The long and winding road 1

APHその他CP

アントーニョ×菊(高校生パラレル、連作その1)

日本の古典では、『夢で逢うのはその人に愛されているから』とされている。それを習った日、幼なじみの同級生は印象的な眉毛を盛大にしかめた。購買で買ってきた牛乳をちゅーとすする顰め面の彼に、サンドイッチを手渡す。英語を教えて貰っている交換条件に、自分のついでに作っているのだ。生まれも育ちも柴又のくせに、幼なじみの完璧な英語には納得がいかない思いもある。
「お前、全然出て来ないんだけど」
夢の話だろう。
「知りませんよ」
というか、ポイントがずれている。日本の古典では、『世間とは男女の仲を表す』、その文脈で習ったではないか。
「誰のとこ行ってんだ」
「知りませんって。意識ないんですから」
だいたい、複数の人が同一人物を夢に見ることだってあるだろう。サンタクロースじゃないんだから、その理屈が成り立たないことは明白ではないか。
「くそ。絶対来させてやる」
パック牛乳をすすりながら顔をしかめた。毎日顔をつきあわせている友人を夢にまで見たいか?夢に召還された私の方も、することに困るに違いない。英語でも習うか。
「あ、それはちょっといいかも」
史上かつてないほど国際協調が叫ばれ、バイリンガルなど当たり前となったこのご時世に取り残された英語の成績は、進学の選択肢を狭める頭痛の種だ。睡眠学習などと言うではないか。
「だろ?」
夢でまで働かされる羽目になるとは思わなかったのだろう、彼は顔を輝かせて、拳を握りしめ、呪文を唱えた。ほあた。

あれもクイーンズイングリッシュと同様、異国にあってもこれだけはと彼の家で受け継がれた伝統なのだろうか。聞くと気の抜けるかけ声は、しかし、確かにいくつかの不思議を引き起こしていた。偶然で片付けられる範囲だし、どうもポイントを外した実現をするせいで、実利も実害もない、周囲も認知していない「魔法」なのだが、少なくとも「変なことを引き起こす」ことを現実として理解していた菊は、その夜、見覚えのない丘に立つ自分を認識したとき、深くため息をついた。どこだここ。夢であることは間違いがない。普通だったら行かないだろうところであることも。あの半端魔法使いめ、異世界に放り込んだのなら責任とって同行してくれればいいものを。
と、ひゅるる、と音がして、菊の前に鉄のかたまりが飛んできた。
大砲?
―――現実に帰ったらあの眉毛むしってやる。
夢の中でも痛みはある。他人に言うと「え」と言われるが、菊の夢にはずっと味も香りもあった。となれば、ここは逃げなければならない。必死で走った。夢の中だろうと内蔵を吹き飛ばされたくはない。
どご。
重い音がして、何かが着地した気配がした。
「は?」
振り返ると、砲弾がそのままの形で草原に鎮座していた。もちろん火花も放射能も伴わず。
なに?なにごと?戸惑う菊に、「あー」というのんびりした声が聞こえてきた。
「ドミンゴやー」
振り返ると、日に焼けた顔が苦笑に崩れていた。肩に銃を下げ軍服を着ている、が、なにぶん顔にも声にも緊張感がない。大砲と思いきやただの鉄塊だったように、この青年も兵士ではなく……なんだろう、サバイバルゲームでもやっているのか?
「あの」
しかし、その声に初めて菊に気づいた彼は、ぎょっとした顔になり、「なにしとん!」と叫んだ。
「え」
さて、何をしているのだろう、私は。夢を見ているというのは答えになるだろうか。
「どっち?」
「は?」
「ファシスト?コミュニスト?」
いつの時代の単語だ。ぽかんと口をあけた菊をしばらく見つめ、その男は首を傾げた。
「もしかして、丸腰?……一般人?」
こくこくと頷くと、男はきりっと口を結び、菊の手を取った。
「はよ逃げな!ついといで」
「は、はいっ」
走り始めた後、今度は銃声が聞こえた。空砲かと思った菊の肝を吹き飛ばす勢いでそれは空気をふるわし木の葉をはじき飛ばした。

