SSSsongs41(日・米・独)

・普日英『赤い実、金の鳥』(SSSsongs37)派生、仏日『五月』クロスオーバー話です。パラレル@1968パリ。

・↑をお読みでないと意味不明だと思われます。

・なかなかのご高齢です。

・タイトル「SSSsongs41(日・米・独)」に少々偽りありです。

・苦手な方はお戻り下さい。

 


 

会社の常宿となっているホテルの周りにはベトナム料理店が多くて、安くあげたいときやアジアの香りが懐かしくなったときには重宝していた。それらの店がなぜか今日は軒並み休みで、仕方なく道筋のバルの看板を眺めては通り過ぎることを繰り返しているうちに、パリの外れまで来てしまった。無事に帰り着けるだろうかと心配しつつ、もういいやとばかりに目の前にあったビアバーらしき店のドアをあけた。
暗い色調の重いドアにふさわしく、狭い店内はテーブルが二つとカウンター程度で、しかもカウンターの奥半分は酒瓶が並んでいて料理が置けそうにもない。そっと一つだけ空いていたテーブルに腰掛けたところでまたドアが開いた。
「あれー、満席かい?」
バーテンが小さく頷きながらカウンターから出てくる。
「困ったな、ずっと歩き通しでおなかぺこぺこなんだよ。この辺まで来ると他に店もないし…」
英語でぺらぺらと続けて、客は肩を竦めた。このオーバーな仕草はアメリカ人だろうか。バーテンはこちらを振り返って、「相席をお願いしてもいいだろうか」と聞いてきた。多分本人は尋ねているつもり、否と言われたら引き下がるつもりなのだろうけれども、醸し出すその威圧感に思わず頷いた。ここで否といえる日本人はいないと思う。

少しだけ、いやだな、と思っていた。これまで商談で接したアメリカ人は概して人の話を聞かず、こちらを子供扱いし、合理性だか透明性だか知らないが、日本の商慣行を頭から否定する。国際市場でやっていこうと思う以上そちらのルールに従うのは当然だが、全否定には反発心も出てしまおうというものだ。そういうわけであまりアメリカ人にはいいイメージがなかったのだが、それを表に出す無礼はしない。微笑みめいたものを顔に浮かべ、どうぞ、と目で示す。ちょっと微妙な顔のまま立っていたアメリカ人はもう一度肩を竦めて、軽く礼を言って椅子に座った。
二十ほどは年上だろうか、それにも関わらず非常にラフな格好の男は、けれどもそんな姿が妙に似合っている。きちんと仕立てたスーツを着てもまた似合うだろうという顔の良さ・体格の良さで、翻って自分のタンスを思い自嘲が漏れる。揶揄されるままの、ドブネズミ色のスーツに、黒縁眼鏡だ。
「なに?」
無遠慮に見てしまったせいだろう、男が首を傾げた。
「あっ、いえっ、なんでも…格好いいなあと思いまして」
焦って口が滑った。男は目を丸くし、それから破顔した。
「びっくりだ!」
「え?」
「フランスでそう言われるなんて!」

思わず笑ってしまった。日本人だってフランスで愛されてるとは言いがたいが、アメリカ人に対するフランス人の色眼鏡は強い。日本ではアメリカ文化が津波のように押し寄せているのだから、そのギャップは驚くほどだ。アメリカ人=野暮という固定観念がある上に、昨今のアメリカ主導の国際情勢に対する不満があってのことだろう。アメリカ文化に対する褒め言葉は失笑を買うこと必至だ。
「名前を聞いても?」
「はい。本田といいます」
「俺はアルフレッド。はい、乾杯」
既に口をつけてはいたが、ジョッキを持ち直してかちんとあわせる。
「自由業でいらっしゃるのですか?」
「うん、ルポライター兼カメラマン。君はジャパニーズ・ビジネスマン?」
こくりと頷いた。ドゴールが池田首相に揶揄した、その通り、トランジスタ・ラジオのビジネスマンだ。技術畑に進むつもりだったのに海外渉外部に出されてしまった。語学が出来ることと交渉ができることは全く違うというのを上は分かっていない。
「昨月からパリ大学で色々動きがありそうだからね、追いかけに来たんだ。写真、見る?」
そう言って彼は、束を取り出した。ナンテール校の学生達が映し出される、それに混じって道ばたの草花が撮られていたりもする。空、剥がされた石畳、そして小学校の壁に書き付けられた文字。

