Je suis ici.

フラ菊

7 「もう一度、歌を。」

アウシュヴィッツ以降、詩を書くことは野蛮である――アドルノの言葉は、戦後の芸術界に大きくのしかかった。音楽も映画も、戦争を止める国際的共同体を作れなかったのみならず、人びとを戦争の熱狂に駆り立てた。死体を置き去りに現在に遁走してきた私たちに、軽率に表現することは許されるのか。その問いの前で、音楽は先鋭的に、または軽薄になった。

「面白いものができたんだぞ!」
そう言ってアメリカが腕を振り回した場に居合わせて、断るための用事を持ち合わせなかったのがたまたまフランスと日本だけだった――そんな奇妙ないきさつで、三人はマサチューセッツ工科大学にやってきた。
「飛行機の中が五月蠅いと作戦行動が乱れるだろ。あの丁々発止の空中戦では死活問題だったからね!」
その相手だった日本の前であっけらかんと言うアメリカに思わず固まると、日本は察したように小さく笑い、呟いた。「それがアメリカさんのいいところでもあります」。そうなのかもしれない。戦争が終わったというのにまだぎごちなさが抜けない面々が、彼の強引なペースで否応なく会話に巻き込まれる。直接対決したわけではない日本との間にも紙を一枚挟んだような距離感が残っていたが、占領中だからと日本の手を掴んで振り回すアメリカに文句を言っているうちに、それを忘れてしまうことが多々あった。
「それで、騒音対策ができたって?」
「うん。『沈黙の部屋』、無響室さ」
外部雑音が全て遮蔽されるのか。なるほどと思っていると、密閉性の高そうな扉を開けて、アメリカは「さ、ゴーなんだぞ!」と言った。
「え、お前は入んないの」
「うん。面白いものであることは事実なんだけど、何度も面白がれる体験じゃないからね」
どうなのこの自由さ!また日本と顔を見合わせて、同時に肩をすくて中に入った。
「……」
なるほど側壁反射を減らしたのかと、ぐるりを見渡して思った。日本の和室でピアノが響かないのと同じ原理だ。畳も襖も音を吸う。それよりやわらかそうな素材が独特な形状で、壁中、いや天井にも床にも敷き詰められている。
日本も科学者の目になって興味深げに素材を触りながら部屋の奥に歩いて行った。そう指示された訳でもないのに、何となく二人とも黙ったままでいた。
人の何倍も生きて、それなのに人と同じに毎日を過ごして、だから大抵のことは知っていると思っていた。けれども、今まで知っていた静寂は「無音」ではなかったのだと知った。音がないと、まるで物がないかのようだ。不安に押されて、瞼を閉じた。
「……」
水の中――いや、空の上がこんな状態なのかもしれない。ロケットで宇宙に飛び出す日がきたら、真っ暗な闇の中でこんな感覚を覚えるのだろうか。浮いているような、沈んでいるような。
「………………」
はっと気づいた。音が、ある。
目を開け、またびっくりした。いつの間にか日本がすぐ近くまで来ていた。
「……さん!」
日本は口を大きくあけて叫んでいる、ように見える。それなのに、囁くような声しか聞こえない。
「なに?」
返事をして驚いた。全然声が通らない。今自分が発した音だというのに、スポンジに吸われたかのようだ。
「日本!」
叫び合っているのにほとんど聞こえない。日本の耳にもほとんど届いていないようだ。こみ上げてくる物があって、口を大きく開けた。日本も同時に叫ぶ。名前を呼びたい。声を聞きたい。呼び合う声が、求め合う思いが、吸われて、無くなってしまうのは、嫌だ。
「日本!!」
「フランスさん!!」
「……いい年して何やってんだい、二人とも」
タイミングよく、いや、悪くだろうか、扉を開けたアメリカのせいで、互いの叫び声がもろに届いて、二人してのけぞった。呆れ声のアメリカに恨めしげな眼を見せて、けれども、堪えきれず噴き出した。それに誘発されたのか日本も笑いだし、またアメリカを呆れさせた。

