・ツイッターのお題診断。
			・「悪魔アルフレッドと借金王菊が憎み合う話」。「憎み合う」ではないです、全然。
			・菊さんオタク設定。ご都合主義的に展開します。
          苦手な方はお戻り下さい。
 	      
 	      
           
          大学時代は、誕生日席に配置されたこともある、くらいのサークルだった。毎日のバイト、山のような課題をかいくぐって春夏秋冬のイベントで新刊をやっと出せる、それくらいの活動だったから、文字通りの「薄い本」をそこそこの部数で、自転車操業の言葉通り、前回の利益分でやっと発行していただけだ。
          それでも、出せた、その金額が、出ない。
          まだまだ元気と思っていた父親の入院、家を継ぐはずだった兄の出奔。度重なる不幸と一緒に菊の肩にのし掛かってきたのは潰れかけの駄菓子屋で、正直菊としても潰すしかないと分かっているのだが、父もその父も育った小さな家と菊もてちてちともんじゃ焼きを食べたその店とを手放しがたく、就職したばかりの会社もやめて、無理に無理を重ねて回してきた。バブルの時期に襲ってきた地上げの波を街が一丸となって追い返し、その後は平穏な、逆に言えば再開発から取り残されたこの街に、そもそも小学校の統廃合が絶えないほど子供の数が減っているこの東京に、駄菓子屋など続ける余地があるわけがない。
          「たかが…」
            思わず呟いてしまい、頭を振る。たかが、弱小サークルの同人誌の印刷代。そうであったとしても、出せないものは出せないのだ。一日たりとも待たないという金融業者からの通告文をちらりと眺め、時計を見る。
            大学時代の友人に、その名を告げて「げっ」と言われた会社だ。なんでそんなところから借りたの!と揺さぶられたが、「悪魔」と呼ばれているというその会社から借りたのは菊ではない。菊の父の、行方不明の友人だ。
            「友人関係を壊したくなかったら保証人にはなるな」
            父が身を以て示した訓戒は、その申し込みも禁じる。だから親戚には頭を下げて回ったが、友人知人からは借りていない。
          「ハロー!」
            がんがん、とドアを叩かれて菊は飛び上がった。何の偶然かすれ違いが続き、本人同士が顔を合わせることはなかったが、金融会社のうちの担当はアメリカ人だと聞いている。深夜だというのにあの傍若無人なシャッターの叩き方はアメリカ人に違いない、と偏見丸出しで菊は思った。
            「はい!今!行きます!」
            慌てて返事をして玄関に走り寄る、しかし、開ける勇気が持てない。
            「おーい、ミスタ・ホンダ!?出て来ないのかい?ブシドーはどこいったんだい?」
            由緒正しき庶民に武士道も何もない、と思ったが、借金をきちんと返すのは町人の矜恃だ。それを守っていないのだから、心苦しい、申し訳ない、気が引ける、…故に出て行く勇気が持てない。
            がんがん、シャッターは鈍い音をあげつづける。
            かき消されないよう菊は声を張り上げた。
            「明日!約束の時間までには、必ずお持ちしますから!」
            「信用できないんだぞー」
            そりゃそうだ、菊本人にだって信用できない。
            「あのさー、俺は平和な借金取り立て人だけど、兄とかほんと極悪非道だから。内臓売ってでも俺のレベルで終わらせた方がいいんだぞ!」
            「ないぞう…」
            そう言われても、一つしかない器官は渡せない。腎臓一つでは多分足りない。バイトと学校以外は引きこもってオタク生活を満喫していた菊の内臓に高値が付くとは思えない。
            「悪いけどさ、もう会社としては、君の逃亡を防ぐことだけ考えてんだよね。だから開けてよ」
            そう聞いて開けるばかはいない。
            もういっそ布団の中にもぐってしまおうかと思っていたら、「何だい、君!?」という声が聞こえた。
            「夜中にうっさいわ」
            取り立て人を威圧するその低い声に菊はがばりと顔を上げた。
            「え!」
            長く会っていなかった幼なじみのものだった。強面で、実際、少々、こわいところもある。それでも弟分であった菊の面倒を見てくれて、菊もよく懐いていた。もうこの街を離れて長い、菊のことなど忘れたかと思っていたのに。
            「おい菊、ちょっと開けえ」
            「う」
            幼なじみには会いたい、けれども、このきしみさえするシャッターが唯一自分を悪魔から隔てる壁だと思えば開ける勇気が出ない。
            「なんだい、君!ミスタ・ホンダには俺が先に会いに来たんだぞ!」
            ふん、と鼻で笑う気配がした。
            「ミスタ、かい」
            そして新聞受けの小窓を開けて、その懐かしい涼やかな目を覗かせた。
            「まー、開けれんのやったらそれでもええ、お前、困っとんやったら言えや。俺とお前の仲やろが」
            「…っ」
            胸がつまって、思わずシャッターにすがりつく。その仲だからこそ言えなかった。
            と、小窓からぽんと茶封筒が投げ込まれた。無造作に糊してあるが、かなりの厚みがある。
            「とりあえず出せるだけ入れてる。足りんかったら言え」
            「そんな!」
            父の遺戒……いやまだ死んじゃいないが……と、父の遺した……いやまだ、ともかく店とを天秤にかけて菊は迷った。
