※ご注意
・浅平夏晴さん主催の「デコボコンビテキストソムリエ検定」に提出したものです。
・それぞれ4000字程度なので三作まとめて。1:国設定人名、2:パラレル設定人名、3:国設定国名。
・競作の縛りは「舞台は日本の和室」「必ず『愛してるよ』『ええ、知っています』の台詞を入れる」でした。
1 -MK-
「ええ、知っています」
目を合わせないまま菊は言った。
先月まで雨のように庭を包んでいた蝉時雨は入道雲とともに跡形もなく消え去り、今、天は高いところに巻積雲を散らばらせている。
起き上がらせることもできない体は夏布団の下、枕元に置かれた盆は水差しが小さな染みを作っている。
「そうなんだ?それは驚きだね。知らないからこそ放置していたんだとばかり思っていた」
棘を隠さない声音に、菊は目を伏せた。
「……放置していたわけでは……」
ない。言われたことしかできない、言われないことは手を出すべきではない。そもそも言われたことをこなすので精一杯、ただそれだけだ。
今月二日、戦争が終わった。夜に灯りが戻り、立ち上る煙は炊爨のそれに変わった。死は街から遠のいた。飢えはまだこの国を去らないが、人々は生きるため自力で奔走している。
アルフレッドは大きく息をついた。現実主義のアルフレッドには、「無駄」が苛立たしいのだ。
「君の人材だよ」
「――ええ」
「菊……」
頭をがりがりと掻くアルフレッドを菊は茫洋とした眼でみつめた。
「しっかりしてくれよ。心を入れ替えて、新日本を建設するんだろう」
そこまでの約束をしただろうかと菊は先の降伏文書を省みる。いや、公式発言はともかく、この和室でなら言ったかもしれない、流されて。
乗り込んできた彼は、現実主義の一点から民主改革指令の目途を説明した。多様な層の利害調整をはかり、全体としての幸福の量を多くするために、――何より非合理的な死を減らすために。
そして今、彼にとっては「無駄な人死に」としか思えなかっただろう、ある哲学者の獄中死について報告を受け、アルフレッドは菊の家まで抗議に来た。しかし菊は知っていた。包帯に繋がれたこの胸の中、飢えるように枯れるように、細胞の一つが崩れて消えたから。たくさんの細胞が崩れている、それをずっと感じている。それがたまたま、知った名を持つ細胞であっただけだった。
「もう戦争は終わっているのに、ウルトラナショナリズム時代の政治犯を死なすなんて」
「……」
死なせた、のは、私だろうか。政治犯の獄中死などここ数年幾度もあった。それとこれとの違いは――ああそうだ、と菊は思う。私が生きているかいないかだ。
夏までの私は、彼らを断罪する主体だった。いずれ断罪するのだからと獄中死も黙認していた。あの頃は「殺していた」、けれども、先日の彼は、ただただ、「死なせた」。
「すぐにでも政治犯釈放の指令を出す」
「はい」
「菊!」
他人事のような返事に、アルフレッドが苛立ちをあらわにする。
「――前にも言いましたけれども」
私は、このまま。
貴方に全てをお任せできたなら、それで。
消えても。
「やめてくれよ」
強い口調で遮り、覆い被さる。アルフレッドの顔は陰になり表情は見えない。
「君に、ちゃんとしてほしいって言ってるんだ。俺がやるのは、その方が早いからだよ」
「――」
執着する何ものもないといつた虚無の心では人間はなかなか死ねないのではないか、と哲学者は書いていた。
早いというなら、この国を貴方のものにする方が十倍速い。多分国民もそれを受け入れるだろう。
口にはせず、しかし瞳には語らせた。
人の内心を慮ることのない若者は、それなのに、その眼を見て顔を歪ませた。そうじゃない。おざなりにあしらわれた子供のような顔だ。そうじゃない、それを望んでなどいない。
「分かってないよ、君は」
「……」
「君が、好きなんだ」
「……」
首が折れ、アルフレッドの額が布団の上につけられた。
分かっていない、わけではない。何度も聞いたし、頷きもした。けれども、それに「全てを棄ててこのまま眠り続けたい」という気持ちが削られるわけでもない。
「愛してるよ。愛してるんだ」
哲学者は「深く執着するものがある者は、死後自分の歸つてゆくべきところをもつてゐる」から、愛するものがいればこそ死ねると言った。
それは菊自身が口にしていた論法と同じようでやはり違う。その違いを、天井の染みを見ながら、胸の中で細胞の崩壊を感じながら、ずっと考えていた。
愛していると言う、だから生きていろと言うアルフレッドは、菊のために死ぬことを幸福とは思うまい。
愛と死と使命とは、彼我の中で違う三角形を作っている。
菊は目を閉じた。
胸の上に感じていた重みと湿り気はやがて去った。
伝わっていないと思うから、アルフレッドは繰り返す。愛していると。束縛も断行も、生の強制も、愛しているからなのだと。
「――。ええ、知っています」
