6 「私の音楽を聴いてください」
それはひどく寒い冬の日だった。
寒かったのは気温の問題だけではない。あの悪夢のような秋以降、国の誰も彼もが――ロシアを除いて、風邪を引いていた。アメリカ発のそれは戦争の傷跡も残るヨーロッパで猛威をふるったが、恐慌が続いていた日本を寝込ませていた。けれどもその日、日本はまだ咳をしながらもやってきて、「フランスさん!」と飛びついてきた。
「来て下さい。聴いて欲しいものがあるんです」
手を引かれて後をついていきながら、フランスは珍しいこともあるものだと瞬きをした。好きだよと言えば私もと返してくれる、行動で示せば応えてくれる、そうではあっても、日本から積極的に誘うことは滅多になかった。そして、こんなに溌剌とした顔を見せることも。冬の日だまりのような日本の穏やかさを愛してもいたけれども、もとはといえば進むと決めた道をひたすらに歩く凛とした姿に見とれたのだ。ピアノに手を置いて断念を宣言した、あの悲壮感さえ漂っていた眼とは違うけれども――
「なんか、惚れ直すなあ」
さすがに唐突だったか、日本は「は!?」と目を見張って振り返り、しかし、薄赤くなった顔で、にっと笑った。
「今日、もう一回その台詞言わせて見せます」
「……!」
驚きのせいで、洒脱な返しもできなかった。今言ってしまって、さらにもう一回追加になりそうだった台詞は、かろうじて心の中に留めて、その代わり繋がれた手をぎゅっと握った。
「今日、日比谷奏楽だったっけ?」
四半世紀前に始まった陸軍軍楽隊の演奏会はまだ続いているという。公園の中に入っていった日本に問いかけると「いいえ」と首を振られた。「さすがに寒いです」。それはそうだ。明治の時よりは大きくなったらしいが、あれはあくまで「野外」音楽堂だ。そう思っていたら、突然立派な建物が眼の前に現れた。
「あれ、ホール?」
「はい、今年やっとできました。これでちゃんとした交響曲も演奏できます」
鉄琴造りの立派なホールだ。かなり気合いを入れて作ったのだろうことがあちこちで分かる。
「おお」
おめでとう、と小さく拍手をしたら、日本は軽く頭を下げてこたえた。
「じゃあ今日はコンサートなの?」
「いえ、演奏会です」
その違いは、幕が開くことで意味が分かった。舞台の上にオーケストラはなく、二つの小さな影だけがある。
「琴と尺八……?」
「はい。『春の海』という曲だそうです」
邦楽を聴くのは随分久しぶりだ。万博の頃……?と指折り数えて、折った指の数に驚く。あの頃は日本ブームで、汚れた文明から切り離されたエデンのように思われていて、異国趣味溢れる興行が人気を博していた。川上貞奴の劇でも箏曲が効果的に使われていた記憶がある。そして……それを、日本自身は積極的に他国に聴かせようとはしていなかった。そうだった、自分が直接断られた訳ではないのに、それを聞いてなんとなく遠ざかっていた。
ちらりと横目で日本を見る。日本は、気負うでもない、卑下するでもない、静かな自信に満ちた顔で前を向いていた。
演奏が始まった。ぴん、と琴の音が響いた。続けて、寄せては引く波のように、静かに高まってはまた音階を下げていく。そこに尺八の、掠れたような独特な響きが重なった。琴はアルペジオ音型のパターンを伴奏のように繰り返し、尺八はメロディラインを奏でていく――いや、そうとも言い切れない。時に掛け合い、時に重なり、二つの楽器は波や、小舟や、櫂や、船頭の鼻歌を表現していく。まるで西洋音楽の二重奏のように。
ホールは静かな驚きに満たされていた。邦楽に詳しくないフランスでさえ分かる、こんな斬新な箏曲は、これまでなかった。
「新日本音楽と称する運動をしている演奏家なのです。西洋音楽に押されている邦楽の復興と、従来の作曲技法に囚われない創作とを目指して」
駅近くのバーに場所を移して、日本は甘いお酒を舐めながら解説した。
「あのさ、日本。もしかしてだけど……」
言いながら、日本の顔に、想像が当たっていたことを知る。
「やっぱりドビュッシーなの?」
「ええ。『空気の踊り』をレコードで聴いて、こういうのを尺八でやってみたいと思ったそうです」
琴の五音音階にも、尺八との合わせ方にも、ドビュッシーの旋法の残り香があった。西洋音楽に行き詰まりを感じて、東洋音楽を取り入れたドビュッシー。その響きが日本の伝統音楽を革新したのだ。
「海が目に浮かぶようだったよ……!」
絵画的で、構造や理論より印象を重視した彼らの音楽へのオマージュとしてこれ以上のものはない。
ことりとグラスを置いて、日本は微笑んだ。
