Je suis ici.

フラ菊

5 「ここまで来たかー、って思う」

回り続ける円盤からそっと針を外し、回転をとめた。レコードにふっと息を吹きかけて、ケースに戻す。シェーンベルクの『ピアノ組曲』「プレリュード。ドレミの音を全て使い終わるまで同じ音を使わないという規則で十二個の基本音列を四十八個作り、それを並べて音楽を作る。十二音音楽と彼が呼ぶそれは、これまでの旋律と和声からなる楽曲とは、聴者に与えるものがまるで違う。
「うーん……」
日本はまだ唸っている。
「イマイチだった?」
「そんな、評価するなんておこがましいです。ただ、よく分からなくて。こう……どう受け止めればいいか」
すみませんと頭を下げる日本の隣に戻ると、ソファが柔らかく弾んだ。畳敷きの上に大丈夫なのと気になったけれども、「だってフランスさんが来て下さった時くつろいでほしいですから」とあっさり言ってのけて、数年前に日本が買ってくれたのだ。絨毯もしきつめてあるし、卓の上には蓄音機もあって、もう洋間といって差し支えない。
「謝るようなことじゃないよ。無調音楽は苦手な人も多い。俺も、面白いことやってるなとは思うけど、いかんせん、これまでの音楽に耳が慣れすぎているからね。心地よくはない」
ここがね、と耳に軽いキスを送ると、ひゃっと小さな声を漏らして日本は肩をすくめた。
「びっくりするじゃないですか」
「そーお?自然な流れじゃなかった?」
「フランスさんにとってはそうかもしれませんけど」
くすくすと笑いながら日本は体を引いて逃げる。追いかけて耳朶にもう一度キスをして、体を戻した。
「俺は、どっちかというと戦前のストラヴィンスキーの方がよりアバンギャルドに感じるかなあ」
何せ、リズムが無秩序なのだ。「春の祭典」の「生け贄の踊り」では十六分の五から八分の二、そして八分の一と目まぐるしく変化する。時間が絶えず痙攣し、そこに強烈な打楽器が追い打ちを掛ける。逆説的に、これまでの楽曲は、それがどれだけ発表当時新鮮さに溢れていたとしても、結局安定の枠の中にあったのだなと思わせられる。そして、その枠の超克こそがこれら前衛音楽の狙いなのだと――分かりはするのだが、骨肉化したリズム感が悲鳴を上げる。
大戦の少し前から、美術でも文学でも音楽でも、既成権威への反抗が一大ムーブメントになった。キュビズム、ダダイズム、そして無調音楽。「統辞法を破壊せよ!」。過去の枠組みを超えようとする運動が過激化するのは、それこそ歴史の常道ではあるけれども。
「革命だってねえ、やり出したら止まらない、キメちゃうやつが出てくるもんだよ」
「あー」
同情まじりの複雑な目を向けられたので小さく手を振る。ロベスピエールのことじゃない。
「ロシアのこと」
「ああ」
「オーケストラも劇場も、楽譜の出版も全部国有にしちゃったからなあ」
「ラフマニノフさんやストラヴィンスキーさんにとっては、印税を奪われたようなものですね……」
「それだけじゃなくてね、多分、『国のための音楽』を作らせるんだろうし、音楽家の方もそれに応えざるを得ない。ここまで来たかー、って思う」
主義が国を――少なくとも政治体制を作り上げるという体験は世界でも初めてだから、これが芸術にどう影響するのかはまだ分からない。それでも想像はつく。革命政府はその理念に合致した芸術(と考えたもの)を敷衍させるために干渉するだろうし、もしかしたら体制に合わないと思うものを禁止さえするかもしれない。
これまででも音楽家を迫害した政府はあったが次元が違う。ロシアの新体制は音楽自体に力を加えることができるし、そうするだろう。彼らの土台決定論からすれば生産関係の上に成り立つ文化は、必然的に、ブルジョワジーの為したものとは違うものにならなくてはならないからだ。
「もっとも、革命が音楽を変えたというよりは、大戦が変えたんだろうなあ……」
