滑り落ちた浴衣からあらわれた肌は白くなめらかだったが、やはり胸は真っ平らだった。自分の方がまだ筋肉の分カップがある、とアルフレッドは思う。
昔日の菊には、薄く綺麗な筋肉がついていた。ある夏の日、家に押しかけたら、彼が肌脱ぎをして素振りをしていたのだ。勝手に庭に入り込んだせいで危うく突かれそうになったのは笑い話、そのとき見た端正な肉付きに目を奪われたのは秘密の話。そして、寝たきりの生活のせいでその筋肉は失われつつある。この「菊」の体は、包帯を換えたときに見た今の菊の体つきに近い。
そんなことを考えて動きがとまった。
「…いいですよ、無理なさらないで」
別に「菊」の体に萎えたわけではなかったのだが、誤解したらしい「菊」はそう言って、微笑んだ。
「私がして差し上げます。ただ楽になさっていてください」
そして、目で許可を求めて、アルフレッドの服を脱がした。体を隠そうとしてか、浴衣を肩にかけて、「菊」はアルフレッドの前にうずくまる。そして、躊躇いもなく、まだ柔らかい性器を口に含んだ。
「―――っ!」
びくりと全身をふるわせたのを気づいた「菊」は、それでも口からものを出さずに、上目遣いでアルフレッドを見た。制止命令が出ないと見てとったか、しばらくそのまま見上げていた「菊」はやがて顔を戻して舌を蠢かし始めた。
「あ」
巻き付けては離し、なぞりあげては吸い付く。菊の顔で。
「ああっ」
口淫の技に、経験の浅いアルフレッドは思うさま翻弄された。
みるみるうちに固くなるそれに、「菊」は少しえづいたようで、一度口を離した。先端からこぼれ落ちた透明なしずくを小さな舌が舐めとり、更に出せと促すように割れ目をつつく。
「き、きく」
「はい」
律儀に返事するその顔をひっつかんで強引に口を奪う。もう駄目だ。止まらない。口の端から唾液が垂れるのもかまわず、何度も角度を変えてアルフレッドはその口をむさぼった。
女性を抱いたことさえ数えるほどしかないアルフレッドには、もみしだく胸をもたない相手を前に、この後どうしたらいいのか分からない。焦燥を力に変えて、闇雲にかき抱いた。柔らかみのない胸を、脇を、背を、それでもとにかく全身を触りたくて激しくなで回せば、頬の赤みの増した「菊」が小さく呻いた。
「いい?」
「……」
「なに、どこ。どこが気持ちいいの?」
ふるふると首を振る。
「教えてよ」
だって、全然分からない。何が悦ばれるのか、何が嫌がられるのか。分からない苛立ちと悦ばせたい焦りで気持ちが乱れる。浴衣もはぎとり、全身を空気にさらした「菊」を布団の上に押し倒した。
「菊」は返事を返さなかったが、それでも反応はとめられないようだった。撫でる手のひらに感触を感じて見てみれば、その下の乳首は先ほどよりも固くとがり、真っ赤になっている。思わず吸い付くと、「菊」は小さな悲鳴にも似た声をあげた。このひとは、俺の手で、興奮している。そう思うとまた腹の奥がかっと燃えた。舌で押し潰し、弾き、甘く噛む。「菊」はそのいちいちに体を震わせ、やがて弱々しく制止の声を上げた。
「…感じさせよう、などと思わないでください」
「は?」
「貴方さえ快ければそれでよいのですから」
そういえばさっきから「菊」は手の甲で眼を隠して、こちらを見もしない。
「……貴方が――さっきの方が立て替えたかもしれませんが、貴方がお金を払った以上、私は貴方のセクシャル・スレイブに過ぎません。…私はもう、そういう存在、です」
「………それは『客を喜ばせる』ためのトークなの?」
自分でも驚くほど低い声が出た。日本とアメリカでは雰囲気の作り方も違うだろうけれども、そして、単純な売春と「敗戦国が占領軍に国策として提供する性慰安」とでは売買の関係も違うだろうけれども。そんな露悪的な言葉が米兵たちを喜ばせるのなら、喜ぶやつはクズだ。
「っ…。すみません……口がすべりました」
萎えさせたことを詫びるように、手を伸ばして、首にからめ、口づけを促す。ここで引き返せない自分もクズだ、とアルフレッドは思う。思いながらも、「菊」の唇の甘さに酔う。からだで「喜ばせる」ことに専念することにしたのか、「菊」は熱心に応えた。足を内股に滑らせれば、一瞬動きの止まった舌が、いっそう激しく絡みついてくる。腕にも力が込められて、本気で求められているような気になる。「菊」はもどかしげに膝を立て、はぎをアルフレッドにすりつけた。
ほら、やっぱり「菊」は、ほしがっている。そんな声が頭に響いた。商売なのだと言い切られた、その直後だというのに。これはテクニックに過ぎないのだという警告も一方に聞こえるけれども、それを押しのけて、目の前の「菊」の痴態に溺れる。だけど、本当に、そう見える。「菊」の目には、単なる情欲ではなく、とめどない愛おしさがあふれているように、見えるじゃないか。その上気した頬も、荒い息も、アルフレッドを求めているように、見えるじゃないか。