「たくさん拍手してくださって、ありがとうございます」
「そりゃあ!美しいものには拍手を惜しまないよ。びっくりしたけど、それ以上に感動した。そして、」
ウィンクを送る。
「惚れ直した」
ふふ、と照れを頬の色に表して、日本は軽く会釈した。
美しい曲だった。日本の内海をイメージした曲だというが、そうした地域性を越えた、実にのどかで華やかな歌だった。日本的情緒に溢れていて、しかも、「聴きやすい」曲だった。主題の提示、二つ目の主題、そして第一変奏という三部構成に、西洋音階に近い旋律。伝統的な邦楽には正直エキゾチズム以上の面白みを見いだすことができなかったフランスでも分かる「良さ」だった。
「素敵なものを聴かせてくれてありがとう」
それ自体も嬉しい。けれども、以前は「とんでもないおこがましい」と手を振るばかりだった日本が、「聴いてください」と言ってくれたのが嬉しい。ことの経緯からそれを最初に聞かせるのがフランスになっただけだとしても、自分に、まっすぐに駆けてきてくれたのだ。
軽くグラスを合わせると、澄んだ音がした。日本はにこりと笑う。
「素敵だと思って下さって嬉しいです。そして、跳躍台を下さって、ありがとうございました」
「跳躍台……」
「私、邦楽はもう時代遅れの封建的なものと見なす空気に知らず知らず染まっていました。国是として西洋音楽を学び学ばせていましたし、音程も音感も異なる琴三味線は捨ててしまった方がいいのではないかとさえ思いました。けれども、フランスさんの音楽が、私に違う道を開かせてくれました。長く弾いてきたこの楽器の響きを懐かしみつつも西洋音楽との違いを引け目に思わない、そういう音楽をやっと作ることができました」
「日本」
引け目に思……っていたのか。思わずカウンターに置かれた手を握ると、また小さく笑みを返された。
「私、西洋音楽では未熟過ぎてまともに音も取れず、かといって邦楽では珍奇な見世物にされているという被害妄想が抜けなくて、人に聴かせるなんてとてもできなくなっていました。だから、今日フランスさんをご招待できたこと自体が、大きなステップなのです」
切ないことを言う。フランスは、握った手の力を強くした。
「俺は、日本の声が好きだよ。その牡蠣のような美しい耳も」
少し酔ったのだろうか、日本は自分の手ごとフランスの手を耳に引き寄せた。牡蠣の身のような柔らかい耳朶をそっとなぞる。唇の代わりに親指の腹を押し当てて、フランスは言った。
「また聴かせて。そして聴いて」
「ええ。聴いてください、私の歌も。そしてもっと聴かせてください、フランスさんの美しい曲も……愛の言葉も」
「春の海」は、後に来日公演していたルネ・シュメーがいたく気に入り、バイオリンで弾きたいと言い出した。間を取り持つ暇もなく彼女自身が本人に迫り合奏の約束を取り付け、レコードに録音して帰っていった。
「……ごめんね、フランスの女性は押しが強くて、さ……」
立ち会わせて貰った録音の場で見た、体格のいいシュメーと細身のミヤギ氏の取り合わせはなんともユニークだった。聴いてみれば存在感では互角なのがまた面白い。
「いえ、当人もとても喜んでいました。著名なヴァイオリニストに認められたわけですから、晴れがましくもあったでしょうし」
「でもさー、もともと東西音楽の交流には積極的な作曲家って言ってたけど、シュメーが勝手に編曲しちゃったからさ……」
「西洋楽器での演奏はもともと夢想したことがあったようですよ。彼、西洋音楽は独学というか『耳学問』ですから、本当に願ったり叶ったりだと思います」
そうか、とレコードジャケットのミヤギ氏を改めて眺める。日本では目の見えない人が音楽のプロになるという伝統がある。彼も子供の頃に失明している。
前世紀、「小銭で買える音楽」といえばシートミュージックだった。紙切れ一枚の簡単な楽譜、けれども、その「手軽さ」では彼は西洋音楽には近づけなかった。黒い円盤は、耳から直接、彼の音楽世界に西洋を届けた。
感慨にふけっていると、日本がくすりと笑った。
「それにしても、西洋の皆さんはみな同じ事を仰るのですね」
「うん?」
「うちは女性が強いって」
「ああ――まあ、表の振る舞いはさておき、究極的には勝てないよね。……色んな国と仲良くしてるんだ?」
「ええ」
あっさりと頷いた日本をちらりと見て、フランスは眼を戻した。
色々頑張っている、それは知っている。会議の場で、そして会議場の外でも、「国際協調主義」という外交方針に沿って地道に交渉を重ねている、それも分かっている。