間一髪、塹壕に滑り込んだ二人は、しばらく肩で息をしていた。
息が落ち着いた頃、アントーニョは空を見あげて大きく深呼吸をした。
「いくつなん?」
「私ですか?十七です」
「わっかいなー…」
十分に若く見える精悍な彼は、しかしそのように目を細めると、菊にはない大人の雰囲気に包まれた。それは、守られる側にいない者が持つ顔だった。
「ドミンゴはな、四回に一回くらいしか来ぉへんねん」
「ドミンゴってなんですか」
確か日曜日という意味のスペイン語だったような。
「さっきの不発弾のあだ名」
「は?」
あだ名?不発弾の?
「敵方からやってくる不発弾のことをそう呼んでるんですか」
「ん?ちょっとちゃうかな。あの不発弾を、ドミンゴと呼んでる」
意味が分からない。
「だって、それなら一回来たらもう来ないじゃないですか」
「あ、なんで向こうに戻るかってこと?打ち返すからやん」
「不発弾をですか?」
「うん。修理すれば飛ぶねんで。もしかしたら間抜けなファシストの頭に当たるかもしれんし」
「戦争、しているんですよね」
確かめるように言った菊をしばらく見つめ、男は違うことを述べた。
「変な服やね」
「あー」
中学時代の小豆色のジャージなんて着て眠るんじゃなかった。いや、動きやすいから良かったと言えばいえるけれども…。
袖のところをちょっと触って、「見たことない生地や」と言う。
「この辺で見ん顔やし、『戦争』なんて当たり前のこと聞くし、それやのにコトバ通じるし…なんか、空想小説みたいや」
「その類と思ってください」
ほあたのせいです、と言っても通じまい。
「すみません、ここはどこで今はいつでしょうか。私は日本人で、本田菊といいます」
「それはそれは、はるばると。俺はアントーニョ、ここはカタロニア…ていうて分からへんかな、スペインの東の方なんやけど」
「ああ…百年前にオリンピックがあったところですね」
アントーニョは目を見開いた。
「え」
「え?バルセロナですよね?」
「…」
しばらく沈黙して、アントーニョはふわりと笑った。「そっか」。
「あの、なんでしょう」
「菊ちゃん、菊ちゃんの『今』がいつかは言わんといてな。いつやろ、って楽しみにするわ」
「はあ」
「でも、いつかできるんやね」
「はあ…」
そのとき、丘の向こうから「フランコ万歳」の声が聞こえてきた。フランコ。その名前は、世界史の授業で出てきた。そうか、その時代か。
「ちきしょ…」
そして彼は、それに敵対する側なのだろう。正規軍か、義勇兵か。彼は両手をメガホンにして叫びかえした。
「俺は、お前らと同じ労働者階級やぞ!」
それに答えるように声が届く。
「スペイン万歳!」
「僭称すな!」
しばらく声での応酬が続いた。呆気にとられていた菊は、改めて聞いた。
「戦争、してるんですよね?」
こっちはバター付きのトースト食うてるで!とどなっていたアントーニョは、その声に顔を戻した。
「どうやろな。『これは戦争ではない。時々人の死ぬコミック・オペラだ』とか言うてた人もいたけどな。……少なくとも、俺も敵さんもバター付きパンが遠ざけられているという意味では日常やないなあ」
ぐうう、と、それを保証するようにアントーニョの腹がなった。菊はポケットに手を突っ込んだ。何か出て来ないか。チョコレートのひとかけらでも。…出てくるわけはない。寝間着にチョコレートをいれておく馬鹿はいない。ないよなあ、とおもいつつ上着のポケットをさぐるが、その包み紙しか出て来ない。
「ところで、さっきの怒鳴りあい、なんだったんですか」
「宣伝戦」
アントーニョは胸を張って答えたが、菊は首を傾げざるを得ない。宣伝戦とは、広告会社を雇って映像を操作し、国際世論を誘導するものではなかったか。それこそ百年前のユーゴの紛争、そして、先の第三次世界大戦前夜と言われた時期の攻防のように。
