・「開国しねま」のちょっと前(アヘン戦争直前)くらいのつもりです。
・にょ日としていますが、あまり差が出ていません。
・バッドエンドではないですが明るい話でもないです。
・苦手な方はお戻り下さい。
寛政年間に四年に一度と数を減じたオランダ商館長の将軍への拝謁は、その頃既に一つの潮流を形成しつつあった蘭学者たちに待ちわびられており、春をつれて東上してくるカピタン一行は江戸での定宿とされた薬種問屋長崎屋では出迎えや野次馬をかき分けるようにして腰を落ち着けるのが常となっていた。彼らの目は一様に好奇心で輝いている。面会を請う文化人は礼節を保つし和蘭陀宿の者は何くれと無く気を遣ってくれる。そうした礼儀正しさと、こちらをじろじろと見物する不躾さが、おそらく何の矛盾も無く日本人の中には同居しているのだ。それは否応なしにこの国そのものであるひとをも思い起こさせる。
「猿芝居」と商館員たちが呼ぶ拝礼儀式や御殿奥での「蘭人御覧」を、日本は、少しだけこちらに気兼ねをしてみせながら、それでもあの黒い目に好奇の光を宿らせて一問一答、いや一挙手一投足をまじまじと見つめるのだ。
「もう百回近く来とるやろが」
「オランダさんは、そうですけど。あの方は初めてですから」
「言うことも大して変わらんで」
挨拶は定型、出せる情報については慎重に吟味してある。将軍やその妻たちは見物のつもりでも、そこで芝居してみせることも外交であり貿易であると、彼ら商売人は割り切っている。歌えと言えば歌う、踊れと言われれば踊る。
口にはしなかったそれを、日本は「分かっている」と言わんばかりに頷いて受け流した。
「それでも続けてくださる限り、お気持ちがあることが確認できますから」
「……」
儀式がはけ、カピタンが退出したところで、茶の用意ができたと案内が来た。歩きながら襟を緩めつつ息をつくと、半歩遅れて部屋に入った日本がくすりと笑った。
「オランダさんも」
「あ?」
音を立てずに障子がしまった。茶と菓子ののった盆を手に、日本はふわりと笑った。
「毎回律儀にその服を着てくださいますね」
「……」
将軍拝礼の折には黒絹のコートを着ることになっている。その型がヨーロッパではもはや見ることさえない時代遅れのものであることを、誰も知らない。日本人は誰も知らないが――日本は知っている。何せ二百年近く見ているのだ。簪やら帯やらに和装の流行り廃りを実感してきて、同じ時間、洋服が変わらないはずがないと分かっている。だから「くださる」なのだ。その服のフォルムや手触りを日本が愛していること、それをこちらが知っていること、それで敢えてその服を着ていることを、日本は全て分かっているから。
面映ゆさに縁側の障子を開ければ、日本はうっと手をかざして顔を傾けた。もう日はずいぶん傾いている。眩しい筈はない。これは「お約束」だ。ここ数回来るたびに交わされた会話について、「今はそっとしておいてください」と無言のうちに言っている。
「……」
そうとばかりは言っていられない。このまま対日貿易の独占をはかっていては、機会均等を唱える各国にこちらが批判されてしまう。国際社会へ誘う努力をしていたとアピールするためには、風説書程度ではない格式を持った文書で開国を勧告しなければならないだろう。……けれども、それは、また今度だ。平穏を保つことこそ最上と考えるこの国は、波がたたない海にわざわざ足を向けることもない。
茶はほどよく冷まされている。一口飲むと、僅かな苦みを含んだ、それなのにどこか甘い清涼な飲み物が喉から胸に落ちていった。
「おえ」
「はいはい」
すいと、煙草盆が差し出される。静かに引いていく指は白く、細く、まるで少女のそれだった。もう随分年寄りでと口元を手で覆って笑う日本は、まるでそうは見えない。
人形の形をした火入れから火を借りて、大きく息を吸うと、肺に満たされた煙がゆっくり脳までを宥めた後出て行った。
国際社会など、そう崇高なものではない。ナポレオン旋風に巻き込まれ、妹に家出までされて、外交的勝利の見えない中ではなおさらに、そんなものを勧めなければならない役回りに苦笑が漏れる。
このままではだめなのか。外を知らず、他を知らず、二百年前からの儀式を二人だけでつないでいってはだめなのか。らちもない考えは煙のように体内を巡り、しかしそれはやはり吐き出すしかない。せめて細く、細くと息を吐いていると、「あ」と日本が呟いた。
「なんや」
「今、うさぎが」
「おえ?」
「沖で跳ねました」
すいと日本は腕を伸ばした。指された後ろを振り返ると、広がる江戸の町の向こうに江戸湾が見えた。赤く色づき始めた空の光を受けて、波が白く泡だっては消える。それをうさぎと呼んだらしい。相変わらず、なんでも可愛いものに変換して見るやつだ。
「うさぎさんが、もふもふ橋を作ってくれるなら……」
「……」
そう見るか、と一拍、反応が遅れた。そして、橋を思うのか、とも。
橋は、海を渡るためのものだ。その先に行くためのものだ。
もともと日本は、平穏を愛する一方で好奇心は強い。望遠鏡を見るようにして眺めてきた「世界」を、そこへの歩みを、日本なりに意識しているのかもしれない。
果たして日本は顔をこちらに向けて、言った。
「オランダさんが渡ってくる海は、あれよりもっと広いのでしょうね」
「そらそうや」
「遠州灘より房総沖より、広いでしょうか」
「そら……」
インド洋の大きさを言おうとして、言葉につまった。言葉でなら、日本はとうに知っている。尋ねられているのは広いかどうかではない。しばらく目を泳がせて、やがて両手を開いた。こんなに、こんなに大きい。お前がどの岬からみたよりも、どの沖から見たよりも、もっと大きい。
それでも日本は、いつかその海を越えて、世界に行かなければならない。今、怖い怖いと目を背けているその海を越えて、薄暮の暖かな光では無い、まっすぐな白光に焼かれながら。今のような無垢な童子然としてはいられない。その手に持った剣から血が垂れる日もあるだろう。過日ベルギーがしたような目を見せる日もくるだろう。
それでも気になるか、外が。
出ろと言っているのは自分なのに、出るなと止めているような気にもなる。自分はむしろ、世界の前に手を広げて立ちふさがっているのかもしれない。いや、実際、どちらが本当の気持ちかと聞かれれば答えられない予感がする。
問いそのものを投げるような気持ちで日本を見ていると、日本はなぜかもぞりと体を揺らして、……ふうわりと抱きついてきた。
「あ?」
「え、だっていつも……」
そういえば、この仕草は「来い」という言葉の代わりにしていた。
そのつもりはなかったのかと身をはがそうとする日本を、そのまま腕の中に閉じ込めた。細い体を胸の中に納めてしまうと、世界から日本の姿は隠された。そして日本の目に映るのは全て、この胸だけだ。
「そんでええ」
「オランダさん」
「ええ」
言葉はいらず、何もかも目線で通じ合っていた筈なのに、符牒は、ずれ始めた。
何かが終わる、その予感のように、凄味のある茜色の中、黒い闇が一筋空に流れていた。
海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手を広げていたり(寺山修司)