それでも――日本は、一つのチャンネルを切って捨てた。自分自身が望んでもいなかった軍部の暴走を形にする、そのためだけに。満州国否認の決議を受けて、席を蹴って「堂々退場」しながら、ドアを開ける前、日本はひどく顔を歪めた。
勧告を受け容れたあとでまた暴走が起こったら国連規約第十六条の制裁が課せられる可能性もあった。加盟国全てから戦争相手国とみなされて、金融取引停止。それを免れるためには、勧告を拒絶して脱退するしかない。国際協調のために日本は国連を捨てた。その響きの矛盾が、調律のあっていないピアノのような残響を与える。
「プロイセン君とも久しぶりに飲みました」
「――へえ」
一拍、反応が遅れた。
「元気だった?」
「ええ、相変わらずで」
相変わらず、か。そんな言葉は、フランスにはますます言えなくなっていた。世界大戦の辺りから弟の方がかの国の前面に出ているということもある。軍靴の音まで固い彼とは折り合いがよくない。その上今度の上司はドイツドイツと言い過ぎる。自褒めはフランスだって勿論するが、自分たち以外を視界から排除しようというような閉じたアジテーションがどうにもお洒落じゃない。シェーンベルクやヒンデミットは退廃音楽として弾圧されている。こうした「国」と芸術の軋んだ関係が、革命ロシアの次に現れるのが隣国だとは、あまり想像していなかった。
それでも、と、もう一度レコードジャケットを見る。
昔が良かった、とは、思わない。
「――チェレプニン?」
「はい。パリ音楽院を出られた方ですよね」
フランスさんとこの作曲家さんが、と話しかけられたので一瞬戸惑った。
「ああ……うん。ロシア革命のとき一家してうちに亡命してきたんだった。彼、来てたんだ?」
「はい。もう二度も。色々指導をしてくださっています」
日本の作曲家たちの楽譜を海外で出版するのに助力しているのみならず、賞をもうけて支援しているという。譜面台に立てかけられていたのはその賞を取った作曲家のものだった。確かに、弾いてくれた時に懐かしい感じの五音音階だなと思ってはいた。
ピアノ椅子の隣で、日本はしみじみとため息をついた。
「お話をうかがって、私、目を開かされた思いでした」
「ふうん……?何て言ってたの」
既存の音楽にだめ出しして東欧に採譜に行ったところまでしか知らなかったので曖昧な口調になってしまった。日本はそれに気づかず、続けた。
「『ナショナルである事こそがインターナショナルである』」
思わず、固まった。
「民族に帰れ、とも言われました」
「ああ……」
言わんとするところは、分からないでもない。それこそ語義的にいって、「国際協調」はその単位である「国」がきちんと確立していなければならない。邦楽のような民族精神の現れを安易に葬るのは小さな自殺だとも思う。
けれども、と思わずにいられない。今「自分」に籠もることは、「他」を捨てるあの国と重なる歩みではないだろうか。
「それで、チェレプニン氏の影響を受けた人びとは『民族派』と呼ばれていて、今それなりの勢力になっています。ドビュッシーの音楽に救われた気がしたのは、私だけではなかったんですね」
「………………」
救われた――ドイツ音楽の権威から、だ。それは日本の音楽界ではずっとアカデミズムや楽壇と同義語だった。厳格な対位法と機能和声。ゴシック建築のように精密に汲み上げられた威圧的な構造物。
それに対して、平明ながら煌めく音が流れるような旋法にⅡ度、Ⅳ度、Ⅴ度の和声。目を閉じて聴いていればそこに浮かび上がる水、月、風。
日本が後者に惹かれるのは分かる。けれども、前者を踏まえての破格と前者を無視した乱調ではまるで違う。
「……ドビュッシーは、革命児だったんだよ。それまでの重厚な積み上げがあるからこその異端なんだ。それも、世紀転換期の」
「え。あ……はい。はい?」
「……ううん。なんでもない」
杞憂だ、きっと。首を傾けて日本の頭頂に額をあてる。髪の中に埋まった鼻をそのまま滑らせて耳に至る。そのまま囁けば、息が耳朶の産毛を泳がせた。
「日本」
「はい?」
「俺の声が聞こえる?」
「はい。……はい?」
聞こえる?
答えて。
聴かせて。
言葉を、歌を、呑み込まないで。
水の中にいるみたいで、声が聞こえない。
耳を手で塞いでいるみたいで、俺の声が届かない。
――そんな夢を、その後の十年で、何度も、見た。
――――「あくまで創作の源泉を東洋民族の血液の中に求め、まづ東洋人としての自覚と熱意と東洋に対する『愛』の心から出発するものである」(早坂文雄)