――ICI COMMENCE L'ALIÉNATION

壁の言葉、というのは文化なのかもしれない。こうした短い言葉を壁に書き付けて表現するというスタイルは語句の洗練という意味でも発表の場という意味でも日本にはなじみがない。戦時中は駅の公衆便所に厭戦気分を表す落書きがなされては消されていたというが、あれは「発表」とは少し違うだろう。
もちろん欧米であっても壁は大抵私有物で、落書きをしていい場ではない。けれども、今フランスでよく見かける壁の落書きは、まるで知識人に占有されている「ことば」を取り戻す試みであるかのように増殖している。昔、ドイツでも、政権に占有された「ことば」を取り返そうと、壁に書いた人たちがいたという。

「ICI COMMENCE L'ALIÉNATION……『ここに疎外始まる』――ですか」
「うん」
「ああ……なるほど」
学校が何の場であるかは時代や社会によって様々であろうけれども、管理される客体になることは間違いない。他国の教育制度は知らないが、日本では「金の卵」の生産工場と言われても仕方がない、平準化を旨とした教育が施されている。もっとも、そうでない『社会化』とは何なのかを、反抗する若者達には聞いてみたい気もする。
「なるほど――って思えるのは、家庭が疎外の場じゃなかった人なんじゃないかな」
アルフレッドさんはぽつんと言って、ジョッキを傾けた。返答に詰まる。なるほど、家庭の場で疎外を感じたことはない。「私の家族」を題とする学校の作文では首を傾げられたりもしたが、愛情と尊敬に満ちた家だったと断言する。
アルフレッドさんの家庭はそうではないらしい――または、そうではなかったらしい。小学校という要素が背景にあるのだから、生家の方だろう。この人の生まれた頃となると――第一次世界大戦の頃になるのだろうか?流石に見当がつかない。

その話を引きずる気は無かったのだろう、アルフレッドさんはさっさと次の写真にうつり、説明を続けた。
「あれ、これ、オデオン座ですか?」
先月まで、この国民劇場で文楽が上演されていた。大成功といえるだろう、満場の拍手に包まれ、その中で一人、ある意味日本文化の極みともいえるものが世界に感動を与えているという感慨にひたった。国境に阻まれるものは多い。それでも壁を越えて伝わるものもある。
「そうそう、世界演劇祭――俺、そういえば君に少し似た子を見たなあ」
「……私も見たかもしれません。曽根崎心中がかかっていた日で、私より十くらい若い、」
「そうそう、真面目な学生って感じの」

若き日の「父」にそっくりだった。幕間のロビーで、思わず見つめてしまったら、顔を背けるようにしてホールに戻ってしまった。日本人となれ合うことを嫌う留学生は多い。そのたぐいかもしれないと思って見失ったまま忘れていた。
「通路挟んで隣でさ。ものっすごい無表情で見ているからかえって気になって、ちらちら見ちゃってたんだ。そしたら、それこそ人形みたいな顔してた彼が、すーっと涙をこぼしたんだよね」
「はあ……」
「話の中身とかはさっぱり分からなかったんだけど、多分クライマックスじゃないところで、だったからびっくりしてさ。なんだったんだろうな、何か自分と重なるところでもあったのかな」

そこで話の筋を説明することになった。ふんふんと面白そうに聞いているが、それなら上演の日にはさっぱり分かってなかったのかとそのことにむしろ驚く。それでも面白かったよ、と言い訳のように言って、アルフレッドさんはジョッキを手に持った。
「それはさておき、再開に乾杯」
「はい?」
「だって、二人ともその子を見てるってことは、かなりの確率で同じ日同じ時に同じ場所にいたわけだろ。ちょっと運命的じゃないかい?」
「ははあ、なるほど」
確かに珍しい偶然だ。私たちは先ほどよりは少し大きな音でジョッキを合わせ、文字通り杯を干した。お代わり、と声を合わせると、時間をおかずして先ほどの厳ついバーテンが二つのジョッキを持ってくる。動いていて暑くなったのか上着を脱いだ体は、年齢を感じさせないほど筋骨隆々だ。
「すごい体だなー」
自身もいい体格をしているくせに、アルフレッドさんは後ろ姿を見送りながらそんなことを言う。
「軍人の方が似合いそうだよね。『隊長!』なんて言われてさ。『ようし、訓練を始める!』なんて」
「ぷっ」
「『ビールは五分以内に飲め! 飲みきれなかったらスクワット十回!』」
「あははははは」
その時、ちょうど帰り支度をしていた、私たち以外の最後の客が、赤い顔でふらりと近寄ってきて、テーブルに手をついた。

