※ご注意
・アニメ『境界の彼方』のネタが出てきますが未試聴でも問題ないです。
苦手な方はお戻り下さい。
言うのを忘れていたけど今から忘れ物を取りに行くあるよ!との電話があってほんの数十秒、ドアのチャイムがなった。いや待ってください今ちょっとと断ろうとした言葉も簡単に「通話終了」、ぷーっぷーっとぶち切られてから、数十秒。これがやっと培われたアポイントの概念とでも言うのだろうか。
「不愉快です……!」
勢いよく引き戸を開けた、ら、予想より十数センチ高い位置に顔があり、日本の勢いへの驚きを瞬きが表現していた。
「ま、澳門さん……」
これは恥ずかしい。付き合いが(悪い意味で)濃いアジア面子+他数国には、国として気を遣わざるを得ない分、本田菊としてはかなり気を許しているところがあって、デコだしピンだろうが芋ジャーだろうが平気で応対できるのだが、彼とはまだ「ドアの外の格好」でしか会ったことがなかった。いやむしろ、こちらから会いに行くときは「カジノに乗り込んでも飲まれない格好」だから、相当気合いを入れていた。目線を外せないままそっとピンを外した日本に、澳門はいつもの笑みで挨拶をした。
「ミスターから言いつかって来ました。そちらには自分から電話をしておくと仰っていたんですが」
とりあえずどうぞと招き入れながら、日本は流石に恨みの混じった声で言い訳をする。
「中国さんは、直前まで電話も忘れていた上に、行くのが誰かを言うのも忘れていましてね……」
「お年ですからねえ」
「いやいやいや」
前々からそういう人でしたよあの方は。手を振りつつ日本は、変わらない中国の童顔を思い描く。傍若無人というのとは違う、ナチュラルに王様の顔。似たような顔をしたもう一人の客人に、廊下を通り過ぎながら声を掛ける。
「アメリカさん、まだゲーム続けます?」
「うん。誰か来たのかい?」
「ええ、澳門さんが」
「こんにちは」
「へえ!久しぶり」
コントローラーは握ったまま、顔だけ振り返ってアメリカはウィンクをした。
「ゆっくりしてってね!」
お前が言うなである。もう目線も画面に戻しているアメリカにため息をつきながら、澳門を台所へ案内した。
中国の忘れ物というのは包丁とまな板である。お前に本物の小麦文化を教えてやるあるといいプチ水餃子パーティをやることになった中国が持参してきた。そんなのうちにもありますよと言いかけた日本は、取り出されたそれを見て口を閉ざした。日本の家には、木の切り株のようなまな板も、骨ごとぶち切りそうな包丁もない。そもそも水餃子でなぜ「切る道具」が必要なのかと言えば、挽肉を作るためだ。挽肉は買うのが当たり前になっていた日本の前で中国は肉の塊をがっつんがっつん叩いて(少し大きめの)挽肉を作ったのだった。これで老人扱いしろと言われても、と日本は思う。
確かに、と澳門はそれらを手提げ袋にしまった。
「これ、どうやって税関通ったんでしょう」
「ははは」
澳門は穏やかに笑った。笑って答えないということは何か策があるのだろう。突っ込むのはやめておく。と、逆に質問された。
「お料理の途中だったんですか」
「え?ああ、はい」
シンクの洗いかごにはじゃが芋が置かれている。洗いはした。さてどうしよう、というところである。
「アメリカさんと完徹対抗戦やってまして。今やってるのは私の得意分野なのでしばらくレベル上げしてらっしゃるところなんです。そしたら、」
――お腹がすいた!
