Je suis ici.

フラ菊

2 「創り出さなきゃいけなかったんです、一から」

溶かす。目的語は「日本の耳を」だろう。または、「日本を」。いやー、愛弟子さんに、いいの?とろとろに溶かしちゃうよお兄さんの手で!などと空に向かってゲス顔をしてみせたフランスだが、その空しさに、わきわきさせていた手も下ろした。だって、どうやって。多少のよしみはあるとはいえ、大した結びつきがあるわけでもない――それを思い出して、フランスは憮然とした。日本はイギリスと同盟を結んでいるのだった。よりによって二人の同盟。周りは「王子の粉屋の娘の結婚」などと揶揄しているが、王子カッコワライの方がよっぽど舞い上がってる。浮かれた足で海峡を越えて仲良し自慢しにくるのだからうざいことこの上ない。日本に含むところはないとはいえ、そして国際関係上の利害得失を脇に置いたとしても、眇めた目で見てしまう同盟なのだ。
そして、脇に置いた話を正面に戻すなら、同盟相手のロシアと日本が今やってるこの戦争については、若干の不安を持ってちらちら見ていたが、何とか落ち着きどころを見つけたようで良かった。「ヒーロー見参!」で割って入ったアメリカに口には出さない感謝をする。ロシア寄りとはいえ、日本が判定勝ちするのも、そのせいで極東方面でロシアの南下が抑えられるのも、フランスにとっては大した問題ではない。とにかくシベリア鉄道に投下した資本がきちんと回収されて、かつロシアの手傷も大したことがなく、対独同盟としての意味を喪わない程度に強国のままでいてくれればいい。
ともあれお疲れさんと声でも掛けようと日本にやって来たところ、新橋の凱旋門でどこぞの部隊の帰国にぶつかった。風になびく旗に、出迎える群衆の小旗。太陽のマークがそこら中でさわさわと揺れている。晴れがましい式典の邪魔にならないようそっと道の端に寄った。ここの凱旋門はパリのそれにかなり似ていて、見ると、くしゃみまで真似していた日本を思い出してくすぐったい気持ちになる。
凱旋式はなかなかの規模だった。如何にもドイツ的に統率のとれた行軍を「ほー、へー」とやっかみ半分に感心しながら見ていたが、観衆から沸き起こった万歳の斉唱にふっとある光景が蘇った。
「こんなに……たくさんの人が……」
記憶の中の日本は、きゅ、と胸の前で手を握りしめた。無表情と思っていた顔が薄く上気して、あれ、この瞳はこんなにも表情豊かだったかと言葉を失った。
「これが、開化なのですね」

ほんの少し前――とフランスには思えるが、あれは三十年も前になるだろうか。日本は政体の大変革を経て、数年がかりの大視察旅行に出発していた。その最初の訪問地アメリカで行われたコンサートでたまたま顔を合わせたのだ。なぜフランスがわざわざ大西洋を渡って出向いたかと言えば、それが南北戦争と並んで普仏戦争の終結も祝う「世界平和祝典と国際音楽祭」だったからだ。「空気は敢えて読んでないよ!」という陽気な言葉で以て、プロイセンと二人、招かれた。フランスにして見れば周辺諸国との殴り合いも仲直りも慣れたもの、わざわざ関係修復の儀式など要らないが、まだ若いアメリカはそれを目で確認したかったのかも知れない。見えないところで蹴り合いながら、並んで手を振ってやった。アメリカは満足そうに大音量で演奏を開始した。
大音量、というのが、これまたアメリカらしく桁外れだった。特設会場は幅百メートル奥行き二百メートル、合唱隊の人数は一万五千人。五万人は収容できるというバカみたいな大会場で、当たり前だが、ホールとしては最悪だ。音が伝わるタイミングがずれるからだろう、合唱が揃わないことといったらない。
「誰かあいつに『繊細』って概念を教えてやんなかったのかよ」
「イギリスに言ってみる?俺が?お前が?」
「どっちにしろ吐血しちまうだろ」
そんなぼそぼそ声の会話を、隣で日本は曖昧に微笑みながら聞いていた。イギリス本人は来ていないようだったが、ロンドン近衛歩兵の軍楽隊が特別出演し、イギリス国歌を演奏した。その際の趣向で、楽曲にあわせて大砲や鐘が鳴るという仕掛けがあり、轟音に、日本は猫のようにびっと肩を尖らせて驚いていた。