「よく見抜いたな。あいつぁ――SSあがりだ」

ぎくりとして顔を上げる。あいつ、とその男が親指で指した、そのすぐ裏に、バーテンが料理を持って立っていた。
彼は無表情だった。気配にやっと気づいた客は、一瞬肩をこわばらせ、けれども虚勢を張るように「なんだよ」と言った。
「本当のことだろ。黒服着て『ハイルヒットラー』なんてやってたんだろ?」
「――ああ。だから刑も受けた。自分から言いはしないが、隠しているわけでもない」
やはりドイツなまりの、生硬なフランス語だった。
がたり、とアルフレッドさんが立ち上がった。帰るのかと思い首を巡らすと、彼はがくりと腰から体を折った。
「ごめん。こんな下衆につけ入らせる隙を作ってしまった」
下衆呼ばわりされた男は一瞬顔に血を上らせたが、アルフレッドさんの冷たい目に押されたかのように踵を返し、帰って行った。
「本当にごめん」
こちらも立ち上がって頭を下げる。調子にのったというなら同罪だ。バーテンは驚いたような、むしろ少し困ったような顔で立ちすくんでいたが、やがて緊張を解いた。少し笑うだけで驚くほど優しい顔になる。
「……空けてしまいたいワインがあるのだが、一杯ずつ協力してくれないか」
お礼におごる、ということだろう。そうは言わないバーテンに、これまでの人生を垣間見た気がした。
多分この人は、自分の人生全てをずっと背負っているのだ。

カウンターに移った。その間にバーテンはテーブルを片付けている。風呂敷包みを隣のスツールに置くと、アルフレッドさんが目を輝かせた。布なのにバッグのようなのが気に入ったのだろう。好奇心旺盛な人だ。こうやって結んでおけば持ち手になるし、ほどいてたためば――と説明しようとしていると、アルフレッドさんが目を見開いて息を止めた。
「この絵、というか、この本、知ってる」
「あ、そうなんですか」
もとは洋書なのだから、不思議はない。装丁は原書と同じにしたと聞いている。
「送りつけられてね――兄、から」
「はあ」
「何十年ぶりかに手紙を書いたよ。いい本だったからね、お礼を書いても不思議はなかったし」
含みのある言い回しだ。何はともあれ、今この本の表紙を撫でるアルフレッドさんの表情は至極穏やかだ。何かこの本が彼の家族の中で架け橋になったのなら運命的だ、と思っていると、そこにもう一つ声が重なった。

「この本――」

バーテンだった。渋い声は、少し震えていた。同じくかすかに震える手は、その表紙に近づこうとしてそれを憚るように、一指分あけて置かれた。
「日本で、読まれているのか」
「ああ――はい」

訳したのは「父」だ。血湧き肉躍るでもない、英雄や悪魔が出てくるでもない地味な物語だが、静かに長く版を重ねている。
敬愛してやまないあの人が自分の中で「叔父」から「父」になったのがこの本を「くれた」時だった。多分あの人にとっても「甥」から「子」になったのだと思う。物語を贈るとはそういう行為だ。
商社に入って、海外勤務が始まった頃だったか、いつもの見舞いに行ったら、今日は気分がいいからと体を起こし、ベッド脇から初版のこれを取り出した。「いつか、ついででいいんです。これを墓前に届けて欲しいんです」。そうして誰のものか分からない墓の所在地を書いた紙を渡し、「誰にも秘密です」とそっと唇に指をあてた。

バーテンはこくりと喉を鳴らした。本を凝視する、その水色の瞳が揺れていた。
秘密です、と言われたのだから、来歴を言うべきではないのだろう。しかし、私にも「父」にも思い入れのある本が、他の誰かにとっても大切な本であるというつながりは心の底を暖かくした。

「――あの、良かったら、ワインをおごらせて下さい」
「――?」
バーテンは首を傾げるように顔を上げた。
「貴方と、乾杯をしたいです」
「俺も入れてよ!」
アルフレッドさんがぷうと頬を膨らませる。いったいいくつだ、と笑って頷く。
「ええ、三人で」
さっき瓶に余ったワインがあるかのように言っていたバーテンは、後ろの棚に寝かせられていた瓶を取り出し、封を切った。そして一隅の曇りもなく拭き上げられたワイングラスに等分に注ぎ、配る。

一九六八年、パリ、五月。
私たちはそれぞれの母語で乾杯を唱和した。

 

せめぎあふ国と国との憎しみも歴史の中にとけて流るる(柳原白蓮)

 

 


 

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