「案外あれで脱走してくるやつがおんねんて。物資不足やから、無駄に大砲打つより効果あんねん」
「そんなに足りないんですか」
「例えばこれ」
アントーニョは腰に提げていたものを指さす。菊はそれを視認し、ぎょっとした。彼のほんわりとした空気と不思議なやりとりにここが戦場であることを忘れかけていた。
「この手榴弾、あ、こっちはFAIちゅう手榴弾全体に対してのあだ名な、『公平』って言うんやで」
「公平?」
「ほら、梃子を押さえるピンの代わり、紐やろ?これ切って投げんねん。大抵、当たった方だけやのうて投げた方も死ぬ。やから、公平」
「……」
「何作っとんねんと思うけどなあ。……こういうあだ名をつけたり、バター付きパンで戦争やーめたって逃げ出してくる奴らがいるっていうのは、ちょっとほっとすんねん。なんやろな、みんながみんな、わやになってもうたんやないって思える」
ほ、と菊は、ためていた息をはいた。
戦争とは、「全てがわやになってしまうもの」だと思っていた。熱狂に浮かされ、不合理な神話にすがり、死への畏怖すら戦勝という言葉の燦然たる煌めきに忘れてしまう。自分の国はそんな風になったことがある、だから、先の危機では全勢力をあげて戦争回避に尽力したという。それはやはり、その方がよかったと思うけれども――コミックオペラと言っても、ここでは確かに人が死んでいるのだ――始まったからといって可能性が失われるわけではない。小さなhumorがhumanityを支える。『日曜日』という不発弾のあだ名も、その言葉の中の安息を思い、自分を支えようとする営みに違いない。
菊は手の中の包み紙に目を落とした。魔法のきまぐれで異次元から飛び込んできた菊にできることは、そう多くない。折り紙の要領で鶴を折る。オリガミが世界に輸出されて久しいが、それ以前はその芸術性に大変驚かれていたという。そんな豆知識を思い出して折ってみたが、予想以上のくいつきっぷりだった。
「ええええすごおおおおおいいいいいなにそれえええええ」
「どうぞ。本当は、祈りを込めて百羽作るものですけど」
へえぇ、そう言いながら、つまみ上げた極小の折り鶴を下から眺める。
「今にも飛びそうやな。包み紙がキラキラして、宝石みたいや」
アントーニョは鶴を見つめたまま言った。
「これが飛んでいく未来に、菊ちゃんがおるんやと思うと、ちょっと楽しみやな」
いつの人間とは言うなと言われたから、菊は黙って微笑した。英語に比べれば歴史は得意だ。だから知っている。この内戦は、反乱軍の勝利に終わり、そのまま長く独裁時代が続くのだ。内乱終結後の残党狩りは熾烈を極めたという。それこそ百年近く前からその時代に死んだ抵抗者の名誉回復が始まったが、その時点まで彼が生きている可能性は低い。
いずれにしても、二百年近く前の人だ。同じ地平に立つ日は来ない。それでも、確かに、彼の未来には、自分がいる。
もしかしたら、自分の未来にも誰かがいるのかもしれない。
生け垣の花が、咲いては散り散っては咲き、花の存在を続けていくように。

菊の視界が朝靄に包まれるようにぼけていく。夢の時間が終わるのだ。
「どうぞ、ご無事で」
最後にそう言うと、アントーニョはにこりと笑って手を振った。
「また、会えたらええね。夢ででも、未来ででも」

次の日、予想通り不機嫌そうな友人に、菊はチョコレートを手渡した。
「なんだよ」
「お一つどうぞ」
そ、それなら貰ってやらないでもない、などと礼にならないような言葉を呟いた後、「でもなんでだ?」と訝しそうに聞いてきた。
「また夢で会えたら差し上げたいなあと思ったので、準備しとくことにしたんです。袋買いしたら余ったんで」
お、お前は誰のところに行ったんだばかあ!と、その責任を負うはずの魔法使いは涙目で叫んだ。