音楽的な面ではいろいろと残念な会だった。バッハ、ベートーヴェン、モーツァルトと曲目は華やかに揃えられていたし、シュトラウスのワルツは本人が指揮台に登場もした。けれども、器楽演奏にしてもアリア独唱にしても、その響きを味わうどころではない。このマンモス・コンサートはマンモスっぷりを楽しめばそれでいいのだろう。フランスとプロイセンは半ば苦笑しながらも「アメリカらしさ」は十分に楽しんだので、アンコールの拍手をした。ちらりと横目で日本を見ると、至極真面目な顔でぱちぱちと手を叩いていた。手を叩くべき場だから叩く、そういう生真面目さが動作に現れていて、面白かったのか呆れたのかその顔からは分からない。――そう思っていたが、アンコール曲が鳴り始めるとその目が大きく見開かれた。演奏されたのは「星条旗」だった。楽団はもともとアンコールで気持ちが乗っている。そこに観客の高揚が重なって、全員歌い始めた。六万人の大合唱に包まれ、口を薄く開いた日本は、舞台や観客席のあちこち目をやっていたが、やがて手を握りしめた。
「……すごい」
フランスにしても、「これだけの大人数で、声を揃えて歌う」という経験はそんなにあるものではない。第九でも、マーラーの五番でも、揃った大合唱は、それだけで人を圧倒する。このマンモス・コンサートの歌い手は通常のコンサートの十倍以上。それに観客が唱和して、横からも後ろからも声が発せられている。国歌扱いの曲だけに、どの声も綺麗にメロディラインをなぞっている。こうした大合唱の舞台芸能を持たない日本は、この体験自体が衝撃に違いない。
ましてそのエネルギーが自分達・国に向けられるものであるなら。あの大革命の防衛戦争でラ・マルセイエーズが響き渡った時にはフランスも全身の産毛が立つような感動を覚えたものだ。南北戦争を乗り越えて「一つのアメリカ」としての存在を取り戻したアメリカも、今、声の粒を浴びるようにしながらこれを聞いているだろう。ああ、だからイギリスを呼んでいないのかな、と考えて、それとは別に、ああだから日本を招待したのかもなと思った。
「これが開化なのですね」
日本は、抑えようとしても抑えきれない興奮に声をうわずらせていた。
「こんな風に国民が愛国心を、身体で、動作で表現する――そして動作を共有し一体感を得る。それが『近代国家』というものなのですね。それを見せてくださったのですね……」
瞳にカタナのような決意の光を宿して、日本は顎を引いた。

なるほど、と額を叩いた。
楽しむどころじゃない、のは当たり前だ。国家存続の要件を探る旅で示された答えの一つが「ナショナル・メロディー」であるなら、「眦つりあげて」作るくらいするだろう。フランスやプロイセンとは違う出会い方をした日本にとって、西洋音楽は、最初から「国」とセットだったのだ。
もう一度、今度は頬を叩いた。それでプロイセンは、日本の熱意に応えるべく、びしびしと教え込んだのだろう。アメリカにもあるような、新興と言われる国同士の淡い連帯感なのかもしれない。
ちょっと、つまらない。意味のない疎外感を覚えて、口を尖らせた。意味がないのはよく分かっている。日本にもフランスにもそれぞれに置かれた状況があり、守らねばならない堡塁も、切り開かなければならない道もある。それぞれの立ち位置を拗ねても仕方が無いし、高いステータスを維持しているフランスが言うなら高慢でもあるだろう。
それでも、彼我の間に線を引かれるのは何か切ない。同盟とか、歴史とか。そういう現実的な結びつきは国である以上必要不可欠としても、生々しい話からふんわりと浮き上がって、空中で踊るように手を取り合ってみたい――そういう軽やかな『仲良し』になってみたい。
踵を返して歩き始めると、尖らせた唇から自然に口笛が流れ出た。通り過ぎた家で鳴っていたオルガンの曲。すれ違った子供たちが歌っていた賛美歌の続き。そうして音を繋いで、繋いで、日本の家の前まで来て、気がついた。今合わせているこのアイルランドのメロディは、日本の家から流れ出ている。伴奏というほどでもない、右手だけで弾いているようなピアノと、それに音を合わせているだけの訥々とした歌。子供のような歌い方が、しかしなんとも素朴で、却って胸に迫る。もう少し聞いていたい。ドアを叩けば音楽が止まってしまう、それは勿体ないと、フランスは横着をして庭に回った。おとないを知らせないのはさすがに失礼だから、心持ち口笛の音は大きくした。果たして、窓越しに庭を見ていた日本は現れたフランスに驚いたようではあったものの、手を止めることもなく、最後まで歌いきった。