その日フランスが気づいたのは、こうして音を全て遮断しても、それでも残る音があるということだった。人間ではないのに人間のものを与えられたこの体が、自ら発する心臓の音。沈黙の部屋で、それでも音を発し続ける自分自身。耳を塞いでも、何も聞こえなくなるわけじゃない。
そう言うと、日本は「私は、『ない』に気づきました」と言った。
「あの部屋は、音の無い部屋ではなくて、響きのない部屋です。歩いても靴音がしない。叫んでも声が壁に跳ね返ってこない。――かつて、フランスさんは仰ったでしょう、耳はもともと自己定位のための器官だったって。私は、まさにそれを失い、どこにいるのかが分からなくなりました。誰の隣にいて、どちらを見ているのか、顔を上げているのか、伏せているのか。自分では分かっているつもりなのに、それが確かめられない。だから、泣きたい気持ちで、お名前を呼んだんです」
「……そっか」
手を伸ばして耳に触れると、その上から手を重ねて、日本は目を閉じた。
「応えて下さって嬉しかったです。だから、アメリカさんのフリーダムな行動さえ嬉しかった」
くすっと思い出し笑いを交わし合って、それから日本はしみじみと言った。
「人がそういうものだと言われるように――私たち国も、社会の中で響き合って定位していく存在なんですね」

