・「Such a Fantastic World」(←扉)様の「再会して学生時代の話をするアル菊@バッティングセンター」(←直通)に萌え滾ってかいたものです。
	  ・是非↑こちらを先に…!。
	  ・野球について門外漢というか頓珍漢なので変な記述があるかもしれませんがスルーしてください。
	   
	  
	  
       
      当然のように左端のボックスに向かい始めたので、慌てて声をかけた。
	      「そこ、140キロですよ」
	      絶対無理、とは言わない。トップクラスのプロなら平均150キロ程度の球速を維持するし、このバッティングセンターでも160キロ出すボックスもある。しかし、朝夕の通勤以外大して運動もしないサラリーマンにとってはちょっと焦る球速だ。流れからして、この後自分も同じボックスで打つのだろうから。
	      「知ってるよ、ここに書いてあるじゃないか」
	      だから何だい、とでも言わんばかりに受け流してそのままドアを開ける。閉まりかけたドアに慌てて身体を割り込ませ、最後の足掻きをする。
	      「140km/hということは、18.44mをそれで割って…約0.47秒で手元に到達しちゃうんですよ!」
	      バッドを持ち比べていたアルフレッドは、目を丸くしてこちらを見、破顔した。
	      「ほんっと、相変わらずだな、菊は!」
	   