お互いに一礼して、二人でぱちぱちと手を叩く。日本は「フランスさん」と言いながら、開け放された障子の向こうから縁側まで出てきた。目線で許されたので縁に腰掛け、不作法の取り戻しをすべく、手土産の薔薇を渡す。花束を貰うのにはまだ慣れないらしく日本はいつものように頬を染めたが、有り難うございますとふんわり微笑んだ。
「ところで、さっきの、『オールド・ラング・サイン』だよね?歌詞が違っていたみたいだけど」
「ええ、曲だけ戴いて、日本語の歌詞をつけたものです。翻訳でもなく、全く別内容の」
「へえ、じゃあ旧友の歌じゃないんだ?だからかな、わざと感情を込めずに歌っていたみたいだった」
「ああ……」
「いや、それが悪いんじゃなくてね!朗朗と歌い上げる歌声に慣れてたから意外だったというか――新鮮で、すごくいいなと思ったの。日本、声がいいからさ。もう少し聞きたいなって」
日本は少し恥ずかしそうに微笑んだ。
「思いがけなくも素敵な合奏になりましたが、音を取る練習をしていただけだったのです」
「音を取る?」
「はあ。……お恥ずかしい話なんですが、私、歌うときに音階がきちんととれるものと、外しやすいものとがあるんです」
そう言って日本は、僅かに目を伏せた。音痴の告白が恥ずかしいのは分かる。けれども、そういう認識がなかった。歌を聴いたことが無かったからではない。
「でも俺、万博の興行とかで日本の歌何回か聞いたことあると思うけど、上手いよね?勿論、メロディ自体がエキゾチックだったけど、音が外れてはいなかったんじゃない?」
聞かれていたのか、という驚きと、それが恥ずかしいという感情が日本の顔をよぎった。
「いえ……まさにそのことなんです。例えば」
ちらりと胸に抱えた薔薇に目をやって、笑わないでくださいね、と前置きし、日本は『夏の名残の薔薇』の――そのメロディの曲を歌った。これもアイルランドの民謡だが、Cメジャーに移調してあるからそう難しくはない、ただサビに高音のパッセージがあるからそこが難しいのかなどと思っていたが、日本はワンフレーズで歌をとめた。
「ずれてますよね」
「え?あ、そうだったっけ?」
拍手する気であげていた手を止める。やっぱり日本の声は深くていいなあ、なんて思っていた。慌てて記憶を巻き戻す。
「……『last rose』のとこ?」
チーグサーと発音していたと思うが、自信が無くて原詞で指摘したら、ええと、と箇所を頭の中で対照して、日本は頷いた。
「そこです。ここでのシはドからラに移行していく流れの中にあるのでずれが吸収されやすいと思うんですが、流石にお解りですね」
日本は花束に顔を埋めるようにして目を閉じ、こちら折角なので生けますねと、やおら立ち上がった。そちらからどうぞという言葉に甘えて、沓脱ぎから上がる。洋風にしつらえた居間にあったのは、アップライト型のエラールだった。フランツ・リストが宣伝塔になったフランスのピアノメーカーだ。嬉しくなって指を遊ばせていたら、花瓶を手に日本が居間に戻ってきた。
「さっきのだけど、言われなきゃ気づかなかったよ」
微苦笑をして、日本は指をファとシに乗せた。不協和音が悪魔の呻きのように響いた。
「この二つの音を、音階として利用するのが不得意なのです。ド・レ・ミ・ファと音を取っていくと、ファは少し高くなってしまう」
「あ、そうなの?」
それはかなり致命的なんじゃないだろうか。音階というのは科学的に導き出された法則だから、それを修得できないというのは――たとえて言うなら物理学の諸法則を認めないようなもの、文明に背を向けるようなことだ。
さすがにそれを口に出すのは憚られて、フランスは黙った。それこそ物理学にせよ医学にせよ、軍事にせよ、日本が文明国・一等国の座を目指してひた走っていることを知っている。それこそ音楽だって、刀を持ったサムライのような気迫で学んでいることも分かっているのだ。