死の不可避を前提として哲学者は語ったが、それは対象が人であるからだ。永遠に近い時間を生きうるこの身は、哲学者の逆説の外にある。
知っているから――まごう事なき本心である、このまま朽ち果てたいという欲望を、このまっすぐな青年にぶつけられない。深い執着とはとても言えない、けれども確かにそれは未練に似ている。
急に陰った庭に、しんとした冷気が降りつつあった。
2 -Mehr Licht-
カーレースか格闘、たまにホラーゲーム。それ以外のタイトルには興味を示したこともなかったから、ソフトをしまう棚も別にしていた。断じて、隠していたわけではない、特等席においていたわけでも勿論無い。ふくれっ面を向けられるけれども、いやいや責められる謂われはないですよ、と思う。卓袱台に置いた厚手のグラスを手に取ると、要らないかなどうかな、と思いながら二個ずつ入れた氷が、麦茶の中でからんと回る。
「だって貴方興味ないでしょうギャルゲなんて」
「ないけどさ」
BOO、と大きなクッションをぎりりと抱いて顎を埋める。可哀想に、あの不器用な妹にしては上出来の、丁寧に縫われたクッションなのに。生前祖父が書斎にしていたという渋い和室に、その派手な赤白青はそぐわないが、金髪とはよく似合っている。
読み込まれて開き癖までついた公式設定集をぱらぱら見ながらぶつぶつ言っている。
「何が面白いのか分かんないよ、ちまちま色んな女の子に声かけるんだろ」
「アルフレッドさんは声掛けられる側ですもんねえ」
「『側』、とかそういう発想が、ナンセンスだよ。異次元」
「知ってます」
アルフレッドの世界の方が、生きる次元は一つ高い。
「……そういう意味じゃ無いよ」
「分かってますけどね」
ゲームしないなら宿題でもやりますか、と声をかけるが、拗ねているらしい、返事も無い。
小さく肩をすくめて学生鞄から世界史用語集を取り出す。オリエントが最初のボスキャラだと塾の先輩に聞かされていたけど、中世近代に至ってもカタカナの大量襲来にHPは削られ続けている。
高校で出会って一年二ヶ月、隣の席から乗り出してくるその距離はどんどん近くなり、うちに上がり込む頻度も単位を月から週に変えた。薄い座布団から体をはみ出させているのをおかしそうに笑った妹が「じゃあ」とクッションをプレゼントしたのが先月のことだ。
「女の子」からのプレゼントを持ち帰らずに人の部屋に置いておくアルフレッドも謎、それを前提にプレゼントする妹も謎だ。部屋の色彩になじまない星条旗柄のそれを、来ない日くらい視界からどけようかと押し入れに入れたら盛大に抗議された。
リア充にはウケが悪いと定評のギャルゲに、案の定と言うべきか嫌悪感を示していたくせに、アルフレッドは手持ちぶさただったのかいつかプレイを始めていた。くっそつまらなさそうな眼で惰性的に決定ボタンを押しているくらいなら公式の一つでも覚えればいいのに。視界の隅にそれをとらえて、啓蒙主義者の羅列に眼を戻す。世に光を、人に理性を。
「……このこたち、可愛いかい?」
「可愛いですよー、語りましょうか?幼なじみからでも先輩からでも」
「要らない」
何が気に入らないんだか、たいそう機嫌が悪い。
「こういう女の子が好きなのかい?目ばっかり大きくって、手足は異常に細くて、シャイで、黒髪で」
はいはいその文句は聞き飽きてます、と肩をすくめていたが、途中から首を捻った。みんながみんなそういう造形では無い。ギャルゲなのだから。
「実際に隣にいるわけじゃないんだぞ。デートだって何だって、『つもり』でしかないじゃないか」
「貴方、世のゲーマーを全員敵に回すつもりですか」
顰めた眉に委細構わずアルフレッドは言葉を継いだ。
「一緒にマックに行くこともシェーク分け合うこともできないし、プレゼントだってただの『つもり』だ」
「……」
そうですね。貴方は本物のプレゼントを本物の女の子から貰うんですからね。貴方のバッグに付けられたピン、筆箱に入ったペン。クッションと同様、それらを見るたびちりりと胸のどこかが痛む。女の子の持つ軟らかい匂いがそこから立ち上りアルフレッドを浸食していく、そんなことを考えてしまう。
ばかばかしい。浸食もなにも、最初から彼は。
理性、理性。
呟いたところで突然アルフレッドが言った。
「愛してるよ」
「――!?」
はっと顔を上げると、底の見えない透明な瞳に迎えられた。一瞬、見つめ合う。からん、と突如氷がなり、それを機にアルフレッドは緊張を解いた。
つい、と画面を指さして。
「ゲームの台詞だよ」
「……ええ、知っています」
勿論知っている、持ち主は私だ。このゲームにはおっとこまえなターゲットがいるのだ。プレイ初回でこの台詞に出会ったときは「おお」と声が漏れたくらいだ。
「言われて、嬉しい?」
フラグとパラメータで出てきた言葉なのに。心のこもらない、ただの台詞なのに。それが分かってるのに嬉しいのかい?
