・うみこさんのお誕生日に謹呈した話、なので2月頭の設定です。
 	       
 	      ・本人も気づいていないくらいの日→仏で、ヴァレンティーノネタです。国設定、人名呼び。
 	      ・苦手な方はお戻り下さい。
 	       
 	      
 	      
          「お疲れさーん!」「ありがとうございましたー!」
            声は同時、その後畳に倒れ込んだのまで同時だった。作業イプ中突然マシントラブルが発生し、思わず発した奇声を心配して電話を掛けてくれただけでなく〆切間際と知ってノート片手に駆けつけてくれた。そのまま二徹。恐縮するが、フランシスはいやいやーと笑った。
            「菊ちゃんのあんな声、普段聞かないからさー」
            よっぽどやばいんだなって。倒れたままひらひら手を振るフランシスは、徹夜の疲れをにじませてはいるが、満足げでもある。確かに達成感もあるだろうというスーパーアシぶりだった。背景トーンは言うに及ばず、日本語の誤字脱字チェックまでできるとは侮りがたい。これまでも軽く手伝って貰ったことはあるけれども、ここまでお願いできるならもしかして発行回数を増やせるかも……などと皮算用してしまい、いやいや、と心の中で首を振る。調子に乗ってはいけない。ただの友好国(おともだち)にそんな。そして、未来の前に今なすべきことがある。
            「今回ばかりは落とすことを覚悟しました……ありがとうございます、この大恩はいずれ新作アニメかゲームかで」
            「うん、期待してるー」
          起き上がって深々と頭を下げ、菊は風呂と食事を用意した。
           
          フランシスとは気が合う、と思う。国民気質だけでいうなら典型的フランス人と典型的日本人は、男性同士なら特に、うまく距離感がとれない可能性が高いという。けれどもそこはそれ、国交もそれなりに長いし、お互いのパーソナルスペースを心得てもいる。二百程度の母集団の中では、食事とサブカルにかける情熱が理解し合えるだけでも「気が合うほう」だ。肩肘張って気を張っての近代とは違い、修羅場中ジャージでもデコ出しピン頭でも気にせず会ってくれ、あまつさえ世話を焼いてくれたりする。あの!大フランス帝国様に…!とかつてを思い出して恐れ入るが、フランシスの方は気にしている風でもない。世界のお兄さんだからねと軽く片目をつぶる。いつだって、軽く、飄々と。
            つまり、特に自分が特別というわけでもない。実質的に弟のようだった国や、因縁浅からぬ隣国に比べれば付き合いは薄い。それに不満を言えるような間柄でも、自分は、無い。
          それでも、こうやって予定外に駆けつけてくれたり貴重な時間を分けてくれたりすると、言いしれぬうれしさが心に満ちてくるのを実感する。自分が特別扱いされているのではないかと思い上がる……ことも許される気がする。礼のつもりの昼食に、しかも修羅場明けだからありあわせのものに「いただきます」「ごちそうさま」だけじゃなくて「美味しい」と言ってくれたりすると、その勘違いがまた軽く心を押し上げる。しかも「美味しい!」という驚きの声に重ねて、「美味しいね!」という共感要求の声の二段構えだ。この、ひとたらし。
           
          本当にありがとうございましたと送り出し、散らかった作業部屋をゆっくり片付けていたところで気がついた。忘れ物……いや、落とし物?
            ともあれ、これは自分のものではないから、彼のものだろう。拾い、袂に入れて慌てて追いかけると、まだフランシスはバス通りに出る前だった。
            「フランシスさん!」
            「あれ、どうしたの」
            驚いたように振り返るフランシスに、先ほどのそれを差し出す。勢いに飲まれるように広げられた掌の上に、それはころんと転がった。
            「マカロン……?」
            「え、いえ、……なんでしょう?」
            「なんでしょう?」
            二人でしげしげと掌の上のものを見る。
            「……フランシスさんの落とし物かと思ったのですけど」
            「いや、知らない」
            フランシスはそっと指先でつついた。
            「柔らかい」
            言われて、つついてみる。確かにふにっとした感触だった。
            「なんでしょうね、これ」
            「さあ。ほんのり、暖かい」
            「へえ……」
            今度は指先では分からないから、そっと手を被せた。子供の手にもすっぽり隠れてしまうくらいの小さなそれは、そうして掌でサンドしていると、たしかにほのかに暖かい。冷えた手には嬉しくて、しばらくそのままあて、陽だまりのような熱に親しむ。そっと手をあけると、風があたったのか小さくふるえるように揺らいだ。
            「薄く色づいていて、花びらみたいだね」
            「ああ!本当ですね。丸っこいので、桜と言うよりは梅のようです……」
            そこでふふっと笑ったのをフランシスに気づかれた。いえ、と手を振ったが表情で促される。
            「大したことは。ちょっと一句思い出しまして」
            「ふうん?」
            ああ、こういう目だなあ、と思う。興味がある、無いをいつもはっきり示す目が、今は「聞きたい」と言ってくれている。こんな寒い中、しかも道ばたで、帰り際に、引き留められているのに、気持ちを向けてくれている。
            「梅一輪一りんほどのあたたかさ……という句です」
            「あ、聞いたことある。去年の今頃かな、テレビで言ってた――」
            あれ?とフランシスは小首を傾げた。
            「その画面ではいくつか咲いてたよ。ちょっと違わない?」
            「ああ」
            説明はちょっと長くなる。寒いのにいいのかなと気になって、少しだけ早口になった。
            「よく言われる解釈は、一輪、また一輪と咲いていくほどに暖かさが増していく、そうして春になっていくというものなんですが、一輪しか咲いていないのだという解釈も可能なんです。前書きに『寒梅』とあって、冬の句であることが明示されていますし、二つ目の『いちりん』は平仮名ですから、少しという意味の『一厘』ではないか、と」
            「なるほどね」
            フランシスは頷いて、突然その何かごと掌を菊の頬に当てた。
            「ふぎゅ!?」
            「いや、何かかじかんでるっぽいし、寒いのかなと思って」
            「は、いえ、はい……」
            寒いのだけど。風は冷たいのだけど。頬は、むしろ熱い。
            「多分、どっちかが正解なんだろうけど、俺、どっちでもいいな。『りん』っていう平仮名は『凜』を想像させて、寒い中それでもすっと立ってる姿を想像させるし、でもほわほわと緩んでいくのもかわいいよな。どっちも日本っぽくていい」
            「は。――は?」
            「それ、俺の落とし物かどうかは分からないけど、菊ちゃん持っといてよ。カイロ代わりにさ」
            「は、あ……」
            じゃ、またね。11日には来るから。フランシスはひらひらと手を振って立ち去った。
           
          足下に、もういちりんの花が転がっていた。
           
          
                     
          梅(むめ)一輪いちりんほどの暖かさ(服部嵐雪)