	   
	  いるだけで場が華やかになる人間というのは、確かにいる。見た目の問題でもないのだけど、そこに金髪碧眼に整った顔が加われば文句なしの華だ。その手の人とは人種が違うとばかりに、羨望とも嫉妬とも無縁、悪く言えばカウント外の存在と見なして地味な高校生活を送っていたのに、一年の球技大会で懐かれてしまった。
 	        運動部に所属している生徒はその競技には出られない。だから野球部員と比べてどうなのかは判断できないが、少なくともその大会出場者でいうならば、アルフレッドは文句なしに学校一だった。変化球は苦手らしく、スウィングの後体が回るほどの空振りをしたりもするけれども、当たるとでかい。ホームランは小気味いいほどの快音を響かせてグラウンドの端まで飛んでいく。準決勝では三連続敬遠をくらったほどだった。菊は五番打者だったために二重の意味で「勘弁してくださいよ」と思いつつ、守備の隙を狙ってそのたび出塁した。その甲斐と、ギャラリー全員からブーイングをくらった先方が作戦変更したために打てるようになったアルフレッドのホームランとで試合には勝ち、結局優勝した。
 	        伝説のヒーローとなったアルフレッドは、浴びせられるお祝いの言葉におざなりに対応して、「やっと終わったアニメに間に合う」とばかりに汗を拭いていた菊に飛びついてきたのだった。
 	        「君!すごいじゃないか!」
 	        「は?」
 	        アルフレッドの興奮に吸い寄せられたようにクラスの皆も菊の周りに集まってきた。居心地が悪くて身を小さくしていると、アルフレッドは菊の両手をつかんだ。
 	        「あんなにクレバーなバッティングは初めてみたんだぞ!」
 	        クレバーとはずるがしこいという意味ではなかったか。言われなき非難に首を小さく振っていると、謙遜していると思ったのか、アルフレッドは目をきらきらさせてつかんだ両手をぶんぶん振った。
 	        「打率トップだよ。すごいよ!」
 	        そうだったのか。記憶を早送り再生しつつ演算してみて、なるほどと思う。しかし計算をしなければ気づかない一位という程度の活躍であることも事実だ。華ではない、それになりたいわけでもない。ホームランどころか二塁打三塁打も望まない、こつこつとあてていくだけだ。そうしたことどもが頭の中に一瞬のうちに浮かび、うまく説明できる気がしなくて、にっこりと笑ってごまかした。
 	        祝勝会に行くという皆に「所用が」と別れを告げ、注目を集めた常ならぬ一日を無事終え、日常に回帰した。はずだった。
 	        次の日昼休みになるや否やアルフレッドが「昨日の続き!」と近寄ってきて、終わったはずの話を蒸し返された。すごいすごいと繰り返すアルフレッドに、気恥ずかしさが先に立って菊は正直に告白することにし、弁当を持って屋上に出た。アルフレッドも購買で買ったのだろうパンの袋を持ってきた。
 	        「近所の床屋に、あだち充が全部ありまして」
 	        「アダチミツル?」
 	        「漫画です。なるだけ混んでいる日を選んで行って、読破しました。とても有名な野球漫画があるんですけど、それを真似て壁の的に投球練習したりして」
 	        牛乳のストローから口を外して、アルフレッドは大きく頷いた。
 	        「ああ、知ってる!」
 	        頷いて、続ける。
 	        「あれは、野球そのものより野球をめぐる人間関係の方が描かれているというのが一般的な評価ですけれども、やっぱり漫画家っていうのはある種のリアリティを追求するものなのですよね。肘の角度、手首の角度、そういうものをなんとなく思い返しているうちに、力学的な法則性に気づきまして」
 	        「は?」
 	        「すべての結果は物理的な法則にのっとっているのですから、それに対応できれば当てることはできるだろうと。動体視認は得意でしたし」
 	        しばらく口を開けていたアルフレッドは、やがておそるおそる聞いた。
 	        「そんなこと考えながら野球やってんのかい?」
 	        「いや、運動方程式だけでは決まりませんからね、そんなこともちらっと考えてる、ってくらいですよ」
 	        ボールの重さは変わらなくても重力加速度が変わればボールにかかる力は変わる。投手だって緩急つけてくるし、ミスもする。その辺りをどこまで読み取れるかで打率は上がる。10割ヒットにする必要はない、そんなことは不可能なスポーツだ。3割。きちんと集中すればそれくらいはこなせるくらいに目はいいし、体の馴致もした。こなせている、とは思うし、だから達成感もある。けれども同じ空間でアルフレッドがやっていたこととはまるで違う気もする。
 	        そういうことを、今度は時間もあったためにぽろんとしゃべってしまった。
 	        うーん、と腕組みをして考え込んだアルフレッドは、やがて顔をのぞき込むようにして聞いた。
 	        「やってて、楽しい?」
 	        一瞬言葉に詰まると、重ねるように聞いてくる。
 	        「昨日、楽しかった?」
 	        「ああ、それは、はい」
 	        今度は素直に頷いた。と、「良かった!」とアルフレッドは笑った。この人の笑顔は本当に青空が似合う、なんて考えた。
 	      英語と数学は習熟度別編成で、理科と社会は選択別で授業をする、その代わりというのか三年間持ち上がりになる学校だった。菊とアルフレッドのクラスは球技大会三連覇を成し遂げた。最終年次には、周りから期待されてもいたからか、菊はアルフレッドに引っ張られるようにして近所のバッティングセンターに数度足を運んだ。投球フォームの映像が出るでもない、タイミングを示すランプとピッチングマシーンがあるだけの古くさいバッティングセンターで、アルフレッドは何割かは盛大に空振りし、残りは澄み切った音とともにホームラン級のあたりを示した。悪いところを教えてと言われているので同時にボックスには入らず後ろから見ているのだけど、指摘のしようがない。自分のやり方とアルフレッドのやり方はまるで違う。アルフレッドは「ベースボール」をやっている。周りは「野球」をやっている。そして自分は「球あて」をやっているのだろうと思う。
 	        三年の球技大会が終われば、本格的に受験になる。
 	        焦りはない。受けるのは1ランク下の地元国立大だ。担任には受けるだけでもと東京の私立を進められたが、受験にまつわるもろもろの費用が出せない。電車で通えるこの国立に受からなければ進学自体を諦めなければならない。3割じゃない、10割の勝負しかできない。
 	        カーン、と澄んだ音が響いた。それに紛れるほどの小さな声で、菊はつぶやいた。
 	        「アルフレッドさん」
 	        返事はない。アルフレッドはガラスの向こう、機械相手に真剣勝負を挑んでいる。
 	        「私、野球漫画が好きで、野球もやっぱり好きで、ヒットだって嬉しい、勝てば楽しい、んですけど」
 	        ばん。バットをすり抜けた球がネットに当たる。
 	        「空振りもしたかったです」
 	        聞こえたなら怒られるかもしれない台詞だ。
 	        アルフレッドはいくつもやっている「空振り三振」を、菊はほとんどしない。当てられない、当てても捕球されると見切った球は見逃していた。だから四球での出塁も多い。目がいいこと、冷静に判断できることは長所だ、そう思ってはいるのだけど――
 	        ――時々、盛大に空振りをしてでもホームランを狙うアルフレッドが眩しくなる。
 	        違う人種だと思っていれば羨ましくもない。妬ましくもない。憧れもしない。それなのに、近くなりすぎた。
 	        強化ガラスに手と額をつけて、菊は目を閉じた。
 	       
