ヘタリアde秋ご飯・秋刀魚(仏英)


※ご注意
・ひどい恋人Xに翻弄されるアーサーさんをあーあー見てらんねーと思っているフランシスさん。※X不在、不明

苦手な方はお戻り下さい。


 

勝手知ったる、で庭に回ったアーサーは「えー…」という声と困ったような顔に迎えられ思わず顎を引いた。皮肉だの嫌味だのを浴びせながら迎え入れ、ちょっとは手伝えだのもとい絶対キッチンには入るななどわあわあ言いながら飯の一食でも作ってくれる(当人に言いはしないが、絶品)のが常で、今日もそうだろうと思っていたのに。
「なんだ、都合が悪かったか」
「……いや?」
全然。フランシスは微笑んで見せるが、それが既にいつもと違う。
「来客なら出直す」
「いや、ほんと、大丈夫。俺は一人で、昼飯作ろうとしてただけ」
「庭でか?」
「うん、菊ちゃんにもらった簡易バーベキューみたいなのがあるから」
「へえ?」
やっと体を開いて、庭へ招くように伸ばしたフランシスの手の先を見れば、植木鉢の上にちょこんと網を載せたような、バーベキューなどやろうとしたら一人一個必要になるんじゃないかというような焜炉があった。横に持ってこられたテーブルにはざるに魚が載せられている。隣には炊飯器が載っている。本格的に和食らしい。
「お前も食う?腕のふるいようはないけど、生きのいい魚仕入れられたから焼くだけでも美味しいと思うよ」
「……いや、あー…、うん」
どっちよ、とフランシスは笑った。フランシスは何気ない風を装っているが、明らかにテンションが低い。いつもの冗談の延長で帰れよとでも言われるなら喧嘩を買った風で引き返せるけれども、そう言いもしない。
この家にアーサーが来るのは大抵煮詰まったときで、今日だって口喧嘩で鬱憤晴らしするつもりで来た。甘えている自覚はある、だから詫びのつもりの手土産スコーンも持参している。「世界のお兄さん」を名乗り初めて以来、フランシスはこういう凹みの空気を感じ取ると相手が誰であっても上手に甘やかす。察したことを何も口にはせずに。
そんな立ち位置に疲れたのかもと思い、けれどもそう聞く訳にもいかず、アーサーは許されるままガーデンチェアに腰掛けた。
フランシスは、炭に火を付けた。そういえばこの焜炉は一昔前まで日本のあちこちでよく見ていた気がする。戦前は勿論、戦後も……東京オリンピックの頃にはもう見なくなっていただろうか。一昔前といっても大分経つものだなと指を折って感慨にふける。
焜炉は、下の小窓を開けたり閉めたりして空気量を調節する仕掛けらしい。ぱちぱちと炎が上がってきたところで、フランシスは秋刀魚を二本無造作に並べた。銀に光る魚はなるほど新鮮らしく輪郭を保っている。瞳もきょろりとしている。
「漢字では秋の、刀の魚って書くんだって。確かに日本刀っぽいよね」
「sabreとはまた違うのか」
「うん、そっちは太刀の魚って言うんだって」
「あいつほんと食い物の呼び分け細かいよなー」
「分野に依るけど、魚はすごく細かいね。茸とかは、実際には個別の名前があっても分類語としての『きのこ』で呼んじゃうこと多いみたい」
アルフレッドがキャベツも米も「やさい」と呼ぶようなものだろう。菊が時々いう「洋酒」というのもひどく大ざっぱな括りだ。
ぱちりと爆ぜる音がした。油が火に落ちたのだろう。服につきそうな匂いがしてきた。気持ちよく晴れて少し涼しい、そんな天気だからじゅわじゅわと油の泡を作る魚が美味そうに見える。
「見える、じゃなくて、美味いって。今朝市場行って買ってきたんだから」
「これ食うためにか?」
「あー、いや。その時点ではマリネかポワレかって考えてた。トマトコンカッセの上に載せてレモン絞って」
「……前、オーブンで揚げたやつ、食ったっけ」
「ああ、コンフィ作ったねえ。あれ、日持ちするし、骨まで食べられるしいいよね。ローズマリーで下味つけとくと風味もいいし」
――で、そんな「腕のふるいよう」のある食材を手に入れて、なんでただ焼こうと思ったんだ?
その質問をなんとなくできないまま、アーサーは背もたれに預けた手に頬を乗せた。
トングで器用にひっくり返して、フランシスは少し火勢を強めた。
「な、悪いけど醤油とってきてくれる?テーブルには出したと思うんだけどここには持ってきてない。あ、ついでに自分の分のカトラリーもとってきて」
「あ?……ああ」
言いつけ通り台所に行くと、確かによくスーパーにある小瓶が置かれていた。それをとって歩きながら考える。この不自然さはどうしたことだ。
別にあの場から追い払いたかったということではないだろう。誰かが来た気配も無かったし、テーブルに放り出された携帯も静かなままだった。魚は順調に焼き上がりに近づいていたが、見られてまずい工程があったとは思えない。だから、「今」頼まれたことに疑念はない。問題は「なぜ」頼まれたかだ。米を炊くほどに本格和食を目指していたのに、菊がこよなく愛する万能調味液を忘れるはずがない。日頃の料理ではこれでもかと味をつける食材だけに、やっぱりおかしい。
