞くと、彼は読んでいた本から目を上げて菊を見つめた。
「……詩的に言うと、言葉の書き換え、かなあ」
詩的すぎて分からない。
「…散文的に言うと?」
「開いている瞼をとじさせる仕事」
「え」
それは一般的に、暗殺の比喩ではないのか。思わず体を引いた菊にまた底の読めないによによ笑いを見せ、それから少し真面目な顔になって、彼は言った。
「俺ね、犯罪者なんだ」
「え」
「一緒にいると、捕まっちゃうかもしれない。だから、早くよくなって、おうちに帰ってね」
冗談を言っている顔ではない。
それにしても。
今までのパターンなら、いい加減目覚めてもいいはずだ。まどろみの最中に、礼も言わないまま夢の時間が終わってしまうかもしれない。突然消えた菊に、彼は何を思うだろうと思うと、いたたまれない。菊は事情を説明した。最初は笑って聞いていたフランシスだったが、やがて「そういえば」と言った。最初に着てた服の繊維、見たことないね。
「だから、まあ、どうあれ多分大丈夫です。……せっかく介抱してくださっているのに、それが無駄だと言うようで、心苦しいんですが」
「ふむ」
あごひげをさすって、フランシスは言った。
「でも、今、痛いんだよね」
「はい」
「死にたくない、って思うんでしょ」
「……はい」
「だったら、助けるよ。そういうものでしょ」
「そう……ですかね」
綺麗な色だな、と彼の瞳を見たまま思う。鮮やかな青なのに、深い。
「菊ちゃんが、そうやって今ここにいることが、俺の救いになってる。だから、もうちょっと、夢を見ていてほしいかなあ」
そう言って彼は毛布を菊の肩にかけた。ついでに、頬にかかっていた髪の一束を、指で梳きながら戻す。ほんの少ししか触れなかったのに、その指先が触れたところが焦げたように感じられて、菊は息を止めた。
相変わらず彼は、働いている様子はない。食事はいつも芋のスープ。美味しいけれども、他の具材はない。のですね?と聞いたら、他の家から盗んでくればあるかも、などとかわされた。彼の「犯罪」はどのジャンルなのか分からない。言われれば怪盗などお似合いに思えてくる。結婚詐欺師なんて似合いすぎて洒落にならない。
貴方の心を盗んでいきました、か。
古典とも言われる古いアニメの台詞を思い出す。本当に、洒落にならない。
やっとつかまり歩きはできるようになった。けれども、外の様子は分からないままだ。
天窓から見える空の色と部屋の温度だけが青葉の季節を伝えていた。昼間でもカーテンを閉ざしたままの部屋からは、外の景色が全く見えない。訪ねてくる人もない。世界は完全にフランシスと二人きりだった。それも悪くないと思えてしまうのが恐ろしい。こういうのをストックホルム症候群と呼ぶのではなかったかと菊は思い、違う、と自分に突っ込みをいれる。別に誘拐されてきたわけではない。むしろ、助けて貰ったのだ。戦争で撃たれた菊を………
「……………あれ」
「ん?」
フランシスは本を置いて振り返った。
「今って、第二次世界大戦ですよね?」
「え?」
「え?……戦争中、ですよね」
「……うん」
その戦争は、どこへ行ったのだろう。砲声も吶喊の声も聞こえない。世界は非常に静かだ。本当に二人しかいないかと思ってしまうほど。
ぱたん、という音が響いた。フランシスが本を閉じたのだ。
その顔は、今までみたことがないほど真剣だった。
「菊ちゃん、今、『第二次』って言った?」
「はい」
「世界戦争が、二回あるって、習ったの?」
「……あ」
思わず口を押さえた。想像だにしなかった。菊の生きる時代からすれば、一九三〇年代と四〇年代の違いは分からない。当然、一九一〇年代との違いも。
「世界は、これを、もう一回やるの」
「……」
タイムパラドックスという言葉がある。未来の人間が過去に干渉することで、未来が変わる可能性の話だ。しかし今菊が口を噤んだのはそれが理由ではなかった。
「ごめん―――ちょっと、外出てくる」
「え」
