不自由な僕等

アル菊

(番外編)

目を覚ますといつも病室の白い天井が目に入って、ああ私は倒れたのだと思う、そんな頃の話です。

世界に孤立無援、四面楚歌となった夏、ストレスと外傷に私は骨まで病んでいて、最後はもう気力だけで立っていたのだと思います。だからでしょうか、秋から冬にかけて、長い夢を見ていました。
無声映画の主人公になったようなのです。
私は海老茶袴を…時には綺麗な色のスカートを、身につけていました。顔も体も私のまま、服相応に若返ってはいたもののそれはやはりちぐはぐで、どうしてこんな夢を見るのかと不思議でした。「女であったなら」と思ったことがその頃あったからかもしれません。しかしそれならば、だって夢なのですから、夢らしく、美しく造形してくれればよいものを。当たり前ですが胸も平坦なままで、肩幅も人より大きく、ブラウスがとても不似合いでした。夢が、私を諭しているのだろうと思ったものです。お前の思いは、この子のようにちぐはぐなのだと。彼に好かれたいと、だけど自分を捨てられないと、千鳥足のようにぐらつく心が反映しているのだろうと。
ああ、だから、この子は嫌われるのかと、私の心が入り込んでいる彼女に申し訳なくも思ったものです。サイレントですから浴びせられる罵りの言葉は聞こえません。しかし帳面に落書きされた「おとこおんな」の文字は、「亜・白人」として振る舞おうとした自分への自嘲だったと思います。
その「わたし」の――彼女のと言いましょうか、唯一の安らぎは家の中にありました。寡黙で聡明な父、優しくて芯の強い母。私の理想とする家庭に、時折、お客様がいらっしゃるのです。
ええ、ちょっと、フロイト学説を持ち出すまでもなく、いくらなんでもというような造形でしたので、その方の風貌について詳しく述べるのはご勘弁ください。とにかく、私の心が入った彼女は、その方に夢中で、本当に、視界がバラ色に染まるのです。男として長く暮らしてきて、もちろん女性と交わったこともありますけれども、女性になりかわったことはないために、こんなことがあるのかと私は叫び出しそうでした。しかもその頃、そのバラ色の視界が抜けきらないまま、…人を病室に迎えることがあったりもして、なんとも挙動不審になってしまったものです。
その方は、何かを「わたし」に教えてくれているようでした。時には書いてくださるので内容も分かりました。口幅ったいことですが、欧米の方は余り筆跡に重きを置かれないようで、たとえばアルフレッドさんの文字なんかも時々解読に労を要することがあるのですが、その方は本当に美しい筆記体で、「わたし」には難しいだろう専門用語を書いてくださるのです。そういえば、クリスマスカードで貰ったのでしょうか、「Love yourself」と、その方の目のような綺麗なインクで書かれた紙を「わたし」はオルゴールの中にしまっていました。時々そっと取り出しては胸に当てるのです。
「わたし」は何かに苦しんでいました。彼女の感情は直に伝わるものの、思考回路は重ならないので、何がどうなっているのかは分からない。けれども、その方に何かを言われる度に、うれしさと切なさで引き裂かれそうになるのです。
安らぐための眠りの中でこんなにも心が乱されてはたまらないと、できるだけ起きているようにしたくらいです。それでも夢と現実が奇妙に入り組んでしまって、私は少々感情的に振る舞ったりしてしまいました。
夢の中でも、きなくさい気配は漂っていました。日中戦争が始まっていたようで、日に日に重慶政府を支える英米への風当たりは強くなっていきました。そんな中、その方も帰国されることになったのです。
冬の日、私達は皇居前広場を並んで歩きました。いつものように、彼は私に色々と言葉をくれたようでしたが、「わたし」は何も言えずただ頷いていました。叫び出しそうな心を抑えていたのです。
「あき」、と彼の口が動くのが分かりました。「わたし」の名前は、アジアの希望の子、亜希子とつけられていたのです。そのとき、彼はいきなり日本語でも英語でもない言葉を話し始めました。それまでずっと無音の世界だったのに、なぜその音声が聞こえたのか、分かりません。ともかくそれは、聞きかじりで知っていたエスペラント語でした。もちろん一介の女学生である「わたし」には理解できません。彼女はぽかんと聞いていました。


君が、男であるか女であるかなんて、今までの僕には、そして未来の僕にも全く関係がない。だけど、ただ今だけは、君が戸籍上女であることが、だから戦場で逢わないことが有り難いと思う。僕の手で君を殺すなんて運命だけは受け入れられない。君を殺させる国なら捨てるし、君を殺す国なら国から君を奪うよ。

そのとき初めて、これは私の脳が紡ぐ絵空事などではなく、現実にどこかにいる二人なのかもしれないと思いました。私、がそんなことを思うわけはない。まして、あのひとの口に言わせるわけはない。私が女であったとしても――エリザベータさんにそうさせたように――戦場に立つでしょう。愛する人でも、殺せと言われれば、まず自分の心を殺して、刺すでしょう。
それなのに、あのひと――に、よく似た方から、国の論理を凌駕する愛を告げられた時、私の心は大きく揺れました。
私は、そんな風に思われることはきっとない、思うこともない、けれども、そんな風に人が人を愛することをも認められる国でありたい、と。
そして、国籍やそれにまつわる立場よりも、今自分が抱えている心を率直に見つめること。そんなことができる心の自由さが欲しいと、思ったのです。
私の心は、ずっと、アクセルを全開にしながら、ブレーキを目一杯に踏んで走る自動車のようなものでした。心に掛けがねをかけていないと自分を見失うと思っていました。何せ、立場が立場でしたから。
それやこれやを今から思えば、やっぱりあれは平行世界の現実などではなく、私が夢として作り上げた自分へのメッセージだったのだと思います。
その後しばらくして、なぜか今の私と同じような髪かたちをした「わたし」の中に入って、私よりだいぶ大人の顔になったあのひとの胸の中へと駆けていく夢も見ましたが、それは私のささやかなハッピーエンド願望の具象なのでしょう。