首を捻りながら戻ると、魚が焼き上がっていた。火を弱められた七厘には薬罐が載せられている。フランシスは網からプレートに魚を移し、横に白飯を盛った。菊ちゃんに眉ひそめられそうだな、まいっかなどと呟いている。
アーサーはフォークを手に取ったが、フランシスは箸を使って、器用に魚をほぐした。そのひとつまみ分の固まりに醤油を垂らすと、真っ白な身にすうと赤黒い液が沁みていく。
「あー、やっぱ醤油合うわー」
「そうなのか?」
渡された小瓶から数滴垂らし、食べてみる。実の所、魚の種類によって味の違いが分かるほどの関心は無いから、一番合う調味料なんて分かりはしない。基本的に白身魚は味が無いから濃いディップをつけるものだと思っている。
そう言うとフランシスはやれやれと言った調子でため息をついた。その小馬鹿にした調子に、内心ほっとしつつ、口を尖らせてアーサーは言った。
「だったら忘れんじゃねーよ」
「忘れたわけじゃないさ。今日はこれで食べるつもりだったんだ」
そう言って、フランシスはテーブルに転がっていた青い果物を取り上げた。
「秋刀魚は酸味と相性がいいからね。かぼすとかすだちとか、そういう柑橘類の汁をかけるってのは一般的なんだそうだ」
「へえ」
「で、これでもいけるかなって、市場帰りに菊ちゃんと電話で話したんだよね」
「ん?」
すとんと下ろされたナイフの向こうに、鮮やかな橙色が現れる。
「みかん?」
「そそ。青切りみかんつって、シーズンの一番早いやつ。みかんにしては酸っぱい、けど、すだちとかよりは甘い」
肉なら、オレンジと合わせたりマーマレードで煮たりする。しかし魚に甘さが加わったところを想像できない。試してみる?と差し出された半分のみかんをそろそろと搾って、かけてみる。フォークで口に運ぶと、さっと香気がかけ抜けていった。そして爽やかな酸味、控えめな甘みをまとわせた艶やかな白身が舌にのる。
「あ、これ美味いわ」
「確かに」
感心したような顔でフランシスも頷いた。
「へー……」
「へーって、お前が自分で合わせてみようと思いついたんだろ」
「ま、俺はそうだけどね。菊ちゃんとこでもそうする地域あるんだって」
「ふうん?」
フランシスは、骨近くの身をのぞきながら――つまり手元に目線を落としたままで続けた。
「ハロウィンと言えばかぼちゃみたいな」
「あ?」
「がっちり連想がいく組み合わせってあるじゃない?」
「カブだっつの」
それは完全に無視してフランシスは続けた。
「てのを、いきなり電話の向こうの菊ちゃんが言ってさ。何事かと思ったね」
「ああ」
「『クリスマスと言えば苺』」
「いや待て。苺は夏の野菜だろ」
「うん、そうなんだけど、菊ちゃんにとってはもう動かせない組み合わせなんだって。それがこうじて冬が旬の苺を作り出しちゃったくらい」
「……」
本当にあいつは食い物にかけては……と苦笑しかけたら、フランシスが続けた。
「で、秋刀魚と青切りみかんは、切なさで結びついてるんだって」
「あ?」
フランシスは顔をあげない。
「昔、Aというひとがいてね。日本人妻らしく、夫の言うことに従う、まめまめしい女性だ。ところが夫は彼女の妹の方が好きになった。妹は若くて、奔放で、自由だった」
「……」
ぴくりとフォークが震えた。
「だからAを離縁して妹と結婚しようとしたが、妹にはやーなこったでふられてしまう。それで、友人に押しつける予定だった妻を手放すのをやめる。友人は、許されぬ傍惚れがけれども実る、その寸前で話を壊されてしまう。夫は友人から絶交を宣言されてまで妻を手放さなかったが、だからといって愛した訳では無かった」
「……」
こくりと喉を鳴らした、その音がフランシスにまで聞こえた気がした。
「……ていう状況で『友人』が書いた詩に出てくるんだって、秋刀魚と青切りみかんが」
支えを喪ったフォークが人差し指の上で揺れている。
「暗唱してくれたけど、恋情と同情が相乗効果で、センチメンタルな詩になってたよ。愛は無くても婚姻は守られた、自分がいたら作れると思っていた団欒は幻のように消えた、そんな中での無力感も重なってね」
「……」
骨をすっかりきれいにしたフランシスは、はらわたを少し口に入れ、「苦い」と笑った。そして歌うように呟く。

さんま苦いかしょっぱいか――

お湯が沸く音が静かに空間を満たした。
「お茶淹れるよ」
ガラスでできた急須に緑茶を入れ、カップにお湯を入れながらフランシスは言った。
「ちょっと『友人』の感傷を味わってみようとしてたんだけど……ま、俺はどうしたって俺なんでね、普通に味わっちゃう。結論として、醤油もみかんもどっちも美味かったな」
ん、と打とうとした相づちは掠れた。それには気づかない体でフランシスは冷ましたお湯を急須に戻す。ガラスの向こうで綺麗な薄緑色がゆらりとたちのぼった。
「ま、俺は無力に打ちのめされない程度には歴史に鍛えられてるんで」
「ん?」
「余計なこと考えないで、お兄さんの料理を無駄にしにくればいいよ、その舌で」
どういう意味だ、と、その舌をべーっと出してやるとフランシスも同じ顔で――いつもの顔で、笑った。

 


 

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