「すぐ、戻るから」
そう言って、彼はそのままドアを開けて出て行った。菊は後を追った。あんな顔――絶望を塗り込めたような顔の彼を、そのままにしておくわけにはいかない。
壁につかまりながら歩いていくと、玄関らしき箇所に杖があるのを見つけた。ちょうどいい、借りてドアを出た。この杖の持ち主は誰なのだろうと思いながら。
外には誰もいなかった。郊外の集落のようでいくつかの家が建ち並び、向こうには田園が広がっていたが、そのどこにも人の姿は見えなかった。
そういう時間帯もあるには違いない。そう思いなしつつも、晴れ渡る昼前の空に似合わない静かさが菊を不安にさせた。今見えない、だけではない。ここには人がいない。そんな気がした。「犯罪者」という言葉が心をよぎる。動揺のせいだ。どんな犯罪であろうと、たとえ「瞼を閉じさせる仕事」だろうと、」街から住人全員を消すことなどできまい。だけど―――例えば、この杖。使い込まれたこれだけではなく、家にはいくつかの、高齢者が住んでいることを想像させる家具があった。そして、暖炉の上に飾られたいくつかの写真立てに、フランシスの姿は無かった。もしかして、と、ちらりと思ったことはある。私たちは、他人の家に住み着いているのでは。そんなことができるわけがないと却下したはずなのに、今、動悸が押さえられない。
「フランシスさん!」
大声で呼んだ。不安を払いたかった。
「どこですか!」
答えは無かったが、見渡していると、集落の裏手にある丘の上で、ゆらり、と影が動いた。いた。
登り道はまだつらかったが、汗をぬぐいながら登った。草で覆われた丘に、独り立つフランシスの背中を見つめながら、必死で歩を進めた。
その荒い呼気に気づいていただろうに、フランシスは振り返ることをしなかった。やっと丘の上に登り切り、フランシスの隣に立った。
そこで初めて、「この世界」を見た。
「男ですよ、私」
「それが何?―――この世界で」
何もかもが意味を失う、そんな世界がそこにはあった。
丘の下の野原に、人が無数に並んでいた。整然と、両手を組んで、目を閉じて。何百、何千……いや、何万とある、死体。見渡せば、向こうにはまだ並んでいない、折り重なり、崩れ落ち、放置された体の死体もある。
「敵前逃亡は、銃殺刑に値する重罪だ」
突然フランシスは言った。
「俺は逃げてきた。逃げて、この故郷に帰ってきた。今住んでいるのは親父が一人暮らししていた家だ」
言葉どころか息も出せない菊に構わず、フランシスは続けた。
「飛び出した家だから、匿ってもらおうと思ったわけじゃない、ただ最後に顔を見ようと思っただけだった。――でも、親父の目は開いていたのに、俺を見てはくれなかった」
「……」
「ここ、ヴェルダンには幼なじみだって親戚だっていた。でも、誰もいなかった。『人』という意味では。ここにあったのは、『物』としての『ボディ』だった。住民も家畜も死んだか、逃げた。ここには、『生』が無かった。でも、『死』も無かった。ここにあったのは、ただの『破壊』だ」
フランシスの仕事―――「開いている瞼を閉じさせる仕事」。文字通り、突然の死に見開かれたままの瞼を、彼は閉じて回ったのだろう。野原に散らばったままの『ボディ』を、衣服を整え、手を組ませ、『遺体』に書き換えていったのだ。無数の、つまり、数として数えられないほどの『ボディ』の中に霧消していた誰かの人生を取り戻し、唯一無二の『死』とする作業。
「知り合い、までは、埋めた。でももう追いつかない。この辺の兵士たちには、土をかけてやる余裕もない。並べようとしてもパーツがそろわないこともある。首がほとんどもげていて運ぶとぶらんぶらんと揺れることもある。ああ、いっそ、ちぎれてしまえば運びやすい―――」
「…」
「そんな風に思っている自分に気がついて、愕然としていた。俺は、人に銃を向けるより人に花を手向ける方が似合う、そう思っていたのに、数の多さは感覚を狂わせる。……そんな時に、菊ちゃんを見つけた」