言葉に詰まったのを誤魔化すためにピアノ椅子に座り、『夏の名残の薔薇』の旋律をさらった。優しい、柔らかなメロディに日本も愁眉を開いた。小さく胸元で拍手をしてくれる。
「リストの弟子ですから」
立ち上がって膝を折る本式のお辞儀をして、巫山戯ついでに日本の手を取って口づけの真似をした。一瞬目を大きく開いた日本は、破顔した。
「リスト・マニアのように私も失神すべきですか?」
うわ、とフランスは思う。こんな屈託のない顔見たの初めてだ。驚きに胸がぎゅっと掴まれる。握ったままの手を軽く引くと、日本は逆らわず、フランスとともにピアノ椅子に腰掛けた。
「若い頃のリストさんは、やっぱり、格好良かったですか」
「うん――」
トントントン、と指を跳ねさせた音がちょうどその音だったので、ごくごく微音で「ラ・カンパネラ」を弾き始めた。
そうかと改めて思う。ショパンにしろリストにしろ、自分にとっては「あいつ」だけれども、日本にとっては歴史上の人物になってしまうのだ。その考えを読み取ったように日本が小さく首を振った。
「いえ、ぎりぎりでリストさんには間に合いました。留学時代にワイマールにもいらしたので。ずいぶんなお年でしたが、素晴らしい演奏でした……」
ひとくさり終わったところで指を止めた。日本はまた小さく胸の前で拍手する。いいと思ってくれたんだろう、その動きはさっきより速い。年寄りを自称するくせに日本の仕草は妙に可愛らしい。
「そっか。うん、若いときもオーラ放ってたよ。天才は生まれたときから天才なんだなってのと、人間の深みとか苦悩が音を磨くなっていう矛盾したことを両方思わせた男だったね。青年期のモテ男オーラは、そりゃあすごかったよ」
お兄さんにはかなわないけどね、と片目をつぶってやる。
「話戻るけど、やっぱり俺、日本に音を外すイメージないんだけど。川上貞奴は芸能人だから当然としても、さっき来る道ですれ違った子が歌っていたのもちゃんとしてたよ?」
日本はそっと笑った。
「歌う、という方を優先したので、耳は後回しにしたんです」
「ん?」
「歌いやすい音階で歌を作って、それを全小学生に歌わせたんです。雅楽の呂旋法で採る五つの音階、ド・レ・ミ・ソ・ラに大体当たるんですが、それなら耳馴染みがあるからいけるだろうということで、この五音だけで成り立つ歌を各国から集めたり、作ったりして。とにかく、斉唱という動作ができるようにさせたかったのです」
「ああ……苦手なファとシを抜いて、五音音階でいくことにしたのか」
「『小学唱歌集』全部がそうではなく、だから先ほどの『夏の終わりの薔薇』も載っていて、最終的には全音階練習できるようになっているんですけど」
民謡で、五音音階になる地域はそれなりにある。アイルランドはシも使うが、スコットランドは大体五音だ。綺麗に共鳴する五度上の音、ドならソ、ソならレと五つ拾うだけでできる音階だから、単純で使いやすい。西洋音楽の基とされるグレゴリオ聖歌も五音音階で成立している。
しかし、ファとシ抜きの五音音階――四七抜きと日本は呼んでいるらしい――には決定的な難点がある。ハ長調の主音ハ(ド)の導音となるシが使えない。導音が主音に移るときに与える満足感、則ち導音の解決は曲作りの主軸だ。
和音の構成上も辛くなる。基本的に、Ⅰ度の和音ドミソが中心となり、Ⅴ度の和音ソシレがそれを支え、Ⅳ度の和音ファラドが間に入って若干の不安定さを与える、その三つの和音が基礎構造となって楽曲が成立する。その重要な要素が二つも欠ければ、構造美を中心とした楽曲は作れない。主旋律と伴奏で成立する唱歌ならともかく、ピアノ曲でも難しいだろう。
さすがに難しい顔になってしまった。過渡期的措置とはいえ、重たい決断だったことだろう。眉根を寄せたまま隣を見ると、微苦笑で受け止めて、日本はそれでもきりっとした瞳を向けた。
「私は、国民の喉を創り出さなきゃいけなかったんです、一から」

――――「現今ノ要務トナストキハ実際取調ブベキ事項ハ大綱アルベシ。曰ク、東西二洋ノ楽折衷ニ着手スル事。曰ク、将来国楽ヲ興スベキ人物ヲ養成スル事」(伊沢修二)