            「借金したないなら、やるってことでええわ。いつか漫画家になって金儲けたら、その分くれ」
            「あ…」
            そんな昔の、子供の、たわいない夢を。覚えていてくれて、笑ってくれて。
            「ほな、またな」
            かつ、かつと遠ざかる足音が聞こえる。気づけばお礼をまだ言ってない、そう思ってシャッターに手をかけたら、ほんのわずか開いた空間に向こうから指が差し込まれ、一瞬のうちにたくし上げられた。
            「あ」
            そうだった、思わず脳裏から消していたが、もう一人いたんだった。悪魔が。
            その形容の似合わない俳優のような顔の男は、一瞬驚いたようにまばたいて、それからにっこりと笑って手を差し出した。
            「やあ、初めまして、ミスタ・ホンダ。キクって呼んでいいかいいいよね呼ぶね」
            「はあ」
            求められれば握手も応じる、ほほえみかけられれば相手が誰であれとりあえず笑っておく、日本人の例に漏れない菊である。
            「俺はアルフレッド・F・ジョーンズ。ねえ、さっきの、君の何?」
            「なに、とは…。幼なじみですが」
            「ふうん」
            言いながら、さっと菊の手の中の封筒を取りあげる。
            「あ!」
            「あ、じゃないよ。これ、お金なんだろ。なら、うちに優先権がある」
            「う」
            宙に浮いた菊の手に封筒だけを返して、慣れた手つきでアルフレッドは札を数え始めた。不正はしないという証明のつもりなのか、一枚ずつ数えながら。そして。
            「「足りない……」」
            菊は呆然と、アルフレッドは半ば面白そうに、異口同音に呟いた。
            「こっ」
            「こ?」
            「これくらいならっ、腎臓一つでなんとかなりますか!?」
            「腎臓?――ああ、本気にしたのか。やだなあ、昔のアーサーじゃないんだから、そんなことしないよ」
            本気にする理由ありありじゃないか。そう思ったが黙る。
            「それよりさ」
            アルフレッドはいきなり菊の手をとった。
            「は!?」
            指先をなぞられ、菊はどん引きする。
            まさか、そういう……?内臓売買はしないけど売買春はありとか?いやでも、腎臓に値するとかどんな高級娼婦だ。いやいやいや。前提からおかしいから、その発想。
            とはいえ少しでも手を引こうとする菊に全く頓着せず、薄くなったペンだこのあとをなぞった後、アルフレッドはぎゅっとその手を握った。
            「やっぱり!見たことあると思ったんだ。君、今年、本出してないよね!?」
            「は!?」
            「俺、毎回開場と同時に君のとこ行ってたんだけど」
            「は……?」
            「うん、いつもてんぱってて、全然俺の言うこと聞いてないなと思ってたけど」
            基本的に人前が苦手な菊である。最低限ミスはないようするけれども、どのイベントでも最初の一時間についてはまるっきり記憶がない。魂があるかないかの状態で対応しているのだが…そういえば、毎度、両手を掴んで振り回し、大仰に褒めてくる外人さんがいたような……。
            「こんなところで会えるなんて、運命だね!」
            「……まいどおかいあげありがとうございました……?」
            「君、もう書かないの?」
            「や、状況が許すなら勿論書きたいんですが…」
            何せ。という思いをこめて見つめると、アルフレッドは「ああ」とポケットから借用書を取り出した。ふむ、と顎に手を当てる。
            「でも、借金は借金だしねえ」
            がくり。
            「はい、そうですね…」
            「でも、腎臓は、あった方がいいよ」
            「そりゃあ、そうです」
            「てことでさ、個人的な融資を受けない?俺から」
            「は?」
            「とりあえず俺が出しとく。君は新刊を出す。利潤から俺に返済。どう?」
            「どう、と言われても…」
            「それからね、君、古い常識に縛られて夜は店閉めてるみたいだけど、どうせ君起きてられるんだろうから、深夜まで開けときなよ。ここ、駅に向かう裏道になってるからさ、残業開けのサラリーマンがすこんぶとか買ってくよ、きっと」
           
          アルフレッドが強引にこじ開けた運命とやらは、彼の言葉通りに展開した。
            印刷代を後払いにしてもらって、売り上げからそれを引いた残りできれいに無くなった借金と、コンスタントに利潤を生み始めた深夜営業と。
            古い町で街灯が心細かったのが、いつの間にか篤志による寄附とかで綺麗になっていたことも集客に作用した。どういうことなんでしょうね?と顔をのぞき込んでも口笛を吹いてごまかされる。だけどその節は「HERO」だ。そして、借金完済により縁が切れたはずの「悪魔」社の社員はコンサルタント料だと言い張って菊の家に用もないのに上がり込むようになった。
            今日も、疲れた紳士淑女に小さな癒しを配る作業を終えた菊を「おつかれー」と座敷で出迎えて、フェアで合理的でヒーローの悪魔は太陽のような笑顔をよこす。