フランシスは菊を見た。瞳は深い青だった。
「菊ちゃんの俺にしがみつく力は、久しぶりに見た『生命力』で、………ほんとに、うれしかったんだ」
そうして、菊に近寄り、腕の中に抱き込む。菊は彼の体臭を吸った。いつも、僅かながら,腐臭がしていた。この臭いは、この人の闘いの証だったのだ。
菊は彼の背に手を回した。強く抱いた。私は、この次元のリアルではない、それでも、生きている、そのことを伝えたかった。
「なあ、歴史は、『これ』を、忘れるのか?」
「……」
答えることができなかった。この地名は、習った。その意味では忘れていない。戦後は平和解決のための国際組織が生まれ、不戦条約も結ばれた。けれども、世界はもう一度戦争の渦に巻き込まれた。数ヶ月をかけて積み重ねた、七十万とも言われるこの戦いの死傷者を、たった数発で生み出せる兵器の開発が進められ、第二次世界大戦、人は人と、それから精神性の何かを破壊した。今や「大量破壊兵器」は国を一瞬で滅ぼせる段階に達している。その歩みを、一九一〇年代の彼はどう見るだろう。――けれども。
「いろいろ、ありました。でも―――未来に、私は、生きてます」
「…」
「学校に行って、友達とランチ食べて、英語習ったり、ゲームしたり――世界の、全てではないけれども、広い地域に、そんな日常があります。幸せ一杯じゃない、先行きに不安もあるし、嫌な都市伝説だってあるけど、でも」
「……うん」
菊を抱く手の力が強くなった。その手が、菊にめり込む。
「……あ」
強かったはずのその力をぼんやりとしか感じなくなり、菊は突然気づいた。目覚めが近いのだ。
「………帰るの?」
「い、いやです!」
しがみつく、しかしその指はフランシスの輪郭を通り抜けていく。
「何言ってるの、よかったじゃない。その日常に帰れて」
フランシスは目を細くして笑う。この人は。こういう生き方なのだろう。人を見守って、支えて、でも気持ちに負担をかけないように笑って。
だけど、その彼は、どうやってこの後自分を支えていくのだろう。泣きそうな菊の顔を見て、フランシスは微苦笑を見せた。
「俺は、大丈夫だから。菊ちゃんが戻った世界で、誰かに、手を握らせてあげてよ。――ね」
フランシスはゆっくり顔を寄せた。
「目、閉じて」
目を閉じれば、きっとこの夢が終わってしまう。それは分かっていたけれども、それでも菊は目を、閉じた。
*
「おい」
「……」
「なあ、おい」
冷却シートをはがして、アーサーを見た。眉をひそめている。心配してくれているのだ……本人は認めまいが。
泣きながら目を覚ました。いつからそういう状態だったのか、はれぼったい瞼のまま登校し、ぼんやりとした頭のまま授業を受けた。昼食を用意する余裕がなかったため、購買部で二人分のパンを購入して教室に戻ると、アーサーは複雑な顔をした。「何かあったなら、言ってくれれば、俺が作ったのに」などと言う。気持ちは、嬉しい。
「明日からは、ちゃんと作ります」
「ん…」
「だから、また英語教えてください」
「ん?」
「進路、決めました。看護師になります」
アーサーは目をしばたたかせた。しばらく菊の顔を見て、少し口を開き、しかし閉じて、微笑んだ。
「――そうか」
「はい」
「がんばれ」
「はい、ありがとうございます」
「べ、別に、礼なんて……心配とか応援とかしてるわけじゃない」
じゃあなんなんだ。そんな突っ込みをしたら親友を泣かせてしまう。あの人よりは遙かに不器用なやり方で、でも、アーサーも、ずっと菊を支えてくれた。今度は、私が、誰かに手を差し出すのだ。小さく丸まって自分だけで痛みをやり過ごすのではなく、誰かの手を握り、確からしさと安心を与えてあげたい。
「ま、とりあえず、握手」
感謝を込めてアーサーの手を握ると、見る間に赤くなった彼は動揺してかまた例の呪文を口走りそうになったので、あわててその口をおさえた。