と叫びだしたのだ。もとよりお菓子はそれなりに用意していた。けれども、恐ろしいことに夜の間にあらかた消費されてしまった。つられて自分も食べてしまったのが更に恐ろしい。若者とは新陳代謝のスピードが違うのだ。そしてその恐るべき若者はあっさりと朝ご飯も昼ご飯も平らげ、更に間食を要求し始めた。
じゃあ何か作りましょうと腰を上げたところで、はたと困った。珍しく、余り食材がない。ちゃんとした料理なら作れるが、箸を使うようなものはぶうぶう言われてしまうだろう。じゃが芋がある。スライスして揚げるか、……自分は食べなければいいしと思ったところで、思い出した。
――ああ、塩鱈がありますよ。だったら、
――それはダメ
言葉を切られた。
――フィッシュ&チップス禁止
どうも喧嘩中らしい。坊主憎けりゃ袈裟までですかと呆れたが、膨らませた頬でぶんぶん顔を振られてしまった。子供か。
その顔を思い出して、日本は少し眉根を寄せた。
「不愉快です……」
「ああ、そういえば」
澳門が、少し笑って言った。
「それ、アニメでしたっけ。台湾が熱心に見てました」
「なんと!相変わらず情報に時差のない……!」
「衣装を作らなきゃとか言っていましたよ」
「だだだ誰のコスプレですか!眼鏡っ子ですか!眼鏡っ子ですか!!ああでもどS妹もいい……!『お兄ちゃん』……!!」
思わず拳を握ってしまい、はっと我に返る。
「すみません取り乱しました、忘れて下さい……」
澳門はふふと笑って言った。
「私は余り詳しくないですが、台湾にするように素で話して下さるのは嬉しいですよ」
「いえ、これが素というわけではなく、もないかもしれないけれども、……」
口ごもる。いくらなんでも「これが日本」だと言われてしまうと大多数の非オタ一般人に申し訳ない。
「ええ、日本さんの一側面ということですよね。どこの国でも色んな側面があるのに、一面的な付き合いしかできないのは残念ではないですか」
「……ええ、そうですね」
「日本さんも、私を説明する言葉を、『カジノ』くらいしか持っていらっしゃらないのでは?」
「そんなことはないですよ!……ええと、あの、……『ポルトガル』とか」
小さくなった日本に軽く噴き出して、澳門は「そうだ」と手を合わせた。
「ポルトガル風コロッケ、作りましょうか」
「え?」
「シニョールも同じの作ってるんですが、うちでも郷土料理のようなもので。本当はバカリャウ(干し鱈)で作るのですが、生魚でも茹でて代用できます。フレーク状にしておいて、じゃが芋も茹でて、皮を剥いて、つぶす」
ふむふむと言われるまま作業しているうちに、澳門は仕舞ったまな板と包丁を取り出して玉葱とパセリを刻んだ。オリーブオイルでじっくり炒めて風味を出す。じゃがいもと合わせて卵でつないだものが種で、衣はつけないという。
「カレースプーンを二本貸してください」
「はい」
まず一つのスプーンですくって、それを更にもう一つのスプーンで底から掬い上げる。二、三度繰り返す内に綺麗なラグビーボール型になっていく。
「へえ……!」
「遊びみたいでしょう」
言いながらガスレンジに向かい、澳門は天ぷら鍋の前に箸を構えた。
「どんどん揚げていくので、作って下さい」
「え、あ、はい!」
最初は要領が分からなくて慎重にことを進めたが、すぐに飲み込めた。これは楽しい。くるんくるんとスプーンを回すだけで形になっていく。
「た、楽しいですね……!」
「ええ。そして、小さいからすぐ揚がります」
取り出してキッチンペーパーにとんと置いたそれを、澳門は菊の口の前に差し出した。両手はスプーンでふさがっている。ためらいつつ唇を開くと、ほくっと熱い固まりが口の中に入ってきた。熱い、けれども、それより、
「お、い、ひ……!」
熱さにスプーンを手放して、日本は口を手で覆った。パセリの香味が鼻に抜けていく。魚の塩味と香辛料がうまくあっている。
「美味しい……っ、です!」
「どんどんできますよ」
日本からスプーンを取り戻して、澳門は成形しては揚げ、できたそばから日本の前の揚げ網に並べていく。
一つ一つが小さいために簡単に食べられてしまうから、日本は伸ばす手が止められない。これはやばい。芋(炭水化物)で、油だ。太るに決まっている!
手を伸ばそうとしてためらう日本に、澳門が笑った。
「日本さんはここから多少太ってもまだkawaiiのうちだから、大丈夫ですよ」
台湾の口まねなのだろう。けれども、可愛いと言われて日本は思わず赤面した。
「ぽっちゃりぷにぷにの日本さんも見てみたいですよ」
「ふ、ふゆかいです……」
にこり、と笑って澳門は言った。
「そのアニメで、『不愉快って言ってるときは不愉快じゃない』って台詞があるらしいですね?」
「……!」
こいつ想像以上の手練れ(コア視聴者)か、と固まった日本の前で、澳門は笑ってぽんとコロッケを口に入れた。
その時、座敷からぎゅうううううううと盛大な腹の虫が響き、やがて食物を求める野生獣のような動きでアメリカが台所にやってきた。香ばしい匂いからか期待に満ちていたその目は、あと数個しか残っていない揚げ網と、二人が手に持ったコロッケを見るや悲壮感に塗りつぶされた。
「ふ、ふゆかいですなんだぞ……!!」
ごめんなさい!と慌てて成形作業を再開する日本をよそに、澳門はテーブルに突っ伏したアメリカに耳打ちした。
「そのまま上目遣いで、眼鏡を人差し指で押し上げながら言うと、勝率三倍ですよ」
「……」
言われた仕草を澳門に向けてしてみせて、アメリカは聞いた。
「勝っていいのかい?」
にこり。澳門は笑う。
「賭けの場では勝って楽しんで戴かなくては。でも――ご存じでしょう、賭け事ってのは、胴元は損をしないしくみなんです」