「聴いて欲しいものがあるんです」
今度は静かに微笑んで、日本は懐かしい言葉でコンサートに誘ってくれた。武満徹の、「ヴァイオリンとオーケストラのための」との言葉が冠された管弦楽曲で、プログラムノートに書かれた「調性の海」という言葉が話題だという。
「武満と言えば琵琶尺八VSオーケストラの前衛音楽というイメージだけど」
日本はそうでしたねえと頷いた。
「『ノヴェンバー・ステップス』には私もびっくりしました」
同じドビュッシーにインスピレーションを得て、同じく和楽器と洋楽器を合わせながら、「春の海」とはまるで違っていた。調和ではなく、融合でもなく、二つの由来を異にする音楽はこちらは垂直にあちらは水平にと方向を違えて広がっていった。
それを思うと感慨深いほどに、「遠い呼び声の彼方へ!」は「聞きやすい」現代音楽だった。不協和音の重ね方にしても、予想を裏切り続けるような旋律にしても、確かに現代音楽の枠の中にあるのだが、音の一つ一つが選ばれ尽くされているためか、美しく響いて、耳を疲れさせない。なるほど、「調性の海」だ。
「あれはもう、『歌』だね」
心地よさへのアンチテーゼが、安寧の中で固まった耳を壊すことが現代音楽の動機だというのなら、その衝動性はこの楽曲には薄い。
ひどく穏やかな、けれども複雑な気持ちで拍手を送り、バーに移動してグラスを合わせながらこの変化を振り返った。日本は頷いて、続けた。
「彼はもともと映画音楽なども広く手がけていて、ポピュラリティへの指向性も持った音楽家です。何せ、一番好きな作曲家はポール・マッカートニーさんだと言っていましたから」
「へえ!」
日本はグラスに目を落として、それをゆっくり揺らした。
「第一次世界大戦が終わった頃、今でいうクラシック音楽が終わるのかも知れないというようなことを仰ったでしょう」
「……口に出したっけ」
「ちらりと。私がよく理解できなかったのですっと話を流されていたんですけど。私、それをずっと考えていました。勿論、今でもクラシック音楽は演奏されますしコンクールもコンサートもあちこちで行われています。演奏家も聴者も若い世代にも広がっている。けれども十九世紀に持っていた『時代の空気』を体現する第一のもの、という役割からは退いています。……私、今日、前衛音楽について同じような未来を想像しました」
「ああ……」
アドルノの呻きを共有し、安易な歌を禁じ、音楽世界の天井を開けようとしてきた前衛音楽。それを志向する人たちの目には、変えなければいけない、このままではいけない「今」がはっきりと見えていた。核兵器、環境汚染、東西対立。南北問題に人種差別。
もちろん今でも時代は動いている。それでも、アジア・アフリカの独立も落ち着き、冷戦の枠組みさえ少し雪がとけたところで落ち着いてしまった感がある。学生たちのラディカルな運動もすっかりなりをひそめた。このまま何も変わらずまったりと調和した世の中を生きていくしかないかのような空気が世の中を覆っている。
「……」
フランスは顔を上げた。
いや、そんなことはない。
前衛の試みは激しくうねり、周りをなぎ倒して進んで行くが、それだけが時代の超克でもない。海と川の混じり合うところにできる島もある。
パワーバランスは十九世紀とはまるで代わり、日本は憧れられ、追いかけられる側になっている。社会のゆとりは音楽産業を育て、ポップスという形で感性を育てている。ビートルズがそうであるように、ポップミュージックは国境を軽々と越えていくだろう。日本のポップスが海外で楽しまれる時代も近い。
昔日本に黒い円盤が音楽を届け、今は日本が音楽を持ち歩くスタイルを世界に広めている。耳が聞こえない人と振動や手話で一緒に音楽を楽しむ試みもある。
クラシック音楽がそうなったように、前衛音楽も多分その意味を少し変えながら続いていく。音楽は、変わるのではなく、広がっていく。世界がそうであるように。
「俺の決意表明を聞いてくれる?」
「はい、なんでしょう?」
「いつか、ドイツと手を繋いでみたいんだ。ヴェルダンで」
「……!」
その重みを分かってくれたのだろう、日本は目を見開いた。仏独宿怨の地、だからこそ、そこで。
何も言えないかも知れない。けれども、沈黙の地でも、それぞれの体は小さな音を発するだろう。それを聞き合うことで、何かが変わるかもしれない。
「俺もコンサンヴォアに行って、彼の戦没者に祈りを捧げる。できれば国歌を送り合いたい。そうして、少しずつでも前に進んで行けば、いつかぷーちゃんともまた並んで手を振ることもできるかなって」
「ええ……、ええ!」
日本は声を震わせた。
「そんな日が来たら、アメリカさんが感激して――お二人のこと、近所のお兄さんのように慕ってらっしゃいますから――『第九』歌い出しちゃいますよ」
「そうかも!」
歓喜の歌か。そうか、それをともに歌う未来だって、無いとは言い切れない。希望は常に今の先にある。
「日本も俺たちのために何か歌ってよ」
肩をぶつけると、日本はくすりと微笑んだ。
「それなら、曲は決まってます。いつかそんな日が来たら、と前から考えていたんです。『オールド・ラング・サイン』です」
曲はもう何度も歌ってるのでカンペキです、あっでも英語……と日本は顔を曇らせた。そういえば日本語版では違う内容になってしまうと言っていた。そちらに慣れているだろうに、原詩で歌ってくれるという。特に言われたことは無かったけれども、「前から」そっと心にかけてくれていたのだろう。

〝旧友は忘れていくものなのだろうか、古き昔も心から消え果てるものなのだろうか〟

口笛と歌の、素朴な二重奏の記憶が蘇った。あれだってもう人の一生がすっぽり入ってしまうほどの大昔だ。
隣の日本を見るとにこりと見返された。この人がこうして見返してくれたから、この人が前へ前へと進んでいく姿を見ていられたから、自分も顔を上げていこうと思えた。隣国にも手を差し出してみようと思えた。

〝我らは互いに杯を手にし、いままさに、古き昔のため、親愛のこの一杯を飲まんとしている〟

いつか来るかもしれないその日の前に――今隣にいる人のために、ともに生きてきた百年余りのために、フランシスはグラスを合わせて小さな鈴のような音を響かせた。

2014.6.22発行仏日アンソロジー『あゆみ』寄稿

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