そうとも、菊は、俺を拒んでなんかいない。従順なのは、「今のマスター」だからじゃない。
怖がらせないよう、唇を目元に寄せたまま、アルフレッドは右手を秘所に滑らせた。茂みの奥にわずかなしめりを感じる。「できる」と言ったように、確かにそこには男性にはない入り口があり、指先でつつけばそこがひくりと震えた。指を少し戻し、陰核をなでる。少し大きめのそこは、なで上げる指に激烈な反応を返した。肩にしがみついた指が食い込んでくる。目元へのキスを繰り返して宥めながら、さらに弄る。菊ならこのあたりに男性器がついているはずだ。男性なら誰もが知っている、それをなで上げられる快感。菊もこんな風になるだろうかと考えながら何度もすりあげて、「菊」の吐息に酔った。
「あ、あ…。へ、んに、な…」
目の溶けた「菊」にそう言われ、アルフレッドは限界に達した。
「ね、え。入れたいんだけど」
「あ、はい」
とろりとした目のまま、手を伸ばして浴衣の袂からサックを取り出して渡す。焦りながらそれを装着していると、同時に取り出したものを股間にぬりつけていた。見られたことを恥じ入るように、弁明する。
「すみません、私、少し湿りが足りないので…」
フノリです、と「菊」は言ったのだが、意味の分からないアルフレッドにはどうでもよかった。勢いのままに突き立てようとしたのを柔らかく制止して、「菊」は位置を調整するように手を添えた。その触感にまた気がはやる。
脳の血管が切れる、と思いながら、アルフレッドは腰を進めた。狭すぎる穴に自身をねじ込みながら、菊、とつぶやく。
はい、と、眉間にしわを寄せたまま、それでも笑顔を作って、「菊」は答える。
「ああ……菊……」
「はい」
本当に苦しいようで、「菊」の額には汗が浮かんでいる。それを舐めとって、アルフレッドは腰を進めた。くう、と「菊」が鳴く。背から肩に回した腕に力を込めて、もう一度その汗の浮いた額に口づけた。
「君を抱いている、よ」
「ええ」
微笑んだ拍子に少し力が緩んだ、その隙にアルフレッドは奥へと進んだ。
「全部、ねえ、全部入るよ。届いた?」
「ええ……あ…ん…」
「菊」は深々と息をついた。「あぁ」、もう一度菊は息をついて。
「貴方が、私の中にいる……」
「うん」
動くよ、と、言い放って、後は獣のようにむさぼった。「菊」は手の甲を噛んでたえようとしていたが、それでもこらえられず何度か叫んだ。
「菊」は何度目かの絶頂の後、失神したかのように布団に突っ伏して動かない。
その横で、アルフレッドは頭を抱えていた。
抱いてしまった。
この人を、ではない。
心で、菊を抱いた。
体で菊を抱きたかったのだと、わかってしまった。
菊を好きだとは思っていた。だからこそ離反も敵対も腹立たしかったし、占領を理由にわざわざ日本まで来た。
だけど、国同士、そして男同士。そんな関係はありえないと思っていたのに。
正しいからそうするのだと思っていた。
正義のために戦うのだ、負けた相手には優しくするのだ。他の誰の手も借りなくていいくらい、手厚く。だって他の強大国は皆戦争で傷ついている。彼らはまず自分を癒すべきなのだから、俺が、菊を護り助ける。菊を誑かそうとする男から引き離して。
そう思っていた、それら全て、単に、性欲に基づく独占欲だったんだろうか。
……国民は、きっと、「卑怯者」の菊との恋を許さない。そして、神も「男」の菊との愛を許さない。
がりがりと頭をかくと、その気配を感じたのか、「菊」が薄く目をあけて、一秒ののち、はっと体を起こした。
「いけません、もうこんな時間」
「…」
「すみません、早く服を着てください。追加料金になってしまいます」
「…払うよ」
「でも、そうして頂いても、私はもういかなければ」
アルフレッドは頭を上げた。
「どこへ」
「…それは…もちろん、次のお客様のところへですが…」
「つぎ…」
呆然とつぶやく。
「君は、他の人とさっきみたいなことをするのか」
菊のような体を、菊のような髪を、他の男が触るのか。菊の中に入り、菊の快感を引き出し――
「は?」
何を今更、という顔で「菊」は眉間を寄せた。その通り、今更だ。
「……そういう場所ですから」
「ごめん」
顔を戻す。それでも先ほど感じた炎のような思いは消えない。
「ねえ、他の人を断ることはできないのかい?お金の問題なら…」
「今日を貸し切りにするということですか?事前に言っていただければ大丈夫かもしれないのですが…何せ、たくさんの方がお待ちで、さばきれるかどうかの問題なので」
淡々と返された言葉がまたかんに障る。
「今日だけじゃなくて」
「私は」
「菊」が遮った。
「オンリーにはなりません。貴方のでも、誰でも」
そして素早く身支度を調えると、ふすまの前で膝を突いて頭を下げた。
「宜しければまたおいでくださいませ」
そして「菊」は去っていった。彼女の言葉で言えば、次の男のところへ。
「――Shit!」
枕を壁に投げつける。
たまらなかった。