        Out of sight,out of mind.先人の言葉には重みがある。卒業後最初の夏休みにはぷち同窓会があったし、次の年度には成人式もあった。化粧を覚えた女の子は見違えるほど変わるし、東京へ行った組もアクセントがわずかに変わっていたりする。変わらないねとみんなに言われたアルフレッドも、やっぱりどこか雰囲気が変わった。最初よりさらに「別人種」っぽくなったなと菊は甘い酒を嘗めながら遠巻きに見ていた。携帯の番号とメアドを教えられたけど、その頃はまだ自分の携帯を持っていなかったから手帳に書いて、手帳の年度が終わると同時に引き出しにしまった。
 	                  家庭科の授業で作らされた将来設計をなぞるように、きちんと四年で卒業し、固い職業について、奨学金を返しながら淡々と暮らしてきた。なんとなくこれくらいだろうと考えて今年にあたる箇所に書き込んだ「結婚」はあてもないが、貯金的にはできなくもない。人生の終着駅は果てしなく遠いが、このまま歩いて行けば必ず確実にたどり着ける、そんな実感がある。それでいい、と思っていたのに、突然アルフレッドと再会した。
            びっくりして口もきけないでいる菊に、アルフレッドは「わお!」と飛びついてきた。もちろん高校の時のように「文字通り」ではない。それでも大股で近寄って「久しぶり!」と肩をたたくアルフレッドに、菊は硬直した。――この夏からこっちの支社に転勤になってね。会えないかなとは思っていたけど、本当に会えてすごく嬉しいんだぞ!
            かくかくと首を縦に振っているうちに落ち着いてきた。
            「――懐かしいです」
            「へ?」
            「変わらないですね、アルフレッドさんは」
            「え。えー?大人っぽくなっただろ、俺」
            不服そうにほおを膨らませている。そうするせいで余計に高校生の頃を思い出す。
            「今でもホームラン飛ばしそうです」
            そこから話が転がって、バッティングセンターに行こうとなった。折角だからとバスに乗って母校近くのバッティングセンターに向かう。時が止まったような古びた施設は、看板のさびが少しすすんだようだった。
            「持っててくれよ」と菊に上着とコーヒーを渡して、腕まくりをする。目線を腕に落としたまま、アルフレッドは言った。
            「いつもホームランを狙いたいわけでもなかったんだ」
            「――はい?」
            「打率が高い方がかっこいいって思ってた時期もあるからさ。君が言うように傾斜角とか踏切足とかに注意すると『あたる』確率が高くなることも確認した。俺は、空振り、したくなかったんだよ」
            「――」
            アルフレッドは顔を上げた。変わらない、懐かしいと思っていたその顔は、確かにどこか大人だった。
            「自分らしさってさ、鎧だし、くびきだよね」
            「アルフレッドさん――」
            「でも、最後の球技大会は、そうしたくてぶんぶん振ったよ。これは君がしたい空振りだ、真剣勝負だって思った。――勝手にごめんね」
            首を振る。まさかと思っていたけれども、聞こえていたのか。「空振りもしたかったです」――「勝負してみたかったです」。勝つか負けるかそれは分からない、それでも勝負に賭けてみる……そんな生き方をしてみたかった。
            「――逆に、今ならできるんじゃない?って思うけどな」
            「え」
            「まーとりあえず、俺は真剣勝負に入るよ」
            アルフレッドは人差し指を突き出した。普通は空に向けてするだろうそれを、菊の心臓に突きつけて、「予告ホームラン」と笑った。
          
 	        
	      「引力があるから人は惹かれあう」そんな言葉を今日は信じる(天野慶)