「……嬉しいですよ。すみませんね」
「……ふうん」
またつまらなさそうにアルフレッドは横顔を見せる。
細く、細く、ためていた息を吐く。
機械の演算で転がり出た言葉、それをただ読み上げただけなのだと、知っているのに、それなのに。
今見つめ合った一瞬を永遠の歓喜にも感じてすみません、それは言わず、麦茶を飲んだ。
汗をかいていたグラスは掌をひんやり濡らした。
3
ぼんわりとした頭でも猛烈な違和感には気づいた。何か、乗ってる。
イギリスの風邪にハンバーガーを乗せてやったという話は、当然ながら兄弟間の軽い嫌がらせとして聞いた。まったくしょうがないですねえこのお二人はと苦笑したらきょとんとされ、目を剥いた。いやだって、とまさか、を繰り返しておそるおそる尋ねてみる。
「あの、自分が風邪を引いた時もそうなさってるんです?」
ううん、と首を振る。
「俺、ほとんど倒れないし、倒れたときはバーガー買いに行けないからね」
なるほど合理。
「しかし、ということは、身を以て効果を試したわけではないと」
「うん」
「そして、イギリスさんも、他の誰も、それで回復してはいないのでしょう」
「だって、どいつもこいつも払い落とすんだぞ!」
そりゃあそうでしょう、と内心突っ込む。頭が痛いなら熱がある、だったらさらに温度を上げることはしたくない。お気持ちが悪いのなら脂の匂いはかぎたくない。どちらにしてもなんとか遠ざけたくなるはずだ。
「……ええと。そうなると、『ハンバーガーを乗せれば治る』は未検証の仮説ということになりませんか」
「んー?」
顎に手を当ててしばし考え、それが「未検証」であることは認めざるを得ないと思ったようで、けれどもその説を揚棄するつもりはないらしい。
「だってさ、動けないほどつらい時なんだろ」
「そうですね」
「すごく苦しくて、でも誰も助けてはくれなくて、こう――体が重くなって、ベッドにめり込んで、そのまま闇の世界に沈んでいくような気になっている時に、」
顔には出さず、けれども心のひっそりしたところで、いつのことだろうと思う。助けてくれるものの存在を感じているような、けれども諦めているような、その言い方。
「いつも自分をハッピーにしてくれるものがあったら、嬉しいじゃないか」
だろ?と眼で問われたので、頷く。嬉しいというか、救われる。それこそ、この世界に自分をつなぎとめるもやい綱のように感じるだろう。
「――で、それがハンバーガーだと」
「そうさ!」
当然、と頷かれて小さくため息が漏れる。
「それは、貴方の好物ですよね」
「君だって好きだろ?」
当然?と聞かれ、またため息が出る。
「いや、そりゃあ好きですけどね」
大変な優良企業でいらっしゃいますとも、とピエロめいたキャラクターを思い出して肩をすくめる。手軽で、自由で、安価で。でも最近は絶品とかとびきりとかビッグとか、高価格帯商品の方がヒットしてますけど。そういうと、「うちでもUmami BURGERが大人気なんだぞ!とウィンクを飛ばされた。
しいたけが挟まっていようが一つ10ドルしようが、ハンバーガーはハンバーガーで、熱を出して寝ているときに額に置かれたいものではない。
けれども、これが何かは分かっている。
チート体力に縁の無い自分は寝込むことだってそれなりにある。その時、「ヒーローが助けに来たぞ!」は十分に考えられる事態なのだからして、なんとか「額にハンバーガー」を回避したい。そこで、にっこりと微笑んだ。
「だったら、貴方に横にいてほしいですね」
「……へ?」
それはつまり、と二秒ほど考えて、答えが脳に至ったのだろう。かあ、と音が聞こえるくらいの紅潮ぶりだった。
ゆっくりと手を布団から出して、額の上に載せられていた氷嚢をつまみ上げる。随分前に置いてくれたのだろうそれは、既にたぷんと液体だけを中に含み、人肌に近づいている。だって、君も好きなんだからさ!との主張に負け、落書きを許したその氷嚢には、熟練されたデッサン力で大胆にデフォルメされたキュートなアメリカンポップアートでハンバーガーが描いてある。ハンバーガーのくせに眼鏡をかけているのが小憎らしいというかなんというか。
ゆっくり首を回して横を見ると、付き添っているつもりが添い寝になってしまったのだろう、すいよすいよと気持ちよさそうな寝息。流石ヒーロー、約束は守ってくれるものですね、とじんわり笑みが浮かんでくる。と、寝言なのだろう、眼は閉じたまま、けれども案外明瞭な言葉で
「愛してるよ」。
思わず取り落とした氷嚢がぼよんと額ではね、眼に覆い被さった。
「………ええ、知っています」
起こさないよう小さく呟き、眼鏡をかけたハンバーガーにそっと口づけた。