SSSsongs36(菊)

※某保険会社CMの歌のフレーズを引用しています。

 


 

今、この国では30秒に一人が生まれている。

来週にもなればアルフレッドさんがやってくるだろう。あちらの三月は相当に寒い。最近は寒波もあって冗談にならないレベルだという。暖かさと美味しい食べ物のためなら太平洋もものともしない友人のために、少しくらい支度に気合いを入れてもばちは当たるまい。…大豆肉を鶏の唐揚げに見せかけることに気合いを入れても、やはりばちは当たるまい。あの国はもう少し野菜を食べるべきなのだ。――大豆を野菜と認識しているかどうかはともかくとして。
お買い物に行きましょうかね、とぽちくんに声をかけると、目を輝かせて立ち上がった。お散歩が好きなのだ。中でも帰りに立ち寄る公園には見事な一本立ちの桜があって、その近くのベンチには老若男女が腰掛けている。お散歩が楽しい、と思える街に暮らせるのは嬉しい。その嬉しさは建売住宅化によって失われつつあると長年指摘されているが――ガラス戸を閉めながら思う、人はそんな風に生きられるものでもない。
庭にかける情熱というのは、確かに減ったかもしれない。昔は庭木やさんがもっと頻繁にあちこちの立木を刈り込んでいたものだ。しかし、「庭を持てる町場の人」という存在はいつの時代でもそう一般的ではなかった。植木鉢で植物を育てる人なら今でも沢山いる。実用的なあさつきやミニトマト、手間のかからないサボテン。最近はベランダで米作りができるプランターのセットというのも売られていて、菊などには目的と手段の入れ替わりに隔世の感を抱いてしまう。
花束を贈ることに躊躇いがないヨーロッパの国に対して、日本ではそれを買うことも持ち歩くことも恥ずかしがる男性が多い。駅中の花屋が外から中身が見えない箱入りの花かごを売り出したところ、売り上げが倍増したという。売れたということは、買いたい・贈りたいという気持ちはあったわけだ。いつのまにか花束を貰い慣れてしまって抵抗感の薄れた菊は、彼ら男性諸氏が少し可愛らしく思えてしまう。
商店街の入り口にはパンジーのプランターが置かれていた。植木鉢であさがおを育てることについては、小学校の生活科でもお馴染みの光景、そして菊にとっては懐かしい風景だ。暑い夏に風を送る道具は手の団扇しか無く、喉を冷やすものは井戸で冷やした西瓜しかなかった頃。色とりどりの、そして形も様々のあさがおが江戸の街に咲き溢れた。

私は、私たちは多分――菊は思う。季節がそうであるように、うつりかわるものが好きなのだ。朝の光を受けて開き、夕方にはもう力を失う儚さも、にも係わらず次の日にまた別の花が咲くたくましさも。
「お豆腐、ください」

 

全てのいのちは、限られた時間を力一杯かがやかす。

 

今、この国では28秒に一人が逝っている。

草花に比べれば格段に寿命の長いヒトは、その意味について考えたり悩んだりする贅沢を許している。まして、その意味を自ら否定する自由さえある。私にはそれはない――公園の桜の下に立ち、菊は口を小さく結ぶ。私を否定するひとがいようとも、私は私を否定してはならない。私を見限る自由はない。それが辛い時ももちろんあるけれど――死ぬ自由がありながら生きるのにはエネルギーが必要であることも分かる。
そして、そんな世の中に子供を産むことに躊躇いを持つことも、分かる。
私は、30秒に2秒分ずつ、小さくなっていく。

桜は、まだ三分咲きというところか。アルフレッドさんは華やかなのが好きだから、満開の「一番いいとき」にお迎えできるだろう。そして私は満開を過ぎ、散り始め、その落ちた花弁が公園脇の道にこぼれ、自動車の風に吹き上げられ、白い靄のようになるまで、毎日この花を見るだろう。
桜は、ただ「そうであるから」毎年花を咲かせる。
今のヒトは、ただ生まれたからといって子を産むには、複雑すぎる。
子供に与えたい未来と、想像しうる未来の差。「こうありたい」自分と「こうでしかない」自分。
――そんな貴方を産んだ方も、自信ばかりではなかったはずなのに。それでも、今貴方を、三十秒たった今、また別の貴方を、そしてまたどこかの貴方を、産んできた。

この国では、一呼吸をする間に、誰かが誕生している。
今も、今も。

「…ウェルカム、私へ」

貴方が、私のもとへ生まれてきたことを、喜んでくれますように。
貴方が、私のもとで生きることを、次の命を生み出すことを、躊躇いませんように。

今生まれた貴方、貴方を産んだ貴方…。

貴方が、私のもとで老いることを、苦しまないでくれますように。
貴方が、私のもとで死ぬときに、ほほえんでくれますように。

数十年前の今生まれた貴方、数十年前の明日生まれた貴方…。

 

「Happy birthday dear 誰かさん…」

誰かの、そして貴方の代わりに、桜の幹に手を回す。春日を浴びた木はほんのりと暖かく、声を合わせてくれるような気がした。

「Happy birthday to you」

 


桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命をかけてわが眺めたり(岡本かの子)

 

 


 

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