大戦中のフランスでは、ドビュッシーを初めとして反ドイツ主義的言辞があふれ、ワーグナーの演奏禁止を求める声さえ上がった。エルガーやサン=サーンスは自国を讃える楽曲を作り上げた。国家総力戦は大衆のみならず芸術家の意識も変えた。戦争なんだから国民を鼓舞するのは「国」として当然、そう思うフランスでも一瞬戸惑い言葉を失うほどに、国民から「愛国」を献げられた。「国」は人の最重要属性の段にまで昇格したのだ。
「……」
曖昧な顔で日本は頷いた。不同意というわけではないにせよ、実感がないのだろう。置かれた境遇が違うし、もともとの感覚も違う。それは悪いことじゃないし、やわらかな待遇に癒やされもする。
肩に頭を預けると、日本は僅かに顔を寄せた。口づけのつもりなのかもしれない。不器用な仕草にいとおしさがこみ上げる。
「何か、耳に優しい音楽――ラヴェルでも聴きますか」
「――うん」
日本はそっと体を外し、レコードを仕舞ってある棚に歩いて行った。
発想の流れからすれば、ラヴェルはフランスの耳に優しくない。従軍を志願し、運転手として戦場に出たことや、帰還後作った楽曲に彼が見たヴェルダンの凄惨な光景が映し出されていることなどが思い出されるからだ。
隣に戻ってきてくれた日本の腿の上に倒れ込む。目を閉じていると、日本の細い指が髪を梳いていくのが分かった。その指の動きと同じくらい、日本にとって、ラヴェルは優しい音楽なのだ。かつて春の陽の中で煌めきながら降り注ぐ水滴のように感じられた音の粒は、今のフランスには、深い湖の底から見上げる、湖面近くの泡のようだった。
「それにしても、日本にいるのに、まして部屋にいるのに、オーケストラの演奏が聴けるなんて」
独り言のように日本は言った。
少し体を起こして、手を伸ばす。指の背で軽く日本の瞼を撫で、そのまま滑らせて耳へ。くすぐったそうに日本は微笑む。録音という新技術は日本にとって福音に違いない。いまだ「目で聞く」風潮は否めないが、それでも自分の耳で味わえるようになった。船が速くなって来日演奏旅行も格段にやりやすくなったし、フランスに留学生を迎えることも多くなった。フランス流のピアニストがリサイタルを開くことも出てきたし、そうなると音色に関する感性も磨かれてくる。先の大戦も含めて、少しずつ時代の階梯を上がっているのだ。このやわらかな手の動きは、国のゆとりを表している。
それはいいことの筈なのに。慰めて貰ってさえいるのに。そのように穏やかでいられる日本は、ヴェルダンを知らないのだなと思ってしまう。
「ねえ、日本」
「はい」
「アメリカのやった、マンモス・コンサート覚えてる?」
「ええ!……懐かしいですね、もう随分昔のことのような気がします。大変な規模でした」
「音楽的にははちゃめちゃだったけど、みんな楽しそうだったなあ……」
「アメリカさん、ああいうことお得意ですしね。でも、今ヨーロッパでもたくさん平和記念イベントやっているじゃないですか」
「うん」
平和希求の運動は、かつてないほど盛り上がっている。あんな戦争は二度と嫌だと叫ぶ人の目に、嘘はない。ないのだけれども――「国」と戦争がぺったりと密着した経験は、感覚を変える。マンモス・コンサートでしてみせたように、鏡の間で並んで手を振るなんて、できなかった。
社会が音楽を作り、その音楽がまた社会を作る。交響曲第九番が作ると考えられた国際的な共同体は幻に終わり、誰も彼もが自国の国家主義鼓吹のために歓喜の歌を歌った。熱狂のワグネリズムの根がベートーヴェンにあるというのなら、音楽は感情芸術であることを捨ててただ大衆を癒やす消費物に成り下がった方がよっぽどましだと吐き捨てるやつの気持ちも、少し、分かる。
「日本」
「はい?」
「好きだよ」
何故今、という顔で日本は小さく苦笑した。
「好きだよ」
「私もです」
「……うん」
首を掴んで引き寄せると、腰がなどと笑いながら、日本は顔を近づけてきた。もたらされた体温にほっとため息をついた。

――――「戦争およびそれが引き起こした諸々の出来事によって、公的な芸術育成が近年、政治的な視点に従属してしまうに至った」(パウル・ベッカー)